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03 天幕



暗闇の中でほんのわずかな衣擦れの音がする。見知らぬ男のかすかな息も聞こえる。


パチと目を開く。眠ってしまった。自分には毛布がかかっている。ふだん床の上にそのまま寝ているから、混乱した。ここはどこだ。ああ、そうだった。あのまま寝てしまったんだ。いろいろと思い出してきた。素肌に直に着たガウンコートから持ち主のいい匂いがする。お貴族様ってなんかいい匂いするよなあ。

いけない、うっとりしている場合ではない。私は夜伽の相手として呼ばれたんだった。毛布をかけてくれただろう隣の男に襲われる覚悟をしたが、一向に何も起こらない。人の気配はしているのに。


闇に目が慣れてきた。

ふと衣擦れの音がする方に顔を向けると、組み敷かれたまま、こちらを向いているレオンと目があった。レオンの上には体格の良い男が覆い被さっている。野盗だろうか。だがレオンもすごく困っている感じではなく、男も愛を囁いていたので、これはお邪魔したと思い、知らぬふりをして再び天井を見上げて目を閉じた。するとすぐさまレオンから指示がきた。


「叫べ」


言われて適当に「キャーーーーーー」と声を上げた。


すぐに周囲の天幕に灯りがつき、ドタドタ足音がしたと思うと「入ります」という声とともに、数人の護衛が天幕をくぐった。レオンは自分にのしかかっていた男を軽く蹴飛ばすと、


「捕縛せよ」


と小さく言った。

護衛たちが男を連行する。護衛と入れ替わるように身なりの良い男が天幕をくぐった。


「女を求めて侵入した」

レオンは寝床から立ち上がると机に向かい、さらさらっと何か書いた。便箋をピリと破り、紙を差し出す。

「南方に配置換えをしろ」

身なりのいい男はレオンの紙を受け取らない。


「隊長への暴行は中央軍法会議ものでしょう」

「優秀な騎士なんだ」

子どもがお願いするように上目遣いでレオンが紙をさらに前へ突き出す。


「あなたが煽るからですよ」

ため息をついて、身綺麗な男は両手で紙を受け取って、前を向いたままスッと後ろに下がる。私は前世を思い出して、卒業書証授与みたいだなと思った。


「引き続き人払(ひとばら)いしますか」

「いやお前はそこにいて」

「……あの、この後もされますか」

「しない」

「わかりました」


「ありがとうリュシアン」

リュシアンとやらは再びため息をついて、天幕を下がった。天幕から少しだけ離れた場所にリュシアンの影が残り続ける。


『この後()されますか』

あの感じだとみんな私たちがそういうことをしたと思っている気がする。頭が良さそうなリュシアンとやらですらそうだ。けれど私にはその記憶がないし、今ではもうこの男が女を襲うような人間に見えなかった。しかしこの男はそれを否定しない。


「してないですよね?」

疑問に思って私は椅子に座っているレオンに言った。返事はない。聞こえなかったのかと思ってもう一度聞いた。


「してないですよね?総長」

「は、どうだったかな」

とぼけたレオンが笑って「総長って何」と言ってまた笑った。

意外と砕けた感じで驚いた。


というより先ほど自分もよくこの男に話しかけたなと思った。それを許す雰囲気がこの天幕にはあった。自国なら相手が悪ければ首と胴が離れている。

温泉でのレオンも、母国で聞き及んでいたその人とは違った。この辺りは二国間で小競り合いが続く紛争地だ。真実の姿なんてものは自分で直接見るしかないのかもしれない。

冷徹な軍人の姿もこの男の「振る舞い」なのかもしれないな、とふと思って聞いてみた。


「私はどのように振る舞えば良いのですか」

「賢い女を拾ったものだ」


レオンは行儀悪く机にほおづえをつきながら私を眺める。

それがなんとも色気があった。


「お貴族様の言葉は遠回しでよくわかりません」



レオンは毛布に戻り、自分の横をぽんぽんと叩いた。

「こっちにおいで」

「手錠が」

「悪い、そうだった」


手錠の存在をすっかり忘れていた男は、毛布を引っ張って自分の方から私に寄ってきた。ふわりと香を炊いたようないい匂いが強くなる。


「先ほどの問いだったな。実際にお前を抱いたかどうかは重要ではない。天幕に呼んだ事実が必要なんだ。私もお前も」

「私もですか」

「ランベルトの騎士がお前を()けていたぞ」


気づかなかった。


「密入国者は明日にでも中央に送られる。そこで裁判がある。しかし私がお前に手をつけていれば、お前が何者であっても処刑にはならない。ランベルトに引き渡しもない、少なくとも半年は」

レオンは含みをもってこちらを見る。


「私の子がいるかもしれないからな」


そう言って私のお腹の上のあたりで優しく毛布をとんとんした。

イマジナリー我が子が見えた気がした。してないのに。


「その間に策も立てられよう」

半年は延命した、私。


レオンは少し目を伏せて話を続ける。

頬に長い睫毛の影が落ちる。


「さっきのアレだが普通なら極刑だ。騎士の名誉も剥奪される。私は上官であり貴族だからな。だが女を欲したのであれば罪は軽い。お前には悪いが、女の命と尊厳がなんとも軽い国なんだ」


へぇ、前世の私の国と同じですね、と言いそうになった。ああ、今世の母国もそうだったか。


「だからお前がここにいてくれると助かる」


言ったそばから外でリュシアンと何者かの口論が聞こえた。

もう1人来たみたいだ。


「みんな総長のことが好きなんですね」

「ここには娯楽がないからだよ」


レオンは苦笑いした。

そうだろうか。私は先ほど捕縛された男の思い詰めた表情を思い出した。そういう短絡的な欲ではないように思う。私みたいなポッと出のちんちくりんを相手にするくらいなら自分が、と考える信望者は少なくないだろう。そんなこと、この男もわかっているだろうけど。

私はそんなことを考えながらレオンを見た。彼もまたアイスグレーの瞳で私の顔を眺めていた。


「お前が良ければ裁判のあとも私が世話をしようか」

「なんでですか」

「気に入ったから」

「どこがですか」


レオンは少し考えて

「好きな(ひと)と湯の入り方が似ていた」

と言った。


やはりお貴族様の言葉は遠回しでよくわからないな、と私は思った。


「信用して大丈夫なんですか」

「人を見る目には自信がある」


レオンは自分の目もとを指さした。灰目がランプの灯りで暖かく揺らいでいる。レオンはこの目でやたらじっと見てくる。


「それにお前が殺る気ならとうに刺されてる」


そんなものかと思っていたらまたお香のような匂いに包まれる。


「寒い」


と言ってレオンが私ごと毛布で包んできた。これはついに夜伽が始まるのかと両手をグーで構えたのだが、レオンはそのまま落ちるように眠ってしまった。


なんなんだ…しなくていいのか?


ほっとしたような、少し残念なような……だなんて残念がってしまったのが恥ずかしかった。



本編外小話


◇◇


「あの者は本当に良い騎士だったのだ。私に狂ってしまったこと以外は。しかし私への熱狂を止めることはできない。一緒に戦場で死ねと皆に言わなければならないから」


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