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17 喪失(2)

◇◇



引き渡し条件通り、ランベルトと停戦合意がなされた。


完全な休戦ではないものの、ここ数年の治安維持に最も手がかかったのが北部のランベルト国境線だったため、国境隊は暇になった。

これを機に長期の里帰りをしたり、退役を希望する者も多く出たため各拠点の縮小を始める。長きに渡る設備投資で国庫もそれほど潤沢ではない。紛争や戦争は金がかかる。わが国は一番安い方法で治安を得た。ミラを代償に。


対ランベルト拠点で執務整理をする。ミラと出会った前線だ。ここの源泉の設備は父が母のために拵えたのだろうか。私が着任する前からあった。私が生まれた頃はまだ隣国とゆるやかで穏やかな国交があったため、ここまで一般人が張り出しても危険はなかった。父は母を療養に連れてきたのだろうか。


待望の嫡男だったから、乳母や侍女に任せずあれこれと自分で子の世話をしたがる母は疎まれた。

私が母と湯に入ったのも本邸とは離れた場所だった。ここの源泉だったかは覚えがない。見つかったとき、嫡男と同じ湯に入るなど穢らわしいと誰かに言われた。それは覚えている。

私が女子であればまた違ったろうか。私は母の心を救えただろうか。いや女子なら早く次を産めという圧力はもっと重たかったろう。


ここは思い出すものが多くてつらい。

しかし感情の起伏というのがとても贅沢で尊いものだと、平坦な日常に気づかされる。


押収品庫も見回る。ここも片付けなければ。

ふと下段の棚に目が留まった。板に直書きで押収日が示してある。ミラを捕縛した日だ。

あの日、獣に襲われ助けを求めてきた商隊の押収品もあった。商隊自体は入国許可証を得ていたが、彼らの荷車には持ち込み不可の交易品が含まれていた。獣の被害で慌てていなければうまく持ち込まれていたかもしれない。

押収品の中に半分解かれた布の包みがあった。このような包みに見覚えがある。母だ。フロシキと言っていたか。母は魔法のようにどんな物でも布で閉じ込めて包むことができた。大人になってみれば理屈はわかるが、幼い私にとっては魔法だった。そして、それを見るのが好きだった。

この押収品の布を解いた者は、フロシキの結びを元に戻すやり方を知らなかったのだろう。押収品はなるべく見つけた時のままの状態で保管しなければならない。元に戻せないから一部だけ解いて中身を取り出し、点検したと見える。

フロシキの持ち主は母と同郷の者かもしれない。そんな期待から、少し解かれたフロシキの角を広げて、やや雑に戻されていた中身を取り出してみる。



ミラだ。



感情の渦が胸に込み上げてくる。衣類と、いくつかの小物と、本と、小さな箱と。女物の衣類の仕立て方や持ち物のあしらい飾りに見覚えがあった。そういえばミラは逃げるときに荷物を置いてきてしまったと言っていた。そしてあの商隊に女はいなかった。

戦時用の識別札にはミラの名前がある。苗字はない。エルミラは後年付けられた名前なのだろうか。


識別札を見て胸がギシギシと痛む。私はあのときエルミラ妃が名をミラと偽証していた可能性を思った。ベルナデット様はミラが王太子妃などあり得ないと言ったが、私は否定できなかった。けれどひとつ、自分の愚かな猜疑が晴れた。ミラの名前はミラだった。


ミラは私が侯爵位であることを畏れていた。貴族と平民の身分差を気にしていた。そんなこと気にする必要はないと思っていた。養子縁組をして家名を借りれば済むことだと。だが、どうだ。ひとたびミラが他国の王太子妃かもしれないという可能性が出てきたら、私は触れるのも畏れ多いという気持ちに呑まれた。長年貴族社会で生きてきた、しかも騎士として。私はどうも王族に条件反射で恭順し、へつらう習性があるようだ。

ベルナデット様にしても、婚姻関係の中でずっと上司と部下だった。軽口は言い合っても、あの方には一歩引いていた。いくら白い結婚といえど、もっと歩み寄れたのではないかと今は思う。


衣類を丁寧に広げる。ひとつは質素な平民服で、もうひとつは白を基調とした銀糸の入ったドレスだった。おそらくは「聖乙女」の制服だろうが、このアンバランスさは一体なんだ。

ドレスは宝石が縫い付けられていたであろう箇所がいくつかほつれていたり破れていたりする。押収されるまでに誰かがくすねたのか、それともミラが自分で路銀にしたのか。

それにヴェール。ドレスを広げたときにハラと落ちた白いヴェールからなんとなく禍々しいものを感じた。手袋をはめ、検品用の鍵箱に入れる。国境隊を兼務する憲兵の伝手で調査員を呼ぼう。


次に本を手に取る。片手ほどの大きさで分厚い。表には何も書かれていなかったが中を見ると経典のようだった。ランベルト国教の聖典かもしれない。

ランベルトもノルドも、その他周辺のいくつかの小国も、ここ一帯は昔、元々ひとつの国だった。それぞれに言語の発展を遂げたが、基本の言葉遣いや仕組みは同じで、文字も8割方読むことができる。読み進めると、聖典の内容はおおむね、厳格な戒律を説く禁欲的なものだった。


ふと聖典に加筆された文字に目が留まる。暗号のようだった。3種類の文字を組み合わせ複雑な構造をしている。規則性があるようで無かった。これはどの国の言語なのだろう。

いろんなページの余白に小さな文字で走り書いてある。

聖典に関する研究か何かかと思ったが、たまにらくがきのような絵も書かれていて、私はふっと笑ってしまった。もしかしたらまったく関係のないことを、ここに書いているのかもしれない。紛争の絶えないランベルトで紙は貴重品だ。しかし聖典であれば比較的簡易に手に入る。聖典をただの紙としか見ていない、というのが面白い。ふつうは神聖なる教義書に書き込みなどしないのだ。


信仰心があるのか無いのかわからんな。


出会った頃の飄々としたミラを思い出して、笑いが込み上げてくる。

識別札にあったミラの出身地は遊牧民もいる越境地域の集落だ。便宜上の管轄こそランデルトだが国家には属していない。

その地の言葉だろうか。


読みたい。


私は猛烈な知識欲に駆られた。この文字を解読したい。幸い国境隊の活動は小休止で、自由な時間も多い。だが、なるべく自分ひとりで進めないとならない。書き込みの内容によってはランベルトにいるミラに危険が及ぶかもしれないからだ。


そしてもうひとつの希望。先ほどのミラの識別札を確認したときに思い至った。この世界で国籍の壁は思いのほか厚い。他国の人間に対して下手を打つと内政干渉として戦争の火種になる。

しかし元々ランデルトの庇護下でないのなら……私はミラを取り戻せるのではないか。私がミラは私の顔など二度と見たくないかもしれないが。


私は秘密裏に調べ始めた。ミラの出生、この言語について。最初の手がかりは同じ日に捕らえたあの商隊だ。



◇◇

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