98、『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』最終巻②《3年目》
明日も更新します。この最終巻が終わると卒業パーティーの話になります。
ある令嬢のタウンハウスでは、令嬢自らが使用人たちも読むようにと、貴族が読む装丁の本を置いたりもしていた。
学園で複製された粗悪なものではなく、美しい装丁。
今、巷では『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』が男女問わず流行していた。
「この本、学園で今一番流行っている本よ。面白いから、あなたたちも暇な時に読んでみるといいわ」
「あ、こちらの本は……! お嬢様……ありがとうございます!」
「あら、知っているの? あなたたちの間でも、流行っているのかしら」
「はい! 最近、町中の本屋にも置かれるようになりまして、すぐに売り切れてしまうのです! 他のお屋敷に勤めている友人にお嬢様たちがお読みになる此方の装丁の物を読んだと伝えましたら、きっと驚かれます……!」
「ああ、今は安価な装丁の物も出ているのでしたね。私たちが読んでいるものには、巻末に全て追加の話や挿絵が載っているのよ」
「す、凄いです……!」
「ふふ、じゃあ、複数用意してあげるわ。他の娘たちも読めるように、すぐに手配してあげる。その他にも早く読みたい娘のためにも安価なものも複数購入してあげるわ」
「ありがとうございます、お嬢様! きっと皆、喜びますわ!」
一部の貴族が読むだけでは、この本の物語は広まらない。
平民にもその本の存在、そして悪役令嬢の存在を認めさせることが、フローラの真の目的だった。
こうして考えられないほどの勢いで本は広まり、存在を知らない者はいないほどになっていった。
「ねえ、最終巻は読んだ?」
「読んだわよ! あんなに激しくなるなんて……誰も想像できなかったわよね!?」
「分かる! そうそう、お嬢様があたしたちにも読んで良いって、使用人の休憩室に貴族様用の装丁本を全巻置いていってくださったのよ。巻末に安価のものには載っていない話や挿絵がついてたわ!」
「え? 羨ましい……! あんたのとこのお嬢様、ホント人が好い方よねえ」
「そうなの。お優しいし、あたしたちのこと見下さないし!」
「私もあんたのとこで働きたかったわ」
「あら? 本のためだけかしら?」
「ちょっと! シーッよ! あははは」
表紙に描かれた悪役令嬢と聖女の顔。
特に読者の目を引いたのは、最終巻の数ページにわたる挿絵だった。
今までの本には挿絵はあっても、数ページにわたり描かれていることはなかった。ある程度の大人向けの物語と挿絵を楽しむ小説にも挿絵はあったが、この本まで多くはなかった。
だが、この本のように多く挿絵があるものは、今までなかった。
だからこそ、この本は貴族にも平民にも広がっていった。
「やっぱり、挿絵が多いのはいいわねえ」
「分かるわ。文字だけだと飽きちゃうけど、挿絵があればなんとなく雰囲気とか分かるもんね」
「そうそう。私なんて、洗濯物と睨めっこしてばかりだから、お貴族様の生活なんて分からないけど、あの本のおかげで少しは分かるようになったわ!」
「あはは、何言ってるの! もう!」
誇り高い公爵令嬢が平民以下の身分に落とされ、その身を覆っていた衣服は全て剥ぎ取られて隠すことも許されず、幌のついていない荷台の上で絶望に顔を歪ませている挿絵。
背景には、元公爵令嬢を指差して笑う群衆の顔が描き込まれている。
令息たちはその体の生々しさに興奮を覚え、令嬢たちは自分たちが絶対に落ちることのない状況に優越感に浸る挿絵が描かれていた。
街中を歩く若者たちも、嬉々として感想を述べあう。
「おい、読んだか、最終巻。俺は姉上のを読んだのだが、今まであの本に似たような状況ばかりだよな?」
「ああ、読んだぞ。あの本に書いてある通りなら、あの悪役令嬢様が……俺たちの前を真っ裸で通り過ぎるってことだよな? へへ、楽しみが増えたな」
「今じゃ予言の本だなんだって言われてるらしいぞ」
「おいおい、それは言いすぎだろ! ハハハッ」
王都の広場では、文字の読めない平民たちにも娯楽として、この本を読み聞かせる者もいた。
その者たちは気付いたら本を読み聞かせ、気付いたらその場から消え去るのだ。
誰もその者たちがどこから来たのかさえ、知らない。
「今から良いところなんだろう? 早く続きを読んどくれよ」
「そうだ、そうだ! 聖女をいじめる悪い女なんて仕置きが必要だ!」
「悪い女のことを悪役令嬢っていうんだろう!?」
「挿絵を見せとくれよ! すばらしい出来だと聞いたよ! 聖女様をいじめているところを見せてくれ!」
「いやいや、荷馬車で背中を打たれるところがいい!」
「俺は平民にいいようにされているところが見てぇぞっ」
読み手の周囲には、いつのまにか人だかりができていた。
悪役令嬢が受ける屈辱の一場面に、歓声が上がる。
平民にとって、貴族というのは自分たちを見下す存在である、普段であれば面白おかしく茶化せない相手なのだ。
「皆さん、落ち着いてください。こちら……最後だけの数ページの挿絵を複製したものです」
読み手は近くにいた人々に挿絵が載った紙を、次々に渡していく。
「うーん、こんな美しいご令嬢が、聖女様を嫌って手を出すだなんて、信じられないねえ」
「いやいや、これほど美しいからこそ、自分より愛される存在が気に入らないんでしょ」
「おいおい、見てみろよ! この荷馬車の挿絵……! すげぇな!」
その高貴な身分を笠に着て、悪事を働いていた令嬢が転落する姿は、最高の娯楽となった。
そんな令嬢が実在するとしたら、この国にはただ一人しかいない。
「なんか、この悪役令嬢……誰かに似てねぇか?」
「ああ、確かに……この悪役令嬢、婚約者……」
「……静かに。この本は架空のものですから、そういうことを口に出してはなりませんよ?」
読み手が、貴族の名前を出そうとした男の唇に指をかざした。
「あ、ああ……すまない」
「いいえ。あなたたちが思い浮かべる女性がどのような方かは……あなた方の胸の中で思い浮かべるのです」
「美しい金色の髪……赤い瞳……それに、公爵令嬢様……そう、よね……。あたしたちはお貴族様の顔を見ることなんて、そんなにないから……思い浮かべるのは自由……だわ……」
「ええ、そうです。この挿絵のような美しい女性など、我が国に数人もいませんね。ただし……」
読み手の一呼吸置いた言葉に、その場にいる者たちは唾を飲み込んだ。
「今、王立学園では聖女様が姉である令嬢に、虐げられているのだとか……。悲しいことですね。聖女様がいて、王太子殿下もいらっしゃる学園で、この本に似たようなことが起きている。この本に出てくる公爵令嬢は架空の人物ですが……もしかしたら、悪役令嬢というのは……学園にいるのかもしれませんね?」
「……! あ、あたしの家のお嬢様が言っていたわ……。学園内に悪女がいるって……」
「ほんと!? その話詳しく教えてちょうだい……!」
平民たちの熱気は、学園に通う生徒と同じくらいに燃え上がっている。
王国は他国に比べて平和で住みやすい。
だが、その中でも身分制度ははっきりしており、貴族たちに虐げられる者も多くいた。
その中で、実在するかも分からない悪役令嬢。
実際の名を言わなければ、架空の人物について話すことは自由である。
安価な本や、読み手の存在で『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』はかなりの勢いで広まっていった。
本を楽しむ者たちは、一様に残酷な結末を楽しみにその日が来ることを待ち望む。
学園内だけではなく、学園外でも悪役令嬢として広まっていることを、ベアトリーチェは知らないのだった。




