生命の力
「ちょっとホームセンターに行かない?」
後藤はみゆきを誘った。
「何買うの?」
「うーん、種?鉢植え?」
「ベランダ菜園するの?」
「いや、魔法実験」
「あー、植物魔法だ」
「キミに向いている気がしてね」
後藤は、夢の中で、みゆきが笑顔で植物を育てる姿を見ている。
みゆきが育てた植物はみゆきに懐き、まるで動物のように動いていた。
その夢によると、彼女の魔法適正は「生命」なのだ。
「え、私がやるの?」
みゆきは意外そうに言うが、後藤は彼女ならできると確信している。
「うん、嫌?」
「ううん。やる。私にできそうなんでしょ?ならやる」
「あ、そうだ。その前に、野の花を見に行かない?」
後藤は大事なことを思い出した。
それは夢の中のみゆきが話していたこと。
命を感じる。
それが彼女の魔法にとって一番大事なことなのだ。
いまは春。
田植え前のレンゲソウを思い出した。
それは唐突に浮かんだイメージではあったが、後藤は迷わずそれに飛びついた。
「咲いている花の生命力とか感じておくと、イメージしやすくなると思うんだ」
「ふーん。じゃあ、行ってみようかな」
「では、とっておきの場所にご招待しましょう。お嬢様」
「こっちこっち」
後藤は田んぼへのスロープを降りて行った。
そこには少しだけ拓けた場所があり、見学ができるようになっている。
「ちょっと、良平さん、勝手に入ってもいいの?」
「畦まで入ったらだめだけど、このあたりまではセーフみたいだよ」
ここは横浜市の谷戸が保存されている地域。
春先には、田んぼにレンゲソウが植えられた昔ながらの景色が見られる。
後藤はそれを見せたかったのだ。
「ほら、レンゲソウ」
「へえ、あれがそうなんだ。私、はじめて見たかも」
「昔はこういうのが日本の原風景だったらしいね」
「まだ寒いのに、もう蝶がいるのね」
そこにはモンシロチョウ、キチョウ、アゲハチョウといった蝶のほかに、アカタテハやツマグロヒョウモンもいた。
「わっ」
しゃがんで花を見ていたみゆきは、ミツバチに驚いて後藤にしがみついた。
だが、そのミツバチは、すぐ目の前の花に蜜をとりに来ただけ。
襲い掛かる様子はない。
みゆきはその様子を見て後藤から手を放した。
「最近は、ミツバチが減少しているって話もあるけど、このあたりは安泰だね」
「なんだか蜂蜜食べたくなってきた」
「たしかあっちにある直売所で売っていたと思うけど」
「ここでとれた蜂蜜なの?」
「うん。直売所だからね。時期によって花が変わるから香りもちがうんだって」
「ぜったい買って帰ろうね」
「ただ、数量限定だから――」
「じゃあすぐ行こう」
みゆきが勢いよく立ち上がった。
驚いたミツバチが離れていく。
後藤はみゆきが強い意思表示をするのをはじめて見た。
そのはじめてが食欲とは。
「ふっ」
思わず笑ってしまった。
「あー笑ったー」
「ごめん。キミの知らない一面を見た気がして」
「えー、だって天然ものでしょ?天然物は食べる美容液なんて言われるくらい貴重なのよ!」
「そうなんだ。知らなかった」
「ほら、急ぐ」
みゆきに急き立てられて、ふたりは直売所に向かった。
歩いて行ける距離なので、車は置いていく。
「ここ、すごくいい雰囲気なのね」
歩きながら、みゆきがしみじみと言った。
「やっぱり、こういう日本の原風景は日本人の心に響くんじゃないかな」
「うん、そう思う。来てよかった。で、直売所はまだ?」
「その道を渡ったところ」
「あ、あれね」
ふたりは直売所のある施設にたどりついた。
そこには、直売所のほかに、食堂やコーヒーショップ、それから展示スペースもある。
「へえ、いい感じのお店ね」
みゆきはそう言いながら、足を止めずに直売所へと向かった。
「あ、あった」
それは最後の一瓶だった。
後藤は少しほっとした。
それくらいでみゆきの機嫌が悪くなるとは思わないが、がっかりした顔は見たくなかったのだ。
「連れてきてくれてありがとう」
蜂蜜の瓶を手に取ったみゆきは、後藤がいままで見た中で一番の笑顔だった。
蜂蜜を手に入れ、ふたりはベンチに座って淹れ立てのコーヒーを飲んでいた。
「自然公園とはまたちがって、生命を身近に感じられた気がする」
みゆきはしみじみと言った。
田んぼの周りの生態系は、確かに生命が満ち溢れているように感じる。
自然公園とのちがいは流水。
流れる水の音と、その周りの生態系が濃厚な命を感じさせる。
しばらくの間、ふたりはのんびりとした時間に身をゆだねていた。
車へ向かって歩いていると、みゆきが足を止めた。
「ここって神社?」
「熊〇神社だね。普段は無人だけど」
「行ってみない?」
「いいよ。でも、この道じゃなくて、正面から行こう」
「ここじゃだめなの?」
「だめじゃないけど、んー、雰囲気重視?」
そこは車で上れるようになっているスロープ。
正式な入口ではない。
正面に回れば、石鳥居の先に神社らしい石の階段がある。
後藤はなんとなく手順を踏んで参拝する気分になっていた。
普段の後藤なら、そんなことなど気にしないのだが、なぜかこの日だけは、そうしなければならない気がしていた。
「こっち側はちゃんとした神社っぽいでしょ?」
正面に回り、後藤は境内へとつづく石段を指さした。
「運動部がトレーニングするのにちょうど良さそうな階段ね」
そうは言っても階段の高低差はだいたい鳥居二個分。
上るだけならトレーニングとまではいかないが、ほどよい運動にはなりそうだ。
階段を上ると、そこには無人の社があった。
「手水社は……水がないのね」
「じゃあ、これで」
後藤はボディバッグからフェイシャルシートを取り出した。
ふたりはそれで手を拭き、賽銭を用意した。
作法通りの拝礼を終え、振り向くと、そこには巫女がいた。
「おひさしゅう」
巫女は後藤たちにそう言ってほほ笑んだ。
おひさしゅうと言われても、後藤には、彼女と会った記憶がない。
それでも、後藤にはなんだか懐かしい気がして、彼女と話してみたくなった。
しかし、後藤が口を開くと、彼女の姿は崩れて無数の蝶となり、そして消えた。
それは色の濃いアゲハチョウ。
キアゲハだった。
「あのひと、知っている人?」
みゆきに問われ、後藤は何かを言おうとしたが、口にする前に忘れてしまった。
気づくと、ふたりは車の中にいて、巫女と会ったことは忘れてしまっていた。
帰り道、ふたりはホームセンターの園芸コーナーに立ち寄った。
買ったのはもちろんレンゲソウ。
鉢植えと種を購入した。
魔法による効果――発芽と枯化のスピードを確認するためだ。
「これって育てやすいのかな?」
「田んぼに適当に撒いても勝手に育つんだから育てやすいはずだよ」
実際、レンゲソウを育てるのに手間はかからなかった。
みゆきが毎日話しかけるだけで、レンゲソウの種はすぐに鉢植えと同じ背丈まで育った。
鉢植えで買ったレンゲソウもなかなか枯れる様子がない。
穏やかなものではあるが、効果は間違いなく出ている。
自信を持ったみゆきは、その後もさまざまな植物に手を出し、後藤家のベランダは鉢植えで埋まっていった。
ベランダがいっぱいになると、鉢植えは室内にも進出し、後藤家は植物園と化した。
後藤は口出しをしないよう心がけていたが、ある朝状況は一変した。
見知らぬ植物が壁や天井を覆うようになっていたのだ。
それは図鑑には載っていない種。
ひょっとしたら、魔法植物とでも言うべき新たな種なのかもしれない。
それはふつうの植物とはちがう。
生命に満ちているように感じられるし、葉を揺らす程度には動ける。
なんとなく意志が伝わる気もする。
しかし、気味の悪さはなく、逆に、どことなく静謐な雰囲気を醸し出している。
室内は、まるで聖域のようになっていた。
後藤はそれを肌で感じている。
この植物が外界で繁殖すれば、混沌に対する護りになるのではないか。
そんな気もする。
もしそうなら、みゆきはこれから変わっていく世界の救世主となり得る。
後藤は未来に希望を見出した。
と言っても、何かをみゆきに背負わせるつもりなどさらさらない。
後藤は先陣を切るタイプ。
だから、後藤は「魔法」なるものを研究する。
さらなる何かを求めて。
みゆきの適性は夢が教えてくれたが、自分の能力には何の手掛かりもない。
となれば、基礎から地道にやっていくしかない。
その地道な過程で、きっと何かがみつかるだろう。
後藤は研究者であるから、これから様々な発見をする期待で、いつになく興奮していた。
気を取り直して、後藤は魔法のトレーニング手法について考えてみた。
そこで思い出したのは気功。
後藤がすぐに魔法を使えたのは、たぶん気功を学んでいたからだ。
気と魔子は同じものなのか?
――その辺からはじめてみますか。
とりあえずの方向性が決まった。
後藤は、学生時代、師である大橋崋山のきまぐれで、さまざまな武術を仕込まれた。
気功もそのひとつ。
師の伝手で台湾から気功の達人を呼び、手ほどきを受けたこともある。
後藤がおぼろげながら記憶している型は五禽戯。
虎、鹿、猿、熊、鳥、五種の禽獣の型だ。
当時の後藤は、師匠のきまぐれで猿の真似をさせられて内心腹立たしく思っていた。
だから、五禽戯はしっかり身についているわけではない。
型をやってみようとしても、それが本当に正しい動きなのか自信が持てない。
記憶が怪しいので、後藤は五禽戯をネットで調べることにした。
すると、その原型は「華佗五禽戯」で、創始者は、三国志の登場人物でもある華佗だとわかった。
師匠から教わった五禽戯は怪しげなものではなく、歴史ある正当なものらしい。
後藤は心の中で師匠に申し訳なく思った。
このあたりでやる気がでてきたわけだが、そうなると、自分の記憶の曖昧さが問題になる。
だが、現代にはインターネットという集合知が存在する。
動画サイトを調べれば大抵の答えはそこにある。
実際、五禽戯の動画はいくつもみつかった。
後藤は動画を見ながら自分の五禽戯を調整し、気功の修業をやりなおすことにした。
――なるほど。
魔子の影響が強くなった現在、意識すれば気のめぐりがわかる。
感じながら気を動かすことができるから、その働きもしっかりと実感できる。
ひょっとしたら、創始者である華佗の時代は、魔子が多くてこんなふうに気を感じられたのかもしれない。
そんなことを思いながら後藤は修行をつづけた。
気を感じられるから、大周天や小周天も簡単にできる。
これだけ気の働きがはっきりわかるのなら、これからは中国拳法が人気になるかもしれない。
ひょっとしたら、「発勁」だって使えるようになるかもしれない。
ライトノベルのように、気を体表面に集めて防御結界とすれば、混沌から湧くアレに接触しても大丈夫かもしれない。
そんな希望も見えはじめた。
だとすれば――
後藤は吉野のことを思い出した。
吉野は大橋崋山の元で学んだ同門。
彼も気功を学んでいる。
戦力になり得る。
もしも吉野から別の門下生に連絡がとれれば、さらに戦力が増える。
後藤は未来を考えながら五禽戯をつづけた。
「何、それ?鳥のポーズ?」
後藤が五禽戯の練習をしていたら、みゆきがそれに興味を示した。
「五禽戯っていうんだ。気功で魔法のコントロールができそうなんで練習中」
「私もやっていい?」
こうして夫婦で気功をはじめることになった。
しばらくつづけると、みゆきは何かを体得したようだった。
「あ、これいい。なんか身体から悪いものが出ていく気がする」
みゆきは気功にはまった。




