34 新しい給仕
次の日、朝も昼もレオンは来なかった。
しかし食事は格段に美味しくなっていた。
「これは」
「新しい給仕が作ったのですよ。厨房もできるなんて。これは朝の分、これはお昼の分と。これはまかないと。札が置いてありました」
とくにまかないの分が嬉しかったらしく侍女はにこにこしている。その給仕ですが、しばらく午前中は司教様の用事でいないから、日中私1人に任せてしまって悪いので、その代わり夜は自分が番をするので、私は早く帰って良いそうで。司教様から給仕と聞いていましたが、給仕どころか仕事はひと通りちゃんとできる者でしたので、側仕えとして問題ないかと。すみませんが私は先にお暇させていただきますね、と申し訳無さそうにしかし嬉しそうに言われた。複数人体制が鉄則なのにあっさり交代制になった。
ここの司教様は早くもレオンに籠絡されているのか?
侍女がレオンを女性と認識しているのか男性と認識しているのか、いまいちわからなかったが、外に衛兵がいるとはいえ監視対象を1人に任せるなどたしかにザルな運用である。
私がここへ来て最初のひと月ばかりはさすがにこうでは無かった。初めは緊張感のある警護体制が続いたが、牢のような部屋で無気力にごろごろするだけの身分の低そうな私を見て、だんだんみんな緩んできたのだ。
しかも王太子の訪れも全くない。呼び出しもない。初日に会ったきりだ。まあ、あれを会ったと言って良いのかわからんが。
ちょうどレオンが潜入したのは、一体自分たちは何を守っているんだろう、とみんながだんだん訝しく思い始めていた時期だった。
最近のランベルトは本当に末期の状態で、指令を出した上官がどこかへ逃げてしまったり処刑になったりで、指示だけ浮いて残っている、という状況がままあった。それを侍女たちの愚痴でよく聞いた。彼女らにも兵役に従事する夫や息子や兄弟がいるのだ。
これもその類なのではないかとみな薄々疑い始めていた。
今日の朝ごはんはスープだけだったが、根菜のポタージュ仕立てで異様に美味しかった。春は近いがまだ冬としっかり認識する寒さの朝、温まるスープに心も解ける。
労働しない貴族階級の朝食は軽い。さらにこの貧乏牢で、これまで朝のスープはお湯と見紛うような薄さだった。それがごろごろ野菜入りのポタージュである。私のものより具の量が少ないとはいえ、外の衛兵も侍女も、レオンの用意した朝の「まかない」に胃袋をグリップされたようだった。
レオンは三食の用意を昨日のうちに済ませていた。つくおき、である。干し魚や干し果物などの保存食はあるが、ノルドにもランベルトにも食事を作り置く文化はなかった。食品鮮度の問題もあるかもしれない。毎回みんなイチから都度の献立てを作るのである。使用人のいる家ならなおさらそうだ。庶民は都度作るのが面倒であれば外へ食べに行く。
軍人として遠征があるからなのか、それとも私と同郷らしきお母様の影響なのか。なんとなく後者のような気がするが、であればレオンのこれはもしかしたらおふくろの味なんだろうか。
手際の良さだけではない。ほぼ空に近い食糧庫にある食材からなるべく満腹感を得られるメニューに仕上がっていて完成度が高い。こちらは野営の経験からのような気がする。
前世のキャンプとかでちゃんと動くタイプの男だろうな…なんて想像しながら早く帰って来ないかなとまた小窓から空を眺めた。
◇◇
いつものように食事以外の時間はごろごろしていたが、日が暮れた頃に下が騒がしくなった。レオンが帰ってきたようだ。シアンさんシアンさんと声がする。衛兵と侍女の声だろうか。
侍女は下でお礼を言って先に上がった。レオンにだけ挨拶をして。挨拶など無いほうが気楽な性分なのに、私には無いのかと不満が募る。レオンの人気がちょっと羨ましい。
塔の階段を上がってきたレオンが夕食を銀トレイに乗せている。
「貴方がシアンさん?」
「そうです」
天女のような微笑みで返された。もしかしてリュ「シアン」だろうか。
「少し早いですが召し上がってください」
そう言ってテーブルの上にクロスをかける。どこで調達してきたのだろうか。パリッとした白のクロスである。
今日のメニューは、なんと白パンに山羊のチーズ、鶏のロースト、干しぶどう。
「今日も復活祭みたいですね」
キラキラした目で食卓を眺める。レオンは笑いながら眉を寄せる。
「あ、すみません、はしゃぎすぎました」
「いえ、そうではないのです。毎日食べさせてあげたいです」
領地豊かな侯爵家となれば、これは質素な部類なのだろう。可哀想に思われてしまったか。
王都別邸で出された高級素材のお食事ももちろん美味しかったが、ここでのレオンの手料理は別格だった。いつも食べていた何気ない食材が魔法のように美味しくなる。この人、なんでもできてしまうんだな。
柔らかい白パンも久しぶりだった。レオンは相変わらず小さく千切っては私の口にパンのかけらをそっと押し込んでくる。
たんぱく質なんて滅多にありつけなかったからチーズも鶏も美味しくいただいた。ロースト肉を美しい所作で切り分けていくレオンを見ながら、レオンなら焼き魚もきれいに骨をとって食べそうだなと思った。自由になったら今度は私が振る舞ってみたい。
最後の干し葡萄は自分で食べようとしたのに、ひと粒ずつレオンが口に運んでくる。粒が小さいから、口に入れるときレオンの指先がかすかに唇に触れる。そのたびにぞわぞわと変な気持ちになって落ち着かない。
「シアンさん、わざとやってますよね」
「こんな名前にするんじゃなかった」
レオンがぼそぼそと拗ねたように言う。こちらが責めているのに、妙なところで引っかかっているらしい。
「それってリュシアンからですか」
「私以外の名前はどうしてそうさらっと口にするんだ」
また小さい声でぶつぶつ言っていたが、私が最後の干し葡萄を食べ終わると、手早くテーブルの上を片付けて、クロスを扉の鉄格子に引っ掛けた。地厚のクロスは外からの目隠しになる。
「たびたび灯りが消えると怪しまれますので」
たしかに小さな窓から漏れる灯りは、外の衛兵からも確認できる。というか、灯りを消したり、扉に目隠しが必要なことをするんだろうか。私がどきどきしていると、レオンは胸元から小さく折り畳んだ紙を取り出した。
「見取り図です」
ああ、私の色ぼけ。恥ずかしい。昨日の続きをされるのかと思ったら学習タイムだった。
「安全上、お渡しはできないので少しずつ覚えましょう」
レオンは紙にランプの火を近づける。そこにはこの塔の外観や位置が走り書きで示されていた。
「ここは王都の教会の敷地内で、聖殿の左翼です。この辺りに来たことはありますか」
私は首を振った。あまり覚えていない。しかし見覚えのある調度品があった。もしかしたら来たことがあるかもしれないけど、通路や配置を変更しているかもしれない。だから自分がどこにいるのかよくわからなかった。
「それはあり得ると思います。今朝司教についていたとき、行き止まりの通路を複数見ました。定期的に移動ルートを組み替えているかもしれません」
「司教とずっと一緒だったのですか」
レオンは私の質問に一瞬、固まったように見えた。
「誤解のないように先にお伝えしておくと、多少のシナは作っています。ですが口付けも、それ以上のことも許していませんよ」
それを聞いて、私はなんとなく嫌な感じを受けた。攻防はしているが何かしらちょっかいを出されているということなのか?
私はほとんど衝動的にレオンの頬を両手で押さえて、軽く唇を重ねた。司教なんぞに嫉妬するなんて私も相当のぼせている。マーキングしたい欲が膨れ上がってしまった。
「嬉しい。ミラの嫉妬とは」
レオンが恍惚の表情で手の甲を唇に押し当てる。
「ですが、まずは覚えましょう」
レオンは自分にも言い聞かせるように、またスッとテーブルに広げた紙に目線を戻す。何この切り替えの早さは。私の脱出を自ら任務として認識したのだろうか、レオンの仕事モードが強すぎる。ちょっと引いている私を見て、レオンはふっと笑う。
「覚えたら続きをしましょう」
それを聞いた私は血眼になって各階の見取り図を頭の中に叩き込み始めた。




