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41.精霊の湖

 「タハール、全ては俺の望み通り進んでいるようだな」


 「殿下、本気で言って……仰っているのですか? 僕たちの絆が壊れてしまったのですか!」


 「絆? アハハ、タハール、忘れるな。お前たちは俺に仕える身だということをな」


 (殿下はもう狂ってしまっている……『闇の糸』に操られているのだろうか? ロシュディ……僕はどうすれば)


 タハールの悲壮な表情を楽しむかのようにアレクシスは続けた。


 「どうやら、ローズ皇妃の手元にリアン嬢はいるようだな。さて、どうしようか……クククッ」


 「このまま見殺しにするつもりですか!」


 「ローズ皇妃はリアン嬢を手にかけたりしないさ。精霊の加護の継承者を得る保険だからな」


 「まさか! オレリー嬢が手に入らなければ、リアン嬢を代わりにするということですか?」


 「俺でも同じことを考えるだろう。十数年などあっという間だ。まぁ、ローズ皇妃のお手並み拝見と行こう」


 「そんな……ローズ皇妃の『闇の糸』の呪いが殿下に向かうかもしれませんよ」


 「タハール、何のために俺がベルタ姫……いや、エリカ嬢と手を組んだと思っているんだ」


 「狂っていますよ」

 

 タハールは皇宮を後にすると、アレクサンドル公爵家に向かった。


 (まだ何かロシュディとオレリー嬢の力になれるはずだ……)


 ◇


 「ローズ皇妃様、リアン嬢は『闇の糸』の力が通じないのですか?」


 「あら、ベルタ姫はこの子が憎いのかしら? 生憎だけど、この指輪の力で手出しはできないわ。残念?」


 「い、いえ、もしオレリー嬢が亡き者となれば、この子がジェレミー様の正妻になるのですから」


 「フフフ、未来の皇后よ。それまでは、私がゆっくり育てるわ。でも、オレリー嬢はこの子のためにジェレミーの妻となるでしょう」


 「もし、そうなればこの子は……」


 「その時は、必要ないわ」


 ベルタはその身勝手な言葉にゾッとしながらも、オレリー母娘を苦しめる快楽も感じていた。


 ロシュディの実の娘かもしれないリアン嬢は、今のベルタにとって忌々しい存在でしかない。


 それは、オレリーとロシュディの愛の証であり、切っても切れない絆を感じさせるからだった。


 (私はこのままエリカ嬢の魂に乗っ取られてしまうのかしら……。だけど、オレリー嬢とリアン嬢が居なくなればロシュディ様の心は私のもの)


 「ベルタ姫、帝都に戻りましょう。後はオレリー嬢が私たちの前で跪くのを待つだけよ」


 「ローズ皇妃様、私はこのままロシュディ様を『闇の糸』の力で苦しめなければいけませんか?」


 「あら、心が痛むの? だけど困ったわ、そうまでしないと手に入らないのよ……愛されない者が愛を手に入れるには」


 「分かりました。……もしロシュディ様の心が壊れてしまっても、私が癒せば良いだけですもの」


 『闇の精霊エゴヌ』の力は、人の欲、嫉妬、憎悪……それらの感情を血管のように利用して、『呪い』の力が隅々まで行き渡り、人々の心を蝕んで行くのだった。


 人を破滅に向かわせる……『闇の精霊エゴヌ』の真の恐ろしさを知る者は、かつてその力を封印した『光の精霊セリュネア』以外いなかった。


 ◇

 

 「お嬢、ひとつお聞きしても?」


 「サミ、何が知りたいの?」


 オレリーとサミは一刻も早くセレネ湖に着くため、1頭の馬に乗って駆けていた。


 通常では三日三晩かかるところを一晩で行こうとしているのだ。


 二人とも不眠不休の覚悟はもちろんだった。


 「お嬢は精霊の加護を授かったのですか? 先ほどセリュネア様と……」


 「あっ……サミとサラに黙っていて、本当にごめんなさい」


 「責めてる訳じゃないですよ! ただ、少し、すこーし寂しいなーってだけで。サラも同じだと思います」


 おどけて言うサミに、オレリーは申し訳なさと気遣いで心がいっぱいになった。


 「この血筋を得ようとする人たちから私とリアンを守るためだったの……。だけど、リアンを危険な目に遭わせてしまったわ。私は母親失格よ」


 「お嬢のせいじゃありません! それに母親失格だなんて……リアンお嬢様が聞いたら悲しみます」


 「ありがとう、サミ」


 二人は無言のまま、ただひたすらセレネ湖を目指した。


 辺りが夕闇に覆われる頃、ようやく到着した。


 漆黒に覆われた湖面に空の星が映り込み、さざ波がその美しさをユラユラと翻弄していた。


 「サミ、私は『光の精霊セリュネア』様の加護を授かり、セリュネア様の導きでここまで来たの」


 「はい……お嬢、俺はここでお嬢が戻るのを待っています」


 オレリーは小さく頷くと、その漆黒の湖面に足を差し入れた。


 恐れず一歩ずつ進み、やがてスーッと湖に飲み込まれて行った。


 「お嬢……」


 水の中は驚くほど何も感じなかった。


 冷たさも息苦しささえも……。


 「オレリー」


 呼び声に静かに目を開けると、大きな光のかたまりが見えた。


 「セリュネア様?」


 オレリーの問いかけに応えるように、光がオレリーを包み込んだ。


 「ここは……?」


 光の中には美しい森が広がり、セリュネアの姿があった。


 「驚いたであろう……われは幾千年の時を生き続けているが、セレネ湖は精霊の安寧の地なのだよ」


 「セリュネア様、あまり時間がありません。なぜ、この地へ私たちを導かれたのですか? ……ロシューとリアンを連れて来ることが出来ませんでした」


 オレリーはそう言うと、堪えていた涙が頬を伝った。


 「この森は『闇の精霊エゴヌ』の影響を受けないのだ。かつて、われは『闇の精霊エゴヌ』を封印したが、同時に制約も受けた。なぜなら……」


 「セリュネア様、私はロシューを愛するようになってから、分かったことがあります」


 「気付いたのかい?」


 「はい……私にも悪しき心が宿る時がありました。消そうとしても消えない嫉妬や憎しみ……『光の精霊セリュネア』と『闇の精霊エゴヌ』は一心同体だったのではありませんか?」


 セリュネアは驚いたように目を見開き、その瞳には深い悲しみが宿っていた。


 「その通りだ。われとエゴヌは、ひとつの精霊だった。もともと精霊は未熟で形を持たない存在だったが、慈しみや憎しみなど様々な感情を知るようになった」


 「そして、精霊の力の継承を繰り返すうちに別々の存在になってしまったのですね」


 「そうなってはいけなかったのだ。われが受け止め拒絶しなければ……。オレリー、前世をもう一度見せよう。そなたの言う、封印以外の方法が見つかるかもしれない」


 初めて精霊の加護を授かった時のように、セリュネアの声に導かれ意識が遠のき、再び頭の中に前世の記憶が広がった。


 ◇


 (私……『翠』<みどり>だわ! それにあれは恋人の『焔』<ほむら>ね)


 ちょうど焔が翠に小さなアレキサンドライトの指輪を贈ろうとしていた。


 「翠……結婚を申し込むよ。どうか、この指輪を受け取って欲しい」


 「もちろんよ! 焔、これからも宜しくね」


 この時の二人は愛に満ち溢れていた。


 オレリーもその瞬間を思い出したように胸が高鳴った。


 (本当に幸せだったわ……)


 しかし次に見た記憶は、オレリーを絶望へと突き落とした。

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