ep2-3. 花と風に響く
藤兵立華は新宿の一角にある立ち飲み屋にいた。
焼きトンと煮込みの味で愛されてきた老舗だ。
水商売の男女やネクタイ姿のサラリーマンたちに交じり、隅のカウンターでモツ煮を肴に一人、檸檬ハイを呑んでいる。
「で、その犬岡光見ってのは、元からバケモノじみてた奴だったの?」
グラスを傾ける傍ら、立華はスマホで通話を続けていた。
話をしている彼女に向けて、周囲の男たちがチラチラと興味の視線を送っている。
内の何人かは声を掛けるタイミングを窺っている様子だが、立華の話が長いため、二の足を踏んでいるようだ。
『話を聞いた限りでは、そうじゃないっぽいな。所属していた地下格闘では荒いスタイルが売りだったが、勢いだけであまり強い方じゃなかったらしい』
通話先の声の主は剃真だった。
会議の後、立華は資料にあった男のことを剃真に調べてもらうよう依頼していたのだ。
彼が経営するショットバー「カーネル」に通う常連との繋がりもそうだが、剃真はそういった世界の情報に妙に詳しかった。
――ちょっと、ソッチ界隈の友人に聞いてみるかな。
そう言って通話を終えた数十分後、折り返しの連絡があった。
『でも実力に見合わず、かなり傲慢で自分本位な性格だって話だ。何したのか知らんが、裏バイトの元締めとかなり深刻な揉め事を起こしたらしい。だがそれからだな、奴が急に人間離れしたのは』
「……人間離れ?」
立華の反応に、剃真の声が少し重くなった。
『一人じゃできない規模の大暴れを、わずか数日でやってのけたってことだ。単に腕っぷしが強くなったって程度じゃない。その元締めグループをはじめに、都内の半グレ勢力を片っ端から潰し、残った奴らを従えるようになった』
「どっかの不良マンガじゃん」
『でも実際に勢力が塗り替わってる。界隈はかなりビビってるよ。バケモンが出たってな。表立ってはいないが、そのマンガみたいな話の中で、死人もかなり出てるらしい』
バケモン――。
立華の脳裏に数日前の犬岡がよぎった。
完全に極まっていた肩を自ら外し、自分を含め3人の大人を軽々と持ち上げたのは、確かに化物じみていた。
『北千住で暴れた怪物たちがいたろ?犬岡には会ったことはないが、オレの中で奴はソイツらと被ってるよ』
「……アタシもそう思う」
スマホを握る力が少し強くなった。反して顔つきが、猛禽類のように無表情になっていく。
「お父ちゃんのカタキもそこにはいた」
『なあ、ヘンなコト考えるなよ。オマエ、その犬岡に目をつけられたんだぞ?さすがに警察も奴をマークしたようだ。あとは奴らが何とかしてくれる。それまで身を隠すんだ』
本格的にマークしたのは、ついさっきなんだけどね――。
立華は防衛省での会議にて、あのスポーツカーみたいな顔のお偉方が言ったことを回想した。
『……ところで立華、今どこにいるんだ?』
「え?新宿よ?一番街で一人呑み」
『……犬岡の拠点は歌舞伎町だぞ?』
遠くでパトカーのサイレンが鳴っていた。
一台ではない。二台、三台──。
次々と増えていく。
外を見ると、何かに怯えている様子の人たちが逃げるように動いているのが見えた。
それに気づいたのは立華だけだった。
湧いて出たような、通り周辺の妙な騒がしさと空気。
立華には覚えがあった。
北千住で感じた、怪異が起こる直前、あの独特の雰囲気――。
「……剃真クン」
『どうした?』
「話の続き、後で聞くよ」
おい、と言った剃真との通話を切り、立華は椅子から立ち上がった。
「あの、オネエサン」
会計に向かおうとする彼女に、チャンスを伺っていたホスト系の一人がステキな感じの声を掛けてくる。
「……?」
「よければ、一緒に呑みませんか?」
「こんなトコでナンパすなっ!」
一喝するように言い捨てると、立華は暖簾を跳ね上げて外へ飛び出した。
駅へ向かって逃げる人波の向こう側で、炎が揺らめき、建物の間から多くの悲鳴が反響して聞こえてくる。
すぐに立華は出たばかりの店の中へ頭を突っ込み、
「アンタら!テロが起こってるよ!危険だからすぐ避難して!」
それだけ叫ぶと、騒ぎの方へと立華は歩き出した。
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コンカフェの呼び込み、ホスト、夜遊び客、観光の外国人――。
シネシティ広場にいた誰もが、空から飛んできた"それ"を目で追ってしまった。
「あああああーっ!」
バラエティ番組で芸人が吹き飛ばされるような情けない悲鳴を上げながら、男は広場中央のアスファルトへ頭から落ちると、そこから鈍い音を響かせた。
頭蓋が砕け、赤黒い筋を引きながら身体が滑っていく。
「……ナニあれ?」
誰かが放った一言が、あまりに軽く響いた。
男が飛んできた方向に目を移すと、歌舞伎町タワーの脇道から、大量の人間が鬼気迫る表情で広場になだれ込もうとしている。
後ろから来る何かから、逃げようとしているのだ。
だが広場と通路を隔てる低い柵が、人の流れを止めた。
後ろから押し寄せた人波が、先頭にいる人間の身体を容赦なく詰め、柵に苦悶の表情が埋め込まれる。
「……………………」
折り重なった身体の下から、助けを求める腕がいくつも伸びた。
しかし、広場側から手を差し伸べる者はいない。
凄惨な現実が、広場側の人間を思考停止に陥らせている。
突然、柵を境に折り重なった人の山が、爆ぜるように吹き飛んだ。
複数の人体が宙を舞い、アスファルトに落ちる。
奥から黒い影が、人体の塊を踏みつけてゆっくりと現れた。
「怪物……」
誰かがそんな事を言う。
黒い甲殻。
異様に長い四肢。
人の形だけを辛うじて残したそれが、広場の人間たちを見渡した。
「ウジャウジャいやがるな」
怪物が人間の声を発したことに、人々が驚いた顔を浮かべた。
その前で、怪物が身を屈めた。
黒い甲殻が、次第に赤く、熱くなっていく。
「あああああ熱っ」
怪物に踏みつけられている人間たちが絶叫した。
空気が歪むほどの強烈な熱が発生し、空気が激しく動いた。
次の瞬間、柵に折り重なっていた人間たちの髪が縮れ、衣服が発火した。
皮膚が黒く縮れ、肉が炭のように崩れていく。
「ぎゃははははっ」
その様に満悦した怪物=犬岡が、底から響くような笑い声で広場を揺らした。
開いた口の中で、並びの悪い乱杭歯が、焚火の中の炭のように揺らぐ。
燃え盛る炭の塊を踏んで壊し、熱で柔らかくなった鉄の柵を手で掴むと、それをサッカーボール大にまとめた。
嗤いながら振り被り、鉄に与える熱を爆発的に高める。
溶けて液状になろうとする鉄が、犬岡の手の平からボタボタとこぼれ落ちた。
「……やだ」
メイド姿のコンカフェ店員が声を洩らした。
撮影していた者たちの手から、スマホが滑り落ちる。
その彼らに、液状になった鉄の粒が高速で浴びせられた。
肉を焼き、骨を穿ち、人々を貫通した鉄の粒は、そのまま突き当たりのTOHOシネマズの壁まで穴だらけにした。
犬岡が狂騒のままに吼えて動く。
逃げ惑う人間の身体よりも速く動き、弾き飛ばし、壁に叩きつけ、踏み砕く。
男、女、老いも若いも分け隔てなく――。
楽しくて楽しくて仕方がない。
「とっ、止まれ……っ!」
銃を構えて肩を震わせている警官の横を嘲笑しながら素通りし、犬岡は都道430号線の大通りへと出た。
「誰かオレを止められるかぁっ、ええっ!?」
犬岡の悦びが大声に変換されて辺りを震わせる。
路上の軽自動車を掴むと片手で振り回し、辺りの車を人ごと殴り飛ばした。
周辺に何もなくなると、メチャメチャになった軽自動車をビルの外壁に投げつけて穴を作る。
ガソリンに引火したのか、穴から火が吹き出した。
「なんでも来いよっ、オレを潰してみろっ!」
対面のビルに設置された巨大ディスプレイに、犬岡の異形が映し出された。
カメラがこの惨状を捉え、報道を始めたのだ。
人ならざる者による人類への宣戦布告――。
本物の怪物による都市破壊が始まった。
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特別調査班の部署は騒然とした。
テレビの速報に映し出されたのは、先ほど会議で議題となった未確認生物だった。
だがその異形は、報告書にあった”クモ”や”バッタ”の容姿とは違い、どことなくムカデのように見える。
あれはまた別の個体なのだろうか?
新宿の街を蹂躙するその姿に、職員たちは一斉に画面へ視線を向けていた。
「なんてこと……」
報告資料をまとめていた和也多紀も、思わず椅子から立ち上がった。
新宿といえば、ついさっき藤兵立華に晩酌を誘われた場所だ。
彼女がそこにいるのだとしたら、……無事だろうか?
「対策班、総員出動!」
理事官の海野画が、分厚いクチビルを震わせて吼えた。
背が低く、小太りで頭が禿げ上がっている。
腹を吊るサスペンダーだけは妙に派手だが、とにかく声の張りが凄まじい。
「機動隊とは現地合流だ!いいか?全部だっ!調査に繋がる情報、ゼンブ拾って来いッ!!」
聴く者の背骨に、芯を打ち込むような声だ。
彼の号令で、場の人間が一挙に動き出す。
「あとナゴナリっ!」
「はいっ!」
上長の声に、和也が背筋を張って応える。
「オマエにも実弾携行を許可する!抜きどころ間違えんなよっ!」
「はいっ!」
頷いた和也は、壁際の保管ロッカーへと走った。
電子錠を解除し、拳銃の入ったケースを取り出す。
慣れた手つきでホルスターへ収め、予備弾倉を腰へ差し込んだ。
あと一つ――。
和也は自分のデスクに戻り、引き出しから使い捨てカメラを取り出した。
北千住事件の後、海野が全員に配布したものだった。
自身も最近まで存在すら忘れていたアナログ品だ。
「遊びじゃねぇぞっ!全員生きて帰ってこいっ!」
雄叫びに近い理事官の声を背に、和也も含めた全員が走り出した。
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『響一、起きれるか?』
自宅にて、風号はベッドで横になっている響一を呼び起こした。
「くっ、何、だよ……」
呻きながら寝返りを打ってみたが、やはり身体がおかしい。
肉体はあるはずなのに、目を閉じると感覚がない。
風号は”一時的な行動不能”と言っていたが、それにしてもダメージが深すぎる。
『”奴ら”の一人が覚醒した』
「え……?」
響一は思わず聞き返した。
対峙したくない現実が来てしまったのか?
『新宿で無差別破壊を始めた。すでに多くの人間が殺されている』
「う……、ウソつけ!」
現実逃避なのか、反射的に子どものような言葉を響一は吐いてしまった。
覚悟を決めるのに、タイミングが最悪すぎる。
『現実だ。被害は拡大していくぞ』
「ぐっ、く……」
何とか起き上がり、縋り付くような手つきでテレビのリモコンを取る。
電源を付けると、画面の中では女性のレポーターが、地域のグルメを笑顔で紹介していた。
「何にも起きてねえじゃ……」
『見ていろ』
特大のかき揚げ丼をホクホク頬張るレポーターの顔が、いきなり男性アナの強張った表情に切り替わった。
「緊急速報です。現在、新宿で正体不明の個体による大規模な破壊活動が行われています」
新宿の状況が映し出された。
破壊されたビル、割れたアスファルト、炎に包まれる車。
炎の中には、人だったとしか思えない黒い塊まで映っていた。
そして、その中心にいたのは黒光りする異形だった。
「………………」
対象は現在も破壊活動を継続の上――
付近の方は決して新宿には近づかないでください。現在、各沿線も稼働を停止してい――
放心している響一に、情報が勝手に溢れ込んでくる。
「……なんだよ、それ」
漏らした声が震えていた。
沈黙している響一の耳を、スマホの着信音が刺した。
田門からの連絡だ。
『おい響一っ!見てるかテレビ!』
通話のボタンを押した途端、田門のダミ声が響いてくる。
「……、見てるよ」
『立華が新宿にいるんだよ!アイツ、速報の直前まで剃真と電話してたっ!』
「……なんで?」
思わず聞き返す。
『そこじゃねえだろ!今、剃真たちと車で出てるけど、首都高に乗った時点で大渋滞だ!オマエ、バイクで何とかならねえか!?』
「や、何とかって……」
言い淀む響一に、田門の喝が飛んだ。
『立華がヤバい場所にいるんだよ!だから助けに行くんだろうがっ!』
タイミングを合わせるように、風号が音を鳴らした。
エンジンを震わせ、マフラーからエキゾースト音を立てる。
プロジェクターランプに光が点り、彼の淀みのない瞳が響一を捉えていた。
『行けんのかよっ!?」
電話口の向こうで田門が叫んだ。
その一言が響一のビジョンを揺らす。
藤兵近衛のことが否応なく頭に浮かぶ。
海々っ子で、立華が流した涙。
藤兵の最後の背中を見たあの時、自分が間に合っていた選択肢だってあったはずだ。
「行くしか……、ないだろ」
自分に言い聞かせるように立ち上がり、響一は身体に掛かる負荷を確認するように全身を揺らした。
首、指先、腕、脚……。
一つずつ感覚を確かめる。
力を通して、身体が自分の元に戻ってくるのを待った。
「……すぐに出る」
響一の声には、意思が籠っていた。
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「おっ?」
新宿ダイビル前に出た途端、犬岡はふいに額と胸に衝撃を覚えた。
遅れてパァンという幾つかの破裂音が耳に届いてくる。
犬岡がいる道路の上には潰れた盾が散乱し、間に赤黒いものが広がっている。
突入してきた機動隊で適当に遊びながら進んでいたところ、空を切って飛んできた何かに小突かれたのだ。
たった今も後頭部に固い物が当たり、ガスッと音が立つ。
「まさかコレ、狙撃か?」
犬岡が他人事のようにほくそ笑んだ。
人なら即死だろう。だが、犬岡にとっては指先で弾かれた程度にしか感じない。
更に側頭部、また眉間、胸にビシビシと衝撃が上がり、7.62mmの弾頭があらぬ方向へと跳ねていく。
「ははっ、痒いじゃねえか」
弾道を目で追うように、犬岡はゆっくり首を巡らせた。
建物の屋上、ビルの開口部、高架デッキ――、100mほど先で、長物を構えている人間が複数いる。
『ブラボーより指揮所。全弾命中。……効果なし』
機動隊長の無線に、狙撃手と共にいる観測手からの報告が入ってきた。
通信の奥で、狙撃手が「ウソだろ」と漏らす声が聞こえる。
18名。
自分が前へ出した隊員たちはもう戻ってこない。
強力な力を持った一個体との対峙――。
この件は暴徒鎮圧を旨としている機動隊の領分ではなかったのだ。
遅れて到着したSATを配置し、大口径ライフルによる狙撃を実施したが、それも無意味だったことを理解した。
それでも……、頭をフル回転して隊長は必死に指示を回した。
「狙撃班は射撃継続!突入班、5.56で牽制しろ!避難誘導班は一般人を駅から離せ!……頼む。少しでも時間を稼いでくれ」
無線から祈るように言った機動隊長の視線の先で、犬岡に向かってあらゆる包囲から銃弾が注がれた。
そのほとんどが命中しているはずが、対象の反応は薄い。
「シャワーじゃねんだよ。オレを殺すんならなあ…」
犬岡は脇にある2tトラックに両手を伸ばし、大きな車体をヒョイっと持ち上げて見せた。
持ち上げたトラックを片手で持ち直し、まるで重さを確かめるように二、三度揺する。
「こんぐらいデカいのぶっ放してこいってぇのっ!」」
「……っ、下がれぇーっ!」
MP5サブマシンガンを構えるSAT隊員が思わず叫んだ。が、遅かった。
飛んできた2tトラックが、放物線を描いて隊員たちを呑み込み、横転しながら道路を滑ってゆく。
圧倒的な重量で潰れた身体をいくつも引きずり、血と引き裂かれた装備服で道が出来上がった。
どこまでも転がっていくトラックは、進行上にある機動隊の大型輸送車にぶつかることで、ようやく止まることができた。
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「こんな……」
至近距離で目に入る惨状に、和也は声を震わせた。
他の調査員、同僚たちは無事なのだろうか?
機動隊に紛れ、彼女は事態の情報収集のためにポケットサイズのデジタルカメラを手にしている。
本来なら合間に映像のチェックを入れるべきだが、周囲に広がる狂騒と破壊の光景に、そんな余裕などなかった。
「もっと離れて!」
銃を構えたSAT隊員に叱咤され、思わず下がった。
その隊員の向こう側で、それまで生きていた機動隊の人間たちが、あっという間に死体という”物”へと置き換わっていく。
トラックに引き潰された肉体から、はみ出した臓腑の匂いが鼻にツンと届いてきた。
「……う」
込み上がってくる吐き気を何とか抑え、それでも和也は必死にカメラを怪物へと向けた。
「っ!?」
怪物がその場で立ち止まり、踏ん張っているように見える。
尾てい骨の辺りから、何か大きなものズルズルと伸びて出てきた。
それは尻尾のように伸び、先端が持ち上がっていく。
体節と多くの爪を備え、それこそ独立したムカデのようだ。
それを頭の上でユラユラと揺らし、怪物は自分が転がしたトラックを見据えていた。
和也のすぐ近く――。10mも離れていない場所だ。
なにか来る?
和也がそう感じた直後、尻尾の先端から何らかの液体が、凄まじい勢いで噴き出した。
空気と触れた瞬間、赤熱した粘液が引火し、炎の帯へと変わる。
かなりの圧力が掛かっているのか、数十m離れたトラックと輸送車まで噴射が易々と届いた。
まるで火炎放射器だ。
液体を浴びた車両があっという間に炎に包まれた。
「……え?」
和也は目を疑った。
炎が鉄を喰っている?
違う。燃えているだけじゃない。――溶けている?
見る間に車体の横腹が穴だらけになる。
赤く溶けた鉄が、滝のように車内へ流れ落ちた。
ガソリンに……
思った刹那、和也の身体を先ほどのSAT隊員が両手で突き飛ばしてきた。
「っ!?」
仰向けに転んだ和也の顔の上を、爆音と圧力が吹き抜ける。
意識が一瞬吹っ飛んだあとで、耳鳴りが止まらない。
手にしていたデジタルカメラはどこかへ行ってしまった。
自分は……、生きているのか?
答えを探さないまま、和也はとにかく起きようとした。
「あっく……」
起きることができない。
先のSAT隊員の身体が覆いかぶさっていた。
「あ、大丈夫ですかっ?……あのっ!」
SAT隊員を揺するが反応はない。
その身体に、車のフレームらしきものが突き立っているのが見える。
人の血が、和也の白いワイシャツを暖かく濡らした。
私を助けてくれた……。
そう思いながら、和也は動くことができない。
――重たい。
自身の小柄な体格では、隊員の大きな身体を押し退けることができないのだ。
周囲が煙に包まれる中、視界の隙間から火の手が近づいてくるのが見えた。
流れ出したエンジンのオイルが、燃えながら迫ってくる。
火炎に酸素が喰われているので、息も苦しい。
彼女の耳に、怪物の下卑た笑い声が届いてきた。
苦悶の中、和也は怪物への憎悪が胸の奥から湧き上がってくる。
ここまで……。
ここまで私たちを蹂躙していい理由なんて、無い。
「……誰かっ!」
和也は必死に声を上げた。
とにかく、生きて帰る。
この状況を、つぶさに伝えなくちゃいけなかった。
デジカメ、後で回収しなきゃ……。
「誰か来てっ!」
もう一度叫んだ瞬間、和也の両脇に人の手がスッと差し込まれた。
意外な力強さでズルズルと引っ張られ、死体の重さからようやく解放される。
「大丈夫っ!?……アレっ?」
聞き覚えのある声が、和也の意識を覚ました。
目の前にいる美人が、信じられない表情で自分の顔を覗き込んでいる。
「立華……さん?」
「あっはは!よく会うねっ。……とにかく立って!」
和也の身体がグイッと上に引っ張り上げられた。
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立華に手を引かれるまま走り、和也は302号線の大通りに出ていた。
乗り捨てられた車の合間を、まだかなりの人々が逃げ場所を求めて動き回っている。
機動隊の尽力でそれなりに人の移動が済んでいるはずだが、夜の歌舞伎町がそれだけの膨大な人間たちを呑み込んでいたことになる。
「いい?302号線から迂回して新宿御苑へ。そこに緊急避難所が出来てるから。アナタはそこへ向かって」
「避難地点の話なんて……、私まだ聞いてません」
和也が心外な様子で言った。
通信のインカムが壊れていることに、まだ彼女は気づいていない。
「たった今決まったの。会議のオジサン経由で機動隊に提案したら即決だったわ」
「立華さんも……、一緒に行くんですよね?」
おずおずと尋ねた和也に、立華の表情は涼しかった。
「アタシ?うん……、まだ用事があるから残る」
「ア、アナタ一般人ですよ!?残るのは公僕の私ですよ!」
驚きを通り越し、和也は怒りに似た感情で声を放っていた。
叫びながら、自分はこんなに感情を出せる人間だったのかと思う。
違う。気持ちの均衡が崩れているのだ。
気付けば、肩から全身が大きく震えている。
「アンタ、生きたいから人を呼んだんじゃないの?」
立華が、ふっと笑って見せた。
なんて優しい顔なのだろう。
「私は……っ、公僕としての義務があってっ」
また彼女に嘘をついてしまった。
そう和也は思った。
言葉の裏で、助かったことに心底安堵してしまっている。そんな自分を否定できない。
「和也さん、下の名前、何だっけ?」
「……多紀、です」
「そっか……、イイ?多紀ちゃん。アンタが自分を発揮するのはここを切り抜けた後よ。大丈夫。ここで撤収しても文句言う人はいない」
「それならっ、それなら一緒に逃げましょうよ!」
泣き声混じりで言った和也の前で、立華は静かに首を横に振って見せる。
「避難計画の元はアタシだからさ、見届ける義務あるでしょ?それと……」
その時、立華の背後で重量物が叩きつけられる音が鳴った。
投げられた車が、建物の壁やガラスを壊し、崩している。
「……っ!?」
和也が息を呑んだ。
例の怪物が姿を現し、目の前にいる人間を焼き払った後、自分たちやその向こう側にいる避難民に顔を向けている。
次の獲物を定めたらしい。
だが急いで迫ることはなく、敢えて歩くことで、ゆっくり追い詰めようとする意図が伺える。
立華たちとも離れた距離にいるが、時間の問題だった。
「きっ、来たよオイっ!出たあっ!!」
通りを歩いていたホストの一団が恐怖に引きつった声を上げた。
吊られて人々も一斉に走り出す。
煌びやかなドレスを纏ったキャバ嬢が、長いスカートを踏んづけて勝手に転んだ。
「みんな新宿御苑に向かってる……。マズイわね。このままじゃアイツ、そっちに行きそうだわ。多紀ちゃんはあそこから逃げて。ほら、あの区役所通りの脇に遊歩道があるでしょ?建物が目隠しになるから、一番安全に危険地帯を抜けられるルートかも。――行先は新宿六丁目よ」
「りっ、立華さんもっ」
和也の手を優しく解き、立華が少しだけ済まなそうな顔を浮かべる。
「多紀ちゃん。アタシね、一回ケジメつけないと先に進めない人間なの。……悪いクセなんだけどさ」
「……え?」
「行きなさい。アンタの本番は、ここで死ぬことじゃない」
和也の小さな身体をトンと押し、立華は踵を返して怪物へと向かった。
彼女の背中が小走りで遠ざかっていく。
「……何で、そんな風にできるの?」
一人呟いた和也は、思い切ったように自らの腰に手を回した。
どんなことをしてでも、彼女を止めなければならない。
たとえ銃を向けてでも――。
ベルトのホルスターには携行が許可されたSIG P226が収まっている。
和也はそれを手に取り……、
「…………へ?」
ホルスターには何も無かった。予備の弾倉まで――。
立華は移動しながらワンピースシャツを脱ぎすて、Tシャツ姿になった。
デニムの腰の裾に、和也のP226が挟まっている。尻ポケットにも弾倉二本が差さっていた。
「立華さんっ!!」
叫んだが、立華は一度も後ろを振り返らなかった。
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「状況はどうなってんだよ!?」
4号線を走りながら、響一は跨っている風号に大声で訊いた。
『SATと交戦中だが一方的だ。銃火器も効果なし。死傷者は増え続けている。現在、新宿ダイビル前から3丁目の街中に移動している』
風号は街中の電子機器に干渉し、その情報を密に収集しているらしい。どうやっているのかは知らないが、話している内容から日に日にその範囲が広がっている気がする。
『……マズいな』
風号の呟きが響一の耳の奥に直接響く。
「なにがだ!?」
『SATと機動隊を蹂躙した後、”奴”が進路を変更した。その先に避難中の一般人が詰まっている』
「……ふざけやがって」
グリップを握る手に力が籠った。
響一たちはただ公道を走っているわけではない。
風号の超感覚とリンクし、信号に関わらず目の前を横切る車を絶妙に避けながら先を進んでいる。
クラクションの合唱に耳を傾けず、響一はただ先の進路に集中していた。
北千住にある自宅を出て約10分ほど。
あり得ない走行で、ようやく水道橋の辺りまで来た。
それでも新宿までは西へ約6km。
目的地での騒動が影響しているのか、進むほどに渋滞が酷くなっている。
『――立華がいた』
風号が言った。
「ホントか!?見つけたのか!?」
『ああ、だが……。何をしている?』
「どうした!?」
『単独で”奴”に接近しようとしている。何故だ?』
「……っ、おい風号!跳ぶぞ!」
響一が腰を浮かして急かす。
走りながら、風号の瞳が心なしか鋭くなる。
『……身体への負荷は無視するぞ?』
「気にしてられるか!」
『よし。それと”赤い力”は……』
「使える限界、90秒なんだよな!?テメエで見極めて教えてくれりゃいい!」
『わかった。……やるぞ』
風号の隻眼が、風車の紋様に変わり、回転を始めた。
同時に響一の腹が熱くなる。
あの時のように光の粒子がそこに集中し、球体の形に収束した。
風号が前輪を跳ね上げ、響一を乗せたまま、大きく上空へ跳躍する。
変っ身っっ!!
叫んだ風号の車体が空中で変容した。
錬成された外骨格の塊が響一に叩きつけられ、全身へと装着されていく。
地上への落下が始まる瞬間、響一たちの周辺の大気が固定化し、圧縮された。
解放と共に音が鳴る。
強力な空気のプッシュが生じ、響一を乗せた風号は、数km先の距離を一気に跳んだ。
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道場の床の上で、男はずっと正座をしていた。
白い道着と濃紺の袴姿。男の佇まいにはピンと芯が通っている。
「ふむ……。わかってきたみたいだな」
男は同じように正座で向かい合っている立華に、穏やかだが太い声を掛けた。
「んー、なんとなく?」
14歳の立華が自信なさげに答えた。
彼女も同じ道着、袴の姿をしている。
稽古は概ね一時間の正座から始まる。
二人とも、腰から背骨、頭蓋までのラインが通り、頭から上へ真っ直ぐ抜けている。
揺るがず、動かず――。
精神修養という意味だけではない。
正座という形を通して全身の落ち着け方、重力との付き合い方を身体で覚える。
それが男の考えだった。
特に男の方は、樹木のような存在感を身に宿している。
「では、その感覚を保ちながら立ってみなさい」
「え……、はい」
言われたように立華は片足を立て、苦も無くキレイに立って見せた。
「うん。……さすがにまだか」
「え、ちょっと違う?」
「正解、不正解という話じゃない。身体の芯をどこまで掴んでいるかということだ。だが道場に入って数年でここまでとは……。立華、オマエは本当に凄い」
男は正座の形を保ったまま、つくづく感心している。
「だが、こと実戦においてはその芯も乱れやすくなる。達人同士が対峙する場合、互いの身体の芯へどう干渉するかが肝要だ」
「ふうん」
「そろそろ次の段階に移ってもいい頃だな」
「え?ホントに?」
「うむ。――ここだ。下丹田という」
男は臍の下の辺りを指さした。
「ここに水風船をイメージしなさい」
「水風船……?」
「タプタプ揺れるイメージを下丹田に据える。中は水だから、動けば当然揺れる。揺らしてもいいが、決して乱さない。水風船を制御できた時、お前は地球と仲良くなり、喧嘩しなくなる」
男がまた妙なことを言い出した。
「なに言ってるか、分かんないんだけど……」
「うむ。例えばサーフィンだが、上級者ともなれば、そういった感覚が芽生えてくるらしい。……まあ、今は意味が分からなくていい。スポーツ科学を修める身としては、もっと判る説明をしなくてはならないのだが、こればかりは難しくてな。――ともかく、”武”の本質はそこから始まる。少なくともそれを成せば、立華、キミはこの北千住で無敵になる」
本気とも冗談ともつかない顔で言う男に、立華はすっかり呆れていた。
「藤岡さん、昨日のお酒、まだ残ってるでしょ?」
「はは、まあなッ。でも本当のことだ。――そうだな、とりあえず私の肩の上に手を置いてみなさい。どういうことか、身体で教えてやろう」
「身体でとか……、それエロマンガとかで出るセリフだよオッサン?」
「……、年頃の女子の発言というのは、ときにラディカルだな。ともかく、来なさい」
言われたままに、座している藤岡の肩に左の手を置いてみる。
道着越しに、彼のゴツゴツとした身体を感じる。
「このまま、押してみなさい」
「…………」
力を入れようとした立華は、ふと思いとどまった。
言われたことと真逆の発想がムクムクと頭をもたげてくる。
こちらが想定を外れた行動を取っても、藤岡はそれに見合った反応をするのだろうか?
幼い立華にとって、それは強い衝動として膨れ上がっていた。
……よし。
「……ん、どうした?」
声に反応した立華は、藤岡の肩に置いた手をパッと引き、代わりに右の手を閃かせた。
藤岡の左頬への張り手だ。それが藤岡の顔に当たる。
パチン、と乾いた音が鳴り、彼の頬を打ち抜いた――そう思った瞬間、
――あれ?
吸い込まれる感覚があった。
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7.62mmによる要所への銃撃にも容易に耐える装甲。急所らしい急所は見当たらず。攻撃手段は三つ。規格外の膂力。周囲を焼き尽くすほどの放熱。そして尾からのM2A1火炎放射器に酷似した機構。しかも強酸の特性を持つ。前回の集団型の未確認生物と違い、明確な意思、柔軟な思考あり。直接の戦闘における勝機はなし。だが対象の行動パターン、性格は非常に人間的と伺える。最優先は都民が逃げるための時間稼ぎ。ただ、もし対象がアタシのカン通りなら……。
観察と分析が立華の精神をフラットにする。
逃げ惑う人波が立華の前で左右へ割れ、後ろへ消えていく。
本来なら胸の奥で心臓がうるさく、足も震えているだろう。
当たり前だ。相手は怪物だ。怖くないわけがない。
だが恐怖の切り離し方、感情の冷やし方、状況判断、観察。
全部”ロボ教官”こと青空昇に叩き込まれた有事での思考法だ。
過酷な状況下において最適解を思考し、正しい行動を取る。
あと……。
奴には尋ねたいことがある。
「……オイ、マジか?」
目を閉じている立華の耳に、男の声が聞こえてきた。
アスファルトを踏み、潰れた車の破片が跳ねる音がする。
立華は肌に当たる空気に、熱を感じていた。
目を開くと、怪物が立華を見定め、口元を歪めている。
その表情を見て、立華は思う。
間違いはなさそう……。
「大盛況ね。犬岡光見さん」
「……まさかだよ。狙ったオンナがそっちから来るとはよ」
犬岡は立華の前で、黒い体躯を揺すって見せた。
異形の姿になっても、あの暴力的な顔面だけは変わらない。
元から好みではない顔だった。
「ずいぶんな姿してるけど、あの時の犬岡光見で間違いないのよね?」
「そっちから来たってことは、……そういうことだよな?俺を求めてるワケだ」
……やっぱり聞いてないか。
「そうね。間違っちゃないわ。一つお願いがあってアナタの前に来たんだけど、聞いてくれる?」
「……なんだよ?」
「元の姿に戻らない?してもらいたいコトがあるの」
声色が妙に甘い。
犬岡には、それが蠱惑的に聞こえた。
「シテもらいたい?……ええ?」
犬岡の口元がゆっくり吊り上がる。
「そのまま立ってくれるだけでイイの。そろそろ自衛隊が対戦車火器あたり持ち出してくるからさ。黙って喰らってよ」
「……っ、ぎゃはははははっ!」
犬岡は爆笑した。
轟音が空気を揺らし、立華の前髪がピリピリと震える。
「あははははは!」
彼女も釣られて笑うが、目は笑っていない。
犬岡の挙動を、猛禽類の目つきで観察している。
「オメエ、スゲエよ。腹の底から笑ったわ!」
「あらー、本気のお願いよ?聞いてくれるわよねえ?」
「ぐははっ、オメエよく言えたな!これからココでオレの好きにされるんだぞ?逃がさねえからな?」
喉の奥をキュウキュウ言わせながらも、犬岡は立華から視線を外していない。
「あはっは!ついでに訊いてもいい?北千住に出た”クモ”ってアンタの知り合い?」
水風船のイメージ。
それを腹を抱え続ける犬岡の臍の辺りに添える。
「くっく、あぁ佐久間のことか?」
「ええ?サクマ?なに?友達?やっぱオマエ、アイツの片割れだったんだ?」
立華は犬岡の笑い方を見ていた。
そろそろ来る。
「だはっは!んなワケあるかよ!最近イキり始めた元社畜だよ!イジると簡単にキレ散らかすから面白ぇんだよっ!」
「あっはは!へええっ、オマエだって半グレの噛ませ犬だったクセにぃ?」
「ホジってくんなよオメエっ!この場で弄り殺し決定だわっ!」
笑顔を貼り付けて犬岡が立華に手を伸ばし、怪物の太い指が立華の肩に掛かった。
力が立華の身体に圧し掛かる、その兆しに――。
今……。
立華は犬岡の手に指を添え、指先で怪物の力の向きを、ほんの僅かに変えた。
犬岡の”水風船”に詰まった水を乱す。
合一と指向の転換……。力の強さは関係ない。
なんだ?――
立華の動きに伴い、犬岡の巨体が吸い込まれるように宙で一回転した。
背中から落ち、仰向けになる。
更に立華は、予めイメージしていた動きを寸分違わずトレースした。
腰のP226を抜き、両手で包んで構える。
狙いは犬岡の口内――。
先日見たのと同じ、あの汚い乱杭歯の奥へとポイントを定める。
トリガーに掛けた指を的確に、素早く動かす。
パパパパッ!
パパパパッ!
パパパッ!
犬岡の空いた口に9mmパラベラム15発、至近距離から全弾ブチ込んだ。
「かぁっ、かかっ……」
喉に異物が入った反応か、犬岡の口から痰を吐くような音が上がった。
強張った手から力が抜け、静けさが不意に訪れる。
車の燃える音だけが、メラメラと立華の耳に流れた。
「……っぷはぁッ!」
動かなくなった彼を見て、立華は溜めていた息を一気に吐いた。
鼓動が強くなり、耳の奥で和太鼓が鳴る。
集中力で押し込めていたものが、一気に浮き上がってきたのだ。
思わず膝をつき、肩で息をし始める。
「やれた、……か?」
「と、死んだフリをしてみる」
「っ!?」
驚いた立華の前で、犬岡はノソリと起き上がっていた。
「硬ってえもん食わしやがってよお……」
そう言って口の中から潰れて一つになった弾頭の塊を吹き出して見せた。
ゆっくり立ち上がって立華を見下ろす。
ここで初めて、立華は犬岡を見上げてしまった。
自分が獲物となってしまう。その恐怖が蝕んでくる――。
違う!
思考を止めるな!
フローを回せ!
立華は後ろに大きく動き、尻ポケットから予備の弾倉を素早く装填した。
犬岡は歩いてくる。それだけで二人の距離が消えた。
射撃が間に合わない。
両肩を大きな手で掴まれ、持ち上げられた。
「くっ!」
片手でトリガーを引くが、およそ効きもしない腹に数発当たっただけだった。
ブラ下げられ、自重を操作できない状況では詰んだも同然だった。
振り払おうとしても振り払えない。
「オマエ、オレの予想を超えたぞ。本気で殺しにきてたんか?」
犬岡は心底関心したように彼女の顔を覗き込んでいる。
その視線に立華は目を伏せ、意識のスイッチを切り替えた。
次の瞬間、彼女は犬岡に対し、カラリとした笑顔を見せた。
「いやー、参った参った。さすがに無理だったわ。で?アタシを弄り殺すんだっけ?」
おそらく犬岡は、この場で自分の”女”に干渉してくるだろう。
ならばその状況を活かす。
身体がいくら擦り切れようが、残りの避難民が無事逃げ切れるまで繋ぐつもりだった。
しかし、犬岡は少しだけ考える風に首を傾げている。やがて、
「……殺すのはナシだな。オマエ、”コッチ”側にするわ」
意外な言葉が犬岡から出た。
コッチ側……?
「安心しろよ、北千住で出て来たザコの”人形”みたいにするんじゃない。オレと同じ、特別な存在にしてやるってんだよ。その方が面白そうだ」
「何を言って……」
「……そうだな。オマエの隣で佐久間か、あのJK辺りブッ殺せば、オマエの身体に入っていくようになるだろ」
入っていく?……何が?
話の要領が掴めない。
立華は頭をフル回転させて犬岡の意図を汲もうとした。
「アンタみたいなのに……、なるってコト?ヒトが?……”クモ”もそうなの?」
「その前にだ」
疑問だらけの立華をよそに、犬岡は勝手に話を進める。
「オマエを素のまま”コッチ”側にするのは、さすがに危険だ。まだオマエ、オレを殺すチャンス伺ってるだろ?だからオマエの脳ミソ、チョット壊しとくわ」
立華は妙な音を聞いた。
下腹部の辺りだ。
「っっ!?」
目を落とした立華はギョッとした。
犬岡の股間の装甲が割れ、異様なものがニュルニュルと音を上げている。
男性器のように屹立しているが、よく見ると無数のミミズに似たものが収束して蠢き、棒状に渦を巻いていた。
「今からコイツで、オマエと契りを結ぶ。もう他のオンナで試してるけどな、頭ン中グチャグチャになるぞ?オレ無しじゃ生きてられなくなる」
ふっざけるな……。
立華が歯を噛んだとき、銃声が響き、犬岡の背中がココンッ、と音を立てた。
「あ?」
犬岡が振り向くと、犬岡の背後から銃を構えたSAT隊員が数人、MP5を構えて連携射撃を行っている。
隊員たちの横には和也がいた。
「距離を取って牽制して!彼女から気を逸らせてください!」
犬岡を指さし、銃撃の指揮を取っているのが見える。
「……多紀ちゃん?」
ダメだっ!
「人様のラブゲーム、邪魔しやがってよぉ」
イラついた声を犬岡が発した。
抱き上げていた立華の身体を降ろすと、傍らの車を和也たちに向かって、サッカーボールのように蹴り飛ばす。
「消えとけっ!」
「ああっ!」
勢いよく飛んだ車体が、和也たちに直撃する。
止める間がなかった。
彼女たちが背にしていた車輛と板挟みになり、銃撃が止む。
「へへ」
「……ぃい犬岡ぁあああっっ!!」
立華は喉が破れそうなほど、声を振り絞って吼えていた。
父親の仇との繋がり。
自分を守ろうとケガを負った響一や田門たち。
仲良くなれると感じた人間の喪失。
涙が滲んだ形相で、立華は感情を眼力に乗せて叩きつけた。
それを犬岡はただニヤついて受ける。
コイツはっ、コイツは絶対にっっ!
手に残った銃を構え、残弾を撃ち尽くした。
当たりはするが、いずれも表面からポロポロとこぼれるのみだ。
「…………」
心が折れたのか、力なく銃を降ろした立華に、犬岡が近づいた。
「まずは邪魔なモン取ろうか?」
立華のシャツに指が引っ掛けられた瞬間、トン、と犬岡の頭の上で音が聞こえた。
何かが飛び降りたような音だ。
視線を上げると、人影が立華を見下ろしている。
「大よその状況は見て判ったよ。……遅れてスマない」
妙にダウナーな声が降ってきた。
人の姿に、バッタのような触覚と赤く光る複眼――。
ソイツは犬岡の頭と肩を踏み台に立ち、立華に詫びの言葉を掛けているようだった。
「あ……」
「あ?」
声を上げた犬岡の頭上で、ソイツが片足を上げた。
ズンッッ!!
犬岡の脳天を思い切り踏みつける。
衝撃が凄まじい。
強靭で大きな体躯が、立華の前でうつ伏せになって路上に叩きつけられた。
アスファルトを割り、犬岡の頭が瓦礫に埋まる。
「テメエは地面とヤッとけっ!」
吐き捨てるように叫んだソイツの前で、立華は驚愕のあまりにアゴが落ちた。
はじめまして。
ジクタケイコといいます。
読んでもらった方、本当にありがとうございます。
”ボクの、ワタシの考えた仮面ライダー”を数年前に思いつき、ダラダラと書き出したものを本webを通して載せた次第なのですが、読まれている方がいらっしゃったようでビックリです。
本話までちょっと時間が掛かってしまいましたが、次はお待たせしませんので、気に掛けてもらえるとありがたいです。




