プライベートライフ
「良平さん、これまで休みの日って何してた?」
後藤はみゆきの言葉で自分の「いま」に気がついた。もともと後藤は仕事に打ち込むタイプ。ちょっとした趣味のようなものはあったが、あくまでも嗜む程度。石黒に振り回されるようになってからは気力もわかず、休みの日は家でぼーっとしていることが多くなっていた。最近は、休日にやることと言えば、体調を維持するためのウォーキングぐらいだ。
「買い出しとかかな。それ以外だと、自転車で少し離れた自然公園まで行って、そこで写真を撮りつつ散歩する感じ」
「バードウォッチングとか?」
「うん、鳥もそうだけど、花とか風景とかも撮るよ」
「ね、今度一緒に行ってもいい?」
「いいけど、無理に私に合わせなくてもいいんだよ。キミの方は、休みの日、いつもどうしていたの?」
「私も買い物とかかな。ショッピングモールとか見て回る感じ」
「言ってくれればショッピングモール付き合うよ。この辺のモールって行ったことないでしょ?」
みゆきも後藤とあまり変わりはない。後藤と結婚するまでは、一部でみゆきのことをお局様扱いする人たちがいた。みゆきは相手の行動を先読みするが、それは、仕草などからその人が言葉にしない考えを読み取る、ということから来ている。つまり、彼女は言葉にしない悪意まで読み取っているのだ。慣れて動じなくなってはいても、精神的なダメージは蓄積されていく。そのせいか、最近のみゆきは、休みの日をぼーっと過ごすことが多くなっていた。
だが、みゆきは結婚した。
未来が明るく見えるようになった。
そんなとき、かつて知り合った、夫婦で趣味に打ち込む人たちを思い出した。かつてのみゆきには、人生を楽しむ彼らがまぶしく見えていた。結婚後、彼らの姿をふと思い出し、試しに後藤の趣味に付き合ってみようとみゆきは考えたのだ。
それで休日に何をしているか聞いてみたのだが、後藤は自分とあまりかわらなかった。だが、それにがっかりすることはなく、みゆきは逆に安心していた。後藤も自分と同類なのだと感じられて。
ふたりでこれから何かをはじめればいい。
似たもの夫婦もいいじゃないか。
みゆきには、そう思えた。
「うん。でも、今日は自然公園に連れて行ってほしいかな」
「これから?じゃあ車で行くか。山越え三つあるからね」
「私も自転車買おうかな。良平さんの自転車って結構高いの?」
「いや、あれは、中国製の安いクロスバイクがベース。フレームとリム以外は、全部日本製の部品に変えたけど」
「それって改造費がすごくかかっていない?」
「部品代はたぶん二万円くらい。自分で組めば工賃いらないからね。ちなみに店でやってもらうと工賃は一時間八千円が相場。あの自転車はハブを交換するときにスポークも自分で組んでいるし、ほかにもいろいろやっているから……店に頼むと工賃だけで二十万は取られると思う」
「ふーん。それなら、そこそこのブランドのエントリーモデルの方がお得なのかな?」
「そうだね。〇IANTあたりがいいかも。でも、電動アシストという選択肢もあるよ」
「そうよね。お隣の人は電動アシストみたい」
横浜の内陸部は丘陵地が多い。横浜線に乗ったことがあれば、山の斜面にびっしり家が建っている景色を見たことがあるはずだ。ああいった土地は、戦後、法整備が進む前に開発されてしまった場所が多く、斜度が20%以上の場所もざらにある。道路構造令では最大12%とされているが、それを大幅に超える急坂がふつうにあるのだ。後藤の住んでいるあたりもその例にもれず、住人が乗る自転車は電動アシスト自転車かスポーツタイプの二極化状態。普通のママチャリはまず見かけない。
ひと通り自転車について話したあと、話題はバードウォッチングに移った。
「ねえねえ、双眼鏡余ってない?」
「余ってはいないけど。印鑑の件以来誤解していない?リスじゃないんだからモノを溜め込む趣味はないよ。まあ、単眼鏡なら持っているけど」
「単眼鏡って?」
後藤は、デイパックに入れっぱなしになっている単眼鏡を持ってきた。
「へえ、何かかわいい」
そう言ってみゆきは単眼鏡を覗いた。
「ぼけぼけだよ?」
「ここを回して調整して」
「ああ、ここね。うん、見えるようになった」
「それ、倍率はそこそこあって、カメラより視野が広いから結構使えるんだ」
「よし。じゃあ、行こう」
「うーん、とりあえず、行くだけ行ってみますか」
こうして、ふたりは車で自然公園に出かけることになった。
車を自然公園の西側の駐車場に入れ、ふたりは公園の通路を歩いていた。
「楽な道で行く?それとも森林浴する?階段が苦にならないならここから上れるけど」
後藤は左手にある、上へ延々とつづく階段を指さした。
「ここから上ると森の中の道。あっちのアスファルトの道を行くと梅園に出る」
「うーん、じゃあ梅園で」
二人は木々に囲まれた一本道を進んだ。
道の右側には生い茂る木々の隙間からゴルフ場のコースが見えている。
「あ、建物がある。ログハウス?」
みゆきが左手の建物を指さした。
「それは青年なんとかセンターだったかな」
「ふーん、あ、あっちは公園?」
今度は右手。
みゆきはめずらしげに視線をあちこちに向けている。
「うん。あの林の際の部分に、コジュケイやカラの混群なんかが来る。いまはボール遊びしている人たちがいるから鳥は出てこないと思うけど」
「なんかすごく詳しくない?」
「もう何年も通っているからね。でも、人が増えすぎちゃったから、最近はときどき来るくらいかな」
SNSで頻繁に珍しい野鳥の写真が載るようになって、この公園では老人が年々増加している。ほぼ例外なく高級カメラと大砲のようなレンズを誇示する老人たちだ。彼らの多くは群れて集まり、公園条例を無視して長時間場所を占有する。
「じゃあ、今日は鳥、見られないのかな?」
「意外と今ごろの時間の方がいるかもしれないよ。老人たちは朝型で、昼前に引き上げていく人が多いから」
大砲を持った老人たちは、ポイントで出待ちをする。かつての老人たちはカワセミ待ち一本だったが、ウソやルリビタキの情報を見て、最近は人の溜まる場所が分散傾向にある。ただ、分散しても、狭い通路に20~30人の塊ができるから、迷惑であることに変わりはない。
「いまは季節的に珍しい鳥はいないから、出待ちも少なめだね」
いまは晩秋。
ちょうどシーズンの合間。
この公園には、夏ならキビタキ、冬ならルリビタキやウソを撮りに来る人たちがいる。
その時期からはずれたら、カワセミ待ちの老人以外はあまり見かけなくなる。
「ここが梅園?」
「うん。以前は一面花ですごくきれいだったけど、最近は分散して咲くように変わってきた」
「温暖化の影響なのね」
「いっぺんに咲かないのは楽しめる期間が長くなるけど、見ごたえはちょっとね」
みゆきは梅園を見回した。
「あっちにも道があるんだ」
そう言って、みゆきは梅園の上にある道を指さした。
「あそこは、ルリビタキやトラツグミが出るポイント。冬場は老人で渋滞するんだ」
「ルリビタキって、青い鳥?」
みゆきは「瑠璃」という言葉から青い色を思い浮かべた。
「こんな感じ」
後藤はスマホに保存してあるルリビタキの写真を見せた。
「わー、きれい。かわいいっ。なんで横浜にこんな鳥がいるの?これって幸せの青い鳥?」
みゆきは急にテンションが高くなった。
「日本のバードウォッチャー間ではそう言われている。童話の青い鳥は鳩だけど」
「ね、これ、絶対見たい。寒くなったらまた来よう。ね?」
「そうだね。うん、来ようか」
みゆきの様子を見て、後藤は連れてきてよかったと感じていた。
そのままさらに歩いて行くと、もみじのエリアになった。
「へぇー、紅葉がきれい」
「以前は、そっちの湿原の中に木道があって、ちょうどあのもみじの下をくぐる感じになっていたんだ。このまえ撤去されちゃったけど。老朽化していたらしい」
「えー、残念」
二人は話をしながら園内の通路を進んだ。
『ケコケコケコケコ、ケッコケッコケッコ……』
『チョットコイ、チョットコイ』
「コジュケイが鳴いているね」
「あの鳴き声がコジュケイ?真紀ちゃんが食べたがっていた」
「こんな感じの鳥だよ」
後藤はスマホに保存してある写真を見せた。
「へぇ、丸々としているのね」
みゆきの中では、もう食べ物としか思われていないらしい。
後藤はあとで食べられる店を探しておこうと思った。
そこからさらに歩くと池が見えてきた。
「ここがカワセミ待ちの人が多い池」
「あ、ほんと、あそこにいる」
みゆきが「いる」と言ったのはカワセミではなく出待ちの老人たちだ。
対岸には、島状のでっぱりに住むカワセミを待っている人たちがいた
「カワセミがもう少し右の方に出たら、あの人たちはこっちの岸に来るんだ。ここのベンチがあの人たちの溜まり場になる」
そう言って、後藤はベンチに座った。
みゆきも横に腰を下ろす。
「平和ねぇ」
みゆきは足元に集まってきた鳩を見ながらそう言った。
「あ、いた」
後藤の指さす方向にはカワセミがいた。
みゆきは首からぶら下げていた単眼鏡を目に当てる。
「へぇー、結構大きく見えるのね」
「そういえば、四人でカワセミ見たことがあったね」
「うん。いま思うと、あれもいい思い出ね」
思い出を語り合っていて、みゆきは気づいた。
気づかぬうちに素敵な何かがはじまっていて、自分はその直中にいることに。
いろいろな出来事があって、いまの生活がある。
つらいこともあったが、すべてはいまの自分の糧になったと実感できる。
みゆきの表情は、自然とやわらかいものになっていた。
先日の講演のあと、後藤の身辺はあわただしくなっている。
みゆきもその影響を受けている。
これもきっと未来の自分の糧になる。
そう思うと、みゆきにはこの先の未来も楽しいものになると確信できた。
思えば、あの四人だけの世界は、不便ではあったが、人として本来あるべき姿でいられた。
いまとなっては大切で代えがたい思い出だ。
後藤とみゆきはのんびりと流れる時間を楽しんでいた。
それが嵐の来る前の静けさだとは思いもせずに。
次回、ストーリーが動きます。




