100、『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』最終巻④《3年目》
明日も更新します。19時以降になるかと思います。
学園内の女子生徒が、女子寮でベアトリーチェを揶揄っている中、日当たりの良いテラスでアンナはフローラたちと穏やかに過ごしていた。
「アンナ様、最近はよく街へ遊びに行かれているそうですね。先日はお一人で街へ行かれたのでしょう?」
フローラの友人である侯爵令嬢のピリアンヌの問いに、アンナは花がほころぶような笑みを浮かべた。
「はい。最近では色々なお店が増えていると聞いたので」
「仰ってくだされば、私たちもご一緒しましたのに」
「そうですわ、アンナ様。ピリアンヌ様の言う通りですわ」
ピリアンヌと楽しそうに話すアンナを見つめながら、フローラも話す。
「あ、いえ! 私なんて平民が行くような店にしか行かないので、フローラ様やピリアンヌ様には退屈かと思って」
「まあ、アンナ様と一緒に行けるのでしたら、私は退屈なんてしませんわ」
アンナの言葉に、フローラは大げさに驚きつつも今度は誘ってほしいと暗に言っている。
だが、アンナはその言葉の裏には気付かずに、微笑み返すだけであった。
「ふふ、ありがとうございます。最近では買い求めやすい宝飾品なども増えていて、楽しかったです」
「あら……よく見るとその胸元のブローチ……あの方と同じものですか?」
「あの方……あぁ、はい。お姉様が身に着けられているものに似ていたので、つい……」
「まあ、なんて健気なのかしら。あなたを虐げているというのに、それでも姉であるベアトリーチェ様を慕っているなんて」
「フローラ様……私は虐げられてなんて……」
「……アンナ様、この学園にいるほとんどの者が知っているので、庇われなくても大丈夫ですわ」
アンナの言葉に心配そうな微笑みを薄っすらと浮かべ、ピリアンヌは言葉を返す。
そして同調するようにフローラや他の令嬢たちも頷いた。
「ええ、ええ! お心が優しすぎますわ」
「そうですわ。ピリアンヌ様とフローラ様の仰る通りですわ。あまりにも酷い仕打ちを聞いて、私たちも涙しましたもの……」
何かを言葉にしようとするが、それを遮るようにフローラや周囲の令嬢たちが姦しく言葉を被せる。アンナは何も言うことができず、困惑したように周囲を見渡す。
そこへ、一冊の本を胸に抱えた令嬢が歩み寄ってくると、ピリアンヌにその本を渡した。
「アンナ様、フローラ様。こちらの本、ついに完結いたしましたのよ。もう読まれました?」
ピリアンヌの横では、目を輝かせ、物語の世界に浸っている雰囲気の令嬢が返答を心待ちにしているようであった。
その言葉に答えるようにフローラは口元を扇で隠すと、微笑みながらも僅かに期待を込めた目でアンナを見やる。
「私は読みましたわ。アンナ様はもう最終巻はお読みになられました?」
「えっと、はい、読みました。物語の最後に……とても驚いてしまいました」
「あら! アンナ様、驚くだなんて。フローラ様はあの本の結末は、悪女には相応しい最後だったと思われませんこと?」
「ふふっ。まさか、貴族令嬢が平民の罪人のように、荷台に肌を出して晒し者にされるなんて……とても驚きましたが、当然の結果かと」
家格の低い令嬢たちは、自分たちの考えを率先してこの場で話そうとはしない。
しかし、家格が上の令嬢であるフローラやピリアンヌが賛同すると、その場の空気は物語の結末に対して、是へと変わっていくのを感じ取った。
「私も驚きましたわ!」
「最後もそうだったでしょう? 鉱山奴隷と同じ……いえ、それ以上にお似合いの結末でしたわ!」
「聖女様と王子様を陥れようとしたのですから、処刑にならなかっただけでも良かったのかもしれませんわね」
令嬢たちはうっとりと恍惚の表情を浮かべて話す。
アンナは少し困ったように眉を下げると、視線を手元の紅茶へと落とした。
「……あの、私には分からないのですが、物語の結末はかなり酷いものですよね……? その、通常であれば、令嬢がその、裸で荷台に乗せられ引き回されて、しかも、あの……夜は……」
「当然ですわ。どのような理由であれ、貴族は平民の前で全裸になることはございませんし、触れさせることなどあり得ませんわ。もしそのようなことを認めれば、平民も勘違いしてしまいますでしょう? ねえ、フローラ様」
「ええ、その通りですわ。貴族というものは常に上にいる立場ですもの。街中を引き回されるとしても、薄い夜着でも羽織るもの。あの物語、きっと作者は悪役令嬢がいかに心醜く、悪辣な令嬢であったのかを読者に伝えたかったのではないかしら」
フローラとピリアンヌの言葉に、アンナはふと考える。
本の悪役令嬢は、本当にそこまでされるほどの罪を犯していたのか。
「あの物語は……その、学園のどなたかが書かれているのでしょうか」
「まあ、アンナ様、なぜそのように思われるのですか?」
一人の令嬢の問いかけに、思った言葉がするりと口から吐き出された。
「物語中に実際に学園で起こったことと、似たようなことが多く書かれておりますし……その、あの物語がお姉様を悪役令嬢として扱っているように見えて……」
ベアトリーチェと自分に似た主人公と悪役令嬢。
関係性も、状況も、あまりにも似通っている。
アンナは、素直に感じたことを口にした。
「アンナ様ったら、面白いことを仰いますのね」
「本当に!」
「え? 面白い……ですか?」
「ええ。あの物語は架空のものですわ。だって……学園の内部……それも王太子殿下の婚約者である公爵令嬢のことを面白おかしく物語にするなんて、罪に問われてしまいますもの!」
フローラの隣で優雅にカップを傾けていたピリアンヌが、くすりと笑みをこぼしながら告げる。
「あ、ええ……そうですよね……ピリアンヌ様……」
「そうですわ。ピリアンヌ様の言う通りですわ、アンナ様」
「……フローラ様。では、皆様は……その、この物語をお姉様とは受け取っていないということです……よね?」
「当然ですわ!」
「アンナ様、私たちはリッソーニ公爵家を敵に回そうだなんて……思っていませんもの」
「あの方は殿下の婚約者である前に、公爵令嬢ですもの。それを物語の中とはいえ、悪役令嬢に仕立て上げるだなんて……恐れ多いことですわ」
フローラの言葉に、アンナはハッとしたような表情を浮かべた。
「フローラ様の仰る通りですわ。それに、もしあの物語の悪役令嬢がアンナ様のお姉様をモチーフにしているのだとしたら……主人公でありヒロインはアンナ様になってしまいますわ。もしそうだとしたら、とても素晴らしいことですが、きっとあの方は黙っていませんもの……」
「ええ。今なにも仰られていないということは、きっと、アンナ様のお姉様はこの本に対して、特に思うところはないということでは? ねえ、皆様もそう思いますでしょう?」
「ええ! 仰る通りだわ!」
一人の令嬢がぐるりと周囲を見渡し、他の令嬢たちの好奇心を煽るように手を広げ問う。
令嬢たちは一斉に首を縦に振り、一様に目を細め、笑顔で話に花を咲かせ出す。
「アンナ様」
「……フローラ様?」
「物語の終盤で今まで非道な行いをしてきた悪役令嬢は、婚約者である王子に卒業パーティーで断罪されましたわ」
「え? ええ……確かに物語の内容はそういうものでした」
にこりと微笑みながら、フローラは膝の上で手を組み固まっているアンナの手の上に自身の手を重ねた。
「そして、パーティーの最中に王子によってその場から追い出され、そのまま騎士に王宮の塔に監禁されて、罪を全て話すようにと拷問を受けて自白させられる。次の日には、今まで自身の美しさを誇るように着飾っていたドレスも宝飾品も全て奪われ、平民の欲に溺れた罪人のように荷馬車で街の中を引き回されるのです」
「よ、読みましたので……内容は分かっているつもりです」
「はい。きっと街中には学園の生徒も、今まで彼女に虐げられてきた人々も、そして貴族を内心嫌うものも来ていたことでしょう。そのような者たちから、泥を投げつけられて罵声を浴びせられる」
ぎゅ、と力を込めて、フローラはアンナの手を握った。
「挿絵にあった誰もが羨む美貌に美しい髪、そして艶やかな肢体……。そして、美しく、傲慢で、我儘な令嬢は身分を平民以下に落とされて、言葉にできないほどの屈辱を受けて、どうなっていくのだと思いますか?」
フローラの問いに、アンナは驚愕して目を見開く。
「……物語の結末以降について、私が言えることはありません。私は一読者であり、物語の主人公でもありませんから……。ですが、その結末が正しいのかは……分かりません」
アンナにも、フローラや他の令嬢たちがこの物語を読んで、誰を想像しているのか、はっきりと分かった。
答えを一つ間違えば、この態度こそ、傲慢だ、偽善だと言われかねない。
他の令嬢が言えば、そうなっていただろう。しかし、今の周囲はアンナのこの発言を聞いても、優しく、慈悲深い聖女としか思わない。
「ああ、なんて尊いお方なのでしょう……」
「あんなに虐げられてなお、姉の断罪を口にされないなんて」
「やはり、殿下の婚約者は聖女であるべきだわ」
フローラは周囲から漏れる声を聞き、自分の考えと同じであることに何も違和感を覚えない。
自分の描いた筋書き通りに周囲は動いている、そしてアンナに対する評価も最高潮に達しようとしている。
この空気が安堵となって、フローラを満たしていく。
「さあ、皆様。今日はこの辺でお開きよ。アンナ様もお疲れのようですし」
「あ、そんなことは……!」
「アンナ様、卒業パーティーまであと少しですから、最高のドレスを見せてくださいましね」
「私も、是非近くで見せていただきたいですわ!」
「今日は長く話し込んでしまいましたわね。アンナ様、私と一緒に寮へ戻りましょう」
「でも……」
フローラが優しく微笑みながらアンナの手を取り、促すように席を立たせる。
アンナはまだ何か言いかけたが、令嬢たちはそれを遮るように満面の笑みで、アンナを送るために立ち上がった。
「アンナ様、もう大丈夫ですわ」
ピリアンヌが先頭に立ち、テラスの出口へ続く道を歩いて行く。
「どうか、ご自分を大切になさってくださいまし」
その言葉がどういう意味なのか、アンナには分からない。
ただ、戸惑いながらも頭を下げ、フローラと共にアンナはテラスを後にする。
アンナとフローラの後ろ姿を、残された令嬢たちは美しいものを見る眼差しで見送っていた。




