49 帰還(2)
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どうしてこうなった。
ちょうど国境の境目、昔は川があった場所の左岸と右岸にそれぞれの兵がずらりと立ち並ぶ。
川向こうというか元川向こうには水色を基調としたノルドとフェーベルンの紋章を掲げた旗が続いている。
こちらはノルドの濃紺部隊だ。
それぞれ国境の不可侵線ギリギリに野営地を立てて、両陣から何往復か使者を取り交わしていた。ちょうど真ん中に橋のような街道がある。きっと昔は橋だったのだろう、そこを1人ずつ使者が通過する。開戦直前のごとく緊迫した雰囲気が漂っていた。
「話が違うよなあ?ミラ」
ランベルト国王太子も戦場の装いで、銀黒の鎧から美しいレースの白襟をのぞかせている。趣味ではないがそれが正規の軍服らしい。顔は無表情でまったく読めない。暗めのブルネットの髪も相まって、冥界の王のようだった。
「王の不在を見抜かれたか」
王の不在?
王太子の天幕には私の他にフェリクス様だけだった。陛下は別の天幕にいるのかなと思っていたが、そういえばまったくお目にかかっていない。私ごときが謁見できる相手では無いのかもしれないけれど。などと考えていると、それ、私にしてもいいんだろうか、という話がぽつぽつと語られ始めた。
「父上と大司教は長らく意識を失って伏せっている。死んではいないが、会話ができない。ミラが逃げ出した日からだ。だから当初はミラの仕業ではないかと疑った。しかしお前を観察していても埃が出ぬ。今では神璽を持ち出した連中も分かったし、あれは呪い返しではないかと考えている。まじないと呪いは表裏なんだ。恐らく父上も大司教も、無理に神璽をこじ開けるか壊すかしようとしたんだろう。ともあれ、私より位の高い面々が機能不全だ」
無表情のままに私を見る。
「つまりここ数ヶ月、私がこの国の最高指揮官なんだよ」
じゃあ何、私は実質ランベルト王と、ずっと過ごしていたってこと?いやいや王太子だって、もちろん敬うべき対象なのだけど、王太子(仮)などというから正直緩んでいた。継承の儀式がなくとも、こういう場合は実質の繰り上がりである。今思い返しても数々の無礼、自分の振る舞いに縮み上がる。
「先ほどから遣わされている使者はフェーベルンの者ばかりだ。レオンが抑えているのだろうか。とすればこの交戦ムードはノルド王の思惑か」
王太子が忌々しそうに言う。
「誰が寝返ったんだろう」
「レオン様じゃありませんよ」
「お前がここにいるから、それはわかる」
「王太子様?というか陛下?もここもいます」
「はは、王太子と呼んで良い」
「私もあやつの躊躇いになっているなら嬉しいことだ」
王太子に少し柔らかい表情が出てきた。数日前、小競り合いからの発砲が生じて以来、ずっとこわばった無表情ばかり見せていた。
もうこの非常時だ。話しかけるならちょっとリラックスした今がチャンス、とばかりに王太子へ進言する。
「誰も寝返ってない可能性もあります」
私は心に浮かんだそのままに記憶を語る。
「私の『渡る』前の世界で、そういうことは歴史的にまあ、ありました」
「おや、渡りの話をしてくれるのか」
「はい、有用な人材だと見せておこうかと」
本心では王太子が関心を持つ渡りにひっかければ、ピリピリしているこの人も話を聞いてくれると思ったからだ。
「たくましいことだ。それで小娘に戦の何がわかる」
「教育が……この世界よりも徹底されていたので。歴史書を女も気軽に読めます」
「へぇ」
歴史書というか定番の社会科教科書販売会社ですけど。今世の人にもわかり易く伝えてみる。そこが監修している副読書も面白いのだ。
「発砲はどちらから」
「ノルドからだ」
「仕掛けたのは隊服の方でしょうか」
「すぐに小競り合いが始まって確認できていない」
「不確かなら、誤発砲や両国の交戦をけしかける第三者かもしれません」
王太子は顎に手をやり考えてから言った。
「フェリクス、次に出す書簡を見せろ」
フェリクス様が差し出した書を読み込んで、指示を出す。
「誤報、誤発も視野に入れて書き直せ」
「文書をノルド出身者に読み直してもらうことはできますか。あの私の知る歴史書によると、言葉の近い国での聞き違い読み違いも、戦禍を深める原因で」
「なるほど、意図はわかった。フェリクス、これを読ませて良い者に候補はいるか」
私はほっとする。書簡の読み違いや社交態度のずれから本格的な戦争に発展した例はままある。とくにノルドとランベルトの場合、母語が9割方同じなのがアダになりやすい。残りの1割が致命的に異なる発展を遂げる例があるからだ。
とくに文書は手元に残るし歴史にも残る。
それに男というのはどこの時代も女の話を聞かない。半分は自分が今思ったことだが、歴史書に書いてあったことにしておいた。
「それから加えるのは神璽とミラの取引だ。他の者にはそれとわからぬようレオンに示せ。向こうにいるアルとの等価交換を装うのが名分として良いかもしれん」
私はびっくりして王太子を見た。必ずノルドに返す、と言ったのがこの状況でも守られるとは思っていなかった。
「ミラ、万一にも開戦すれば、お前の顔を見れるのはこれが最後かもしれない。私はお前のことを信用しているよ。拗れたとして、いつか両国の架け橋となってくれ」
王太子は立ったまま私の手をとり、手の甲を持ち上げると王太子の指輪に当てた。
「たとえ様式でも口付けなど強要したら怒り出す奴がいるからな。これで許せ。どの王元であろうとお前を庇護しよう」
それを聞いて私は深く頭を下げた。
小1時間もすると、すぐに人質交換の同意が成立した。
橋の中央で私とアルさんが同じ歩みですれ違い、それぞれの国に戻る。神璽を誤魔化すためにアルさんと私は多少のお宝を持って戻ることになっている。
「日があるうちに交換する。ミラ、服を脱げ」
「え、ぬ、ぬぎませんよ!?」
「馬鹿者、お前を射撃から守るためだ。あの街道は見渡しが良すぎる。胸甲は自分でやれ。フェリクス、他はつけてやれ」
私は天幕の奥で肌着一枚になる。フェリクスさんがなるべく私に触れぬよう手早く甲冑紐を結んでいく。この感じ、レオンに最初にあった日を思い出す。
組み終わるとまた元の服を上から被った。終わりました、と告げるとずっと背を向けていた王太子が向き直り、
「頭と頸も忘れるな。前からきたらこうだぞ、こう」
と肘当てを揃えて顔を隠すポーズをする。
真剣な説明なのだが、仕草が可愛らしくてつい笑ってしまう。ひらひらとロマンチックなレース襟のせいもあるだろう。ずいぶんクラシカルな意匠だが、これで負けたことがないから、という験担ぎが伝統になったのだとか。
「よし、いくぞ。街道の石畳に入ったら、1人で進むという取り決めだ。今まで何度も使者は通っている。案ずるな」
しかしその声は王太子が自分に言い聞かせているようでもあった。
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