101、『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』最終巻⑤《3年目》
明日も更新します。
アンナとフローラの気配が外から完全に消えたことを確認すると、テラスの空気は一変する。
「……本当に、アンナ様はどこまでお優しいのでしょう」
ぽつりと言葉を漏らしたのは、テラスに残った令嬢の一人だった。
その声には、怒りと歪んだ正義感が混じり合っている。
「あの女にあれほどの仕打ちを受けながら、なおも庇おうとされるなんて。アンナ様が聖女らしくあればあるほど、あの女の悪役令嬢ぶりが際立ちますわね」
「ええ、本当に。アンナ様ご自身が『姉を罰してほしい』などと仰るはずがありませんもの。それを分かっていて、あの悪役令嬢は今も自由気ままにしているのでしょう」
悪役令嬢と陰で呼ばれているベアトリーチェは、学園主催のパーティー以来、寮での謹慎生活をさせられている。
匿名で学園の複数の教師宛に『公爵令嬢が聖女アンナに醜い嫉妬で、暴行を加えていた』と手紙が送られていた。
その日のうちに、ディエゴとベアトリーチェ、そしてアンナに事情聴取があった。聞き取りに対して嘘を吐くことはできなかったため、アンナは正直に話した。
その結果、ベアトリーチェは卒業まで、登校禁止の処分が下されたのだった。
「今も寮で男漁りでもしているのではなくて? 本当に汚らわしい女」
「そうね。ちょっと人より美しいからと、いつもあのような……はしたない制服で歩き回って迷惑でしたわ。これから見なくて済むのだから、清々するわ」
残っている令嬢の中で、一番位の高いピリアンヌがゆっくりと先程までの自分の席に戻り、すでに冷めている紅茶のカップを手に取る。
こくり、と喉を鳴らす音がかすかに聞こえたと同時に、ピリアンヌは唇を綺麗に歪め呟いた。
「ねえ、皆さん。悪役令嬢には、あの物語のような断罪が……必要だと思うわよね?」
ピリアンヌの言葉に、他の令嬢たちの目が一斉に輝いた。
「ピリアンヌ様の仰る通りですわ! 私たちも同じ気持ちです! 学園生活だけではなく、入学前にも悪役令嬢には迷惑をかけられましたもの!」
「私もです! 実は私は……あの本の悪役令嬢のように、婚約者を誘惑されたんですっ」
「まあ、誘惑だなんて……お可哀想に……。なにがあったの?」
ピリアンヌは子爵令嬢を気遣うように心配そうに眉根を寄せて、子爵令嬢に声をかける。
子爵令嬢はピリアンヌの声に促され、涙ながらに話した。
とある茶会に婚約者とともに出席し、自身が友人に挨拶をして婚約者の元に戻ろうとしたら、婚約者はベアトリーチェに鼻の下を伸ばしデレデレしていた、と。
「あの日以降、婚約者は私にあの悪役令嬢のように、もっと艶やかになれと……!」
「なんて酷い……。あなたはこの愛らしさが良いというのに……。見る目のない男ね」
「あ、ありがとうございます……。でも、相手は伯爵令息、私は子爵家なので何も言えず、最近ではいつか相手をさせてもらいたい、だなんて私の目の前で悪びれることもなく話しますのっ」
その話を聞き、複数の令嬢が私の婚約者も、と声を上げた。
話を聞くと、最初に話した子爵令嬢と同じで、婚約者たちはベアトリーチェに誘惑された、ということだった。
「皆様、お辛い思いをしましたのね……。全て分かりました。婚約者を誘惑された以外にも、ドレスを非難されたり、わざとぶつかられて謝罪を求められたりした、と」
「ピリアンヌ様、あまりにも非道ですわね。あの女は正真正銘、あの本の中の悪役令嬢と同じですわ」
「今の話を聞いた限り、被害者はアンナ様だけではないようだもの。アンナ様が望まないというのなら、私たちが代わりに罰しましょう。あの悪役令嬢にふさわしい終わりの舞台を用意してあげるの」
「物語の終盤のように……ですか?」
「ええ、そうよ。婚約者を誘惑されて、あなた悔しいでしょう? 自分の手であの女に仕返しをしたいと思いますでしょう?」
「…………お、思います! わた、わたくしの婚約者はもう学園を卒業しておりますので、何をしても見咎められることはありませんし!」
「その意気よ。他の方はどうかしら?」
ピリアンヌの言葉に周囲の熱気は膨れ上がっていく。
その熱気は悪意となり、一つの物語に進む道筋を立てていった。
テラスが熱気に包まれていく中、ピリアンヌが溜息を吐いた。
「私も悔しい思いをしているのよ。私の実家である侯爵家も、王太子殿下の婚約者候補に選ばれた家でしたの。まあ、私はどちらでもよかったのですが。けれど、王家を通じて……いいえ、王太子殿下の名を騙ってあの女が、辞退するようにと圧力をかけて来たのです」
「嘘!? そんな卑劣なことまで……!」
「悪役令嬢そのものですわ!」
「ええ、私も驚きました。十歳ともなれば、善悪の分別は付きますでしょう? 関わり合いになりたくなかったので、私は自分の意志で婚約者候補の選定を辞退しましたの」
ピリアンヌは悔しさを隠すように、目のあたりを扇で隠す。
そして、扇を外すと薄く微笑んだ。
真っ赤な嘘である。
元々、ピリアンヌの生家である侯爵家は、ディエゴの婚約者候補にすら入っていなかった。
数代前から領地の財政は下降気味で、侯爵家から娘を嫁がせても王家には何のメリットもなかったからだ。
選ばれてすらいなかったことを隠すために、ピリアンヌは平然と嘘を吐き、また別の罪をベアトリーチェに擦り付けたのである。
「ふふ。皆様、幸いにも、間もなく卒業パーティーですわ」
「あっ! それは素敵な場ですわね。学園の卒業パーティーには生徒のみの参加、そしてその後の場所を移した王家主催のパーティーでは王族、貴族も一堂に会する場……」
「……邪魔な大人たちの目がない……」
「殿下は自分の婚約者が、悪役令嬢であることをどのように思われているかは存じませんが、あの女に恥をかかせ、絶望させるには、これ以上ない最高の舞台ですわ」
「ふふ、これまでアンナ様と私たちが流した涙の報いを、あの悪役令嬢には味わっていただきましょう」
令嬢たちの間に、恐ろしいほどの連帯感が生まれていく。
そこに驚きや躊躇は一切なかった。
ただ、自分たちは聖女のために正しいことをしているという喜び。
そして、女を武器に散々苦しめられてきたと思い込んでいる令嬢たちの憎しみ。
それらが一つの渦となり、悪役令嬢に徹底的に仕返しできるという愉悦だけが、この場を支配していた。
「アンナ様が望まないというのなら、代わりの者が行うまでよ。今までの経緯を考えれば、殿下もきっと事を起こすはずだわ。だって、あの本はそうだったでしょう?」
「え、ええ……! 殿下自らが悪役令嬢を断罪しておりましたものっ」
「ふふ、そうよね。ですが、私たちは私たちなりのけじめが必要ではなくて?」
「……! ピ、ピリアンヌ様の仰る通りですわ……」
「ええ、ええ。散々馬鹿にされてきたのですもの……私たちも殿下とアンナ様の力になりましょう」
「それがいいわね」
テラスでは女たちの醜い感情が、どこまでも膨れ上がっていく。
この感情を止める者はおらず、反対に焚きつけ合い憎しみと愉悦が増え続けるだけであった。
―――
ピリアンヌたちがテラスで話している内容を、フローラたちは知らない。
だが、令嬢たちの考えることなどフローラには手に取るように分かる。
「殿下……。殿下の断罪劇が皆の力によって、面白いものになりそうですわ」
ぼそりと呟かれた声をアンナは聞き取ることができなかった。
「フローラ様? 何か言われました?」
「いいえ、アンナ様。アンナ様とお揃いの髪飾りなどを卒業パーティーで身に着けたいと思いまして。どうでしょう、お嫌かしら?」
「お揃い……いいですね! そうだわ、色違いの髪飾りなどをつけるのはどうでしょう?」
「まあ、素敵ですね。早速、我が家が懇意にしている店の者を手配しますわ」
フローラはアンナの制服の胸元にあるブローチを見ながら、微笑んだ。
ベアトリーチェと同じようなブローチを、何故アンナが身に着けているのかは分からない。だが、自分の方がアンナに似合うものを贈ることができると思っている。
テラスに残された令嬢たちを焚きつけたことで、卒業パーティーは面白いことになるだろう。
ベアトリーチェに物語の内容以上の現実を突きつけることだけが、今の唯一の楽しみであった。




