20 越境帯
「娼館の娘を身請けなさったという、王宮の噂が…」
リュシアンが震える声で問うてきた。
私は事実だけ述べた。
「本当だ」
リュシアンはヨロヨロと手近にあった椅子に寄りかかる。
「そのお方は今どこに…婚外子がお生まれになったら」
「そういうことはしていない。その者も里へ帰した」
「ご関係のない方のお身請けですか」
リュシアンは疑わしげに私を見る。
「偶然に知った。ミラの友人だった」
広い意味で嘘は言っていない。
「せめてもの罪滅ぼしだ」
こういえばリュシアンは何も言えないとわかっていた。
ミラが聖典に書き走った文字は国外の文献をいくら取り寄せても解読の糸口がなかった。あの娘は学者でもわからぬものを言い当てたのだから、勲章ものだろう。
さらにミラの手がかりになる情報まで得られた。身請け代では安いくらいだ。
『人に優しくしてもらったのは久しぶりなので』とミラは言っていた。であれば。数少ない優しさを渡してくれた娘だ。ミラの生まれた集落とともにあの娘の村にも援助をしたい。そう考えると子がいることにしたほうがリュシアンへの説明には都合が良いのか?だがミラにもし会えたらそのとき私はいっそう嫌われる。
考えているうちにいいことを思いついた。
出仕してからずっと働き詰めで、自分の財には手をつけていない。知り得たミラの出生地の情報は隠しておきたいのもあるし、気狭いことを考えず越境帯全域を支援すれば済むことではないか?
しばらく無気力に生きてきたがやることが増えてきた。
自室に戻って、鍵のかかった箱を開ける。
中にはミラの聖典がある。本の真ん中くらいの、雑に破かれたページをそっと撫でた。
◇◇
「この字はどこで」
平静を装いきれない切羽詰まった声で聞いてしまった。だが娘は酔っていたし、貴族のような読み合いもなく、素直にすっかり話してくれた。
「ランベルトによく出稼ぎに行ってたんです。前は景気が良かったんで。北の教会の聖典祭の手伝いをしたときに世話係になった教会の女の子が教えてくれました」
教会の子はあたしら出稼ぎよりもコキ使われていて。食事も半分の半分でした。そうやって『修行』しないといけないらしいです。あんまり可哀想なんでこっそりあたしのパンをあげたら、お礼できるものが何もないっていうんです。お礼なんていいのに。なんで、その子が本に何か書いてたからじゃあそれを教えてくれって言いました。あたし字が書けないから。
でもその子の教えてくれた字、誰も知らなくてみんなに馬鹿にされたからもうずっと人に言ったことなかったです。
でも領主様がお使いになる字だったなんて!みんな知らないはずだ!
難しい字のほうはすぐ覚わらなくて、本の白が多いページに書いてびりっと破ってくれました。でもその切れっぱしを持っていたら怒られるかもしれないからって、それから急いで覚えて二人で炊事場の火で燃やしました。
ほんとは言っちゃダメらしいんですが領主さまなら大丈夫と思うので言うんですけど、その子は小さい頃から山や天気にくわしくて、それで聖なる力があるかもしれないといって、教会の人に連れてかれたけど、そんな力はないって言ってました。
あっちの国では教会が聖なる力がありそうな子をたくさん集めて『修行』して、国の聖なる力を高めるんだそうです。
ときどきパンを分けているうちに、もう1人教会の子がやってきました。2人にあげるとあたしのぶんが無くなってしまうからどうしようかなと思ってたら、その新しい教会の子が脱走したんです。その子は聖典祭で役があったのに。それでパンの子が変わりに出たんです。そしたら教会の人といっしょにきたお貴族様がこっちのほうが可愛いからこっちでいいってパンの子を連れて行ってしまいました。脱走した子も可愛かったのに。
脱走した子は足を滑らしたんですかね、教会の裏山の沢で見つかりました。
教会の子は教会の人にしか名前を言えないんですが、その子は死んじゃったので、じょせきだからいいってことで、村の人がしてくれた葬式で名前を聞きました。エルミラって女の子でした。自分に名前が似てたから覚えてます。
本編外小話
◇◇
あ、ミラージュは本名です。
本名をつけるなんてばかねって姐さん方に言われたんですけど、こんな素敵な領主様に呼ばれるなんて、この名前にして良かったです。




