ep1-3. 赤を纏って穿つ
近辺から救急車のサイレンが引っ切り無しに鳴り続けている。
それに混ざって、駅構内の発車メロディと、バスのアイドリング音が低く響いていた。
駅の歩行者デッキには、避難してきた人間たちが滞留していた。
改札前から駅ビルの入口付近まで、人の流れが途切れない。
運営側の計らいで、駅ビルと近接するデパートは営業時間が過ぎても解放され、買い物客だった者たちや周辺住民が中へ避難している。
エスカレーター脇には、身を寄せ合って座り込む女子高生たちまでいた。
スマートフォンを握ったまま立ち尽くす者、家族と連絡を取り合う者、ベンチに座り込む者。
ひどい返り血で染め上がった者までいた。
至近距離で人外の怪物による殺害を目の当たりにしたのだろう。
地獄を見てしまった人間の呆け方をしており、見た者にさらに恐怖と不安を伝播させていった。
「押さないでください!」
「駅構内は順番に案内します!」
警察官たちが拡声器を片手に誘導を続けるが、その声に余裕はなかった。
歩行者デッキ脇の駐在所にも人が押し寄せていた。
「何が起きてるんですか!?」
「家族と連絡が取れないんです!」
対応している警官も、まともな説明ができていない。
怯える者。
怒鳴る者。
泣き出す者。
その様子を、群衆の奥から静かに見つめている男がいた。
佐久間が自らの手駒を解き放ってから、まだ20分と時間が経っていない。
わずかな時間で、北千住の駅周辺は街としての機能が崩れかけていた。
佐久間はトキめいていた。
自分がやってのけたことに、社会はここまで反応することができている。
痛みを拡散する。
それによって、この世は打ち震える。
あのバッタと下僕に向かって、勢いで言った言葉が、今は佐久間の中で花火のように弾け、彩りを放っていた。
自分が成すことの、目的が見えた。
そのために、今、奴らを屠るために、僕はどんな手でも使う。
「痛みを拡散しろ!」
佐久間は歩行者デッキの中心で叫んだ。
周囲がギョッとしながら佐久間を見る。
「痛みを拡散するんだ!」
衝き動かされるまま、もう一度叫ぶ。
ここからだ。
先に手駒の人形たちを動かす。
奴らと人間たちの意識を一点へ集めるその瞬間、奴らはこちらに詰めてくるだろう。
しかし、その背後で兵隊たちは一般人を一挙に蹂躙することになる。
奴らは兵隊たちに踵を返すか、こちらに一撃を入れてくるのか。
その場合、こちらは最初の一撃だけを凌げばいい。
あとは混乱に乗じて糸を延ばす。
ほんの数秒あれば、この場の全員を捕まえられる。
逃げ惑う人間と共に、奴らも拘束し、あとは時間をかけて磨り潰す。
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「――自分から出てきたぞ!?」
歩行者デッキの様子に、響一は愕然とした。
視界の向こうでは、あのニヤけたツラが、手を上げて何か喚いている。
響一は思わず屋上の端から身を乗り出した。
『待て響一っ!』
背後から”彼”が制止した。
まだ感覚の共有はされていない。
「今さら何言ってんだ!行くぞ!」
『捕捉はしていた。だが、”奴”の思惑をズラす。そのための一手が、今来てくれた』
「…なんだって?」
「バケモンが出たぞおおおおっ!」
男の濁った大声が、拡声器越しにその場に響き渡った。
地声が大きすぎるのか、ホーンからの音がブチブチとひび割れている。
歩行者デッキの空間が、一気に凍り付いた。
「貸してっ、拡声器!」
横から入った立華が、田門の手から拡声器を引ったくった。
「すぐに来るよ!とにかくマルイかルミネに走ってっ!オマワリ仕事しろ!階段は使わせるな!避難事故回避!」
芯の籠った明瞭な声が、恐怖に固まった全員の意識を呼び覚ます。
その指示の効果は抜群だった。
「まっ、マルイかルミネ…っ」
群衆1人が洩らした反応が、周囲にも急速に広がっていく。
散らばっていた警察官たちまで必死に腕を回し、誘導の所作を行い始めた。
人の流れが、一斉にマルイとルミネへ雪崩れ込んでいく。
入り口が広い設計のためか、破壊的な混乱は生じていないようだった。
「あの二人…、何やってんだアイツらっ?」
響一は唖然としている。
『オマエのスマートフォンから呼びかけた。駅にも化け物が出るから、人々に逃げるよう騒げ、と…』
「人のケータイで…」
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「なっ、なんだ…、アイツらぁぁ!」
佐久間はデッキの隅から叫び続ける二人に、ワナワナと声が震えていた。
タイミングを乱されたあまり、周囲の建物脇に潜ませていたモノにも突入の合図を出せていない。
「前の人の背中だけ見て動いて!女子ども優先でっ!」
誘導を続ける立華の口元と拡声器の間に、田門が頬を突っ込んできた。
彼女の声が悲鳴に近くなる。
「ちょっ、田門近いっ!」
「落ち着いて急げよ!おいそこのホスト!前の婆ちゃん担ぐんだよ!年寄り大切…、うわあ何だアレっ!」
拡声器がハウリングを起こした。
佐久間は感情のままに身体を肥大させ、クモの身体へと変異し、2人に向かっていく。
周囲の悲鳴が更に大きくなった。
「クソがああっ!」
まず狙うのは、あの変な縞模様のパーカー男だ。
横の女ごと、まとめて引き裂いてやろう。
そう動いたとき、佐久間の視界を黒い影が塞いだ。
「…お前っ?」
怪物の顔面の横にある、佐久間の素顔の瞳が見開いた。
赤い光の尾を引き、大きな複眼の目が、佐久間を正面から見据えている。
自分がひどい目に会っているのも、
俺の住む街が滅茶滅茶になっていることも、
怪物になった恩人を死なせてしまったことも…、
響一の内で、思いが一気に膨れ上がった。
「とりあえず、全部テメエのせいだ」
両者の間にインパクトが生じた。
身を翻して繰り出した後ろ蹴りが、佐久間の怪物の身体を吹っ飛ばす。
「ぶうううぅ!」
クモの巨体が放物線を描いて飛んでいく。
佐久間は身体は、きたテラス と北金子ビルの合間にある狭い路地に蹴り込まれていた。
「おいっ、言われた通り路地にブッ飛ばしたぞ!」
その隣に、”彼”がタイヤをバウンドさせて落ちてきた。
『よし。…やはりだ』
”彼”が確信に満ちた声を上げた。
飛び出てきたモノ達が群衆に目も暮れず、すべて佐久間の跡を追い、路地の中へと吸い込まれるように入っていく。
予想していなかった状況に、響一は戸惑った。
「…どういうことだよ?」
『あの男の意思より、内にいる”奴”の防衛本能を優先しているんだ』
”彼”が言った。
『行くぞ響一、一挙に叩く』
「っ!」
”彼”の声に、響一は反射的に動いた。
コンクリと鉄筋で補強されたデッキの床を一瞬たわませ、路地の中へと身を放つ。
「またスゲエのが、2匹も出てきた…」
離れた場所から、田門が呆気に取られて洩らした。
路地の奥で、コンクリートを砕く轟音が響いてくる。
「いったい…、何が起こってんのよ?」
店の前で自分たちを助けてくれた影は、アレだったのか?
彼らが跳んでいった方向を見たまま、立華も立ち竦むことしか出来ない。
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「がっ!」
佐久間は転がり込んだ場所で起き上がっていた。
蹴り飛ばされたこと自体にダメージはない。
しかし、完全に下だと見ていたはずの相手が、自分を良い様に吹っ飛ばして転がしたことに、佐久間は大きく動揺した。
その前を、モノ達の集団が防衛するように塞いでくる。
僕を守ろうとしているのか?だが、自分の意志ではない。
路地の入口に人影が立っている。
バッタの下僕だった。
響一に目掛け、モノ達が身を躍らせる。
地上と空中、響一の前面を10体以上のモノが覆いつくした。
『共有する』
”彼”の声が耳骨に響いた。
同時に”彼”の感覚が、響一の頭の中に流れ込んでくる。
空間の震え…。空気の流れ…。敵の位置…。
五感を超えた知覚が、響一の全身に満ちてゆく。
瞬間、響一は半径10数m、全方位を掌握していた。
「おあッ!」
脚のバネを使い、響一は自身を撃ち出した。
狭い路地の中で幾何学調の軌跡を描き、モノ達を粉砕していく。
遅れて現れた”彼”も、そのまま戦闘になだれ込んできた。
車体の左右から伸ばしたワイヤーでモノ達の身体を捕らえ、高速のスピンで周囲をなぎ倒す。
『残り五体!』
”彼”が空中へワイヤーを放つと、それを響一が反射的に握った。
ワイヤーをムチのようにしならせ、”彼”はピッチングマシンのように響一を投げる。
その勢いは直線上にいるモノ達を一気に貫き、向こう側にいる佐久間まで達した。
「げっは!」
佐久間の身体がまた吹っ飛び、ビルの壁に叩きつけられた。
建物の鉄筋がひしゃげて揺れ、壁にクレーターができる。
膝をついた佐久間の腹に、更に響一の蹴りがめり込み、上方向へと吹っ飛ばした。
上空へ飛んだ佐久間を追って、響一も跳ぶ。
浮かされた身体の頂点を奪い、重力ごと叩き落とすつもりだった。
落下に重なるように蹴りを放ち、頭を潰してやる。
『油断するな響一!』
止め体勢を取った響一の身体が、突然空中で制止した。
遅れて放った蹴りが、ブンと空を切る。
「…あ?」
響一の身体に、数本の糸が絡んでいる。
「はあっ、ははっ!」
宙づりになっている響一を見て、着地した佐久間が心の底から笑った。
バッタの下僕は、ただ真っ直ぐ動くだけだったのだ。
落下中、無我夢中で放った糸に、奴はあっさりと掛かっていた。
『響一っ』
”彼”がバッタの姿に可変して跳ねた。
響一に掛かっている拘束を解こうとするが、そこを目掛けて佐久間が糸を吐く。
『っ!?』
糸が巻き付き、バランスを崩した”彼”が地上に落ちた。
その車体を、佐久間が受け止める。
「よくもやってくれたよ」
佐久間が言った。
カウルに鉤爪がめり込み、メキメキと音が上がる。
「一番許せないのはバッタ、オマエだ。何が一番オマエを苦しませるのか、色々探りながら壊してやるよ。その前にアイツだ」
佐久間が”彼”を振りかぶり、響一に狙いを定めた。
「く、くっそ」
意図を読んだ響一が足掻いた。
しかし、自分を吊っている糸は多少伸縮するのみで切れる気配がない。
次の瞬間、響一は凄まじい勢いで飛んできた”彼”を受け止めていた。
身体がバラバラになりそうな感覚と共に、そのまま宙へと飛ばされていく。
ビル屋上の高さまで上がった響一たちに、跳んできた佐久間が並んだ。
鉤爪で引っ掛けられ、きたテラスの屋上へと投げられる。
「このやろ…!…?」
給水タンクに叩きつけられ、立ち上がろうとした響一の足がもつれた。
見ると、ギョッとするほどの糸の束が、両足に巻き付いていた。
いつの間に、と思う暇もなく引きずられる。
踏ん張ろうとするが、完全に力負けしてしまう。というより、力が分散してしまう。
力を込めようとする瞬間だけ、別の糸が身体の軸をズラしてくるのだ。
実に巧みだった。
「じっくり削いでやる」
佐久間の身体から更に糸が吐き出され、響一と”彼”は完全にがんじがらめにされた。
身動きが取れないところを鉤爪で殴られ、マスクのパーツに深く傷がつく。
「ーーーーっ!」
「あははははっ!」
笑いながら佐久間は8本の節足で、響一と”彼”の身体を心行くまで突き続けた。
ガツガツと大きな音が連続して上がる。
糸の壁越しではあるが、耐えがたい痛みと衝撃が彼らを襲い続けた。
「うはは!気持ちいいよっ!お前らのその姿が見たかったんだ!」
佐久間はすっかり舞い上がっていた。
怪気炎を上げたついでに、この報復にもっと色を付けたくなる。
「…ギャラリーが欲しい」
辺りを見渡すと、目の前に北千住マルイの建物が目に入った。
この騒動において、今は避難先として機能しているはずだ。
佐久間は響一たちに絡まる糸を太く固め、そのまま引きずり始めた。
足元を支点に勢いよく回転させ、響一たちの身体がふわりと浮き上がる。
更に回転速度を上げた瞬間——
響一たちの身体はビルの屋上から、北千住マルイの建物に向かって高速で投げ飛ばされた。
「ぐっっあっ!!」
『……………っ』
ガラスが粉々に砕け散り、敷居の壁をブチ抜き、店舗が並ぶフロアへと転がり込んだ。
途端、人の悲鳴が一斉に響一の耳に飛び込んでくる。
『マズいぞ』
「なんだ…?」
”彼”の緊迫した声で我に返った響一は、慌てて周囲に視線を走らせた。
歩行者デッキから避難してきた大勢の群衆が、遠巻きにこちらを見ていた。
突然現れた人外の怪物たちに、全員が凍りついている。
「おいっ、アンタらっ、ここから全員逃げろ!」
「逃がすわけないだろ」
叫んだ響一の後ろから、佐久間の嘲るような声が響いた。
「ま、また出たっ…!」
更に出現した異形に、群衆たちは足を竦ませた。
「誰も見てないところで君らを消すのはもったいないからね。ここにいる人たちには観客になってもらう」
言うなり、佐久間は近くにいた男性に一瞬で移動し、首を掴んだ。
節足を胸に深々と突き刺し、毒素を注ぎ込む。
「あぐうっ!?」
断末魔を喉に詰まらせながら、男性の背中が風船のように膨らんだ。
服が裂け、弾けた瞬間、内側から大量の糸が津波のように噴き出し、叫び声を上げる群衆を一気に飲み込んでいく。
あっという間に、フロアにいた全員が糸の塊へと拘束されてしまった。
「ここにいる皆さんには、僕の余興に付き合ってもらうことになりマス。痛い目を見るも見ないも、そこの彼に掛かってマス」
慇懃無礼な説明をしながら、指で響一を示した。
「おいっ、オマエ何考えてんだ!」
”彼”と一緒に、毛糸玉のように丸くなっている響一が佐久間に喚いた。
佐久間が鉤爪を伸ばした。
響一の身体の部分だけを器用に切り離し、群衆の前に強制的に立たせる。
「だから余興だって。今の主役はキミだ。これから…」
「関係ねえ奴ら巻き込んでんじゃねえよ!」
「ヒトの話聞けよ」
佐久間が響一を小突いた。
響一を包む糸の束は、群衆たちにも伸び、繋がっている。
その糸が引っ張られた瞬間、枝が折れるような音が群衆の中から上がった。
「ひゃあっ!」
「っ!!?」
糸の拘束からはみ出ている誰かの腕が、あり得ない方向に曲がっていた。
「オマエ、何したんだっ?」
「キミと彼らを繋ぐ糸は、衝撃を与えると極端に縮むようにしてる。だから、キミが少しでも動くと、こうなる」
そう言って響一の身体を揺らすと、離れたところで悲鳴がまた上がる。
「キミが堪えないと、ここにいる皆が酷い目に遭うよ?」
「…最悪だぞテメエ」
動くに動けない。
自分を包むこの糸が、邪魔で邪魔でならなかった。
…何か鋭利なものが欲しい。
この糸を断ち切るための、薄く、強く、鋭いもの。
『響一…』
糸の中で沈黙していた”彼”が、響一の耳骨を震わせた。
『そのまま聞け、響一。まだオマエに使わせていないものがある。”赤い力”だ』
「…………?」
『”赤い力”だ。奴への怒りに集中しろ。噴き出すイメージを持つんだ」
”彼”の声は佐久間には聞こえていない。
しかし響一には、”彼”の言う”赤い力”の意味がさっぱりわからない。
「じゃあ始めようか」
佐久間の言葉の後、いきなりガツンッ、と強烈な音が上がった。
その衝撃に、響一は何とか堪えた。
「当て方を変えようか」
「ぎっっ!?、くっ!!」
今度はかなり鋭い痛みが響一を貫いた。
鉤爪の先端が肉の身体に入り込み、少し抉られたのだ。
「ああ、ヨロイの間に刺さったのか」
爪の先から、響一の血がドロリと垂れた。
「壊し方がわかってきたよ。次の段階いこう」
そう言い、群衆へと近づいていく。
糸の束を鉤爪で切り裂くと、中から一人の女を引きずり出した。
「きゃあっ!…や、や、や」
「………っ!?」
女の姿に、響一は見覚えがあった。
やけに背の高い、童顔にメガネの容姿…。
先ほど駅前で、響一がぶつかった女子大生だった。
喚き続ける彼女の頬を、佐久間が人間の手で挟んで抑える。
「これから彼女を、あの”人形”と同じにする。そしてキミを攻撃させる。数は段々増やしていく」
「……いや、やだ」
女が涙を浮かべて洩らした。
「よせバカ野郎っ!」
「知ってるよね?キミがお手軽に壊しまくった”人形”は元人間だよ?普通の生活していた彼らを、キミは無辜に葬った。その彼らがキミを追い詰める。因果応報だよね」
「…………ッ」
元はテメエだろ、と叫び返しかけるが、響一は言葉が出なかった。
確かに自分が仕留めた。
それでも仕方がない、と言う気はなかった。
この身体になっても思う。自分は人間だ。
「テメエは…、どこまでニンゲン捨てるんだよ?」
「捨てる?違うね!見せつけてるんだよ!僕の根っこ!欲求!ニンゲンそのものだ!」
響一の頭の奥に火花が散った。
佐久間の言葉をトリガーに、感情が沸点を越える。
『よし』
それは炎に似たエネルギーの形として、響一の首周りから一挙に噴出し、赤いマフラーのように立ち昇った。
大気までもが赤い光を纏い、響一の周囲で流動し始める。
反射的に響一は自分の腕に力を込めていた。
”彼”の言葉と、響一の思考が頭を走り抜ける。
”赤い力”、
イメージ、
薄く、強く、鋭いもの…。
パツンッ、と小気味の良い音が、響一を締め付けていたものから上がった。
「…え?」
佐久間の口から声が洩れた。
響一を包んでいた糸の束が両断され、中身がそっくり消えていた。
重力に従って落ちていくそれを見た瞬間には、響一の姿が佐久間の目の前にあった。
その姿がまた消える。
代わりに頭上で、天井のボード板が割れる音が鳴った。
天井でバウンドした響一がそこから跳ね、更に離れた場所へと着地する。
「……ぁ」
響一の片脇に、捕らわれていた女子大生が抱えられていた。
そして、もう片方の腕には首元から放出された”赤い力”が纏わり、脈動している。
それは腕の外骨格のラインに沿って薄く圧縮され、鋭角なフォルムとなってそこに有った。
刃、のようなものから、空気が噴き出すような音が絶えず鳴っている。
よく見ると、刃先の部分が流動し、チェーンソーのように回転して動いているのが見えた。
「………………」
手首を振ると、刃の形が崩れ、赤い粒子となって大気に戻っていく。
「…お、…お」
佐久間は信じられないようにして響一に向き直った。
女を拘束していた腕や節足の一部がスッパリと切れ、床に落ちている。
「オマエ何しやがった!!?」
叫んだ佐久間の胴体が、遅れて斜めに大きくズレた。
響一の動きは腕だけではなく、全身をも両断していたことになる。
「はっ?!」
胴体の切断までは知覚していなかったらしい。
滑り落ちていく身体上を、佐久間は慌てて残りの腕で支え、元に戻した。
断面が滑らかすぎたためか、あっという間に癒着してしまう。
冗談のような光景だった。
「アンタ、大丈夫か?」
佐久間をよそに、響一は抱えている女に声を掛けた。
「あ…、や、は」
気を戻した女子大生は、わけもわからずに声を洩らしている。
無理もない。
少し乱暴だったが、彼女の身体を寝具フロアのベッドへと放った。
「あうっ!」
その頃には佐久間の身体も回復したようだ。
切れた腕も、元通りにくっついていた。
『響一、それが”赤い力”だ。オマエの動きに伴い、形や機能を変える』
”彼”の言葉が、頭に染み込むように伝わってくる。
試しに拳を握ってみた。
拳の先で、赤い光が異様な密度で潰れていく。
握り込むごとに圧縮され、有り得ないものの塊となっていた。
響一が佐久間に向き直り、じっと見据えた。
コイツをブチ込んだら、…どうなる?
「あっ、あああああ!!」
佐久間は追い詰められていた。
苦し紛れの糸を吐くが、その一瞬に響一は反応し、横に移動して避ける。
「くそっ!」
佐久間が節足を繰り出した。
8本の鉤爪で無我夢中に響一を突くが、掠りもしない。
攻撃のすべてが、片手で捌かれていた。
先までの優位が夢と思うほど、佐久間は圧倒されていた。
ポテンシャルの違いを考える暇もなく、響一は鉤爪の連撃を捌きながら、一歩ずつ距離を詰めてくる。
節足を振り回しながら、佐久間は口から糸を吐き出した。
「……………」
響一が節足の一本を取って振り回すと、吐き出された糸が絡まった。
他の節足も巻き込んでしまい、逆に佐久間の方が動きを封じられてしまう。
「ウソだ…」
洩らした佐久間の5mほど先で、響一は攻撃の体勢を取っている。
握り込んでいた拳を腰に溜め、膝を落とす。
拳の先にある光の赤が更に濃くなり、真紅となった。
恐怖に濁った佐久間の目に、横方向にいる群衆たちの姿が入った。
アイツらを人質に使っ…、
響一が床を蹴った。
一瞬で距離を詰め、溜めていた拳を突き出す。
渾身の力だ。
拳の光が弾け、凝縮された力が解放された。
佐久間の巨体が吹き飛んだ。
壁を破壊して突き抜け、更に先まで飛んでいく。
衝撃で全身の骨格がバラバラになったようだ。
だが佐久間は絶叫を空中で吐きながらも、意識がはっきりしている。
これが奴の渾身の力なのか?
「?」
まだ空中を飛びながら、佐久間は胴体の前に光るものを見つけた。
あの赤い光だ。
打撃の瞬間からコアの部分が残り、佐久間の身体に付着しているようだった。
何だ?と思った瞬間、コアが展開した。
風車のような形に開き、回転を始める。
「っっ!?」
赤く染まった大気が、牙のように佐久間の身体を襲った。
大気が個質化し、鋭利に重なった刃となって全身を切り刻んでいく。
声を出す暇もなく、佐久間の大部分は肉片となって飛び散った。
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「う、動くなよ?」
響一は群衆を拘束していた糸を、店舗レジを物色して見つけたカッターナイフでギコギコと切っていた。
すでに首元から噴き出ていた”赤い力”は消えてしまっているため、先のような鋭い刃は使えない。
吐き出された糸は、時間の経過によってなのか、強度が幾分脆くなっているようだ。
なんとか2、3人を引きずり出し、後は頼む、とカッターを渡した。
あまりの出来事に見舞われたためか、彼らからは何の言葉も出てこない。
当然か…。
そう思いながら、響一は”彼”が閉じ込められている糸の塊を眺めた。
『いい加減に出せ』
「オマエをこのまま警察に渡してもいいかもな」
『今ので”奴”を完全に仕留めたわけではない。まだ生きているぞ』
「はあっ!?」
『戦闘不能にはなっているが、時間をかけて必ず回復してくる』
「くっそ」
響一はたまらず、糸をベリベリと剥がしに掛かった。
やがて姿を現した”彼”はすぐに体勢を直し、佐久間を壁ごと吹っ飛ばした跡へ向かっていく。
『”奴”を完全に消すには順序がある。それを行うのは今が最適だ。”奴”の位置は捕捉している』
「…わかったよ!」
促されるままに響一が”彼”に跨った。
間際に振り向くと、解放された群衆が、まだ怯えた瞳をこちらに向けていた。
『行くぞ』
「…ああ」
響一の生返事を残し、”彼”は建物の穴から飛び出していた。
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「か…、うう」
どこかの雑居ビルの屋上らしい。
佐久間は響一の”赤い力”によって、相当な距離まで飛ばされていた。
胸から下が斜めに欠損し、片腕まで失っている。
全身が完全に粉微塵にならなかったのは、胴体を両断された跡に沿って上の部分だけがうまく千切れ、弾き飛ばされたからだった。
「いいい…、痛ぁいぃ」
情けない声が佐久間の口から洩れていた。
憔悴している佐久間を、気が狂わんばかりの痛みと喪失感が襲っている。
「コレで…、なんで生きてられるんだよ」
ふいに届いた声に、佐久間はビクッと身体を震わせた。
バッタとその下僕だった。
自分を追って来たらしい。
『”奴”に生かされてるんだ。…ひどいな。痛覚が残されている』
「…痛覚?」
疑問を口にした瞬間、響一に向かってムチのようなものが伸びてきた。
触手のようなものが、佐久間の意志と関係なく蠢き、近づくのを阻止しているようだった。
「ぎゃあああああっ」
佐久間が絶叫した。
触手は胴体の断面から伸びていた。
残った肉体の一部を無理やり引きずり出し、それを攻撃手段にしているのだ。
『”奴”の防衛本能が働いているんだ。男本人にとっては地獄の苦しみだろう』
「なんで、ここまで…」
有り得ない、といった様子で響一が言った。
『生命維持のための目覚ましだろう。だが、”奴”の娯楽でもある。隅の隅まで苦しむ様を見たいのだろうな』
「ここまでして…、”奴”ってのは何なんだ?」
『融合した宿主を唆し、力を与え、その行動を悦ぶだけの存在だ。対話にも一切応じることはない』
佐久間はずっと痛みでのたうち回っている。
クモの容姿だった顔面は半分解け、人間の面影が多く露出していた。
「なあ…、やっぱりコイツは、人間なのか?」
『元人間だ。肉体だけでなく、精神まで操作されている。オマエが目にした通りだ』
「だからって」
『楽にしてあげた方がいい』
「……割り切れるもんじゃねえよ」
呟いた響一を見上げた”彼”が、思わず目を見張った。
――いつからそこにあったのだろうか?
彼らの頭上で、巨大な黒い、布のようなものがヒラヒラと舞っている。
ここまで接近されて反応の感知が出来なかった?
『響一っ!』
咄嗟に響一の身体をワイヤーの腕で捉え、その場から跳んだ。
隣の建物に移ると、先まで自分たちがいた場所に何かが落下し、屋上の床が大きく割れる。
「…っ!?」
『やはりか!』
”彼”が戦慄した声を上げた。
まだ事情を呑み込めない響一が、砂埃の中に目を凝らすと、かなり長身の人影がそこに佇んでいた。
マントのようなものを纏い、それが足元まで伸びている。
「なんだ…、アイツ」
『”奴”の一人、同族だ。クモだけではなかった』
「はあっ!!?」
悲鳴に近い声を上げた響一の前方で、同族と呼ばれた存在がマントの裾を大きく広げた。
海外映画の影響からか、まるでコウモリを模したヒーローキャラのようにも見える。
その広げた羽から、まったく予想していなかったものが飛び出てきた。
「………っ!?」
『…ッ』
近代兵器の砲身だった。
駆逐艦に据えられていそうな物が、マントの中から何本も露出し、響一たちに狙いを定めている。
『跳べ響一っ!』
「…なっ、なんだよアレはあっ!」
言われた通りに離れると轟音が響き、建物の最上階が消し飛んでいた。
瓦礫が地上に落ち、クラクションがけたたましく鳴り響く。
大惨事となった。
『……………』
硝煙が上がる中、”彼”は”コウモリ”が空中を飛び去ってゆく姿を目にした。
”奴”が本体を分散し、複数に取り憑くのは予想できていたことだ。
しかし、なぜクモを助けにきたのか?
単なる仲間意識や善意ではないことは明白だ。
もし、組織的な行動の類なのであれば…、展開は最悪だった。
-------------------------------------------
「…………………?」
またどこかの屋上だった。
気が触れるほどの痛みで、今の今まで気絶をしていたらしい。
横になっている状態から視界を這わせると、東京タワーが見えた。
神谷町の辺りだろうか?
朦朧としながら身を起こすと、全身真っ裸だった。
身体の調子に何の違和感もなかったが、先の記憶がそれを否定してくる。
あの攻撃で自分の胸から下は、細切れになって喪失したはずだ。
いや、元に戻った、というわけではなさそうだ。
身体の動きと感覚に、若干のズレがある。
気づくと、近くから濃い血の匂いが漂っている。
匂いの元を見ると、歪な形の死体があった。
「適当にくっつけてはみたけど、サイズは合ってるようでよかった」
「っ!?」
まったく気配に気づかなかった。
声の方向を見ると、一人の男がそこに佇んでいる。
スーツ姿の男だった。
「君を見ていたよ。たった一人でよく闘った。尊敬に値するよ」
髪をかっちりとセットし、細い銀縁のメガネを掛けている。
着ているスーツも、安物のような派手な光沢をしていない。
光を吸い込み、輪郭が薄く浮かぶような艶があった。
穏やかではあるが、所作に余裕が溢れている。
「あ、あなたは?」
「仲間だよ。同じ力、同じ目的。本質に気づき、在り方を揺さぶりたいと考えている」
「……………………」
「君があの場で発した言葉は震えた。”痛みを拡散する”。――まさにそうだ。許せないんだろう?他者を排斥しながら安寧の暮らしを得ている人間が。でも世の中そうじゃないことを知らしめたい。僕たちもそうだ。そのために、僕たちは集った」
”僕たち”?
そう思った時、ふと周囲から自分と同じ匂いを持つ気配が、様々な方向から発せられていることに気が付いた。
ここにいるのはスーツの男だけではなかったのか。
反応するように、複数の人影が、そろそろと姿を現した。
各々の場所から、こちらを感情の読めない表情で眺めている。
中には4本足の動物までいた。
あの黒い猫も、仲間ということらしい。
「僕たちはこの世界に収まらない異能を享受した。それには必ず意味がある。これは天啓だ」
「天啓…」
男の言葉は、佐久間の胸を鮮烈に貫いていた。
ああ、そうだ。
僕はその言葉が欲しかったのだ。
「僕らは痛みを以て、世界の摂理を揺さぶってみせる。君も、その内の一人だ」
口元を笑みで満たしながら、スーツの男は言った。
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東京都足立区で発生した大規模破壊事件は、死者・行方不明者合わせて百名を超える惨事となった。
警視庁は「複数の違法薬物使用者による集団暴走、および爆発物を用いた無差別破壊事件」と発表し、政府も同様の見解を示した。テロ組織との関連も含めて捜査を進めるとしている。
しかし、現場に居合わせた者たちの証言は、どれも統一性を欠いていた。
「人ではない何かに襲われた」
「巨大なクモがいた」
「緑色の怪物と戦っていた」
そうした証言の多くは、集団パニックによる幻覚として処理された。
インターネット上に上がったわずかな映像や写真は、なぜか「破損データ」として消失していった。
マスコミは連日、北千住の事件を大々的に報じたが、公開される映像のほとんどは瓦礫の山と避難誘導の様子だけだった。
肝心の“異形”を捉えた記録は、一つとして残っていない。
その異様さが、かえって人々の不安を煽っていた。
事件現場となった駅前一帯は今も封鎖されたまま、歩行者デッキと北千住マルイの一部には、連日多くの花が供えられていた。
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海々っ子の店内で、響一たちは鉄板のカウンターを挟んで向かい合っていた。
厨房側は立華、テーブル側には響一をはじめ、田門、剃真、黒田、西上がいる。
全員喪服を着ていた。
「これ」
「…何だ?」
響一がテーブルの上にコトリと置いたものを、全員でしげしげと見つめた。
「…骨?」
「俺が駆けつけたとき、オヤジさんは殺された直後だった。…ちょっと思うところがあって、…預かってたんだ。悪い」
「…お父ちゃんの制服、現場で綺麗に畳んでくれたの響一だったんだ。…ありがとね」
そう言い、立華はいったん受け取った遺骨を、響一に差し出した。
「これ、アンタが持ってて?お父ちゃんも、多分アンタに持っててもらいたいと思ってるから」
「…いいのか?」
頷いた立華から骨を受け取ると、響一はハンカチの包みの中に丁寧に包み、ポケットの内側に大切に入れた。
その様子を見ていた立華が、ふいに天井を仰いだ。
「あーヤバいね。…思い出しちゃった」
そんなことを言い始める。
「お父ちゃんに掛けた最後の言葉、朝ゴハン用意しとくって…、それだけだったんだよね」
「ああ、そういえば…」
田門が洩らすように言った。
「朝ゴハン用意しとくって…。バカだね」
苦笑を洩らしながら、立華の鼻を啜る音が響いた。
その場の全員が、彼女を見ず、何も言わないでいる。
ひとしきりの時間が過ぎた頃、
「ごめん、ちょっと待ってて」
そう言って奥に引っ込んでいくと、立華はいつもの割烹着姿で戻ってきた。
突っ立ってる5人を前で鉄板に火を入れ、油をひき始める。
「とりあえず、みんな座ってよ。葬式手伝ってくれた御礼。なんでも注文して?」
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『葬式というのは、終わったのか?』
家に戻った響一に、”彼”が話し掛けてきた。
すっかり夜になっていた。
北千住での戦いから3日ほど経つが、”彼”はずっと響一の家の庭に居座り続けていた。
何もせず、じっとしていたかと思えば、時折こうして話し掛けてくる。
「ああ、終わったよ!まあ…、イイお別れにはなったか」
酒が入ったおかげかもしれないが、響一の面持ちはどこかスッキリとしていた。
恩師の遺影の前に立つと、ハンカチから藤兵の骨を出し、横にそっと置く。
「…桐の小箱でも買うか」
『亡くなった人物に思いを馳せ、悼むか。人間というのは、時に清廉だな』
「おい…、オヤジさん弔うまで黙ってたけど、俺はまだ忘れてないからな」
落とし前をつけるような表情で響一が言った。
『なんの話だ?』
「よく考えてみろ」
『……、外骨格を解除した件か?あれが何なんだ?』
「当たりめえだろ!公道でいきなりヒトの素っ裸晒しやがった上、職質の警官まで気絶させやがって!」
『あの行動は間違っていない。オマエを公共機関に拘束させるわけにはいかなかった』
「マッパは拘束されるんだよ!…あと、俺のスマホ!財布!スーツ!ヘルメット!」
『端末は取り込ませてもらった。その他装備品も、今後は外骨格の素材となる。…サイフとは何だ?」
「てっ…、こっ…!」
ワナワナしはじめた響一を、”彼”はじっと見据えている。
『それより聞くんだ。俺の呼び名を考えた』
「はあっ?」
響一は感情が一周回って笑いたくなってきた。
意思の疎通ができるとはいえ、コチラの常識が通らないのだ。
コイツを家に招いた自分はバカだったと、心底思った。
『以降、俺の事は”風号”と呼べばいい』
「ふう、ごう…?」
顔を抑えながら、響一が言葉を復唱する。
『風の号と書く。過去の幼児向け番組に出てた機体名を参考にした。”オイ”、”オマエ”だけでは判別がつき難い』
「……、ダサくね?」
『どうでもいい。それより重要なのは、敵はまだいるということだ』
「おい…、なあ?」
響一が頭を抱えていた手を解き、うんざりした顔を晒す。
「まだ…、続くのかよ?」
『やらなくてはいけない。できる奴は俺たちしかいない』
放たれた言葉に、響一は深い溜息を吐いた。
脳裏に、藤兵が海々っ子で言い残してくれた言葉が被ってくる。
「…卑怯な言い方しやがって」
響一は途方に暮れた様子で、風号を見た。
ーー了ーー




