10 城下町(2)
◇◇
身辺が落ち着いたころ「エマさんにお客さんだよ」と店の女主人に言われて、裏手に回ると、この辺りに似つかわしくない身なりの良い男が立っていた。
リュシアンだった。
すぐにあの日のことが頭の中に再生される。私は駆け寄って一礼をする。
「リュシアン様、私、嫌な役目をあなたに押し付けてしまって、あの時は本当にすみませんでした」
『ベルナデット様って…』侯爵邸で私が放った言葉だ。あれはリュシアンではなくレオンにきちんと聞くべきだった。当事者であるレオンの顔を見ないまま逃げてしまった。
「そんな…」
侯爵邸をご正室と鉢合わせて一目散に飛び出すことになり奥様にも申し訳も立たない。後から訴えられたりするのだろうか。いや元王族だぞ。訴えるどころか今度こそ処刑ではないか。そう思うと落ち着かなかった。
「訴状などお持ちになったのでしょうか」
「訴状!?」
「いえあれは圧倒的に閣下が悪いのです。いや悪いことはしていないのですが、ええと」
リュシアンは歯にものが挟まったようにモゴモゴしている。
浮気や不倫は悪いことには入らないんだ。お貴族様の世界は、やはりよくわからない。もしくは平民が相手ならカウントされないのかもしれない。考えていて虚しくなる。
しばらくこめかみを抑えていたリュシアンは、主人の色恋事情について弁明するのを諦めたらしい。
「お手紙ありがとうございました。本日はご不便がないか様子を伺いにきたのです。それと」
リュシアンは慎重に用件を伝える。
「ベルナデット様がエマ様に会いたいとのことで。場所は王宮になるのですが…」
「王宮の門前で公開処刑ですか」
「えっ!?」
「今すぐにでも伺います」
両手首を揃えて差し出す私を見て、リュシアンは瞬時に計画を変えたらしい。
「お茶会にしましょう。そういうご提案もあったのです。きちんと招待状をお持ちします。今働いているお店にお休みをとれる日を聞いてみてください。そのときにお召しになる服も、私がご用意します」
お茶会の場で、ひっそりと毒殺されるんだ。表立っての処刑だとかえって余計な醜聞が広まって奥様もおつらいだろう。
私はリュシアンを待たせて、女主人へは、以前に世話になったお貴族様からの呼び出しがあった、とだけ伝えた。主人は「お貴族様!?そんなの断れないでしょうよ、いいよ、いつでもいいよ」と快諾してくれた。逆に、こちらの都合を聞いてくださるなんていいお貴族様じゃないか、と感心された。
ついでに自分の部屋に行って、ベッド足に手を伸ばし、隠しておいた布皮袋を取り出す。リュシアンが渡してくれた路銀である。この生活が始まったばかりのころ有り難く使わせてもらった金額はすでに戻していたが、チェストの引き出しを開け給金袋からもうひと声、中身を追加した。チャリと硬い音が鳴る。それから店の裏に急いで戻る。
「用立てていただき、ありがとうございました」
袋を手渡すと、リュシアンは一応中身をあらためて、困った顔になった。路銀を渡された時より増やしておいた。
「利子です」
こうすればリュシアンがお茶会のために用意する「お召しもの」が高価になることはない。
店の主人から日にちはいつでもいいと言われたこと伝えると、また招待状をお届けに伺いますね、と一礼してリュシアンは帰って行った。
店に戻ると主人がぱあと顔を輝かせて声をかけてきた。
「あんた、お貴族様のところでも働いていたんだね。だったらこれ届けてくれないか。そう遠く無いお子爵邸なんだけれど、私には敷居が高くてね」
たまたま入荷していた南方の果物だったが、この辺りで仕入れできたのがこの店だけだったらしい。それで配達のお声がかかったと。布をかぶせた籠から柑橘系の良い香りがした。籠に山盛り入っていてずしりと重い。
「けっこう重いし終わったら今日はそのまま上がっていいよ。届けのサインをもらい忘れないようにね。あ、ところで字は読めるのかい」
◇◇
物心ついた頃から前世の記憶があった。だから私はみんなもそれぞれ前世の記憶を持っている前提で暮らしていた。ところがみんなふつうに前世の記憶があるわけでは無かったのだ。
成長するうち、前世の話をするせいで様子のおかしい子ども扱いされていることに気づいた。それから前世のことはひた隠すようになった。
ただ、もしも前世日本人に会えたらという希望もあって、ときどき日本語のメモを残していた。前世で使えた言葉は日本語と、英語を少し。こちらの世界の言葉は英語に似ているかもしれない。日本語よりは覚えるのが簡単だった。この世界の識字率はそれほど高くないようで、うっかりあれこれ読まないように気をつけている。地図も要注意だ。
なので本当ならもっとすぐに着く子爵邸も、のろのろと適当に迂回して辿り着く。呼び鈴を鳴らすと使用人が出てきた。
「遅かったわね。まあ字が読めないとこの路地は難しいわよね」
門扉の前で品物を渡そうとするが、重そうだなと思ったのか、使用人は厨房まで運んでくれと言ってきた。
初対面の人間を敷地に入れるとは。ノルドは平和だなと思いながら厨房まで使用人の後ろをついて歩く。
厨房の角には大きな分厚い木製テーブルがあった。その端に籠を置いておけと言われる。そこでは使用人たちが軽食をとっていた。小綺麗なお仕着せは侍女たちだろうか。
「それでお嬢様が!せっかくなら当たって砕けてやるわと張り切っているのよ」
「逃避行の姫と再婚するんじゃ無いの?」
「そのために離婚したと考えるのが自然よねえ」
「離婚じゃなくて婚姻解消」
「事情はともかく、いつもならさっさと領地にお帰りなるフェーベルン卿が王都にいるっていうのが貴重なのよ」
「お嬢様はなんなら一夜のお相手でもいいと言っているわ」
「お館様が聞いたら卒倒するわね」
「ベルナデット様の手前、動けなかった王宮の女たちもそわそわしてるらしいわよ」
レオンとベルナデット様が離婚!?
もしも私のせいだったら…。今日提案されたお茶会のことを思い出した。私は何のためにベルナデット様に呼ばれるのだろう。謝罪して毒をあおるくらいでは済まないことを覚悟した。




