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混沌の科学  作者: 藤原時照


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20/27

露骨な介入

「うふふふ」

 声に振り向くと、悪魔のような姿をした女がいた。

 その姿は妖艶。

 近くにいるだけで性欲を刺激される。

 吉野は自分の身体の反応から、それがサキュバスだと確信した。

 しかし、そのサキュバスは、一緒に来ていた記者――西野メイの顔をしている。

「おわっ」

 吉野は驚きながらも近づいてくるサキュバスを自然な動作で避けた。

 それは武術を修めた者独特の身のこなしだ。

「ゲンちゃん、逃げろ」

 石崎はサキュバスを後ろから羽交い絞めにし、吉野を逃そうとした。

 吉野の武術家としての目には、サキュバスが強そうには見えない。

 この程度の相手なら逃げるも倒すも容易なこと。

 当人はそう思ったのだが、石崎は吉野の技量を知らなかった。

「でも、石崎さんは?」

 サキュバスの手の関節がありえない方向に曲り、石崎を抱きしめる。

 そして、首も反転する。

「良いから行け」

 石崎はサキュバスに捕らえられた。

 サキュバスの唇がいやらしく石崎の首を吸っている。

 石崎の顔が恍惚としたものに変わっていく。

 同時に、石崎の肉体が急速に老化しはじめた。

 彼の眼からは命の火が――

 相手が西野の顔をしているだけに、吉野は攻撃をためらってしまった。

 その少しの間に石崎が犠牲に……。

 心を決めた吉野は、石崎からサキュバスを引きはがし、ある種の掌打を放った。

 それは、表の世界の人たちが知らない殺すための技。

 対象が水分を多量に含むやわらかい部位であれば、その打撃は水圧となって強くはたらき、打った部位を破裂させる。

 吉野が打ったのは心臓。

 西野であったサキュバスは、一瞬ピクリとして動きを止めた。

 その直前、かすかに笑みを浮かべた気がした。

 死ぬ瞬間は、もとの西野にもどっていたのかもしれない。

 そう思うと、吉野は強烈な喪失感に苛まれた。

 

 自分に良くしてくれた石崎が、自分をかばって命を落とした。

 自分なら助けられたかもしれないのに。

 躊躇したせいで。

 むかし悪さをした分、その借りを社会に還さなければ。

 かつて聞いた彼の言葉が脳裏に浮かぶ。

 おまけに西野も自分の手で――

 西野はいろいろ噂のある女ではあったが、吉野にとっては気軽に話せる社内唯一の異性。

 失ってはじめて自分が西野に魅かれていたことに気づいた。

 吉野はこんなことを引き起こした存在に強い怒りを覚えた。

 だが、その怒りは当惑に変わる。

 この場で生きているのは、吉野、そして、豚、豚、豚……

 周りを見回すと、いるのは豚ばかりになっていた。

 扉が開け放たれているので、変化しなかった人たちはとうに逃げたのだろう。

 吉野は置き去りにされたのだ。


「なんだよこれ。神楽エフェクトの亜種か?」

 吉野はそうつぶやいた。

 神楽エフェクト。

 ときには開発者の名にちなんでGOTOゴートゥーエフェクトと呼ばれることもある。

 攻撃型セキュリティソフト神楽路は、不正アクセスをした者に罰を与える。

 その罰のひとつが豚にされること。

 吉野は政治家たちが豚に変わったのを見て、神楽路との関連を思い浮かべたのだ。

 だが、神楽路が人を魔物に変えたことはない。

 魔物化ははじめての現象だ。

 吉野は考えた。

 政治家にはまともな人物がいない。

 マスコミの政治部門には表ざたにできない情報も集まっているから、それが共通認識になっている。

 ということは――

 邪悪さが一線を越えると、豚ではなく魔物になるのかもしれない。

 吉野はその結論に至った。

――それなら西野は?

 彼は、以前あった○○砲なるスキャンダル、そして社内の噂を思い出した。

 西野は武蔵野テレビに移籍する前、別のテレビ局で新人アナウンサーをしていた。

 かつて似たような報道があったが、西野の所属していたテレビ局も女子アナを接待に使っていたという。

 武蔵野テレビでは、西野がそのテレビ局で性的な接待要員をしていたと噂されている。

 しかし、それは女子社員の間で広まった噂。

 たぶん嫉妬によるものだ。

 西野が自分からそんなことをするはずがない。

 もしも噂が真実だったとしても、それは無理強いされた結果にちがいない。

 吉野はそう信じている。

 だが、サキュバスになったということは、そうでなかった可能性を示唆する。

 それでも――

 気づくと、吉野の顔は涙で濡れていた。

 自分のささやかな恋心に気づいたときには相手がいなくなっていた。

 その相手は自分が手にかけた。

 おまけに、自分を守ろうとして石崎が命を落とした。

 それも自分が躊躇していたために。

「何をやってるんだ俺は。くそぅ」

 吉野は誰もいない傍聴席で泣き続けた。

「石崎さん……。西野……」

 吉野は魔物に襲われる可能性など忘れて泣き続けた。

 と――

 肩を叩かれた。

「泣くな、ゲンちゃん」

 石崎の声だった。

 顔を上げると石崎がいた。

 その手は人間のもの。

 そして――

 その向こうには西野がいた。

「石崎さん、西野。よかったあ」

 吉野はまた泣き出した。

「俺も西野も、たぶんゲンちゃんのおかげで戻って来れた」

「へ?」

「あたしね、宙に浮かんで観てたの。ゲンちゃんが泣いてるとこ」

「俺もそうだ。お前に呼ばれたら戻って来れた」

 西野も石崎の言葉に頷いた。

 

 吉野が落ち着くのを待ち、三人は周りを見回した。

 豚はまだいる。

 傍聴席にも、議場にも。

 人はいない。

 魔物もどこかに行ってしまった。

「生き返ったのも、人に戻れたのも、俺らだけか」

 三人は魔物化状態の記憶や死後の記憶について話をつづけた。

 しかし、徐々に会話が成立しなくなっていく。

 話題もずれていく。

 忘却がはじまったせいで。

「おまえら付きあちゃえよ」

 石崎が唐突にそう言った。

「おたがい気になってるんだろ?」

 

 会話の最中、石崎と西野からあのときの記憶が徐々に消えていくのがわかった。

 吉野はそれをじっと見ていた。

 最初はそのことを指摘しようかとも思ったが、思いとどまった。

 忘れられるのなら忘れた方がいい。

 吉野はそう判断した。

 ただ、そうなることには少し抵抗もある。

 石崎が言うように西野の気持ちが自分に向いているとしたら、そのきっかけは魔物化したことにある。

 その理由が消えてしまう。

 せっかくできたつながりも消えてしまうかもしれない。

 あさましいと思うが、そんな風に考えずにはいられないのだ。

 だが、最終的にはこれでいいと納得した。

 西野は石崎さんを殺した。

 石崎さんは生き返ったが、それで何事もなかったように思えるだろうか?

 いまの混乱状態が過ぎれば、きっとその事実が重くのしかかる。

 余計なことを思い出さない方が彼女のためなのだ。

 そのためなら自分は――


「えー、第一回賢人会議、開会します」

 議長が議員総会あらため賢人会議の開催を宣言した。

 AIが議員の仕事を評価した結果、国政は十人で運営できると判断された。

 AI――神楽AIが国政に導入されたのだ。

 そして、そのAIが政党は存在するだけで有害と認定した。

 そこからはじまったのが賢人会議だ。

 当初は腐りきった政党議員たちの抵抗が予想された。

 しかし、なぜか全員一致で政体の改造に合意することになった。

 自分たちが失職することになるにもかかわらず。

 これが、のちに言う令和の改革だ。

 だが、後藤たち四人と吉野は知っている。

 これは高次存在による書き換えの結果だ。

 賢人会議が立ち上がるまでの経緯は後付けのもの。

 世界は時間軸を切断したかのように瞬時に切り替わったのだ。

 そもそも、反対しそうな議員たちは魔物か豚になり、この世界から消えた。

 調査すれば彼らが行方不明になっていることはわかりそうなもの。

 だが、高次存在の介入によって、調べようと思わないよう仕向けられているから、誰もそれを問題にしない。

 ここでは明らかに異常な事態が起きている。

 残された十人の議員たちもその事実を知っている。

 彼らは意図して記憶を残されているのだ。

 記憶が残っているから――

 少しでも間違えば、自分たちも人外になった議員たちと同じ道を歩む。

 彼らはそう考えているから気が気でない。

 議員辞職も考えたが、逃げたら罰を受ける不安があり、いまの彼らは流れに身を任せている状態だ。その十人で相談した結論が、トップを決めずに賢人会議を運営するというもの。見かたを変えれば、皆が責任逃れをした結果だとも言える。いま開会を宣言した議長にしても、議会の進行を交代でやるというだけのもので、何の権限も持っていない。かつての権力争いとは正反対の状態――権力の押し付け合いになっているのだ。

 彼らはただの飾り。

 彼らの仕事はAIの提示した事案を受け、検討するフリをすること。

 実際には、神楽AIが関わったすべての事案には粗などなく、議員の付け入る隙などない。

 議員たちの仕事は、国民の意思で国が運営されいてるよう見せかけること。

 AIの奴隷になっているように思わせないこと。

 その一方で、議員たちはAI――すなわち神楽の操り人形に徹するようになっていった。

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