02 氷の女王様(2)
◇◇
天幕から別の入り口を出て、林の中の暗がりを進む。レオンが手持ちランプをかざしながら私に前を歩かせる。本格的な冬はこれからだが、肌着1枚の私は寒さで歯の根が噛み合わない。
あまりに臭い女だったからこの辺に捨てられるのかなあ。
獣に喰われて死ぬのか、凍死するのが早いのか。歩かされながら自分の末路を想像していると、覚えのある匂いが鼻先を掠める。
温泉だ。
硫黄の匂いがどんどん強くなる。ここ温泉あったのか。前世で日本人だった頃の性なのか、これから死ぬというのに心が弾む。死ぬ前に入らせてくれないかなあ。そわそわしていると泉の前でレオンが立ち止まって言った。
「入れ」
まさかの展開だ。私は湯に浸かれる喜びで胸がいっぱいになる。今世の暮らしでは水浴びがせいぜいだったから。
源泉の周りは大小の石で囲ってあって、前世の露天風呂に似ていた。そこまで大きくはなく家族風呂ほどでこじんまりしている。さっそく入ろうとしたが、林の中を素足で歩いてきたからだいぶ足が汚れていた。私は温泉のへりを少し見回して石の上をちょろちょろ溢れ出ている流れを利用し足の裏の汚れをすすいだ。
満を辞して湯にまず片足を入れる。そしてもう片方も。ふくらはぎにかかるくらいの深さだったが天国だった。
足湯だ〜。
つい囚われの身であることを忘れて、目を閉じ足先の温かさを味わう。
「入れ」
レオンが足湯を楽しんでいる私に再び言った。ここより先に入れという意味か。これ以上の深さだと汚れた服が湯に浸かってしまう。それは前世日本人として許し難きことだった。だが敵将に入れと言われたなら仕方ない。掛け湯もしなくてごめんなさいと温泉に心の中で謝りながら、慎重に摺り足で奥に進む。
1段分は階段状になっていたが、あとは平らだった。私は着衣のまま肩まで湯に浸かった。あったまる。できればこの肌着も脱ぎたいくらいだ。その様子をレオンはじっと観察する。私の身体の品定めか。たいしたものは持ち合わせていないが。視線を感じていたものの、湯のまろやかさにどうでも良くなっていた。私は湯を堪能しようと瞼を閉じた。
どのくらい時間が経ったろうか。身体はだいぶ温まっていた。閉じていた瞼を開ける。すると湯面に反射する灯りが揺れ、レオンがランプを足元に置いたのがわかる。
どこから持ってきたのか、レオンはかがんで木の椀のようなものでお湯を掬っていた。手でも洗うのかなと思ったら、それを私の後頭部にゆっくりかけ流した。
お湯シャンだ……。
何度か掬ってはかけ、掬ってはかけを繰り返す。さらに布を重ねて畳んだものでお湯のかかった私の顔をゆっくりと拭き始めた。なんだろう、まるでエステみたいだ。その形を確かめるように、目のくぼみ、鼻の脇、耳の穴まで丁寧に拭いてくれる。最後にその布を滑らせながら髪の毛の水気をとんとんとんと吸い取った。ほんとうに何事なのか。
私は『注文の多い料理店』を思い出していた。もてなされていたのは化け物が自分を美味しく頂戴するためだった、というオチの物語だ。あの話の主人公らは裕福な青年だったから逃げ出した。けれど私は違う。酷かった今世の最後にこんなによくしてもらったなら、私はこの男に美味しく食べられてもかまわない。私が美味しいかどうかは知らないけど。
うっとり身を任せる私を見てレオンは愉快そうに言った。
「はは、お前はランデルトの人間に見えないな」
そうして彼は、びっくりして見上げる私の口輪布をほどき始めた。
◇◇
「裁判が終わるまでこっちは外せないが」
湯から出ると手縄の代わりに、金属の黒い手錠を嵌められた。指示された通りに後ろ手から足を伝って縄跳びのように手を前に通す。可動域は縄より広くなって生活に関わるおよそのことはできそうだ。ただ着替えはできない。
レオンは灯りを少し遠くに置いて、ランプのオイルを絞った。辺りが一段階、暗くなる。私の背後に立ち、ワンピースの肌着を肩の形に沿ってナイフで切る。うすら灯りのなか落ち葉の音がして濡れた肌着が足元にパサと落ちた。私は生まれたままの姿になった。一瞬ここで襲われるのかと思ったが違った。レオンは自分が重ね着していたガウンコートを1枚脱いで、私の肩にふわりとかけた。あれは私のためだった。生きて戻る前提の行為がここにもあった。
レオンはランプのオイルをさらに絞ると、私の前に回り込み、ほとんど暗闇の中で器用に胡桃ボタンを次々と紐に引っ掛け、ガウンの前を閉じていく。私が着ていたボロの肌着のお湯を絞り、ランプを拾い上げて光を調整する。また辺りが明るくなった。
「しまった、靴を忘れた」
言ってからレオンは私をひょいと担ぎ上げた。敵国の将に抱っこされながら私は元の林道を戻る。私を抱きかかえた腕にランプの持ち紐を引っ掛けていたから、歩くたびに不安定な光が林の中をぐらんぐらん揺れた。木々の間を光と影が複雑に反射してうごめいている。
綺麗だ。このあと処刑されるかもしれないけれど、最後に綺麗なものを見れて良かった。ランプの柔らかい光は男の顔にも光と影を作る。綺麗なものの中にはこの男も入るだろう。温かい腕の中でゆらゆらする光を見ていたら急に眠くなってきた。母国にいたころ、男の前では自分を刃物で刺してでも眠気を飛ばしていたというのに。敵将の心音を聞きながら私は眠気に任せて目を閉じた。




