40.信じて
「悪く思わないでね」
言葉とは裏腹に悪びれることなく、不気味な笑みを浮かべてリアンをそっと抱きかかえた。
そのまま小屋の外に待たせてあった馬車に乗り込むと、老女はベルタの姿に変わった。
ベルタの瞳は美しい薄い紫ではなく、醜い喜びを宿したオレンジに光っていた。
「もうすぐだわ……」
シルバーヴェルとは反対の方向に走り続けた馬車は、ある領主の城の中に入った。
城の一番奥の最も豪華な部屋にリアンを抱いたベルタは通された。
「リアン嬢を連れて来たわね。アハハ! これで私の勝ちね!」
「はい、ローズ皇妃様。皇妃様のお力がなければ、ロシュディ様の妻の座も手に入りませんでしたわ」
「ベルタ……いえ、エリカ嬢、安心するのはまだ早いわ。公爵夫人になりたければ、わたくしの言う通りになさい」
ローズはリアンに歩み寄り、小さな首元の『エーテルの指輪』が通されたネックレスを確かめた。
「やっぱりね……フフフ。そうやっていつも愛する者を守り、死を選ぶのね……弱き者は哀れね」
◇
オレリーは、再び深い眠りの中で『光の精霊セリュネア』と再会していた。
輝く光の中のセリュネアは温かく優しいオーラを放ち、静かにオレリーを見つめていた。
オレリーはそのオーラに包まれながら、馬車の中でロシュディが話してくれた秘密を思い出した。
「オレリー……私の両親の死は詳らかにされていない。しかし、もう気付いているだろうが、ローズ皇妃の『闇の糸』の力によってこの世から消されてしまった」
「ロシューのデビュタントの日だったと、アリーヌから聞きました……」
「……実はあの日、ローズ皇妃の『闇の糸』の呪いに私も襲われていた。死を覚悟した時、『時の精霊エーテル』が現れて守ってくれた」
「前公爵様は『時の精霊エーテル』の加護を授かっておられたのに……なぜ命を?」
「それは『エーテルの指輪』が関係しているんだ。この指輪は『時の精霊エーテル』の加護を持つ者が願えば、一度だけその願いが叶えられる……」
「では……」
「そうだ。父は母を自分で守ることを選び、母もそれを望んだ……父と母は私の命を救うために『エーテルの指輪』の力を使ったんだ……」
そこまで話すとロシュディは口をギュッと結び、全身が小刻みに震えた。
声を殺して涙するロシュディに、オレリーはただ黙って寄り添った。
オレリーは、すでに大きな危険が自分たちを襲うことを予感していた。
「ロシュー、『エーテルの指輪』をリアンに受け継ぐことを許してもらえるかしら? 離婚した私がこの指輪を持つ資格などないのだけれど……」
「私は……オレリーとリアンを命懸けで守ると誓った。あなたはリアンの母だ。リアンの安全を第一に考えよう。父親が誰だろうと構わない、私も同じ気持ちだから」
(ロシューは命を賭して危険を分かち合おうとしてくれている。だけど……)
オレリーはリアンの健やかな幸せを願うゆえ、簡単に応えることはできなかった。
「ロシュー、私たちのこの複雑な運命を乗り越えられたら……その時は」
馬車の中で言えなかった言葉を言いかけたが、ロシュディが目の前にいないと気付いた。
「セリュネア様……再び私が無意識の中にいるということは、危険が迫っているということですね?」
「そうだ……向こうを見なさい」
セリュネアが指し示す方向に、倒れているロシュディの姿があった。
「ロシュー!」
駆け寄ろうとするオレリーをセリュネアが制した。
「あれは幻影だ……それだけ愛しているのだな。しかし、このままでは二人とも『闇の糸』によって命を奪われてしまうだろう」
「ああ、なんてこと……。リアン! セリュネア様、リアンは!」
「ロシュディの願いが叶えられ、エーテルが守っている」
オレリーは心の底から安堵した。
しかし、このまま自分の命が呪いで尽きてしまっては、リアンは辛く悲しい棘の人生を歩むことになってしまう。
「セリュネア様、私はこの運命に立ち向かいます! ……私たちの幸せを取り戻したいのです」
「それでこそオレリーだ。しかし、それには『闇の精霊エゴヌ』とも対峙せねばならない」
「どうすれば……」
「フム……どうやって『闇の精霊エゴヌ』を封印するかだが」
「封印……セリュネア様、本当に封印が良いのでしょうか?」
「どういうことだ?」
「分かりません。ただ、封印ではまたいつか同じことが繰り返されるのではありませんか?」
「……確かにオレリーの前世でも同じことが起こっている」
「えっ?」
そこで突然セリュネアが羽ばたき始めた。
「オレリー! ここも安全ではなくなった! 早く、セレネ湖へ来るのだ」
目覚めたオレリーは、そこがあの森の小屋ではなくシルバーヴェルの屋敷だとすぐに分かった。
「オレリー!」
「お嬢様!」
「お嬢!」
父と母、兄……それにサラとサミが懸命に呼び掛けてくれている。
「お、お父様、ここにはどうして……」
「オレリー、まだ無理はしないで」
心配そうに母セシルがオレリーの手を強く握りしめた。
「お母様……」
「悪天候で心配になって、シルバーヴェルからルシアンと騎士団を迎えに行かせたのだ」
疲労の色を滲ませ、父ジャメルが答えた。
そして、サミが口を開いた。
「俺たちは……どうしてもお嬢が心配になって、サラと後を追ったのです」
「それで僕は小屋で倒れていたオレリーを、サミたちは森の雪の中で倒れていた公爵様を見つけたんだ」
ルシアンの言葉にオレリーは目を見開いた。
「ロシュー! お兄様、ロシューは? ロシューは!」
「落ち着きなさい、オレリー」
ジャメルは静かに言葉を選びながら話し始めた。
「お前たちに何があったのだ? リアンはどうしたのだ! 今は、公爵様がサミに託した言葉を信じるしかないが……」
「ロシューが?」
「はい。お嬢とリアンお嬢様……少なくともリアンお嬢様は無事だと。それにお嬢の名を何度も口にされていましたが……」
「公爵様を覆っていた真っ黒い靄が飲み込むようにどんどん濃くなって、そのまま意識を失われてしまいました」
そう言うサラの目は恐怖に震えていた。
「僕がオレリーを見つけた時も、どす黒い不吉なオーラに飲み込まれかけていた……」
「私は……セリュネア様が守ってくださったの。ただ、これは一時しのぎにしか過ぎないわ」
「何ですって!」
セシルが取り乱して叫んだ。
「サラ、セシルを少し休ませてやってくれ」
ジャメルに命じられ、サラはセシルを労わりながら部屋を後にした。
「オレリー……これから、どうするつもりだ?」
「父上! オレリーはまだ回復していません!」
「ルシアン、この子はもう母なのだよ。愛されるだけではなく、愛する者を守らなければならないのだ」
「……」
「お兄様、本当にありがとう。お父様、私はセレネ湖に向かいます。どうかロシューを」
「分かっている。私が『氷の精霊フロス』の加護を授かっているのを知っているだろう? 簡単には負けないさ」
「では、お嬢の護衛には俺が行きます」
「サミ……」
「お嬢の護衛は、やっぱり俺しかできないんですよ!」
「ありがとう、サミ……お願いするわ。今すぐに出発しましょう」




