31話 消えた屋台
「これで全部ですか?」
木箱にヴェルジュを詰め終わった青年は、額の汗を拭いながら爽やかな笑顔をこちらに向けた。
栗色の髪に、少し日焼けした肌。少し垂れ目の顔つきは、いかにも人が良さそうだ。
彼の名はジャン。そう、私たちが会いたかった配達人だ。
あの夜、クロードが提案した案はこうだった。
無理に休暇を取らせれば、マルセロの一味に気取られる可能性がある。かと言って、こちらの都合で仕事として呼び寄せるのも不自然だ。
ならば、王都側の仕事としてブローニュ領へ来てもらえばいい。具体的には、ジュールの使いとして商品を受け取りに来てもらうのだ。
そうしてジャンは、追加で作って保存してあったヴェルジュを運ぶ名目で、この屋敷を訪れることになった。
「ジャンくん、よかったら冷たい飲み物でもどう?」
私は外のベンチに彼を呼ぶと、ヴェルジュの炭酸割りを差し出した。
「うわぁ、スッキリしますね!疲れが吹き飛びます。貴族の皆さんはいっつもこんなにいいもの飲んでるのかぁ」
「ふふ、喜んでくれてうれしいわ」
そう微笑み返しつつも、内心は複雑だった。
貴族と平民は、そんなにも差があるものなのか……
私は改めて、この土地をもっと豊かにしたいという想いを強くした。
「それで、何か聞きたいことがあるんでしたっけ……?」
事前の情報共有は最小限とし、ヴェルジュの引き取り依頼の時に少しだけ話をしたいとだけ伝えるようジュールには頼んであった。
品評会の件は、彼の失態という側面もある。
私は彼が責められていると思われないように気をつけながら、話題を切り出した。
「少し前の話だから、覚えていれば、なんだけど」
「例の、ワイン品評会について、ですよね」
どうやらジュールが上手く話しておいてくれたようだ。
「ええ。初めに伝えておきたいのだけど、私はあなたが今から話すことに対して、何か責任を問いたいとか、そんな気持ちは一切ないの。ただ、覚えてることを、話してくれれば嬉しいわ」
「わかりました」
ジャンの表情が引き締まるのがわかった。
私は一つ息をつくと、知りたかったことを口にした。
「代理の配達人について、何か覚えてる?どんな些細なことでもいいのだけど」
「それが……この前も答えたんすけど、5年も前なんで流石に。ごく普通の、特徴のない男でした。背もたしかオレとあんまかわんなくて、太ってもないし、痩せてもないし」
この辺は、やはり父がすでに調査済みよね。
ここは切り口を変えてみるしかない。
「あの朝、急に具合が悪くなったって聞いたけど」
「はい……」
ジャンは申し訳なさそうに俯いた。
「朝起きたら、頭痛がするし、腹も痛くて。普段は健康そのものなんすけど」
そう言って、力こぶを作って見せる。
健康かどうかはさておき、少なくとも素直な青年ではありそうだ。
「前の夜に、変なものを食べたとか?」
「いやぁ、別にいつも通りです。翌日も仕事でしたし」
彼が嘘をついているようには見えない。
だが、代わりの人間を用意していたとしたら、必ずそれが必要となる状況を作り出すはずだ。
私はマルセロの手口をイメージしながら質問を続けた。
「ただの確認なんだけど、前日の夜は、どこで何を食べたのか覚えてる?」
「どうだったかなぁ。えーっと……」
視線を上にして、何やら思案している様子である。
「ちゃんとは覚えてないんで、違ったらごめんなさい。あの日も多分いつもとおんなじで、よく行く食堂でパンと煮込みか何かを食べたと思います。酒もちょっとだけ。やっすい赤ワインですけど」
「食堂はいつも同じところに行くの?」
「はい、五区のはずれにあるんですけど、特に肉類が絶品で。よかったら今度ぜひ……って、貴族の奥様はそんな店こないかな」
肉類が絶品の食堂とは何とも美味しそうだ。
私はハムや各種のソーセージ、パテなどをイメージしてうっとりした。
が、本題はそこではない。
「いえ、ありがとう。次に王都に寄ったら行ってみるわ。ところでその日、いつもとは違うものを飲んだり食べたりはしなかったかしら」
「うーーーーん……」
ジャンは考え込んでしまった。
それはそうよね、私も5年前の夕飯なんて覚えてない。
「正直あんま記憶にないんですが……あ!でも、あれかな」
「あれ?」
「食堂のそばに新しい屋台が出てて。味を見てほしいって、試食を渡されたんですよ。あ、俺だけじゃないです。同僚と一緒でした」
新しい屋台……
わからないけど、可能性はある。
「どんな屋台か覚えてる?」
「屋台自体はあれですけど、食べたものは覚えてます。肉入りのパイでしたね。半月型の。味を見てくれって一口もらったんですよ」
「そのお店、今もあるの?」
「いやぁ、多分その日だけでした。試食のためって言ってたから、他のとこで出してるのかも」
一日だけ現れた謎の屋台。
手渡された試食。
きっと、それだ。
彼はそこで嵌められたのだ。
まだ確証は何もないが、直感でそう思った。
「売ってた人の特徴は流石に覚えてないわよね」
「はい、すいません。……ただ、今思うとどことなく訛があったかも。なんか南っぽいかんじの」
南の訛り……
エスパルダ——たしか前世でいうところのスペインみたいな位置付けだ——の訛りかもしれない。
「同僚の人も食べたの?」
「はい。オレなんかよりずっと。試食だって言ってるのにお代わりして三つくらい食べてました。でも翌日も全然元気だったから、屋台は関係ないっすよ」
いつもと違ったのは、屋台の食べ物だけ。
しかも、一緒に食べた同僚は無事だという。
ジャンは無関係だと言うが、おそらくジャンは狙われたのだろう。
選評がすり替えられていた以上、どこかで隙が必要だったはずだ。思い当たるのは、やはりここしかない。
「オレが配達代わってもらったの、そんなにやばかったですか?」
私が黙っていたせいか、ジャンが不安そうな顔でこちらを見ている。
彼は聞き取りに応じてくれているが、今回の事情は知らせていない。これ以上聞いても苦しめるだけだろう。
「いいえ、ありがとう。問題ないわ。ただ……」
私は彼が今後何かにまた巻き込まれることを考えて、言った。
「今日の話は、もう他の人にはしないでね。実は、その屋台の人と知り合いかもしれないの。翌日お腹を壊したなんて広まったら、困るわ」
ジャンは理由がわかって安心したのか、パッと明るい表情を浮かべた。
「それなら大丈夫っす!安心して下さい」
本当に、いい笑顔だ。
だからこそ、こんな好青年を事件に巻き込んだ人物を、私は許せないと思った。
◇
ジュールからの代金を受け取り、ジャンを見送ると、私たちはシルヴァンの執務室に集まった。
「青年の話はどうでしたか?」
口火を切ったのはクロードだった。
私は、ジャンが嵌められたのではないかと思った経緯を二人に話した。
「代理の配達人については情報を集めるのが難しそうだな」
「ええ、ジャン以外に接触した人もいないし」
「品評会の受け取り側はどうだったんです?彼から封筒を渡されたのでしょう」
「それが、受け取ったのがジル・ペルティエで……下手に彼に質問すると、敵にこちらの動きがバレる可能性がありそうなの」
「それはまずいですね……」
またしても、核心へ届く直前で糸が切れてしまった。
この事件、よほど周到に組まれていたのか、推測までできても、なかなか尻尾が掴めない。
「屋台から辿るのは難しいだろうか……」
ボソリとシルヴァンが呟く。
確かに、屋台の方なら複数の人間の目に触れているはずだ。
特に、ジャンの同僚は確実に店の人と話している。なんせ試食のはずの肉入りのパイを3つも食べたのだ。
「ジャンの同僚の彼に話を聞いてみたいわね」
「お気持ちはわかります。ただ、続けて配達人を呼び寄せるのは、さすがに不自然です」
「いいえ、今回は呼ばないわ。私が行くのよ」
「それでは尚のこと、お忍びで王都へ向かうのは危険です」
「お忍びでなんか、行かないわ」
「え?」
私はにっこりと微笑んで、言った。
「ヴィーニュ辺境伯夫人、セリエ・ヴィーニュとして王都に参りますわ」




