符呪
ここは後藤家のダイニング。
いま、テーブルの上には三冊の本がある。
アレイスター・クロウリー著、「法の書」
〇江▽△のり訳、「チベットの死者の書:バルドソドル」
〇田〇象著、「妙術〇〇大全」
これらは後藤が古本屋で見つけてきたものだ。
「え、良平さん、なに?変な方向に踏み込んじゃったの?」
「うーん、片足ぐらいは……」
今日、後藤は魔法の研究に役立ちそうな文献を古本屋で探していた。
これらは、そんな後藤の前に現れ、「主張」してきた本たちだ。
そう、あれはまぎれもなく「主張」だった。
その店は狭かった。
本は書架にあるだけでなく、多くは平積みのまま放置されている。
その平積みも高さが1メートルちかく。
客はどうやって下の方にある本を取り出すのだろう?
疑問に思いつつ、後藤は役に立ちそうな本をさがした。
かがんで平積みの下の方を見ていた時、後ろで誰かが囁いた気がした。
誰かの邪魔になっているのかと思い、後藤は振り返りつつ立ち上がった。
そのとき、リュックが平積みの本に当たった。
山が崩れそうになる。
後藤はあわてて山を押さえ、事なきを得た。
ほっとして声のあった方を見たが誰もいない。
何だったんだろう?
そう思った時、自分が一冊の本を手にしていることに気づいた。
それは、アレイスター・クロウリー著「法の書」だった。
この店には幽霊でもいるのだろうか?
そんなことを考えながら本をさがすと、今度は「チベットの死者の書」が目に入った。
魔法とは関係なさそうだと思いつつ、後藤はそれも購入することにした。
二冊を買ってつぎの店に移ろうと思った時、背後で床に本が落ちる音がした。
落ちていた本は「妙術〇〇大全」だった。
平積みはすべてチェックした。
その中に「妙術〇〇大全」はなかったはず。
不思議に思いはしたが、後藤はそれも買うことにした。
何かに導かれたと解釈して。
もう一冊、後藤はノストラダムスの「諸世紀」をみつけたが、今回の目的には関係ないので購入は見送った。
しかし――
その後、数軒をまわり、やはり「諸世紀」がほしくなった。
それでさきほどの店に戻ると――
その店で売られていたのは一変していた。
「法の書」を見つけた場所は、昭和のアイドルの写真集が山積みされていた。
「チベットの死者の書」を見つけた場所は、昔のファッション雑誌のコーナー。
「諸世紀」があった場所はゲームの攻略本コーナー。
高次存在によって一時的に世界が書き換えられていたようだが、改変前と後で何かつながりがあるのだろうか?
「法の書」 - 昭和のアイドル
「チベットの死者の書」 - 昔のファッション雑誌
「諸世紀」 - ゲームの攻略本
「妙術〇〇大全」 - 床
前後でちがいは……。
後藤はそんなことを考えつつ店を出た。
というわけで、いま、目の前に三冊の本がある。
家に帰ったらアイドルの写真集やファッション雑誌に変わっているかもしれない。
などと思いはしたが、本は変わることなくここにある。
そういう経緯であるが、これらは買ってきたものの、どう役立てればいいのか思いつかないでいる。
特に「法の書」は、ちらりと読んでみて、書いてあることが全く理解できなかった。
『彼が<東方>から来ると思うな。<西方>からとも予想してはならぬ。なぜなら、全く予想してもいなかった宿りから、あの子供は訪れるからなのだ。<オーム>よ!すべての言葉は神聖なものであり、預言者はひとり残らず真正な者たちである。但し、彼らに了解できるところはわずかしかない。等式の左辺は解き明かしてくれるのだが、右辺の方は全く手つかずのまま放っておくのだ。しかし、汝は一切を鮮明な光の中に有し、また、すべてでないまでも、闇の中に有するものもある。』 (「法の書」I-56)
これが最初に後藤の目に入った文章。
本がぱらりと開いてこのページを見せたのだ。
――何か意味がありそうな気もするが……。
それが自分へのメッセージであるような気もするが、後藤には理解することができなかった。
背景を理解しないまま「法の書」を読んでも正しく理解できる気がしない。
きっとクロウリーの時代の魔術に関する常識が必要なのだ。
後藤は早々に読み解くことをあきらめた。
つぎに開いたのは「チベットの死者の書」。
この本については理解できる。
だが、理解できても、魔法研究の役に立つ要素があるとは思えない。
後藤はこの本を読んで、神界に裏口入学するためのノウハウ本のようなものだと解釈した。
そこには資格のない人が神界に行くための裏技のようなことが書いてあるのだから。
だが、また本がぱらりと開いた。
それは後藤が読まなかった「付記」のページ。
そこには導師のために密呪の説明が記されていた。
『――この世の光は沈んだ。かれは他の場所へ行く。かれは厚い暗黒へ入る。(中略)かれはカルマの力によって追い回されている。かれは広漠たる静寂の中へ入ってゆく。かれは巨大な大洋によって運び去られている。かれはカルマの風に乗って浮動させられている。かれは安定のない場所へとおもむく。かれは大闘争に掴まえられている。かれは苦しめる精神に憑りつかれている。かれは死の神王の使者によって畏怖され恐怖させられている。現存するカルマはかれを輪廻へと導く。かれは力を持っていない。一人で行かねばならない時がかれにやって来た――』(I.ブッダ並びにボーディサットヴァの祈願)
後藤にはその意味はわからない。
しかし、この文章が、死後、混沌の海に投げ出された人の姿のように思えた。
「妙術〇〇大全」は、ある意味、魔法書と言っても良いかもしれない。
たぶん、これは試す価値がある。
後藤はそう考え、その本を開いた。
「試しに呪符でも書いてみようか」
「どれどれ?縮れ毛を直す妙法……」
みゆきは無言になった。
「いやいや、そんなのばっかりじゃないから」
後藤はちがうページを開いて見せた。
「黒子抜きの秘法……」
「いや、ちょっと待って」
今度は調べてから見せようと、もくじを開いた。
みゆきはそれを後ろから眺める。
「寝小便を根治する秘伝、田虫を治する呪符、秘伝痔漏の妙法……」
「ちょっと、なんで変なのばっかり見つけるの?」
この本は祝詞や真言が大半を占めている。
日本史の教科書にも出てくる「探湯式」の詳細なやりかただって記載されている。
生活に密着したまじないは、そのあとの方に1ページに4つほど詰め込んで大量に記録されている。ページ数で言えば、多数を占めるのは祝詞や真言だが、件数で言えばまじないが多くなる。だから、もくじを見ればそういったまじないばかりに見えてしまうのだ。
後藤の背後では、みゆきが苦しそうに笑いつづけている。
それにつられ、後藤も笑いがこみ上げてきた。
結局、「妙術〇〇大全」はお蔵入りとなった。
だが、その夜――
みゆきは深夜こっそりと起き出し、「妙術〇〇大全」を開いた。
テーブルの上には短冊状に切ったコピー用紙と筆ペンがある。
長座の人を早く帰す秘咒
彼女はまずその呪符を書いた。
そして――
夫婦仲至つて睦ましくなす神符
夫婦愛嬌よく家座円満の神符
つづけてこの二枚を書いた。
少し考えて、さらに一枚。
婦人子を求むる秘符
「よし」
みゆきは席を立ち、壁につるしてあるポスターを裏返した。
それはポップアートのポスター。
みゆきは書き上げた四枚をその裏側に貼り付けた。
彼女は満足してうなずき、後藤の寝ている寝室へともどっていった。




