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混沌の科学  作者: 藤原時照


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27/42

高次存在は学習する

 なぜ高次存在は人の心の奥底まで踏み込もうとしているのか。

 後藤は高次存在の意図を確認したかった。

 その誘惑に抗えず、後藤はイデアの管理ログを覗き見てしまった。

 最初に見たページには、個人個人の秘密がたっぷり書き込まれていた。

 良心がとがめて慌ててページを変えたが、そこは武術で動体視力を鍛えた後藤のこと、しっかりと書き込まれていた情報を記憶してしまっていた。


 βテスト前には社員数人でイデアの動作確認を行った。

 その際のログを見たが、そこには個人の尊厳を冒さない配慮がうかがえた。

 だから、サービスを開始しても、その範囲内で運営されるのだろうと思っていた。

 それで後藤は安心してしまった。

 しかし、イデアのログによると、当初の危惧こそ正しかったのだ。

 高次存在は、後藤の予想をはるかに超えるレベルで人間の内面を深掘りしている。

 そのうえ調査対象も広い。

 人間を学ぶためのサンプリングとして、ゲーマーは偏りすぎている。

 当初の後藤はそう思い込んでいた。

 しかし、ログに紐づけされているユーザー情報を見て、後藤は考えを改めた。

 その情報によると、ユーザーは広い分野にまんべんなく分布していた。

 ひょっとしたら、高次存在が何らかの心理操作を施して人びとをこのβテストに参加させているのかもしれない。

 後藤はそんな疑念をいだいた。

 その疑念が消えることはなく、結局、後藤は罪悪感をかなぐり捨てることになった。

 調べなければ。

 そんな義務感に駆られて。


 ログを読み進めていくと、後藤はログに「裏」があることに気づいた。

 その「裏」のログによると、いくつかのケースでは何日もゲームが継続されている。

 だが、それはありえない。

 イデアの中では、通常生活をはるかに超える水準で脳に負荷がかかっている。

 だから、ログイン状態を連続三時間以上継続できない仕様になっている。

 体調管理に十分なマージンをとっているはずなのだ。

 事実、厳しい基準で体調不良や生理現象がモニタリングされているから、ほとんどのユーザーが三時間経過する前に強制的にログアウトさせられている。

 何日もゲーム内にいることは設定上不可能なのだ。

 だが、そこには確かにプレイを継続したログが存在する。

 後藤はさらにそのログを精査することにした。

 すると――

 そこには、著しくおかしな事実があった。

 現在のイデアは、正式サービス前のβテスト状態。

 参加者が少ないから、サーバーは三台しか稼働させていない。

 そのはずだが、ログには第四サーバーが存在していた。

 神楽は後藤たちに隠れてサーバーを一台運用していたのだ。

 神楽はそこでデスゲームや異世界転移のような実験をしている。

 コピーした人格を使って。

 言うならば、第四サーバーは裏イデアの世界。

 そこはゲーム要素なしで運営されていた。

 普通のゲームなら、初期には何らかの救済措置がある。

 だが、裏イデアにそんなものはなかった。

 魔法が使える以外は、本人の素の能力だけ。

 アイテムによる補正もなければレベルアップシステムもない。

 あるのは能力開発によって魔法技能が向上していくことぐらい。

「何をやってくれてるの、神楽さん?」

 後藤は思わずそうつぶやいた。

 

「ここはどこ?」 

 少年はつぶやいた。

 そこは真っ白で何もない空間。

 目の前には白い服を来た真っ白な肌の女性がいる。

「俺、死んだの?」

「ええ、あなたを剣と魔法の世界に転移させます」

 その人物はそう言った。

 そして、話をつづける。

「ひとつだけ願いを叶えます。何を望みますか?」

「あのー、記憶は維持されるんですか?」

「願いを言いなさい」

 強い威圧が少年を襲った。

 こういう場面では、強気に出て交渉するもの。

 ラノベ読者である少年はそう考えた。

 だが――

 少年は威圧に耐え切れず跪いた。

 恐ろしくて涙が出る。

 震えが止まらない。

 声を出すこともできない。

「早く言いなさい」

「あ、あわ……」

「望みはないのですね?」

 少年は答えられない。

 考えることすらできない。

 彼は目の前の存在の圧倒的な威に耐えられず、ただ跪いていた。

「では、行きなさい」

 次の瞬間、少年は、自分が汚い路地裏にうずくまっていることに気づいた。

 冬物の学生服の姿で。

 気候はやや乾燥気味で春を思い起こさせる。

 学生服では暑い。

 それ以前にズボンが重い。

 漏らした大小が、トランクスとズボンを押し下げている。

 人気がないのを確認して、少年はズボンとトランクスを脱ぎ、下半身丸裸になった。

――なんでこんなことしているんだ。

 そう思うと同時に、彼は自分がゲーム――イデアをプレイしていたことを思い出した。

 イデアに対する怒りが沸きあがる。。

――もういやだ。

 彼は、こんなクソゲーやめてやる、と強く思った。

 彼にとって、イデアは文字通りクソゲー。

 もうゲームをつづけようとは思わない。

 彼はコンソールを開いた。

 だが、そこにはログアウトする機能が存在しなかった。

「クソが!」

 彼は思わず大声を出した。

 しばらくはこのまま。

 彼は上着からポケットティッシュを取り出し、仕方なく汚れを拭きとりはじめた。

 悪態をつきながらのろのろとした動作で。

 身体を拭き、つぎは衣服の汚れを拭きとりにかかる。

 トランクスは一目見て諦めた。

 湿って異臭を放つズボンも捨ててしまいたいところではあったが、捨ててしまえば代わりはない。

 幸い、ズボンは黒ゆえに汚れは目立たない。

 軽く絞ってからティッシュで拭く。

 ポンポンとズボンを叩くと、真っ白なティッシュはすぐに黄色くなった。

 彼はそれを何度もつづけた。

 しかし、生地に染み込んだ汚物は完全に拭きとることはできない。

 臭うがあきらめるしかなかった。

 少年はノーパンでズボンを履く。

 周りを見ると、投げ捨てたティッシュが散らばっていた。

 少年の頭に、ティッシュはもう手に入らないという考えが浮かんだが、この状態でほかの選択肢はなかった。

 しょうがないのだ。

 少年は残り一枚になったティッシュを上着のポケットに入れた。

 そのとき、背後から足音が――

 この少年は、暴漢に襲われ、身ぐるみはがされて捨てられた。

 彼は異世界で一日とて生きられなかった。

 願いというオプションこそ有効に使えなかったが、イデアでは魔法が使えるようになっている。

 使い方も脳にインストールされている。

 彼には暴漢を退けるだけのアドバンテージがあり、窮地を切り抜ける余地があったはずだ。

 だが、危機感がなさすぎた。

 

 コピー人格とは言え、後藤は少年を哀れに思った。

 同時に、この少年の記録を見て実感した。

 裏イデアの世界は、安全な生活に慣れた日本人には厳しすぎる。

 だが、切り替えさえできれば、あの少年にも可能性はあった。

 後藤は彼の行動を振り返る。

 まず、彼は現実を見極めるべきだった。

 ゲームで漏らすほどの威圧を浴びせられることなどありえない。

 ゲームでウン〇を現実味たっぷりに描写することは倫理規定が許さない。

 そのあたりでゲームではないことを理解すべきだった。

 そもそもログアウトすることさえできないのだ。

 危機感は覚えなかったのか?

 彼は安全な現代日本に染まりすぎていたのだろう。

 だが、イデアの舞台が中世の文化水準で、人権など機能していないことは告げられていたはず。

 そこで切り替えられるかどうかで結果はちがっていただろうか?

 人権の概念すらない世界で、甘えた子どもが保護者もなしに生きていくのは難しい。

 仮に自分の持っている能力に気づき、あの場面を乗り越えたとしても、やはり生き残ることは難しいだろう。

 アメリカの銃乱射事件を見れば結末は容易に想像がつく。

   銃 ⇒ チートな能力

 そう置き換えて考えてみればいい。

 力を得たら、それだけで人生が変わる、なんてことはあり得ない。

 力には、それを使いこなすための鍛錬が必要だ。

 状況を見極める頭脳も必要だ。

 スタートで弱かったことは必ずしも悪いことではない。

 それを自覚し、努力を怠らないかぎり。

 武道家には、幼少期にいじめにあっていたような者が少なからずいる。

 本人が自分を高めようと努力するかぎり、弱者であることはバネになる。

 重要なのは本人の意思なのだ。

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