43話 もう一つの夜(sideジル)
「くく、今頃慌てている様子が目に浮かぶな」
王都リュミエールにある、財務大臣ピエールの屋敷。
その一室で、ピエールと部下のジルは少し早い祝杯をあげていた。
「さすがピエール様です。ジルは感服いたしました。今年の選評を見た時はどうなることかと焦りましたが……」
「ああ、まさかこれまでと書き方を変えてくるとはな」
ピエールは控室の奥で選評を見た時を思い出したのか、不快そうに眉をしかめた。
だが、ワイングラスに口をつけると、再び元の満足げな表情に戻る。
「グランテールとかいう得体の知れぬ評論家が何をどこまで知っているのかはわからんが……次の品評会までには評価者をご辞退いただいた方が良いかもしれんな」
「はっ……」
酷薄そうな笑みを浮かべるピエールを見て、ジルは頭を下げた。
「そう固くなるな。あやつの入れ替えはゆっくり仕込むとしよう。それより今宵は美酒に酔いしれようではないか」
ピエールはボトルを手に取ると、まだ半分以上中身のあるジルのグラスにワインを注ぎ足した。
そして自身のグラスを手に取ると、軽くスワリングしてうっとりと目を閉じた。
「この香り。ボルデールの特級となんら遜色ない仕上がりじゃないか」
「……おっしゃる通りで、ございます」
「遠慮せずともよい。存分に飲んで楽しんでくれ」
「恐縮です」
ジルはグラスを見つめた。彼に言わせれば、厚化粧の娼婦など、田舎の素朴な娘にも劣る。どんなに手を加えて特級に寄せていても、長く舌に乗せたい代物ではない。だが、それをピエールに悟られるわけにはいかない。
覚悟を決めると、慎重に表情を消してグラスを傾けた。
「おいおい、楽しめとは言ったが、もう少し味わって飲みたまえ」
「失礼いたしました」
ジルは息を止めて、形だけゆっくりとグラスを回してみせた。
「これなら他国でも引き合いが絶えないでしょうね」
「ああ、ここだけの話、アルヴィオンの商人と契約も済んでおるのだ」
酒が進んでいるのだろう。ピエールの舌はいつになく滑らかだった。
「しかし、あのエスパルダ崩れの男は相変わらず使えるな。名は何といったか」
「マルセロでございます」
「ああ、そんな名だったな。ボーモン家に気をつけろという助言がなければ、今頃どうなっていたことか」
「……」
実はマルセロは数日前から連絡が取れなくなっていた。
ジルはそのことを気がかりに思っていたが、今ここでそれを口にしても、ピエールの機嫌を損ねるだけだ。
そう判断し、何事もない顔でグラスを置く。
「明日が楽しみですね」
「ああ、あの小娘が泡を吹くところを見るのが楽しみだ。おおかた、マチューあたりから審議の様子は聞いているだろう。せいぜい束の間の特級への夢を喜んでいるがいい」
ピエールは勝利を確信したように満足げな息を吐くと、意地悪そうに笑った。
ワインを金の鉱脈としか見ていない男。ジルはそんな主君を見て、こんな男に仕えなければ身を立てられぬ自分を呪った。
そして、胸の奥に渦巻くものを押し殺し、黙ってグラスを干した。




