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30話 偽りの配達人

 肩を掴まれ、驚いて振り向くと、そこにはクロードが立っていた。


「セリエ様、ご無事でしたか」

「クロード……」

「奥へ通されたのを確認したあと、すぐに近くの詰め所に声をかけました。もしもの時はすぐ駆けつけてもらえるようにと」


 私の無事を確認して、心底ほっとしたような顔だった。


「なかなか出てこられないので……心配になって、つい勝手をいたしました」

「いいえ、ありがとう。助かったわ」


 そう答えた瞬間、私はその場にへたり込んでしまった。


「セリエ様……?」

「ごめんなさい。自分で思っていたより、緊張していたみたいで……」


 どうやら、腰が抜けてしまったようだ。

 情けないことこの上ない。


「シルヴァン様には、黙っていてくださらない?」

「それはこの後の奥様の態度によります」

「え?」


 私が驚いてクロードを見ると、いつになく冗談めいた様子で片眉を上げて見せた。


「まずは宿に戻りましょう。私の肩にお掴まりください」

「迷惑をかけて、ごめんなさい」

「迷惑は問題ありませんが、どうかこれ以上心配はかけないでください」


 クロードの肩が、温かい。

 そしてその温かさに、ようやく彼との間の壁がなくなったのだと知った。

 私は彼に支えられて、宿まで歩いた。


 ◇


 数日後。

 無事にヴィーニュ家に戻った私とクロードは、シルヴァンたちの出迎えを受けた。


「セリエ!無事だったか!!」


 駆け寄ってきたシルヴァンは私のすぐそばまで来て両手を広げかけたが、クロードが視界に入ったのか、その手を元に戻した。

 あれ、その手って、もしかして私を……

 か、可愛い。


「はい、ご心配をおかけいたしましたが、おかげさまで色々と情報を得ることができましたわ」

「危険な目には合わなかったか?」

「え、ええ……おかげさまで。クロードがついていたし、危険はございませんでした」

「そうか、ならよかった」


 私は微笑みながら、横目でチラッとクロードを見た。

 クロードがジト目で私を見ている。

 うう……ごめんなさい……


 シルヴァンは、私とクロードの間に流れる微妙な空気を感じ取ったのか、すぐに眉をひそめた。


「……何かあったのか?」


 ぎくり。

 思わず動きがぎこちなくなる私に、クロードがわざとらしく咳払いをした。


「奥様は常に危険に気を配っておいででした」

「本当か?」

「ええ、この身に誓って」


 ありがとうクロード!

 恩に着るわ。

 もう、無茶はしません。多分。おそらく。きっと。


「早速話を聞きたいところだが、長旅で疲れたろう。詳しいことは夕飯の後で聞かせてくれ」

「かしこまりました」


 私はロゼットに荷物を運んでもらい、自室に戻った。


 ◇


「お、美味しい……」


 久しぶりのヴィーニュ家の夕飯は、控えめに言って最高だった。

 夏野菜とハムのゼリー寄せに、ジャガイモの冷製スープ、そして鶏肉の軽い煮込み。

 ああ、ワインが染み渡る……


 馬車の中では軽食だったし、王都でも安宿で……というかそもそも今回は美食を楽しむ旅ではなかったので、この一週間の食事は、正直かなり味気ないものだった。


 でも!だからこそ!

 ギュスターブの料理の美味しさが、心を震わせる。


「そんなに美味しそうに食べていただけると作り甲斐がありますな」


 ソースのひと筋までパンで拭い、すっかりピカピカになった私の皿を見て、ギュスターブは苦笑しつつも喜んでくれた。


 デザートは桃のコンポートで、これまた大袈裟でなく頬が落ちそうだ。

 食後のコーヒーを飲み終える頃には、私はすっかり元気を取り戻していた。


「ふう、それではそろそろご報告に移りますわ」


 ダイニングは人払いをしてもらい、私とシルヴァン、そしてクロードの三人で席に着く。

 私は王都での一件について話し始めた。


「本題に入る前に……実は例の酒場、山猫亭でルージュ・ド・エピスの偽物が出回っておりました」

「偽物だと?」


 シルヴァンの顔から、すっと笑みが消える。


「はい。王都では名前を偽った酒が横行している可能性があります」

「……」


 場の空気が沈む。

 だが、これから話す内容は、さらに暗いものだ。


「話を続けますわね。酒場では、クロードがやりとりしていたという例の男と会うことができました」

「ジルといったな?」

「はい、私にはマルセロと名乗っていましたが……彼は、金で裏の仕事を請け負う人間のようでした。おそらく今回の件でもピエールから依頼を受けて動いていたのではと」


 それから私は酒場でのマルセロとのやりとりを話した。

 本人が、商品の製造や流通、また人材の斡旋を得意としていると語ったこと。没落令嬢を装い、遺品を捌きたいと話したら乗ってきたこと。

 遺言状の加工も請け負えると口にしたこと。

 さらに、厄介な人物には異性を近づけ、色恋で操ることも可能だと示唆したこと――


「つまり、偽造ワインの流通以外にも関わっていた可能性がある、という訳だな」

「はい、そう思います」

「クロードの見解は?」

「私も同じ意見です。偽名を使い分けている点から見ても、かなり濃厚な線かと」

「そうか……」


 シルヴァンは、一通の書簡を机の上に広げた。


「実は、今朝方アルマン殿からも調査の報告が届いたところだ」

「お父様から!中にはなんて?」

「うむ……まず、選評会で使われる封筒は品評会専用のものらしい。だが、保管場所は特に厳重ではなく、その気になれば誰でも持ち出せるそうだ」

「そうですか……」


 これで一つ、手掛かりが断たれてしまった。

 しかし、空の封筒を厳重に管理する意味もないから、当たり前ではある。

 大切なのは中身であり、封をした後の取り扱いだ。


「一方、運んだ人物は、正規の職員ではなかったことがわかった」

「どういうことですの?」

「元々予定していた配達人が当日朝、急に具合が悪くなってしまい、代わりの人間が対応したというのだが……」

「その人物が、怪しい?」

「ああ。確認した結果、そのような人間は名簿に存在しなかったそうだ」


 存在しない配達人が、急遽代役として手伝うことになる……

 あまりにも、都合が良すぎるではないか。


「その場しのぎの代役ではなく、最初から用意されていた可能性がありますわね」

「配達人の体調不良すら仕組まれている可能性もあるかと」


 確かに!

 クロードの示唆はもっともだ。


「しかしなぜ、元の配達人は何も言い出さなかったのかしら」

「それが、『急な欠勤は咎められるから、黙っていた方がいい』と吹き込まれていたらしい」


 どこまでも周到な準備である。

 ふと、マルセロの抜け目のなさそうな顔が脳裏をよぎった。

 まだ証拠は何もないが、やはり……


「その配達人の名はわかっているのよね?」

「ああ。ジャンというらしい」

「彼に話を聞けないかしら」

「当たってみよう。ただ、既に聞き取りはされている故、これ以上の情報が引き出せるかはわからないが」

「それでも、会ってみたいのです」


 会ったところで、何かがわかるとは限らない。

 それでも私の直感が、彼に会ってみろと告げている。

 マルセロと対峙した私だからこそ、気づけることがあるかもしれない。そんな気がしていた。


「わかった。アルマン殿に伝えておこう」

「……会う場所は、よく考えた方がいいかもしれません」


 ん?どういうこと?


「何故だ?」


 私と同じ疑問を持ったであろうシルヴァンがクロードに問う。


「貴族の方々には実感しにくいかもしれませんが、身分の高い方の動きは案外目につくものです。下手に動けば、我々が嗅ぎ回っていることを悟られかねません」


 なるほど、私にはなかった視点だった。

 王都への往復で、クロードがあえて安物の馬車を選んでいたのも合点がいく。


「ではまた変装して……」

「いえ、私が申し上げた動きとは、移動そのものだけを指しているわけではありません。屋敷にいないという、それ自体が話題になりうるのです」

「!!」

「前回ご夫婦で王都に向かわれた際は、アルマン様へのご挨拶という大義名分がありました。酒場の調査に費やした一週間は、私の方で奥様が体調を崩されているらしいと噂を流しております。しかし次はそうはいきません」


 なるほど、貴族というのはなかなかに不自由な立場なのね。

 しかしこちらから向かえないとなると、方法はひとつ。


「じゃあ、休暇をとってこちらに来ていただきましょうか」

「マルセロが、彼の動きを見張っていないとお思いですか?」


 うう……、言われてみればそうだ。

 5年前の事件とはいえ、急に仕事を休んだりしたら目立つだろう。

 では、どうすれば……


「私に一つ、案があります」

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