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23 前侯爵


隠居した父上の屋敷に馬車を走らせる。

本邸からさほど遠くない地だったが、なかなか足が向かなかった。父上の屋敷には義理の母であるミレナ様もいる。ミレナ様はとても気立の良い健康な方で、側室として立った後、すぐに父上との間に男児を三人もうけた。

義理母から腹違いの子として虐げられたことは無く、むしろ嫡男として贔屓されていた。正直、実子を差し置いて優先されるのは居心地が悪かった。義理母は「お家のため」を幼少から叩き込まれた貴族らしい貴族なのだ。


あれほど支援を受けたのに、当主を降りると言ったら父上にもミレナ様にも失望されるだろうか。

今日はリュシアンも同行している。長らく娼館通いをしたうえ、爵位の返上となれば今まで支えてくれたリュシアンも愛想を尽かすことだろう。



父上の別邸は意外にも白を基調とした柔らかい外装で、前庭にはふんだんな植栽があった。春にはきっと無数の花が咲き乱れるだろう。

前はこんなだったろうか。ミレナ様のご趣味だろうか。女性の好みで整えられた屋敷はだいたいどこも家庭円満だ。

自分の住む本邸を思い浮かべる。王都別邸と同じく、洗練された要塞といった雰囲気の邸宅だ。ミラだったらどんな家に改装してくれるかな、などと夢を見る。彼女なら、装飾よりもセキュアな要塞らしさを求めるかもしれない。王都別邸に滞在中も、機動力が下がるので、足捌きが悪いので、無駄遣いなので、などと言ってシンプルなデザインのドレスしか贈らせてもらえなかった。



約束の時間をいくらか過ぎた。待合の部屋でぬるくなったお茶を飲もうか迷っていると、ようやく、父の執事に呼ばれた。父の書斎に入るのはいくつになっても緊張する。私は罵倒されるだろうか。



◇◇



「いいんじゃないか、辞めなくて」


父はティーソーサーを持ち上げながら軽く言った。

書斎で話すのかと思ったが、先ほど準備をしたからと温室に通され、アイアンの白テーブルでお茶を振舞われている。「意外とここのほうが人に聞かれないからね」と父上は案内しながら言っていた。


当主として婚姻を結ぶつもりはないこと、爵位を実弟もしくは義弟に譲りたいこと、隣国へ入る準備をしていること、それらを父上に報告した。その返答がこれだ。辞めなくていいとは?


「ですが、領のことを放っては」

「一時的に私が戻ろうか、暇だし」

「「えっ」」


控えていたリュシアンと声が重なってしまった。リュシアンは「失礼を」と小さく言って、いま一歩後ろに下がる。


「リオネルにはまだ無理だろう。マティスたちにも」


リオネルは近衛の騎士団長、マティスは異母弟である。


「マティスやリオネルの歳にはもう実務を背負っていましたが」

「お前は人より特別よくできるんだ。それに無自覚なのは残酷だよ」


言葉に窮した。上位の爵位を取れるし財も増える。弟たちからしたら良い提案だと思っていた。実際、私は侯爵位がそれほど負担ではなかった。今回は地理的に領を離れるため、引き継ぎの対応が必要だと考えたに過ぎない。


「爵位はいじらない。私が後見人として立つだけだ。実務と決済を預かろう」


思いがけない申し出を、まだ咀嚼できていない。

ミラのことは伏せたが父が知らぬはずは無かった。女のために国を離れるなど咎められるとばかり思っていた。


「ベルナデット殿下と婚姻解消したばかりだろう。白い結婚とはいえ王女を出戻りにしたんだ。お前は陛下から目をつけられているよ。爵位を返して、ただの騎士になったらそれこそお前の身が危ない」


父上はゆっくりと私を眺める。


「お前が守ってきた領が、今度はお前を守ってくれる。面白いものだろう」


確かにフェーベルン領は豊かな財源だ。王家といえど容易く手出しはできない。ただそういう風には考えたことがなかった。目が開いた心持ちだ。


「感謝しても尽くしきれません、父上」


私は深く頭を下げた。


「お前の母に頼まれていたのだ」

「母上…ですか」

「お前は小さいのにわがままひとつ言わない子だったから、この子がもし何かお願いをしにきたら、ぜひ叶えてあげてくださいと」


父上は遠くを見るように言う。


「爵位を返したい、というのがお前の願いではあったが、それは本質ではないのだろう?」


父はこんな男だったか?母はなぜあんな父と結婚したのだろう、なぜ父のために命を削ってまで子を産んだのだろう、と思っていたが、見えてなかったのは私のほうなのかもしれない。


「そのお願いごとはひとつまでですか」

「いいよ。婚姻は強要しないし、する場合も相手の身分は問わない」

「……ありがとうございます父上」

「あとはお前が帰ってくるだけだ。無事を祈ろう」



◇◇



温室を出て、本館まで見送られる。


「なかなかお願いをされない、全部自分で解決してしまうから。と思っていたら、やっと私のところに来た」


そう言って父は私の背中に手を添えた。


もっと早く父上と話せば良かったと思った。私たちは仕事に関わること以外で会話をしたことがなかった。

私は恥ずかしさもあって、庭を見やりながら言う。


「花の株がずいぶん増えましたね。ミレナ様ですか」

「いや?私の趣味だ」


固まった私の表情を見て父が笑う。

本当に父のことを何も知らなかった。


「また来るといい。今度は逃避行の姫もごいっしょに」


赤面した。

厳格な父親のイメージをずっと持っていた。父上がこういう方だとは知らなかったなと思いながら、私は深く一礼した。



本編外メモ

◇◇

異母弟

マティス

マリウス

マルセル

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