ep2-4. 異形が貫く
普段なら人でごった返すはずの夜の新宿駅前が、現在は街の照明と爆発した車の炎が揺らめくだけの世界となっている。
その惨状はたった一個体によってもたらされたものだった。
類を見ない被災の中心で、藤兵立華は目の前で”ムカデ”を踏みつけているヒト型の怪物と視線を通わせていた。
「………………っ」
間違いない。海々っ子の店先で自分たちを助け、駅前で”クモ”を相手に戦っていた奴だ。
深い緑の色、全身に走る真紅のライン、そして赤く光り続ける大きな複眼。
人のフォルムをしているが、外骨格に包まれた身体はまさに昆虫のソレだ。
バッタに似た頭部と、左右に裂けたような口腔部から洩れている呼吸が、やけに生々しい。
「……っ、多紀ちゃんはっ!?」
唖然としていた立華が、ハッとしたように和也の安否に気が向いた。
先ほど”ムカデ”が蹴った車に、彼女とSATの隊員たちが下敷きにされたのだ。
「アッチは大丈夫だ」
バッタ人間が、和也が車に潰された場所を顎で示した。
見ると、犬岡に蹴りつけられた車を押し退け、バッタとバイクが掛け合わさったような生き物が車体の陰から出てくるところだった。
立華はソレも北千住で見ている。
その後ろで、和也とSAT隊員たちが並んでへたり込んでいた。
「あ……、う」
「小さい女か」
喉が詰まったような声を出した和也に、風号がクラクションホーンから言葉を鳴らした。
「あそこの女と合流してココから離れろ。すぐにだ」
「……っ!?」
いきなり話し掛けて来た生物に、和也は目をシロクロさせて固まっている。
「……よかった」
和也たちの無事が確認できたことに、立華は膝の力が思わず抜けた。
その肩をバッタ人間が支え、グイッと引き上げる。
「あ、ありが、と?」
どんなやり取りをするべきなのか、自分の脚で立った立華が、戸惑いながら礼を言う。
「えと、なあ、……アンタ?」
バッタ人間もどこか困っているようだ。
「ここからすぐ逃げろよ。……わかるよな?」
ぎこちなく、落ち着きのない手振りで、ぶっきらぼうに言ってくる。
初対面のはずなのに、その仕草には妙に見覚えがあった。
「……………………」
「があっ!」
突然、”ムカデ”=犬岡がアスファルトに埋まっていた頭を上げた。
立ち上がった犬岡へ、横っ飛びに跳ねたバッタ人間が後ろ蹴りを叩き込む。
人外のスピードに、体重が乗った一撃だ。
200kg以上はある犬岡の巨体が軽く吹っ飛び、中央分離帯の鉄柵にメリ込んだ。
『響一っ!』
エンジンを吹かし、走り寄ってきた風号に、バッタ人間=響一が飛び乗った。
同時に犬岡の頭を右手で掴み、顔面を分離帯沿いの鉄柵に押し付けると、破壊しながら引きずっていく。
「あがががががっ!」
鉄製の柵が音を上げ、連続的にひしゃげていく。
「このまま人のいないトコに外れるぞ!」
『よし』
車体を急転回させ、歌舞伎町一番街の通りへと入っていく。
遠ざかっていく響一たちを、立華は立ち尽くして見送った。
「立華さんっ!」
和也がSATの隊員を伴って走り寄ってくる。
顔は薄汚れ、シャツは血塗れだ。
その和也に向かって、立華は頭を下げた。
「ゴメンなさい、借りてました」
そう言い、勝手に借りていたP226を差し出した。
「言いたいことは、……山ほどあるのですが――」
溜まりかねたように言った彼女の顔が、ふいにクシャッと崩れた。
「無事で、ホントによかったですっ。立華さんっ」
「……そうね。お互いにね。ホント、よかった」
-------------------------------------------
「……っ、クソがあっ」
犬岡は単純に怒りを覚えた。
いいように攻撃され、今は顔面を掴まれてバイクで引きずられている現状に我慢がならない。
装甲が赤熱化し、犬岡の全身が急激に熱を帯びた。
「熱ぃッ!?」
響一が思わず声を上げた。
掌と一体化したグローブ越しに、強烈な熱さを感じる。
「何だコイツっ!?」
『放るぞっ!』
犬岡の身体に、風号がワイヤーの触手を巻き付けて急ブレーキを掛けた。
反動を利用し、犬岡の巨体を路上へ叩きつける。
体勢をなおした犬岡が、すぐに起き上がった。
結構な衝撃のはずが、まったくダメージになっていない。
「ッッつうっ」
響一が呻いた。
先まで犬岡を掴んでいた手の平が炭化し、ボロボロになっている。
熱いと感じて離すよりも早く焦げていた。
それは風号の触手も同様だった。
『大丈夫か!?』
「……っ痛くて握れねえ」
『直に再生する』
犬岡は頚椎をゴシゴシと擦り、響一たちを観察するように眺めていた。
「すっかり忘れてたぜ。必ず来るとは聞いてたけどよ。……オメエらだな?北千住のバッタと下僕ってのは?」
「聞いていた?誰からだ?」
風号がクラクションホーンを使って犬岡に尋ねた。
「はっは!本当に喋るんだな、バッタのクセして。面白えな」
「答えろ。俺たちの話は仲間から聞いたのか?”クモ”、”コウモリ”の他に何がいる?」
「んなモンどうでもいいだろ。遊び相手になってくれるんだよな?ん?……いや、待てよ?……あー、そうだなあ」
「…………?」
「よーし。なあオマエら、オレと取り引きしねえか?」
意外なことを言ってきた。
「……取り引き?」
「何となくわかる。オマエの目的って、オレや他の奴らを殺すことなんだよな?ここでいったんオレをスルーするなら、残りの奴らの情報、全部話してもイイぜ?」
「どういうことだ?」
風号の問いに、犬岡は心底不快な顔を浮かべて見せた。
「全員、マジで気に入らねんだよ。どいつもこいつも腹に何か抱えててな。正直、オレもアイツらブッ殺してえんだ。いいか?アンタらがオレの情報で奴らを攻める。オレはそのお膳立てができる。WinWinじゃねえか。オレを殺すのは、最後に考えてくれりゃイイ」
「………………」
風号たちの対話をよそに、響一は炭化した手を抑えながら、辺りを見回した。
シネシティ広場――。犬岡が進撃を開始した場所だ。
それは虐殺の跡だった。
一般民、警察官、新宿を根城にしている人間たち――。
それらの死体が、通りの方々に転がっている。
家を飛び出してきたのだろうか、まだ10代も半ば頃の男女もいた。
全身が穴だらけにされ、その部分が焦げている。
二人で逃げようとしたのだろう。手だけは最後まで離していなかった。
「……オイ」
惨状の光景から目を離さぬまま、響一が犬岡に話し掛けた。
「んだよ下僕?」
「”クモ”もそうだったが、オマエ……、本当にここまでする必要があったのかよ?」
少し俯いたまま、響一は低く呟いた。
「こんなことになると知ってたら、……もっと早く来れた」
「オマエ、”コッチ側”ならわかんだろ?アイツらコヤシだぞ?オレが気分よく生きてくための畑づくりの……」
当然のように出た言葉の意図を、響一はまだ汲むことができない。
「畑づくり?……ナンだそりゃ?」
「国が槍を持ち出そうが、鉄砲ブッ放そうが、オレには敵わないってことを教え込むワケさ。今日のこれは、そのための云わばプレゼン大会なんだよ。だったら派手な方がイイに決まってんだろ?」
「俺らに目的がどうのってオマエ訊いてたけど、……オマエの望みって何なんだよ?」
「ああ?だから言ってんじゃねえか。オレは、ただ気持ちよくヤッていきてえだけ……」
響一が動いた。
犬岡に強烈な跳び蹴りを食らわせ、ガツンッという音が大きく響く。
だが犬岡は後ろに数歩仰け反っただけだった。
『響一!』
「日和るなよ?オレはコイツを許せねえ」
『全部ヤツの都合に関わる話だ。聞く理由はゼロだ』
言い放った風号も動き、犬岡の後方に回り込む。
「キレんなよ?甘ぇなあ」
「交渉は決裂だバカ野郎っ!」
響一の言葉に、犬岡が強烈な笑みを投げた。
突っ込んでくる響一に合わせ、腕を振り上げる。
「はっはっ、オマエら扱いやすそうだったんだけどなあっ!」
「うるせええっ!」
振り降ろされた腕を避け、響一が連撃を放った。
打つ、蹴る、跳ぶ、蹴る――。
先まで体重ごと吹っ飛ばせていた攻撃が、今は不思議と受け切られている。
『打点をズラされている。芯に当てろ』
「わかってるよ!」
……コイツ、変に受けが上手くなりやがった
やはり格闘の経験があるからだろうか。
なら、それ以上の力でネジ込むのはどうか?
響一が跳ねた。
建物に囲まれたシネシティ広場の利を活かし、壁から壁へと跳ぶ。
「おおおっ」
壁で脚に力を溜める。
外骨格の身体機能をフルに使った攻撃だ。
「来るとわかってりゃ、どうってことねえや」
動きを読んでいた犬岡がガードを固めた。
目の前で壁が爆ぜ、一瞬で接近した響一の蹴りを正面から受け止める。
ミサイルのような蹴りを受けた反動で、足元にあるブロック床が沈み、周囲が波打つ。
弾かれた響一へ、犬岡がすぐさま踏み込んだ。
「!!」
掴んでくる両腕を咄嗟に空中で蹴る。
「こいつ、さっきから全然堪えてないぞ!?」
『装甲の耐衝撃・耐熱性が高すぎる』
「”赤い力”は!?」
『おそらく削り切れん。だが考えがある』
「どうすんだよ!?」
なおも伸びてきた犬岡の手を、響一は跳んでかわした。
『今の状況を維持しろ。とにかく、絶対に捕ま……』
風号は言葉を切った。
犬岡の尾てい骨から伸びているムカデそのものの形を持った尾――。その先端が空中の響一に向けられている。
『響一っ!』
風号の伸ばしたワイヤーが、宙にいる響一に掛かり、横方向へと引っ張った。
尾の先から、粘度を持った液体が噴出され、発火しながら響一を襲う。
直射は受けなかったが、完全に避け切ることはできなかった。
「があっっ!!?」
着地した響一は、思わず尻餅をついた。
炎が右肩の部分から上がっている。
片方の手で叩いて消そうとするが、粘液自体が高温で燃えるため、片方の手からも火が噴き出す。
強酸の粘液が装甲を浸食して溶かし、燃えながら響一の肉と骨に届いた。
「ぐっ……んんんんんんっ!!」
度し難い痛みと熱さが、響一を襲った。
「邪魔だっ!」
犬岡が風号の車体を蹴り飛ばし、響一に迫った。
立ち上がり、跳ぼうとするが響一は間に合わない。
燃える右腕を、犬岡に掴まれてしまった。
「やっと摑まえたぞ、テメエおらぁッ」
犬岡が呪いを込めるような声で響一を罵った。
燃える腕を握ったまま、犬岡は響一の身体を滅茶苦茶に振り回す。
ヌイグルミで遊ぶ子どものように、ブロックの床へ何度も響一の身体を叩きつけた。
振り下ろされる度、右肩からゴリゴリと嫌な感触だけが伝わってくる。
ブチンっ、と何かが千切れるような音が響き、響一の身体だけが吹き飛んだ。
壁に当たり、下に落ちる。
「……はっ」
響一が頭を振りながら起き上がった。
未だ生きていることが信じられない。
立ち上がろうとするが、ふと重心がおかしいことに気づいた。
「落とし物だぞ!」
犬岡が投げて寄こしたものが、響一の顔に直撃した。
のけぞった響一の前で、ドサリ、と重たい物が落ちる。
外骨格に包まれた右腕がそこに転がっている。
「……あ?」
自分でも拍子抜けするほどの声が出た。
ハッとして肩を見る。
「んんっ!?」
ようやく自分の右腕が千切れていたことを理解した。
断面の部分は今も煙を上げているが、出血と痛みがない。
風号が感覚と血流を遮断しているのだろう。
ただ、違和感が過ぎるあまり、胃の中の物が込み上げてくるような感覚がある。
『響一、気を持て!前だ!』
「っ!?」
犬岡が迫ってきた。
身構えようとして失った右腕を動かした気になるが、結局ノーガードの状態となっている響一の胴体に、犬岡の拳がフルスイングで飛んできた。
「がっ!?」
衝撃が過大すぎた。
纏っている外骨格でも吸収しきれず、アバラが破砕した感覚が身体を駆ける。
次の瞬間、響一は錐揉みに回転しながら吹っ飛んだ。
歌舞伎町タワーに激突し、巨大ディスプレイを破壊し、落下していく。
「はっはっ」
追撃を加えようと、犬岡は響一の落ちた方向に向かった。
倒れているところを捕まえ、力任せに五体を引き千切ってやるつもりだった。
止められる者はいない。
こちらと同じステージに立っている相手を、自分は圧倒しているのだ。
最強だろオレ?
犬岡は思った。
行きつくところまでヤッてヤッてヤリまくる。
オレは好きにやる。
万能感に満ちる犬岡の視界の隅に、風号が現れた。
薄い霧のようなものを纏い、細かい粒子がキラキラと光りながら舞っている。
犬岡の猛進を妨げようと、エンジン部からワイヤーを伸ばして阻もうとする。
「テメエの方が歯ごたえあるか?」
風号の瞳に向かって、犬岡がギラギラした視線を向けた。
伸ばしてきたワイヤーを手で掴み、手繰り寄せようとする。
『!!』
力が掛かったワイヤーを、風号は切り離した。
意図を外された犬岡が、尾を向ける。
燃える粘液を噴射し、タイヤを旋回させて避ける風号を追いかけた。
宙に跳び、ビルの壁を走りながら、風号は炎の射線の回避に集中している。
炎の放射が止み、広場の中央に着地した風号に犬岡が迫っていった。
「逃げんなテメエッ!」
犬岡の全身が赤熱化した。
外殻が赤黒く染まり、亀裂の奥から溶鉱炉のような光が漏れ始めた。
瞬間、周囲のアスファルトから陽炎が立ち昇る。
熱風が道路標識を揺らし、ガラスが軋んだ。
ここだ……
風号は予め圧縮していた自身の半径2mの大気を一気に解放した。
爆風が上がり、砂塵が舞う。
大気が動き、吹き付けられた熱風が、よそへ流れた。
熱を受けた風号の周囲にある空気が、蜃気楼のように歪んだ。
そして風号の前面を白い霧が一瞬だけ覆い、すぐに消える。
広場の砂埃や灰がリング状に舞い上がり、外側では広場のブロック床がチリチリと焦げ始めていた。
対照的に、風号の足元だけ白い霜がまだらに浮かんでいる。
『よし』
風号は確信の声を呟いた。
火炎放射は数秒。
赤熱も持続しない。
限界は、ある。
「なんだ、そりゃ?」
犬岡が呟いた。
普通なら獲物は焼ける。
ところが、風号に面した空間のみ、熱気が抜け落ちている?
――何をしやがった?
思考する隙を突いて、風号が動いた。
エンジンを吹かして犬岡の脇を抜けると、響一が落ちた場所まで移動し、別の触手を伸ばして彼の身体を確保する。
「……!?どこ行きやがるんだぁっオメエらっ!!」
激高する犬岡を無視し、風号は力の抜けた響一を抱えて、その場から逃げていた。
-------------------------------------------
『戻ってこい、響一』
風号の声が耳骨を震わせてくる。
この声だ。
太く、芯のある声。
耳に響く風号の声は、彼のそれとどこか似ていた。
自身の恩人――。
両親を同時に亡くした響一を引き取り、生活を共にしてきた赤の他人だ。
その説教に文句を返してみても、最後には彼の言う通りに動いてしまう。
結局はそうするのが一番誠実で、まともな事だと納得することになるからだ。
疲れたわ……
そう思うが、彼なら背中を大きな拳でトンと押して、こう言うのだろう。
やれる。もうひと踏ん張りだ。
……わかったよ
響一は彼から教わったように下丹田へ意識を沈め、そこへ静かに力を込めた。
水底から浮かび上がるように、暗闇へ光が差した。
-------------------------------------------
『起きたか、響一』
風号はバッタの形態を取り、真正面から響一を見つめていた。
コイツの人を見る瞳は、いつも淀みがない。
そういうところも彼と似ていた。
「……、どこだよここは?」
『歌舞伎町タワーのヘリポートだ。奴からいったん逃げた』
そう返した風号は、ワイヤーの触手を響一の肩に伸ばしている。
そこには先ほど千切られた響一の腕が添えられていた。
犬岡との攻防の最中、抜け目なく回収していたらしい。
ジクジクと音を立てながら肉が泡立ち、完全に分離していた腕が、自分の意思を持つように肩口へ吸い寄せられていく。
「有り得ねえ、ウソだろ……?くっつくのかよ?!」
『ああ』
当然のように風号が返した。
確かに犬岡に殴られて壊されたはずの胸骨も、今は何ともない。
いよいよ人間離れしてきた。
『感傷に浸る時間はない。奴は激高して避難場所となっている新宿御苑を目指しはじめた。あと少しで接触することになる。奴は、そこで破壊活動を再開するはずだ』
「いや……、放置すんなよ!」
『だから時間がない。手短に説明する。奴の装甲を攻略する方法が見えた』
風号の隻眼が静かに向いた。
「……どうやって?」
『それは俺が受け持つ。ただ条件として、奴が全身から発する高熱の放射、アレを使わせる必要がある。そのために、"赤い力"を使う』
彼の説明に、響一はまだ朦朧とした記憶を手繰った。
「それでも削り切れないんじゃなかったか?あの熱はどうすんだよ?」
『とにかくオマエは、俺の至近距離から奴を攻撃し、ストレスを与え続ければいい。合図をしたら、いったん手を止めろ。奴に隙が出来たら畳み掛け、最後に|あ・》れをやる』
「やっぱやるのか?あれ」
響一は、覚悟とも諦めともつかない調子で確認した。
『それしかない』
風号の回答はシンプルだった。
-------------------------------------------
犬岡はイラついていた。
あの2匹には勝てるとしても、この身体で追跡は難しい。
力はこちらが勝るが、向こうは速い。
この異形の身体に備わるポテンシャルの方向性が、全く違うのだ。
「クソがっ!」
変態して肥大化した身体を持て余すように動かし、302号線に出る。
自ら破壊し、潰した建物や人間の死骸、焼け跡が、街の光景としてこびり付いている。
すでに路上に誰もいなかったが、感覚は遠くにいる多くの人間たちを捉えていた。
恐怖に塗れた息遣い、嘆き声、汗の匂いが1kmほど先で膨大に折り重なっている。
新宿御苑か?
犬岡は口元を吊り上げた。
とにかくこの溜飲を下げたかった。
佐久間の話によれば、彼らは一般人たちに危害が及ばない立ち回りをしていたらしい。
特に下僕の方は、自分が潰した人間たちにもはっきりと憤っていた。
じゃあ答えは簡単だ。捕まえられないなら奴らを引っ張り出す。
犬岡は走り出した。
響一や風号ほどではないが、その巨躯で自動車並みの速度が出ている。
人間たちの匂いが濃くなってきた。
新宿五丁目の信号を曲がり、305号線に入ると待機中の大型輸送車が目に留まった。
こちらに犬岡が来ることを予測してなのか、路上に緊急のバリケードを設置している。
だからどうした?
「未確認生命接近!?」
見張りの隊員が叫んだ。
ほかの機動隊員も動き出し、銃器を構えて隊列を作り出す。
吹けば飛んでいってしまいそうだ。
向こうに見える鬱蒼とした木々を越えた場所に、新宿御苑の敷地が広がっているはずだ。
ちょうどいい。
あの輸送車を御苑の中へブン投げてゲーム再開……、
「!?」
犬岡に突然何かが降ってきた。
それなりの重さが、頭と肩に掛かるがビクともしない。
やっぱ来やがった。
そう思いながら圧し掛かったものを振り払うと、それが跳んで避け、犬岡の前に降り立った。
風号、それと彼に跨った響一だった。
「毎度踏んできやがって。リベンジか?バッタと下僕」
「作戦会議してたんだよ。勝手に消えてんじゃねえ」
押し殺すような声で響一が言う。
「ははっ!……声、震えてんぞ?」
揶揄するように言った犬岡を前に、確かに響一は震えていた。
恐怖だけではない。
朝からの疲労、戦いでのダメージの蓄積が、鉛のように全身に纏わりついている。
風号の奴、疲れは溜まらんとか……、ウソばっかコキやがって。
「頭湧いてるオマエと一緒にすんなよ。フツーに考えろ?怖えよ」
「じゃあ逃げとけよ?死にたくねえんだろ?」
煽るように言ってから、犬岡は御苑の方を眺めた。
「わかるか?この向こうに新宿中の人間たちが集まってる。オレに怯えて逃げた連中だ。――決めたよ。オマエらが見てる前で奴ら全員、しらみつぶしに追い込み、殺していく。オマエらにオレの身体は壊せねえ。いくら邪魔しようが小突いてこようが、全部無視して、ひたすら楽しんでやる」
面白おかしく語る犬岡の宣言に、響一と風号は黙っている。
「クズだよなーオレ。でも許される。強すぎるから。この場で一番罪深いのはオマエらなんだよ。オレを気持ちよくせず、逃げたオマエらが悪い。手も足も出ねえまま、オレがすること泣いて見てりゃいんだよ」
「…………終わった?」
「ああッ?」
伺うように訊いた響一に、犬岡の目つきが刺すようになった。
その威圧に対し、響一は腹に力を入れてヤケクソ気味に声を出した。
「オレからも言ってやるよ。怖くてもな、やれる奴がオレらしかいないんだったら、やるしかねんだよっ!」
「じゃあ燃えとけ!」
犬岡が吼えた。
尾がうねり、いきなり炎の粘液を放出した。
それを響一と風号が、二手に分かれて避ける。
「やれっ風号っ!」
叫んだ響一の首元から、真紅の光が放出された。
マフラーのようにうねり、響一の周りの空気が立ち舞く。
”赤い力”――。
握り込んだ拳の先端に光が収束し、高密度の力が出来上がった。
「だったらテメエは削れてろッ!!」
響一が高速で犬岡に接近し、分厚い装甲に拳を打ち込む。
先と同じように、犬岡はわずかに身体を揺らして打点をズラしたが、”赤い力”のインパクトが犬岡の巨体を退かせる。
「おおっ!?」
拳の先端に宿った赤い光が、犬岡の装甲へ貼り付いた。
次の瞬間、その一点から光が傘のように開き、渦が生まれる。
周囲の空気が一点へ吸い込まれ、厚い装甲が悲鳴を上げるように軋んだ。
「んっ、がああっ!?」
強烈な衝撃が、ようやく痛覚を刺激したらしい。
犬岡が膝をつき、初めて呻いた声を上げた。
臓腑を直接殴り付けられたような衝撃だ。
犬岡の口から涎が垂れた。
「んんんっ、テメェっっ」
響一を睨みつけた。
先までの煽り半分な視線ではない。
純粋な憎悪と戸惑いが視線に滲んでいる。
『効いてるみたいだぞ』
風号が言った。
「押し切れそうか?」
『それはできない。だが畳みかけろ!』
応えるように響一は両腕を大きく払い、空気を唸らせた。
そう、空気だ。
空気を集め、密度を高めるごとに、威力はより強く作用することを理解した。
――残り、58秒。
「機動隊!および公共職員の面々に告げる!」
響一の横で風号がとんでもない轟音を鳴らした。
離れた場所で、成り行きを呆然と見守っていた機動隊員たちがビクリと反応する。
「これから一帯は更に制御不能な危険地帯になる!すぐに避難民を誘導、新宿御苑の南東部から国立競技場まで動かせ!コイツはっ、俺たちが抑えるッ!」
-------------------------------------------
風号の呼びかけは御苑の敷地内にも届いていた。
一帯が危険地帯となる。
その情報だけが耳に残った避難民たちは混乱した。
「はっ、早く逃げ……」
イカついスーツに身を包んだ男が、怯えたように人を押し退けた。
周りもつられて動き出す。
生じた小波が大きくなり、周囲を顧みない個々の動きが惨事を招く兆しだった。
「どけってんだよ!」
怒号が飛び交い出したとき、
パパパンッ
誰かが空に向けて銃を撃った。
その場に伏せた避難民たちの中心に、血でワイシャツを染めた小柄な女性が銃を持って立っている。
――和也多紀だった。
「落ち着いてっ!もうすぐ誘導班が来ます!指示に従って動いて!」
150cmに満たない身体から、驚くほどの大きな声が上がった。
「んだこのガキッ、バケモンが来るってのに悠長にしてられるかっ」
詰め寄ろうとしたスーツの男に、和也が淀みなく銃口を向けた。
覚悟の据わった眼差しに、男と周囲が完全に気圧される。
「オイ、マジかよ!?」
「私は公安の人間です。避難災害を抑止する義務があります。必要あれば、撃つことも辞しません!」
「アンタら!さっき響いた大声聞いてた?」
和也の隣にいた立華が、間に入るように前に出てきた。
「そのバケモン止めてくれてる奴がいるんだよ。アタシはソイツらを見た。正体はわかんないけど、アイツら、必死にアタシたちを守ろうとしてる。アタシらにできることは、落ち着いてココから逃げることだよ?」
立華の言葉に人々の怯えが完全に消えることはなかったが、それでも押し合っていた流れは静まったようだ。
「……わかったよ」
圧し黙った男に、立華と和也は安堵したように息を吐き、背を向けてその場をあとにした。
「多紀チャン、やるね」
「……私、信じられないことをしてます」
震える声で和也が言った。
歩きながら、二人は人の流れに逆らって進んでいる。
そばから、誘導班が拡声器を持って周囲を整理し始めた。
「ねえアタシら、どこに向かってるの?」
それとなく立華が和也に尋ねる。
「他の職員たちは離脱しました。重傷者や死者も出ています。残った人間として、私も覚悟を決めました」
「覚悟?」
「彼らの戦いを見届けなくてはいけません。公僕として」
和也の視線は、木々の向こうで上がった赤い光を捉えている。
同じ方向を見た立華の表情が、スイッチを切り替えたように冷えたものになった。
「最後まで付き合う。アンタは前だけ見て」
「……お願いします」
和也が言った。
-------------------------------------------
「があっっ!!」
犬岡と響一の拳がぶつかりあった。
間で響一の”赤い力”が炸裂し、遅れて空気が犬岡の拳を削岩機のように連打して押し返す。
仰け反った犬岡の背後まで、赤いマフラーを纏った響一がスライディング気味に回り込んだ。
右腕を真っ直ぐ伸ばし、手先までピンと張り詰めている。
強く、薄く、鋭く――。
手の先で刃となった”赤い力”が奔り、犬岡の周囲を薄いベールのような光が舞って咲いた。
狙いは装甲が薄い関節部だ。
尾の接合部、膝の裏、肘、肩の付け根。
定めたラインを正確に刃が滑り、筋を切り裂く。
「ぐっあっ!?」
犬岡が膝を付いた。
だが怪物の再生能力が発揮され、すぐに復活してしまう。
『残り30秒だ!』
風号が叫んだ。
立ち上がりかけた犬岡の身体を響一が高速で周回し、突きと蹴りの連打を浴びせた。
”赤い力”で形成されたエネルギーのコアが、叩いた分だけ犬岡の身体に形成される。
乱気流が発生し、犬岡の全身があらゆる方向から削れた。
散々煽り倒した格下がマウントから連打を浴びせ、自分を奪いに来ている。
ガードした腕の間から見える、対戦相手の無表情な顔と息遣い。
コチラを抑えつけ、良い様に拳をハンマーのように振るってくる。
かつての地下リングで味わった負け試合の記憶だ。
響一による圧倒的なラッシュに、犬岡は手も足も出ない。
致命傷には程遠い。それでも犬岡の眉間が歪んだ。
ふざけやがって
犬岡の意識が、あのときの純粋な憎悪に染まる。
もういい。
しつこく纏わりつき、調子に乗るコイツらにカマしてやる。
自分が思い切り放てる最大限の熱を浴びせる。
後ろのバッタごと一帯を燃やし、グッチャグチャに引き裂いて終いだ。
そのときはゲタゲタ爆笑してやる。
犬岡の下腹から熱が噴き上がった。
その種火が燃え広がるように、エネルギーが全身に満ちる。
『来るぞ!』
風号が言葉を放った。
同じタイミングで、響一の首回りを覆っていた”赤い力”のマフラーが突如萎んだ。
犬岡の至近距離にいた響一が飛び退き、風号の横に着く。
風号たちの前で、犬岡の身体が真紅に染まった。
外殻の亀裂という亀裂から白熱した光が漏れ、周囲の空気が陽炎となって揺らぐ。
次の瞬間――。
ドォォォォッ!!
犬岡の尾から炎が噴き、全身からも熱波が爆発した。
「風号ッ!」
『応ッ!』
反射的に身構えた響一の隣で、風号が前へ一歩出た。
瞬間――、風号たちの周囲の空気がおかしくなった。
音が吸われ、熱で揺れた空気が、突然動きを止める。
仮面の内側で、響一は目を見開いた。
怪物ゆえの超感覚が、状況を具に捉えているのだ。
空間の中で、無数の水滴が一瞬弾け、白くなっていく。
流れ込んできた熱風が悲鳴を上げるように歪み、風号の前方に白い円環が浮かんだ。
それは真っ白な霧の塊だ。
『解放ッ!』
風号の掛け声と共に、ボフンッと拍子抜けた音が上がり、白い霧が犬岡の全身へ吸い付いた。
犬岡の赤熱した装甲から、一斉に白煙が噴き上がる。
……寒っ?
透明になった空気の中で、犬岡の赤黒かった外殻は、一瞬で鈍い灰色へと変わっていた。
ピシピシと乾いた音が立ち、小さな亀裂が装甲の表面を走っている。
『蹴れっ!』
風号の掛け声を待たず、響一は犬岡へ一直線に跳んだ。
放たれた蹴りを受け、亀裂が更に大きくなった。
まだ完全には壊れない。つくづく頑丈過ぎた。
「ああああああっ!?」
犬岡は呻いた。
ワケがわからない。冷たい感覚を覚えた途端、何も寄せ付けなかった装甲がボロボロになっている。
丸裸、無防備――。
その感覚が、犬岡の忘れていた感情を掴んで引き出そうとする。
尻の穴がせり上がり、喉の奥から吐き出されるような意味不明の実感。
恐怖だ。
「ぉおおおおっ?!」
犬岡は思わず背を向けた。
混濁した意識が、犬岡の本能を逃走に傾けたのだ。
『響一っ』
”赤い力”を使い切った影響か、響一は膝をついていた。
凄まじい疲労感が彼を停止させている。
風号も動けなかった。
自身の大気を制御する能力をフル活用した結果、一時的な思考停止に陥ったらしい。
ほんの数秒、だが響一たちから犬岡の姿がどんどん離れていこうとしていた。
「どこ行こうってんだよ?」
走り出した犬岡の耳に、女の声がくすぐるように届いてきた。
藤兵立華だった。
先まで欲望の対象として捉えていたオンナが、犬岡に先回りするように迫っている。
立華の猛禽類のような顔つきにも、犬岡は直感的に恐怖していた。
「うっ、うわあっ!?」
仰天した声を上げ、彼女を払い除けようと腕を振る。
瞬間、立華の思考が加速した。
バケモノの装甲、機能停止を目視。精神は明らかな混乱状態。コチラへの攻撃呼び込みは成功。掌握完了。腕力は破格、受ければ必死だが、力の流れを引き込み、必殺の方向へと振り込む。てか、テメエッ!さっきはよくも有り得んセクハラ発言垂れ流してきやがって!逃げ出したテメエの行き先は、明日という未来じゃねえっ!この地ベタだっ、バカ野郎っ!
払ってきた犬岡の指を、立華が取る。
腰を落とし、コマのようにキュルッと回った。
「殺壊っ・超速小手落としッ!!」
即興で思いついた言葉が、咄嗟に喉から滑り出る。
ガヅっ!!
重くて速い激突音を上げ、犬岡の頭は体重と走る速度を乗せたまま、アスファルトへと一直線に急降下した。
犬岡の頭部が強烈に地面に叩きつけられ、アスファルトを割って突き立つ。
衝撃が下から上へ突き抜け、装甲に入ったヒビが更に深くなった。
「……スゴい」
木々の間から、離れて見ていた和也が思わず声を上げた。
「ざまあみやがれっ!」
爽快に叫んだ立華の腰回りに、風号のワイヤーが巻きついてきた。
ヒョイ、と彼女の身体が浮き上がり、和也のいる場所へと走って運ばれる。
「……っ!?」
「足止めは助かった」
間際にそう言って彼女を放った。
傍らの植え込みをクッション代わりに、立華の身体が枝の間に沈む。
「風号っ!」
響一が叫んだ。
入れ違いに、犬岡の方へと走っていく。
「畳み掛ける!”赤い力”だ!一撃でいいっ!」
『響一、これ以上は……』
「絞り出せバカ野郎っ!」
『……残り4秒だ』
”赤い力”が解放され、響一から再び真紅のマフラーが迸った。
瞬間、響一の視界が真っ赤になる。
アラート状態という奴なのか。
自分ではない、なにかの恐ろしい衝動が首筋に張り付いてきた。
こなクソっ!!
とにかく歯を軋らせ、響一は犬岡まで一足で跳んだ。
右手に力を込め、指先を鋭く伸ばす。
空手でいう”貫き手”の形だ。
前腕部から手先まで、”赤い力”の光が纏わり、ドリルのような形状となっている。
「ええりゃああああっ!!」
犬岡がアスファルトから頭を引き抜いた、その瞬間だった。
彼の脇腹に向かって、響一が貫き手を渾身の力で突き出す。
接触と同時、回転が更に加速し、悲鳴のような擦過音が響いた。
ヒビ割れた犬岡の装甲を削って割り、深く潜り込んでいく。
彼の巨躯に肘まで腕を突っ込み、貫き手に纏わせた”赤い力”へ更にイメージを込める。
「おおおおおぐうっ!」
犬岡が地獄のような呻き声を上げた。
苦悶の顔で響一の身体を払い除ける。
「……っく」
腕が抜けた拍子に、ヘロヘロと後ろに腰を落とした響一の前で、犬岡は身体を丸めている。
「んんんいぃいいッ!?」
この耐え難い異物感はなんだ?
腹の中で、凶暴なものがギュルギュル暴れている。
のたうち回るほどの痛みが、ピークに達したとき、
ぼんっ
犬岡の腹の中が爆発し、内側から膨れて破裂した。
張り付いた装甲が弾け飛び、紫色の筋組織と腹の中が露わになる。
「……やった!」
木々の間から成り行きを見守っていた立華と和也が、思わず声を上げた。
「ああ……あああ」
犬岡の黒い表情が虚ろになっている。
穴が空き、グチャグチャになった組織を修復しようと、身体の全機能が集中しているようだった。
飛び散ったものが、そこに収束していく。
”クモ”の時もそうだったが、やはり凄まじい光景だ。
『響一!』
放心したように見ていた響一が、ハッと我に返った。
風号が車体を寄せてくる。
『やるぞ!』
「ぐぅっ」
風号のハンドルに手を掛け、よじ登るように車体にまたがる。
「すぐに走って離れろっ!巻き込まれるぞっ!」
立華たちに向かって言葉を大きく発すると、風号はその場から凄まじい加速を見せて走り出していた。
-------------------------------------------
誰もいない道路を疾走する。
射出の速度、エネルギーの昇華効率を最大限に引き出すにはおよそ1km以上の距離が必要だった。
戦場となっていた新宿御苑前の交差点から手ごろな距離まで、10秒ほどで移動する。
高速移動による風圧が塊のように響一に叩きつけられる中、風景と信号の光が帯となって視界を流れている。
綺麗だな。
響一は柄にもなく思ってしまった。
『響一、着弾の瞬間、俺は衝突領域の隔離に集中する。最後に狙いを定めるのはオマエだ』
「つまり被害を抑えるってことだよなっ?」
響一はもう一度腹に力を入れ、意識を持ち起こした。
すでに大久保通りの辺りまで移動している。
『やるぞ!響一』
車体を横滑りにしながら、風号が速度を落とした。
反転しながらアスファルトを可変した両脚で踏み、空中に向かって目一杯跳ぶ。
高度にしておよそ100m。
眼下に新宿の夜景が広がっている。
最頂点に達した響一と風号が重力に捕らわれる刹那、両者の動きが突然スローモーションになった。
まるで無重力の中にいるようだ。
風号の車体が下方に向かって傾いて行き、響一はバイクシートから腰を浮かし、遊泳するように飛び蹴りの体勢を作る。
周辺の大気が固定化し、圧縮された。
肉体の各部が空気の壁に圧され、撃ち出されるための姿勢制御を促してくる。
薬室に装填された砲弾のように、骨格、筋肉、外殻。全てが一本の弾道へ固定された。
『照準を渡す』
視界が切り替わった。
風号の感覚が響一へ流れ込み、視覚が約1km先にいる犬岡の姿を捉えた。
視線の先の犬岡は、所在無げな様子で辺りを警戒し、ひどく狼狽えている。
響一にとってのその姿は、どこか迷子の子どものように見えてしまった。
でも、終わらせなきゃいけない。
「撃て」
言葉を発した瞬間、響一の姿が緑色に光る帯を引いて消えた。
置き去りにされた衝撃だけが、遅れて夜の新宿を震わせた。
-------------------------------------------
瞼に浮かんでいるのは、ニンゲンとしての人生が終わったあの夜だ。
大島の手下たちに不意打ちでスタンガンと熊除けスプレーを喰らい、前後不覚のまま、どこかの倉庫に連れ出された。
大島を出し抜く形で、奴のカネに手を着けたからだ。
目があまり見えない状態で、四方八方から角材と金属パイプで滅多打ちにされた。
これはオレじゃない。
オレは暴力に選ばれた人間なのだ。決してヤラれる側ではない。
他人と都合よく繋がって生きるようなオマエらとは、生き方の格が違うんだよっ。
全員、ブッ殺してやる!
血まみれで吼えた犬岡の口に、安全靴の爪先が突っ込まれた。
じゃあ、動けない身体にしよっか?
部下の一人の提案で、アキレス腱をニッパーで切られた。
その時点で、格闘家としての選手生命はあっさり断たれた。
大島さんの指示だと殺しはナシだってさ。見せしめに生かしとくんだと。
じゃあ、目鼻潰して舌ベロも抜いとくか?
それなら警察駆け込まれても伝えられんだろ。
うるせえ。
全員ブッ殺す。絶対、テメエらが提案したこと、そのまま真似てヤリかえしてやる。
泣いて喚いて詫びを乞うオマエらを笑ってイヤだ、と言ってやる。
ブッ殺す。ブッ殺す。ブッ殺す。ブッ殺……
暗闇の中、一匹のムカデが這い寄ってきた。
-------------------------------------------
「…………っ!?」
地獄の記憶から覚めた犬岡は、周囲に誰もいないことに気づいた。
奴らは、……どこだ?
朦朧とした意識で、必死に周囲を探ろうとする。
身体は再生を始めているが、装甲は剥がれたままだ。
無人の路上に、自分だけが裸同然の状態でいる。
言い得ない心細さが、犬岡の胸を押し潰しにきた。
「……クソっ、くそぉッ!糞があぁっ!」
紛らわすように悪態をつき、四方八方へ視線を投げる。
恐慌する精神の中、犬岡はふと視界に意外なものを捉えていた。
少し離れたビルの上、そこに複数の人影を見た。
「……あ」
高藤、佐久間、シイヤ、三瓶……。
怪物の同胞たちが、遠くから犬岡に視線を送っている。
……来た。
犬岡は思わず身体を乗り出した。
「おいっ、コッチだ!」
最後の力を絞り、遠くまで響く大声を上げたが、誰一人として動く気配がない。
ただ並んだまま、こちらを眺めているだけだ。
「なんだよ……アイツら、仲間じゃ……」
違う。
最初から違った。
自分だってそうは思っていなかったからだ。
「…………?」
細くて弱くなった自分の息遣いが、急に聞こえなくなった。
耳の奥が詰まったような感覚がある。
道路が灼ける音も、空気の流れも、遮断されたように耳に伝わってこない――。
『真空領域形成、衝突、圧縮大気を一点解放』
風号の唱えたシークエンスが、一瞬で響一の頭の中に跳ねた。
犬岡の胴体を見据え、超高速の世界で響一は足のつま先に力を集中させる。
犬岡の身体に飛び込んだ瞬間、響一の身体を媒介として、現象が起動した。
貫かれた犬岡の全身を、緑色に光る球体が包み込み、激しい速度で膨張と圧縮が繰り返される。
アスファルトにクレーターを作って着地した響一の背後で、明滅を続ける球体が一気に縮んだ。
パチンと弾け、小さな花火のように光を散らして空気に溶ける。
その静寂は一瞬だった。
衝撃と轟音が、遅れて新宿を揺らした。
-------------------------------------------
『起きれるか、響一?』
目を開けると、やはり風号がコチラを覗き込んでいる。
ひどく疲れているが、まだ外骨格の姿は解けていない。
「またオマエのツラなのかよ」
『何を言っている?』
言いながら風号がワイヤーを響一の身体に巻き付けてくる。
そのままゆっくりと持ち上げられた。
「全然動けねえ」
座席に乗せられながら、響一がとても弱い声でボヤいた。
『”赤の力”はオマエの中にある俺の半分から生成される。戦闘で要領を超えた場合、”クモ”の毒素との綱引きに負ける。ギリギリだったぞ』
「……ビール呑みてえ」
「アナタたち!」
立華と一緒に様子を見に戻った和也が、風号たちに向かって大声を上げた。
『小さい女……』
「あ、ちょっと!?」
駆けだした和也を引き留めようと、立華も後を追う。
近づこうとする二人を尻目に、風号がエンジンを吹かした。
「あのっ、話をっ、話をさせてください!」
和也が訴えるように叫ぶが、風号の瞳は冷たい。
「俺たちに触れるな」
落ち着いた声だが、音量は大きい。
言葉は和也にもハッキリ聞こえた。
「……え」
風号は背中に響一を寝かせたまま、走り出してしまった。
305号線を北に向かって高速で遠ざかっていく。
その後ろ姿を、立華は立ち尽くして見つめた。
「去っていったってことは、終わったってことだよね」
「え……あれ?」
スマートフォンを耳に当てた和也が、意外な声を上げた。
「どうしたの?」
「スマホが……、機能していません」
「北千住でもそうだったよ。30分くらいで元に戻ったかな。それにしても……」
そう言って、立華は路上から街を俯瞰して眺めた。
インフラが破壊され、全ての外灯が落ちた夜の闇の中で、炎上している車が灯りとなって、辺りをオレンジに照らしている。
事の現実が、今更覆い被さってきたのか、立華はその場にペタリと座り込んでしまった。
「これ……、想像を超えちゃってるね」
破壊がようやく収まった静寂の場所にて、立華は途方にくれた顔で呟いた。
-------------------------------------------
「はあ、行っちゃったね」
走り去っていく風号たちを眺め、ビルの縁に腰かけているシイヤが、他人事のように言った。
足を組み、リラックスした状態で映画を一本見終わった。
そんな表情だ。
「ねぇ、さっきのアレ、佐久間クンも最初に喰らってたら終わってたんじゃない?持ってるねー」
「…………っ」
歯を噛んだ佐久間とは対照的に、隣にいる高藤はひどく満足げだ。
「犬岡クンには感謝しかない。百点満点の退場だ。国……いや、ヒトに災害以外の天敵がいることを刻み込んだ上、彼らのやり方を最後まで見ることが出来た。不確定だった要素がこれで解消されたことになる。……三瓶クン、どうかな?キミなら、彼らと真正面からヤリあっても勝てるはずだよ?」
「………………」
三瓶は表情を崩さない。
響一たちが去った方向へ、無機質な視線を投げているだけだ。
「三瓶さんが出るまでもない。高藤さん、今ならまだ追えますよ」
響一を見ている佐久間には、明らかな期待と殺意が籠っていた。
目の前ではちょうど風号が響一の元まで戻ってきたところだ。
「バッタも下僕も弱ってる。僕らの計画の障害になるなら、消しに行きましょう。……ボクがやりますよ」
佐久間の顔が変容していく。
片目が膨れ、複眼の形になり始めた刹那、高藤がゆっくり佐久間へ顔を向けた。
「何しようとしてんの?オマエ」
高藤の口調が変わっていた。
メガネの奥で笑っている表情だけはいつものままだ。
しかし、佐久間は口を噤み、強張った顔になっていた。
変容し掛かった身体が、萎むように元に戻っていく。
「……出過ぎました」
「あのバッタの彼はかなり厄介だが、でも、とても面白い。計画のためにも、もっと観察する必要がある。――安心してくれよ佐久間クン、いずれキミの望み通りになる。彼らにはね、ピエロになってもらいたいんだよ。道化さ」
高藤はいつもの含んだ笑みを浮かべた。
消え入っていく風号のエンジン音だけが、夜の街に残っていた。
-------------------------------------------
「結局、擦り傷程度で済んだのはナゴナリ、オマエだけか。……持ってるな」
真夜中の部署オフィスにて、デスクを挟んで海野と和也が向かい合っていた。
その彼女もスリ傷だらけで袖を捲った腕からは丁寧に巻かれた包帯が見えている。
時間はすでに深夜の2時を越えていた。
新宿で立華と別れた後に、情報の聴取とできる限りの調査を行い、何とか霞が関に戻ってきた。
「他の皆さんは?」
部署を見渡した和也が訊いた。海野は珍しく静かな表情だ。
「12名いた調査官の内、6名は重傷、3名は病院で治療中だ」
「残りは?」
「…………………………」
「私を助けて殉職した機動隊員の方もいました。ご遺族の方には、私も同席させてもらえるよう、進言をお願いしたいです」
「……わかった」
「これから報告資料の作成に取り掛かります。ただ、理事官には緊急に動いてもらいたいことがあります」
「なんだ?」
海野の前に、和也は一つの封筒を差し出した。
手にすると、少し重さがある。
「知っての通り、デジタル系機器の映像記録は全滅のようです。報道はもちろん、SNSを通じた一般からの情報発信も、北千住と同様の現象が起こっています。封筒の中は、現像したばかりのアナログ写真です。理事官が支給してくれた使い捨てカメラで撮影しました」
受け取った封筒の中身を、海野がデスクの上に広げた。
ピンはボケているが、そこには確かに炎や光の中で動く異形の姿がある。
「すぐに解析に回してください」
「…………、殉職した奴らが、これで犬死にではなくなる」
厚い唇と大きな腹を震わせ、海野は少し泣いているようだった。
「ナゴナリ。良く、やってくれた」
-------------------------------------------
後に政府が公表した調査結果により、新宿一帯で発生した大規模破壊事件は、犬岡光見による一連の無差別襲撃として正式に認定された。
しかし、事件には説明の付かない現象がいくつも残された。
都内各所でテレビ各局が緊急速報へ切り替わった直後から、新宿御苑近くの交差点で発生した正体不明の衝撃までのおよそ三十分間、現場周辺ではあらゆる映像・通信記録に異常が発生していたのである。
スマートフォンによる撮影はすべて失敗し、動画配信やSNSへの投稿は送信途中で停止した。監視カメラやドライブレコーダー、報道各社の中継映像に至るまで断続的なノイズが発生し、その時間帯を鮮明に記録した映像は一件も確認されなかった。
北千住での出来事と同様の事が起こったのだ。
事件による人的被害は甚大で、一般市民に加え、警察、消防、自衛隊を含む多数の公的機関職員が犠牲となった。その被害規模は、戦後最悪級の都市災害として記録されることとなる。
これを受け政府は、警察庁、防衛省、公安調査庁、内閣サイバーセキュリティセンターなど関係機関による合同対策委員会を設置し、人智を超えた脅威への対応を見据えた新たな危機管理体制の構築へ着手した。
-------------------------------------------
『響一、さすがに世間がザワついてきた』
玄関に向かう間際、庭にいる風号が声を掛けてきた。
今日は休日である。
晩になれば、いつもの店で飲み食いするのが響一の日常だった。
「そりゃ、そうだろ。あんだけのことがあったんだし」
靴を履きながら響一が言う。
『情報はかなり錯綜している。国の出方もまだ読めん。ただ、現時点でコチラの特定まではされていない。……1人、しつこいのがいるがな』
「あの、ナゴナリって公安の……」
『彼女は現場にいたしな。いろいろと掴んでいるものがあるだろう。だが、実質的な動きはまだなさそうだ。オレが言ったのは一般の中学生だ。梅島の辺りにいるが、学校には通ってないらしい。よくある推測のバラまきだが、妙に的確なのが気になる』
「なんだそりゃ?」
『あと、同じ梅島で妙な事象も発生している。ここ数日でノミの大量発生が確認されたが、どうにも奇妙だ』
「……調べに行くべきか?」
『明日で構わない』
「そうかよ」
風号の言葉に、響一は少しだけホッとしたように息を吐いた。
覚悟を決めたわけではないが、あの新宿で見た惨状を再現させるわけにはいかなかった。
「とにかく今日は、久しぶりに一日中寝れたわ。海々っ子で飲み食いしてくるよ」
-------------------------------------------
「いらっしゃい!……あらまあ」
明るい声でカウンターから出迎えたエプロン姿の立華が意外な顔を浮かべた。
海々っ子の引き戸が開き、小柄な女性が入ってきたのだ。
「こんばんわ」
「おっ、いつかの中学生か?」
「カズヤ調査官っ!?」
なんて失礼な男たちなのだろう。
無遠慮に放った田門の横で、私服姿のブラック巡査が彼女の名を間違って呼んだ。
「……なごなりです」
声が少し震えている。
カウンターにはいつものメンツが並んで座っていた。
「こ、こんばんわ」
隣に座った和也に、西上が少し緊張しながら挨拶してきた。
実際、犬岡による北千住襲撃の折に顔を合わせているが、そういえば一言も交わしていない。
改めて対面すると、老人ではなさそうな西上の風体に、和也が不思議な気持ちで会釈した。
顔を上げた瞬間、その奥で隠れるようにして呑んでいる響一と目が合う。
「……っ!!」
響一は、口に含んだ水割りをグビリと流して目を逸らした。
実際に聴取を行った人間なので、あまりいい気分にならないのだろうが、逆にこちらの目的を読んでいるようにも見える。
「一週間ぶり?どうしたの今日は?」
立華が品書きを出しながら、和也の顔を覗き込むように見た。
「色々とあったバタバタが少しだけ落ち着いたので、改めて立華さんの顔を見に来ました」
「はっは、モテモテね。せっかくだし、何か食べていきなよ」
「はいっ、では生中と、……エビ玉を」
「ハイっ、まずは生中!」
立華が手早く注いだビールを和也に渡した。
綺麗に整えられた泡に、和也の口元が思わず緩む。
「……久しぶりです。いただきます」
そう言い、ジョッキに躊躇なく口に付ける。
喉を鳴らし、一気に半分ほど飲み干していた。
「……っぱあぁっ」
和也が会心の溜息を吐いたのと同時、引き戸が開き、客が新たに入ってくる。
バーテンダー姿の剃真だった。
「やっぱり、いつものメンツか。ん?ご新規さん?」
口髭と片目に掛けた黒い眼帯から、どうにも時代遅れの悪役のように見えてしまう。
得体の知れない男の出現に、和也は泡のヒゲが残ったまま、怪訝な顔を貼り付けていた。
「はい、響一。……多紀ちゃん、あとちょっとでエビ玉上がるからね」
先から焼いていたお好み焼きを鉄板越しに響一の前へズズッと寄せた。
それを響一はゲンナリした顔で見つめている。
「ああ、それかー」
微妙な調子で言った剃真の言葉に、和也も見た目は普通のお好み焼きに視線を落とした。
「何ですか?すごい匂いですね」
「ああ、わかる?キャベツの代わりに全部ニンニクなの」
立華の説明に、田門はこれ以上ないドヤ顔をキメている。
「オレと立華の強力コラボだよ。響一も最近疲れてるみたいだしよ。立華!なんでこれグランドメニューに入れないんだ?」
「オマエしか注文ないんだよ!あとコラボとか言うな!」
「た、田門クンの欲望が詰まったようだよね」
立華の憤慨に乗っかるように、西上がポツリと漏らした。
「食ったら吹っ飛ぶって!男は絶対コレ大好きなんだよ!ニンニクは男の香水だぞっ!」
「いやまあ……、疲れてるのは間違いないけど」
「うわあ……」
「んだよ中学生まで!女子にそんな顔されると結構キズつくぞ!」
「私、成人です!」
「あの田門クン、それ以上は……」
ブラック巡査が困った顔で、田門を抑えようとする。
「ブラック、どうした?」
「その、このヒト、オイラの出世に響くかもしれない人で……」
「なに言ってるんですか?」
「はい、エビ玉おまたせー。コレ、アタシのおごりね?」
上蓋を開き、ふっくらと仕上げたお好み焼きを和也の前に寄せた。
「おごり?……っ、なんですか?コレ?」
「響一とお話ししたいんでしょ?青ノリは自分でかけるのよ?」
ハートの形に整えられたエビ玉の上で、ちりばめられたカツオ節がユラユラと揺れている。
新宿で見せたときのように、とても優しい顔を立華は見せている。
彼女の真心がこもった計らいだったが、和也は恐怖した。
「ん?なんだよ?」
何も気づいていない響一が声を上げた。
彼が手をつけようとしたニンニク入りのお好み焼きを、何かを察した田門がコテでエビ玉の横まで移動させたのだ。
「…………っ!?」
「グッドラックだよ」
強張る和也に、田門が極上の笑みを残して席を立った。
ーー了ーー




