97、『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』最終巻①《3年目》
金土日で更新します。時間が空いた時に上げていくので、更新時間は時間はバラバラかも知れません。
卒業を控えた学園は、最後のイベントに向けて慌ただしくも充実した空気が流れていた。
その充実した空気とは対照的に、校舎内のサロンでは今までの鬱憤を晴らすかのような嘲笑う雰囲気が漂っていた。
女子生徒たちの手には、一様に同じ装丁の本が握られている。
『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』
この本はフローラの侍女が書き、フローラの実家である伯爵家が秘密裏に支援し、販売されたものである。
作者の名は男性名であるが、誰もその男のことを知らない。
また、貴族の習慣や学園のことまで細かに書かれているため、貴族の道楽で書いているのだろうと噂されていた。
その物語の最終巻が発売され、貴族も平民もこぞってこの本を買い求めていた。
値段を抑えたのにも訳がある。
この物語の主人公である聖女の素晴らしさ、そして悪役令嬢の心の醜さを知ってもらうためだった。
もはや単なる娯楽の域を超え、国内中に読者がいる作品であった。
「ねえ……信じられる? 最終巻のあの場面。まさか、あんな結末が待っているなんて」
中庭の噴水近くのベンチに腰を下ろした令嬢が、扇を広げて声を潜め、興奮を隠しきれない様子で互いの距離を詰めて話す。
「ええ。身分を剥奪されたあとに、まさか……貴族女性が全裸で荷台に乗せられて、王都を引き回されるなんて……。想像しただけで、背筋がゾクゾクするわ。あれだけ誇り高かった悪役令嬢が、泥を投げられて、泣き叫んで……。ふふ、お可哀想ね」
「でも、その後が一番凄惨だったじゃない。各領地を償いの旅と称して巡行する夜の話よ。護衛や馬車の御者、それに卑しい平民たちにまで夜通し……。ああ、私だったら生きていけないけれど、誓約魔術で自分では死ねないようになっているなんて……あれを考え付いた作者は天才だわ!」
「ふふ、聖女様を虐げ、王子様の慈悲を無下にしたのですもの。美しさにばかりとらわれた結果よね。でもぉ……物語は現実になるかもしれませんわよね?」
「まあ、怖い! そんな現実……是非、見てみたいわね!」
「あははは、声が大きいわ。うふふふ」
令嬢たちの笑い声は、風のように軽やかに響く。
その内容は、一人の人間の全てを奪うものなのだが、誰一人としてその事実を気にかけることはない。
何故ならば、娯楽の少ない学園生活で、自身が関係しないことならば、全てが娯楽なのだ。
学園の生徒が様々な場所で本を楽しむ中、学園で働く者たちの間でも本は流行っていた。
貴族たちが手にしている豪華な装丁の物ではなく、質素な装丁であり、安価な紙とインクが使用されており、平民が手に取りやすい価格となっていた。
「最終巻、凄かったわよ」
「買ったの?」
「もちろん! 非番だったから、本屋に朝一番に並んで買いに行ったわ」
「いいなあ! あたしなんて休憩室のを読んでいるから、いつ読めることやら」
学園内には生徒だけではなく、掃除や調理を担当する者たちがいる。
その者たちも気軽に読めるようにと、とある貴族から大量に安価な装丁の物が提供された。
料金は要らず、学園で働く者たちが好きな時に読める貸本として、従事者の雑談スペースに設置された。
「この本、妹も読んでみたいって言ってるんだけど、持ち出し厳禁よね?」
「そうだけど……全部読みたいわけじゃなければ、あの……ほら、用務員の金にがめついあの男が……内緒だけど、複製を一枚につき銅貨二枚から作ってくれるらしいわよ」
「本当!? どうせ妹は物語には興味もないでしょうし、銅貨二枚で挿絵が買えるなら安いわね……。ちょっと、頼んでみるわ」
学園内で複製が大量にされ、学園内外にその本は広まっていった。
学園の片隅にある用務員室は、普段訪れる者は誰もいない。
しかし、今では学園で働く者たちが頻繁に訪れている。用務員室にいる男は、学園内の夜間の警備も担っているため、比較的部屋は広く明るい。
部屋も扉からすぐに仕切りがあり、三つ小部屋があった。そのうちの一つの部屋には、特殊なインクの匂いが充満していた。
「一人か?」
「ああ。例の複製が出来上がったと聞いた」
「おう、できてるぜ」
扉のノックの回数で訪れる者を見極める。
挨拶もそこそこに中年の男は、学園の作業着を着ている男に粗雑な紙の束を見せた。
「結構枚数があったけど、支払いは大丈夫かい?」
扉の外を気にしながら閉めると、本題をすぐに話し始める。
本来なら学園の生徒である貴族とはすれ違うだけの存在の、庭師であった。ニヤニヤと細められたその目は、娯楽を楽しむだけの卑しい光を浮かべていた。
「……ああ。もちろんだ。ほら、金だ」
「一、二、三…………三十枚、確かに」
「へへ。最終巻を読ませてもらったが、あれは外に持ち出せばかなりの高値で売れるぜ」
「俺の名は出さないでくれよ?」
「当たり前だ。落ちてたって言えば、今のこの王都じゃこの本の場合は許されるのさ」
「へえ。あんま危ないことはやめときなよ」
男はインクまみれの太い指で、銅貨を数えながら男と話す。
この複製を始めて、金がどんどん貯まっていくことが快感だった。
衣食住に困らない学園での仕事、そして金を貰いながら、学園の悪女の非道な行いが記された予言の本を正義の告発として、ばら撒く代行をしてやっているのだ。
貴族を陥れる優越感に浸るには、あまりにも完璧すぎる楽しみだった。
「ハハハ、お前の方こそ。しかし、いいのかよ。版権だの何だの、うるさいんじゃねぇのか?」
「ふん、誰が俺を訴えるっていうんだ? この本を出している人物を俺は知らねぇが、俺はただ事実を広めているだけだ」
「まあ、確かにな。この物語は架空だと言われているが、この学園で実際に行われていることが書かれているからな」
「そうさ。聖女様を苦しめた悪役令嬢様を本を手に取れねぇやつや、文字が読めない連中に、本当の姿を教えてやってんのさ」
「はっ。慈善事業ってか?」
「そんなもんだな」
用務員の男は、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
用務員の男も、庭師の男も平民であった。
二人のような平民にとって、貴族令嬢たちは雲の上の存在である。そして、公爵令嬢や王太子の婚約者ともなれば、それよりも上の存在であった。
本来なら、自分たちが一生かかっても触れることすら叶わない女性が、今は自分の正義の告発によって、大衆に晒されている。
「そういえば、どこが一番買われてるんだ?」
「ん? ああ、このページさ。やっぱり皆が興味があるのは、プライドの高い令嬢が這いつくばる瞬間みたいだ」
用務員の男が指し示したのは、挿絵の中で悪役令嬢が卒業パーティーで断罪され、崩れ落ちる挿絵だった。
「罪には罰が必要だ。俺は、その手助けをしてやっているだけさ。今のこの腐った学園の雰囲気を裁いてやるんだ。その裁きに貴族も平民も関係なく参加できるんだから、安いもんだろう?」
「裁きか。聖女様はこの国になければならない存在。その聖女様を虐げ、婚約者である王太子殿下を蔑ろにしていた罪は……その体で支払ってもらうってか」
「なーに、おっさんみたいなこと言ってんだ」
「いや、実際におっさんだし」
「フハハハ、まあ、そういうことさ。俺は悪役令嬢になんの興味もないが、国の金で贅沢をしていたお貴族様の悪役令嬢には、ちっとばかし痛い目を見てもらいたいってだけだ」
特殊なインクを紙に伸ばし、本のページに張り付ける。
あっという間に複製が完成し、インクが乾くまで待つだけだ。こんな単純で簡単な作業で、次々に本の複製は作られていく。
「悪役令嬢様に気付かれないように、気を付けろよ」
「おう。街中の奴は知らねぇかもしれねぇが、悪役令嬢様は今謹慎中らしいから気付かれることもないさ」
「ふーん、じゃあ、今が売り捌くチャンスだな」
「ああ。早くしたほうが良いぞ。同じことを思って、街中で売り捌いてるやつが出てきてるって話だからな」
「げえ! これだから平民は考えが汚ねぇよな」
「何言ってんだ。俺もお前も平民だろーが」
「そうだった! ハハハ、じゃ、また頼むぜ!」
「御贔屓に」
貴族の屋敷で働く使用人たちも、通いの使用人も、学園内で働く平民の手へと渡っていく。
これこそがフローラの狙いだった。
平民の狡賢さを利用して、平民の中にもベアトリーチェの悪事を広めようとしたのだった。
今、実際にその思惑は実行されようとしていた。




