政党政治の終焉
「後藤氏、吉野が辞めたってさ」
出社早々三好が待ち構えていた。
三好の言う吉野とは後藤の後輩のこと。大学時代からの付き合いだ。彼は同じ師――大橋崋山のもとでさまざまな武術を学んだ同門でもある。彼は後藤を追ってこの会社に入社し、後藤の同僚になるはずであった。しかし、後藤は石黒役員のごり押しで異動となり、吉野との縁は切り離された。たぶん、もう少し待ってくれれば、調整して縁をつなぎなおすことはできたかもしれない。だが、後藤は遅すぎたようだ。
「吉野は後藤氏に伝手があるってやっかまれていたらしくて。そんで職場に居づらかったみたいなんよ」
三好のその言葉で、後藤は後悔に駆られることになった。
自分のせいで――
自分がのんびり構えていたから。
どうしてもそう思ってしまう。
人は何かを考えるとき、自分の持つ基準をベースに考えるもの。そして、その基準は往々にして自分の経験が基になっている。それは後藤も例外ではない。しかし、後藤の場合、自分を基準に大したことないと思って行動すると、往々にして冷酷な奴だと誤解されてしまう。後藤は多くの分野にわたって強すぎるから、『苦』についての閾値が人と大きくちがうのだ。
だが、彼がいろいろな面で強くなったのは、さまざまな困難を自力で乗り越えてきたから。そうした経験を積めば積むほど困難を乗り越える力がつき、『苦』についての閾値が他人とかけ離れていってしまう。
後藤はそれを理解しているつもりだった。
それでも、ときどきこんな事態になる。
後藤は自分を責めた。
後藤にも苦手なことはたくさんある。
しかし、そうしたことは、周囲にはあまり知られていない。
後藤には、他人に弱みを見せない習性があるから。
だからこそ、余計に誤解されてしまうことになる。
吉野のことも、後藤が彼のことをちゃんと考えていると伝わっていなかったから、見切りをつけられてしまったのだろう。
後藤はそう分析した。
後藤は自分を責めると同時に、トラブルの元凶である石黒を怨んだ。
そして、その石黒の裏にいる経世共和党を。
石黒の行動の多くはその場その場の思いつきによるもの。だが、何割かは、経世共和党に唆されたり、時には強いられたりした結果だ。経世共和党は多くの人たちが支持する政党だが、後藤の所属する企業にとっては諸悪の根源である。金を脅し取られるだけではなく、時には投資や協業など、会社の経営にも口を出して来る。議員たちは金づるどうしを結びつけ、インサイダー情報で儲けようとするのだ。後藤はこうした経世共和党の実態もよく知っている。政治の裏金などについて、マスコミが報道するのはほんの一部。実態は、桁が二つほどちがうし、そもそも裏金の多くは寄付によるものなどではなく恐喝によるもの。後藤の所属企業の場合、過去に起きた問題をもみ消してもらった結果、それをネタにずっと寄生されている。
だから――
後藤の負の感情が、経世共和党へと向かうのは自然の流れというべきであろう。
吉野巌。
名はイワヲだが、ゲンと読み間違えられることが多く、職場でもゲンちゃんと呼ばれている。
吉野は少し前まで技術者だった。
大学の先輩であり、武術の同門でもある後藤を追って、吉野は彼の所属企業に入社した。
入社時には、会社は吉野の希望を叶えてくれると約束していた。
しかし、企業の人事は嘘をつくもの。
約束は反故にされた。
入社後、吉野は転属希望を出し、しばらくは我慢して勤めていた。
が、気がつくと、後藤は雲の上の人になっていた。
追いつけない。
自分には後藤についていくだけの能力はない。
一緒に仕事をしても、自分は足手まといになってしまう。
吉野はそう思ってあきらめてしまった。
あきらめて転職した先が武蔵野テレビ。
当初、吉野のところに来たのは、科学技術番組のディレクターの話であった。
しかし――
「ああ、ゲンちゃん、あの番組、先延ばしになったから、とりあえずこっちの仕事やっといて」
そんな言葉で与えられた仕事がカメラマン。
吉野は、履歴書の趣味の欄に動画配信について書いたことを後悔した。
ディレクターとカメラマンでは、給与から勤務形態まであらゆる面でちがう。
実際、支給される給与は、当初の約束から大幅に減額されている。
吉野は詐欺にあったような気分になっていた。
――どこも同じか。
企業の人事は嘘をつくもの。
それはここでも同じだった。
吉野は前職を思い出す――
彼は、かならず研究所に配属するという約束であの会社に入った。
研究所、それは後藤のいる場所。
彼は後藤のパートナーになるつもりでいた。
かつて大橋崋山の元で技を磨き合ったように、後藤とともに高みを目指すつもりになっていた。
だが、吉野が配属されたのは生産技術部。
「プロセス技術の研究をしてもらうから」
最初はそう言われた。
生産技術部門で研究?
どこかおかしいと感じた。
それは、採用時にあった研究をさせるという約束に対する言い訳なのか。
吉野にはそう思えた。
実際に配属されてみると、案の定、そこに研究環境はなかった。
「装置買うまでこっちの仕事しといてくれる?絶対できっこない仕事だから、適当にやってるふりで良いよ」
こうして彼は現場のトラブルシューティングを任された。
それは形だけの仕事のはずだったが、吉野は不可能なはずの問題を解決してしまった。そして、生産現場の救いの神となった。それが吉野にとっての不幸のはじまり。現場が神を手放すはずがないのだ。
こうして、彼がやるはずだった仕事は、翌年入社した新人に回されることになった。
だが、それは吉野にとってあまりにも不本意なこと。彼はどうしても研究がしたかった。後藤とチームを組んで、未踏の領域に踏み込みたかった。
しかし道は絶たれた。
おまけに、後藤は遥か彼方に走り出していた。
――転職するしかないかな。
そうは言っても、すぐ辞めるのはキャリアの面から見てマイナスにしかならない。
だから彼は三年我慢して転職することにした。
だが、現実はそれほど甘くない。転職エージェントは都合のいい未来を語るが、現実には、転職で良い目を見るのはごく一部の人たちだけ。過半数の人にとって、転職とは悪い方へ転がるだけのもの。まして、吉野にはたった三年のキャリアしかない。その三年も生産技術者としてのキャリア。彼の望む研究職に採用され得る要素がない。それどころか、現場の神としての実績が、彼の望まぬ方へと進む道筋を整えてしまう。
彼はその現実を知って、別の環境をさがすことにした。
どうせなら華々しい場所。
そう思ってテレビ局に応募したのだ。
したのだが――
転職先で、また同じことが起きそうになっている。
「ゲンちゃん、何ブツブツ言ってんの?」
彼はXTVのカメラマンで名は石崎。
若い頃は地方で暴走族の総長をしていて、かなり悪さをしていたという。
いまは更生していて二児の父。
所属する会社は違うが、新人の吉野をいつも気遣ってくれる。
むかし悪さをした分、その借りを社会に還さなければ。
以前、打ち上げに付き合った際、酔った彼はそう言っていた。
吉野と石崎がいまいるのは国会。
議場の傍聴席で待機している。
これから何か重要な発表があるという。
と――
「ん?電圧降下?」
急に周囲が薄暗くなり、石崎が声を上げた。
「いや、これ煙なんじゃ……」
吉野と石崎の間にも煙のような何かが漂っている。
「おいおい、火事かよ」
石崎が慌てだした。
だが、よく見ると、それは煙ではない。
何かが漂っているのではなく、空間に明度のムラができている。
それは既知の物理現象ではなかった。
下で集まりはじめた政治家たちも騒ぎ出した。
「おいおい、マジかよ」
石崎の声で、吉野は傍聴席の縁まで行って下を覗き込んだ。
議場にはさきほどまで政治家たちがいたはずだ。
いまその議場は、たくさんの豚と未知の何かで溢れていた。
その何かとは――
豚の頭を持つ人型の生物。
たぶん、それが一番多いだろう。
だが、ほかにも多種多様な未知の生物がいる。
緑色の小鬼。
モアイのような頭をした二頭身の大男。
蛇の胴体を持つ女。
青白い肌をした羽を持つ性別不明の存在。
動物の原型をかすかに残す爛れた肉塊。
「政治家が変身した。あいつら本性現したんか?」
石崎が指差す。
石崎は、その指差している自分の手を見て固まった。
「なんじゃこりゃ!」
その手は獣の手となっていた。




