99、『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』最終巻③《3年目》
本日夜、もう一度更新する予定です。19時は過ぎるかと思います。
休み時間の教室、放課後の図書室、寮の自室。
自由な時間に、様々な場所で紙をめくる音と囁くような声が響く。その場にいる誰もが同じ本を開き、同じように物語の残酷な結末を楽しんでいるのだ。
「……ねえ、この挿絵。いやだわ、笑ってしまいそう」
「あら、笑うだなんて。あの方の特徴を捉えているじゃない。ふふ、悪役令嬢がこの本を知ったら、どんな顔をなさるかしら」
「荷台に乗せられる自身の姿を想像できると思う? 絶対に想像なんてできないわよ」
「そうよね。この物語は架空のお話なんですもの。悪役令嬢は現実には存在しないのだから……もっと酷い結末でも、私は良かったと思いますわ!」
「まあ! あなたが一番残酷なことを言っているわ!」
「だってそうでしょう? 聖女である妹を虐げ、婚約者である王子様を蔑ろにして男たちを惑わして、それで貴族籍を抜かれて各地を巡行するだけだなんて」
「ちょっと、一番大事なところを忘れているわよ」
「あ! 汚らしい男たちの夜を忘れてましたわ! それでしたら、やっぱり悪役令嬢には最高の断罪かも知れませんわね! おほほほ」
クスクス、と静かな空間に、笑い声が響く。
わざとらしく響かせる嘲笑。
その音を止める者は、誰もいない。
「この本は架空のお話なんですもの。どんな想像をしようと、読者の自由でしてよ?」
実物の令嬢がいないからこそ、人々は思い思いに本の感想を述べる。
この物語に登場する生身の公爵令嬢は存在せず、物語を盛り上げるだけの存在。
今まで多くの生徒たちは公爵令嬢であり王太子の婚約者であるベアトリーチェに対し、強く出られる者はいなかった。
しかし、聖女アンナが公爵家の養女となり、ベアトリーチェに興味を示さない婚約者であるディエゴという旗印ができたことで、今は誰も恐れはしない。
何かあれば、アンナやディエゴに告げ口をすれば、ディエゴや護衛騎士のカッシオ、そしてフローラが飛んできて、皆の前でベアトリーチェを叱責してくれるのだ。
「あーあ。この本も終わってしまいましたし、あとは現実を待つだけねえ」
「そうねえ。今謹慎されているから、卒業まで会うことはないのが面白くないわね」
「あら。謹慎処分になったことで、寮の部屋を一番下に移されたのよ」
「そうなの!? あらあら……お可哀想。あの懲罰部屋だと、あそこは生徒たちが頻繁に行きかうでしょう? それに……あの方の大好きな男子生徒も多く通りがかりますわ」
「可哀想かしら? 今頃大喜びで、殿下には内緒で男を見繕っているかも!」
「やだぁ! お寂しいでしょうから、励ましに顔を見せに行ってあげるのはどう?」
「いいわね、行きましょう! 面白いことがなくなって、暇だったのよね。ドレス選びも終わって、娯楽が足りなかったの」
「私も同じよ。さ、皆様、遊びに行きましょう」
幾人もの令嬢たちが遊びと称しては、寮の一階にある不祥事を起こした生徒が追いやられる、懲罰部屋を観察に来る。
そこは普段は寮母しか使っていない区画であったが、今回ベアトリーチェがその場所に部屋を移されたことで雰囲気は一変していた。
「見て、これ。誰が書いたのかしら!」
一人の令嬢が扇で何かを指し示す。
本来なら名札が掛けられるはずの扉の横には、大きな張り紙が貼られていた。
「ええっと……悪役令嬢の部屋……? ちょっと! 直接過ぎますわ! ふふっ」
「それに、こちらのドアノブに掛けられているものを見て!」
「使用中!? 何をするために使用しているのかしら!」
どっ、と令嬢たちの普段ならば鈴を転がすような笑い声が、今は大きな音となりその場を揺らす。
それだけではない。
木製の扉には、あの物語の最終巻から切り取られた挿絵が、嫌がらせのように何枚も、貼り付けられていた。
卒業パーティーで断罪され、地面に這いつくばる悪役令嬢。
豪華なドレスを剥ぎ取られ、荷台に乗せられる悪役令嬢。
荷台の上で隠すことを許されず、後ろ手に縛られた姿を取り囲んで嘲笑う群衆。
別の令嬢が言葉を漏らした。
「あら、優しい方ばかりね。夜の挿絵がないじゃない」
「本当ね。流石に寮母の部屋の隣だから、遠慮したのでしょう」
「今頃、部屋の中でどんな顔をしてるのかしら。罪の意識に苛まれて、震えているのかしら?」
「まさか! そんな神経をしている方ではないでしょ。意外と結末に向けての練習でもなさっているんじゃない?」
コンコンコン、と令嬢が軽やかに扉をノックする。
だが、返事がくることはない。
「ねえ、聞こえているのでしょう? 私たち、心配しておりますのよ。お顔を見せてくださいまし」
「それとも、使用中ということだから、どなたかと中にいらっしゃるのですか?」
「まあ、それなら大変だわ! 風紀が乱れてしまいますわね」
「やだわ、変な声は聞きたくないから、退散いたしましょう」
扉の周囲の床には、誰が置いたのかも分からない枯れた花や、汚された布が落ちている。
元より中から人が顔を出すなどとは、誰も思ってもいないのだ。
令嬢たちが去っていくと、また別の令嬢たちがやって来る。
「見て! こんな挿絵を貼られてしまって……でも、これは罰なのだからちゃんと反省しなければね」
話し相手などは元よりいない。
唯一世話役として付けられていたジルダとも、ろくに会話らしい会話はしていなかったが、この部屋に移る際にディエゴにより、ジルダはその任を解かれていた。
静かな部屋で卒業の日まで待つということを、周囲が許さない。
「確か、侍女は今いないのでしょう? これを公爵令嬢が片付けるだなんて……」
「お可哀想ね。誰か手伝いの下男でも寄越しましょうか、ベアトリーチェ様!」
「私たち心配しておりますのよ。お一人でお寂しいのではないですか?」
「どうか、元気を出してくださいね。声を上げてくだされば、いつでも伺いますわ」
廊下の姦しさに寮母が顔を出すかと思えば、そうでもない。
寮母は日中この部屋の前には近寄ることはないのだ。
このけたたましさに嫌気がさし、学園長に異議を唱えて寮母は自室を変えている。
「寮母さんってお優しい方なのに、注意しないっということは……きっと、夜に煩くして怒らせてしまったのね」
「なんて、はしたない方かしら!」
「ベアトリーチェ様! お部屋の前が汚れておりますので、ちゃんとお片付けしてくださいね!」
「心優しい寮母さんを怒らせるなんて、大概ですわよ」
きゃははは、と明るい笑い声が遠のいていく。
学園の教師や生徒、寮母、衛兵たちでさえも、一つの物語を知っている。
もはや誰も、ベアトリーチェを一人の人間としては見ていないことは明白だった。
卒業までの、残り僅かな時間を楽しむための娯楽としてしか、見ていないのだ。




