42.繋がる前世の記憶
「焔先輩を返して! あなたなんて居なくなればいいのよ!」
それだけ言うと、女は翠に刃物を向けていた。
逃げる間もなく刺されるかと覚悟したその時、駆け付けた焔が翠を庇った。
「焔! ああ……どうしよう」
一方、女は真っ赤に血で染まった手を見て我に返ったのか、そのまま走り去ってしまった。
狼狽える翠を抱き寄せ、焔は言った……最後の言葉だと覚悟するかのように。
「翠……一緒に未来を生きたかった」
「まだ諦めないで! 焔とやりたいことが沢山あるのよ」
焔が微かに笑った。
「そうだね……。翠、悲しみや憎しみに心を囚われてしまったら、思い出して。僕が君をとても愛してるってことを……」
静かに焔が逝ってしまった。
結局、その女は焔の弟子で身勝手な片想いの暴走だったが、私にはもう関係なかった。
「焔……あなたを奪われた私には全てが辛すぎるわ」
泣き崩れる翠をオレリーはそっと抱き締めた。
翠は優しく温かな日差しに包まれているような感覚がした。
「焔?」
翠を抱き締めたのはオレリーだけではなかった。
焔はオレリーに優しく頷くと、今度は翠に語りかけた。
「きっとまた会える」
優しく頬を撫でる風を翠は感じていた。
「やっぱり焔なのね……見ていて」
翠は、冷たい鉄格子の向こうに入った弟子の女に、強い決心で会いに行った。
「あなたを許すことはできないわ。あなたが望む形ではなかったとしても、焔との子弟関係はあなただけの大切な絆だったはずよ。それを断ち切ったのよ……あなたの手で」
「翠さんに何が分かるの? 私は愛されたかった!」
「もし……時が戻って、私が愛を失うことで焔を失わずに済むなら、いくらでも私は差し出すわ」
弟子の女の目は虚ろだった。
「たとえ翠さんがそうしても、私はきっと愛されない……分かっていたのに」
「あなたと悲しみを分かち合うことはできないけれど、焔との大切な絆を思い出して欲しいの。それが、私のあたなたへの罰であり、生きる力になると思うから……」
翠は外に出ると、眩しい日差しに目を細めた。
左薬指にはめた、アレキサンドライトの小さな指輪が光った。
「アレキサンドライトは人の心のように二面性があるわね。焔……私は、喜び、悲しみ、憎しみ、全てを抱えても強くありたい。きっと、また焔に会える……私は生きていくわ」
記憶を辿ったオレリーは、涙で濡れた瞳を開けた。
「オレリー、その涙は……」
「セリュネア様、この涙は、悲しみや憎しみを乗り越え、前に進もうと決意した翠……前世の私の涙です」
「そうか……前世の記憶から何か分かったかい?」
「はい。光と闇、どちらも私の中にありました。望む愛が手に入らなかったとしても、突然愛を奪われたとしても、闇だけでは人は生きていけません。それを救うのは自分だけの光なのです」
「だから、『闇の精霊エゴヌ』の力を使う者は命を対価とするのか……」
「命が対価なのですか? 私はローズ皇妃様やエリカ様にも、ご自分だけの光を思い出して欲しい……救いとなる光を」
「そなたは、愛する者を奪われそうになっているのだぞ。それでも、あやつらを許せるのか?」
「許しはしません。……でも、今ならまだ間に合います、闇を救うことが!」
「それが、そなた達の幸せに繋がるのか?」
「ええ、きっと……私は、そう信じています」
「オレリー、われとエゴヌが再び一つになることが……そなたにできるのか?」
オレリーはとびっきりの笑顔を見せた。
(オレリー、そなたなら闇を導く光となれるだろう。われは、そなたを信じよう)
セリュネアから再び光が放たれ、光に包まれたオレリーの体が湖面に浮かんだ。
「お嬢!」
サミはずぶ濡れになるのも厭わずオレリーの元へ急いだ。
湖からオレリーを引き上げると、何度も呼び掛けた。
「ふうっ、サミ……ありがとう。すぐに皇宮に向かわないと」
「お嬢、心配しましたよ!」
「ごめんね、サミ。……アリーヌに会わないと」
◇
シルバーヴェル家に戻ったオレリーとサミは、皇宮に向かう準備を整えた。
「お父様、お母様、どうかロシューをお願いします」
「ああ、心配するな、オレリー」
「あなたこそ心配だわ」
「お母様……」
「本当に僕が一緒じゃなくて大丈夫なの?」
「お兄様もロシューをお願いします。まだ、何が起こるか分からないの。だけど、私は恐れてないわ」
皆、オレリーの佇まいから強い意志を感じた。
「サミ、サラよ、オレリーを頼んだぞ」
「はい! ジャメル様、お嬢様を必ずお守りします」
「ジャメル様、お嬢はお任せ下さい!」
オレリー、サミ、サラの三人でシルバーヴェルを発った。
◇
タハールはアレクサンドル公爵家に向かったが、ギョームとマルゴーがしっかり主の留守を守っていた。
「ここは私たちでお守り致します。どうか、お引き取り下さい」
警戒するギョームに阻まれ、主のいない公爵邸に入ることは叶わなかった。
「そりゃそうだよな……僕は殿下の側近でもあるから、疑われて当然だ」
時間だけが過ぎて行き、タハールは自分の無力さに苛立っていた。
「お兄様! お兄様! どこなの!」
「騒がしいよ、アリーヌ。僕はここにいるよ」
「お兄様ったら、辛気臭い雰囲気を何とかして下さらない?」
「アリーヌは心配じゃないの?」
「心配に決まってるでしょ! だから、私にできることを必死に探してたんじゃない!」
アリーヌの剣幕にタハールは完全にしょげてしまった。
「もう、本当に次期宰相候補なの? お兄様、私たちの出番ですわ」
「どういうこと?」
「オレリーお姉様が、私たちに助けを求めているの。今、私の部屋にシルバーヴェル家の白頭鷲が……」
「何だって!」
急いでタハールはアリーヌの部屋に向かうと、立派な白頭鷲がバルコニーに止まっていた。
「結わえられてた手紙には、内密に陛下とお会いしたいそうよ」
「内密に……」
「お兄様、アレクシス殿下を裏切ることになるかもしれないわ。それに、家門にとっても危険を伴うわ」
「……」
黙り込んだタハールの背中を叩いてやりたい気持ちを抑え、アリーヌは言葉を待った。
「僕は……ロシュディやオレリー嬢、それにアレクシス殿下も救いたいんだ。アリーヌ、僕たちは固い絆で結ばれた幼馴染なんだ。それを証明してみせるさ」
「お兄様……見直したわ! 敵に悟られないように、オレリーお姉様とは『リアン・エテルネル』で会いましょう」
「それがいい。あくまでも、お客としてね」
◇
タハールとアリーヌは、お得意様として『リアン・エテルネル』のVIPルームに通された。
「アリーヌ!」
「オレリーお姉様!」
オレリーとアリーヌが手を取り合って喜ぶ姿とは対照的に、サミとタハールは互いに冷え冷えとした視線を交わしていた。
「オレリーお姉様、リアンお嬢様は?」
オレリーとサミの表情が固まった。
「アリーヌ、今は……」
「いいえ、お話しいたしますわ。それに、タハール様はもうご存じでしょう?」
「オレリー嬢、僕のことを信じられないかもしれないが、ロシュディと殿下、どちらも助けたいんだ」
「何を! この期に及んで、お嬢とリアンお嬢様がどんな目に遭ったと思っているんだ!」
黙って聞いていたアリーヌが、突然テーブルをドンッと叩いた。
「詳しいことは分からないけど、言い争っている場合じゃないわ! そうですわね? オレリーお姉様」
「ええ、そうなの……内密に陛下にお会いしたいの。だから、お二人の……ベリル家のお力をお借りしたいの」




