35 誓い
結局、私は見取り図を覚え切れず、頭を撫でられて終わってしまった。今日こそは全部覚えて口付けをもらおう。なんだかここ数日、私はこんなことばっかり考えている。レオンに触れることで頭がいっぱいになってしまって恥ずかしい。
レオンは今日も朝から動き回っているようだった。朝起きたらもう小塔にはいなかった。
「少し時間をかけて建物と人間の配置を調べる」
昨日そう言っていたっけ。今日は夜も来ないかもしれない。こういう調査でどこかイキイキしている姿を見ると、近衛や国境隊の仕事は向いているんだろう。
そうだ近衛。
近衛時代もあるんだから顔が割れているんじゃないか?心配になってきた。いくら女性に変装していても、あんな麗人すぐに足がつくのではないか。
それからもうひとつ気がかりがある。
レオンは王太子のことを何も聞いてこないのだ。それについて説明しようとすると避けられてしまう。「おうた……」くらいでそそくさと逃げられる。
むろん平民に拒否権などないが、私は教会に所属していたので婚姻契約にサインをする必要がある。他国でたとえばノルド王国でレオンと結婚するなら…と考えて小1時間その妄想が止まらない。駄目だ、脱線してしまった。そう、他国で結婚するならそれほど厳密なものではないかもしれないが、国内で教会員が貴族や王族に嫁ぐのに書面無しなんてことあるだろうか。
私はサインをした覚えはない。ほんとに婚姻が結ばれていれば偽造ということになる。誰かと間違えているのか、意図的にすり替えているのか。そもそも名前もミラからエルミラになった。
それに私なんて妃にして何かメリットがあるだろうか。前世のことも誰にも言ったことがないし…………あ。
1人いた。言ったというかバレているというか。ひどい思い出とセットだったから心の奥深くに仕舞い込んでいた。昔、人さらいにあったとき、相手の男がまだ幼い私に言ったのだ。
「お前はなぜそんなに美しい。さては渡っているな?」
当時、渡りとは何かわからなかった。
それにその男は私のことを美しいって。その時点で怪しい。
そりゃあ小さい頃は可愛いだの女神だの、散々言われたが成長するにつれて、かわいいとか美人だとか言われることは無くなった。幼き日の賛美は小さい子はみんな可愛いという概念のせいだ。正直、手放しでやたらと褒めそやしてくる男はレオンくらいだ。それからベルナデット様も美しいと言ってくれた。だから身分の高い人の美意識は私たちのそれとは違い、どこかズレているのかもしれないな?もしくは自分が美しいと相手にそれを求めないのかも?と思って納得した。
ベルナデット様の離宮に始めて伺った日も、誰ひとり私がレオンの相手だと気づいていなかった。大騒ぎを尻目にふつうに正門からリュシアンと下城したっけ。
あれこれ考えているうちに、階下がざわざわしてきた。乱暴に塔の階段を駆け上がる音が聞こえる。衛兵だろうかと身構えていたが、現れたのがレオンだったので表情を緩める。しかしレオンは険しい顔だ。ガチャガチャと急いで錠を開ける。
私の両腕に手をかける。
「ミラ、状況が変わった」
肩で息をしながらレオンが恐ろしいことを言った。
「王太子がここに来る。司教が連れてくる」
今まで数ヶ月、何の音沙汰も無かったのになぜ今なのか。狙ったようなタイミングにゾッとした。
「レオン様、すぐに逃げてください」
「いや私もここに残る。元から覚悟の上だ」
そう言って私の髪をすくように頭を撫でる。
「はは、レオン様が聞けて良かった」
その言葉の頭に「最後に」なんて枕詞がつきそうで私は震えた。
「私、本当に王太子殿下と何にもないんです。いや本当に」
「らしいな。ミラから聞くのが少し怖かった」
でもこれからあるかもしれない……レオンはそう考えているのではないか。また私は手を離されるのか。虚ろな気持ちでいるとレオンの声が響く。以前に私がぶちまけた心の声への解答だった。
「違うぞ、ミラ。私はお前を捨てない。お前を手放さない。私はただ、ミラの生存率が上がる選択肢を最善と考える。反論は認めない」
固い口調で言ってからレオンは柔らかく微笑む。
「生きてさえいてくれれば、何度でも取り返しにこよう」
「来世でも?」
「駄目だ弱気になるな」
「今の世だ」
そう言って片手で心臓を覆いながら、片膝をつく。それから手の甲に口付けを落とされた。ノルドの騎士の誓いだった。
「これが終わったら、この間の続きをするんだろう?」
顔を上げてにっと笑うレオンに、顔から火の粉が吹き出した。
◇◇
本編外小話
◇◇
あの男の渡りが転生を意味していたのなら。前世でも違う国の人同士で結婚するとどちらの良さもいいとこ取りしたようなとても可愛い子が生まれることがあった。それと同じ原理なのだろうか。
そんなこと言ったら私なんかよりレオンのほうが…と思ってたどり着く。ああ、お母様が「渡って」いるのか?




