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公爵令嬢だけが何も知らない世界~無理やり婚約させられたのに、一方的に婚約破棄ってありですか~  作者: 白根 ぎぃ
第三章

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96、青のドレス【後】《3年目》




 テラスを後にしたディエゴは、アンナを連れて人の出入りが無い場所へと連れて行った。


「……怖かっただろう、アンナ。怪我はないか?」


 ディエゴは、自身の上着を肩にかけたアンナを椅子へと座らせた。

 優しい声色は、先ほどベアトリーチェに向けていた冷たい響きとは裏腹に、蕩けるように甘く響く。


「あの、はい、ディエゴ様……ありがとうございます。それよりも、私のことをアンナって……」


 アンナは上着の襟元をぎゅっと掴み、潤んだ瞳でディエゴを見上げた。


 弱々しく震えるその姿は、大抵の男であれば庇護欲を掻き立てられ守りたくなる。

 ディエゴはアンナの隣の椅子に腰を下ろし、細い指先を自らの手で包み込んだ。


「嫌、だったかな? 素直に答えてほしい」


「嫌だなんて……」


「そうか。良かった」


()()は聖女である君に嫉妬しているのだろう」


「嫉妬……お姉様が、私に……」


 その言葉と同時に、アンナの手がピクリと反応する。

 ディエゴがそっとアンナの手から己の手を離すと、整えられた指をアンナの顎に添えて上を向かせた。薄暗い部屋で互いの顔色も分からぬまま、二人は見つめ合う。


「それより、本当は今夜、君と会場で踊りたかったんだ。このドレスを纏った君は、誰よりも愛らしい。改めて申し出るよ。アンナ、私と踊ってくれないか?」


 ディエゴの真っ直ぐな視線に、アンナは表情を曇らせ、ゆっくりと小さく首を振った。


「……ごめんなさい、ディエゴ様。それはできません。私は公爵家に引き取られましたが、元々は男爵家の娘……。皆は聖女なんて呼ぶけど、私はダンスなんてまともに習ったことがないのです。ディエゴ様のお相手を務めるなんて……無理です」


「アンナ、そんな悲しいことを言わないでくれ。私に身を任せてくれるだけでいいんだ」


 ディエゴはアンナの否定的な言葉を遮るように、少しだけ添えたての角度を変える。

 薄暗い部屋の中に目が慣れ始め、そのまま自然に距離を詰めるようにして顔を近づけた。



「…………っ」


「ディエゴ様……?」


 至近距離で重なり合う視線の中で、ディエゴは見てしまった。


 アンナの瞳の奥、ドロドロと濁った感情が渦巻いているのを。

 アンナは少し困ったように眉根を寄せている。だが、ベアトリーチェを陥れた優越感で、僅かに口元が吊り上がっているように見えた。


「ま、だ……君の姉が婚約者であることに変わりはないから……ぜひ、卒業式の後のパーティーで私に君をエスコートさせてくれないだろうか」


「え、でも……お姉様がいますのに」


「アンナ、君には以前も話したと思うが、そのパーティーでベアトリーチェには今までの()()()()()()()()()と思っている」


「お姉様の……罪」


「ああ、そうだ。そこで私は……悪役令嬢のベアトリーチェではなく、聖女である君を婚約者にすることを告げる」


「……ディエゴ様っ! 本当ですか……?」


「ああ。でも、本当に良いのかい? 君は……その、カッシオのことを……」


「カッシオ様ですか? 良き友人です」


 その屈託のない微笑はディエゴ自身が常日頃から抱いているものと同じ、底知れない愉悦、執着、そして他者を踏みにじる嫉妬という醜悪な感情が浮かんでいた。


「はは……そうか。アンナ、それならば……卒業まであとひと月と少し……。もうしばらく辛抱してくれ」


「もちろんです。ディエゴ様……どうか、早く、罪という苦しみからお姉様を解放してあげてください」


「……そうだな、楽にしてやろう。その時が来れば」


 ディエゴは楽しげに喉を鳴らし、唇をアンナの耳元へと寄せた。


「……悪役令嬢に虐げられることに今まで付き合ってくれて、ありがとう。もっと早く対処できていれば良かったのだが、あと少しだから」


 アンナはハッとしたように表情を浮かべると、再び視線を伏せた。

 だが、その頬は微かに高揚で赤らんでいる。


「……ディエゴ様、どうか謝らないで。私が協力したいと申し出たのですもの。それに、そのおかげでディエゴ様に愛していただけたのですから……、お姉様には申し訳ありませんが……」


 口では『申し訳ない』と言いながら、アンナはディエゴの肩口へと顔を寄せた。


 清楚でふわりと香る上品な匂いが鼻腔をくすぐる。

 シャツ越しに伝わって来る体温からも、アンナが興奮していることが窺えた。


「……アンナ、約束しよう。君を幸せにすると」


「嬉しい……。ディエゴ様、本当に……嬉しいです……っ」


 アンナはディエゴの肩口から顔を上げずに、声を殺して泣いた。

 ディエゴもまた、暗い部屋の中でアンナの柔らかな髪を撫でつけながら、歪んだ笑みを浮かべた。



―――



「お嬢様、どうやらアンナ様は王太子殿下を好いていたようです」


「まあ、そうだったのね。私はてっきりカッシオ様かと……」


「はい。ですが、中を覗き見ることはできませんでしたが、お二人の声は上ずり、良い雰囲気でした」


「そう……。では、小説の最終巻はやはり王子と聖女が一緒になりましょう。そして、王子の護衛騎士は二人のために身を引くの……」


「素晴らしいです。美しい友情と失恋……そして、断罪」


 フローラは侍女の言葉に表情を崩すことなく、笑顔のままで頷いた。


「断罪。ああ、なんて美しい響きなのかしら……! あの恥知らずのベアトリーチェにピッタリな言葉だわ」


 寮の自室に引き上げていたフローラは、部屋に飾られている一輪の薔薇を窓の外へと落とす。

 侍女と二人でその光景を眺め、ゆっくりと唇の端を吊り上げた。


「あの女がこの国にいるのは邪魔ね……」


「はい。嫉妬でアンナ様に何をするか分かりません」


「そうよね? それならば……婚約破棄や国外追放なんていう、生温い断罪では駄目だわ。プライドばかり高い無能な女に相応しい断罪……」


「聖女を陥れ、亡き者にしようとした罪。男を誑かしていた罪。そして、女神の加護を持つ王国の宝である王太子殿下を蔑ろにした罪……」


 侍女の言葉にフローラは模範的な令嬢らしい、美しい笑みを浮かべて呟いた。


「そんなふしだらな女は……鉱山で肉体労働をするよりも、もっと良いことをさせてあげないとね。私たちの周りにいられては風紀が乱れて困りますもの」



 フローラは、窓の外の美しい夜空を見上げた。

 雲一つないその空は、自分たちの未来が輝かしいものに導かれていると思えるほど美しい空であった。

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