93、フローラ・グラッジアス伯爵令嬢
分割するにしても、分ける箇所が微妙だったので、少し長めですがそのまま載せています。
十五歳のある日の茶会。
十五歳になった令嬢たちはデビュタント前に、社交界への足がかりとなる同年代の子供たちと簡易的な茶会を母親が開いてくれる。
それは令嬢と縁を作るという目的とは別に、将来の結婚相手を探すのにも利用されている。
ある意味、茶会というのは令嬢たちにとって、自身の価値を証明するための場でもあった。
『このドレス……領地の柑橘の皮を使って染められているのよね、本当に素敵だわ』
『グラッジアス領の名産は果物だけではないと、フローラには広告塔になってもらわねばな』
『ふふ、そうね。フローラはこんなにも可愛らしく、美しいのだもの……。今でも噂をされておりますが、きっと次のお茶会でも注目の的ですよ』
『お父様、お母様。私、領地のためにもたくさんの方と縁を結べるように頑張ります』
『それもいいが、少しは楽しむんだぞ』
グラッジアス伯爵家は、豊かな自然と広大な果樹園を持つ領地を治めていた。
その豊かな自然で育つ果樹は毎年、王国や隣国にも輸出され有名なものである。そのため、毎年フローラの母のドレスは新しい果樹であったり、珍しい色に染められる果樹の皮を用いて染められていた。
皮まで余すことなく使えるため、領地では農業以外にも服飾などの特産も多くあった。
この年のフローラのために仕立てられたドレスは、領地特産の柑橘で染め上げられた、淡く、若々しさを見せるための薄黄色のドレスだった。
『この色は未だどこの領地でも出せぬ色。それを若い令嬢が着て、そして母である私が着ることで、どの年代の女性でも似合うことが分かれば、多くの貴族は買い求めるわ』
『はい、お母様』
母の言葉に父である伯爵も頷き、フローラもまた力強く頷いた。
領地が豊かになれば、民も豊かになる。
グラッジアス領は他の領地よりも豊かと言われているのは、代々の領主が民のために統治しているためであった。
しかし、期待に胸を膨らませて参加した茶会で、フローラの心は一瞬にしてズタズタにされた。
会場の中心にいた王太子ディエゴの婚約者であり、公爵令嬢であるベアトリーチェが、フローラのドレスと同じ、薄黄色のドレスを纏っていた。
全く同じというわけではない。
色味も違い、そしてベアトリーチェのドレスには豪華な刺繍に宝石が散りばめられており、明らかに格の違いもあった。
『あら……私のドレスと似ている方がいるのね』
その声が聞こえると、その場にいた令嬢たちは一斉にフローラを見やった。
フローラは顔を真っ青にし、言い返すこともできず、俯くことしかできなかった。
その様子をベアトリーチェが鼻で笑うと、眉をひそめながらフローラの手首を掴み、人気のない別室へと強引に連れ出した。
『私とあちらでお話をしましょう?』
そう言って連れて行かれた先には、退屈そうにソファに座るディエゴの姿があった。
フローラは思いもよらぬ人物がいたことで『なぜ、殿下が?』と思いはしたが、今はベアトリーチェから何されるか分からぬため、そのことで頭がいっぱいだった。
『殿下、見てください。この方、私と同じ色の装いで現れたのです。王太子殿下の婚約者である私と同じ色のドレス……許せませんわよね?』
『ベアトリーチェ、フローラ伯爵令嬢のドレスは素敵だが、君のドレスも素敵じゃないか。そのように人の装いを気にする必要もないのでは?』
ディエゴは困ったように眉根を寄せて、ベアトリーチェを嗜めるように言葉を紡ぐ。
その言葉にフローラは助かったと、心の中で安堵する。
ベアトリーチェは不満げにテーブルの上にあったカップを手に取り口に含んだ。それはメイドがディエゴのために淹れていたため、かなり時間が経っている、ぬるい紅茶であった。
『あの、ベアトリーチェ様、私……ベアトリーチェ様は薄紫色のドレスをお召しになると……っ!』
『黙ってくれる?』
本当に知らなかったのだ。
ドレスの色が被ることなど、よくあることだ。しかし、ベアトリーチェに関しては前々から同じ色のドレスや気に入らないドレスを着ている者がいると、散々な目に遭わせられると噂されていた。
だからこそ、令嬢たちは皆、ベアトリーチェが招待されている茶会に関しては王宮に使いを出し、当日の装いを確認までしているのだ。
今回、フローラも確認はとっていた。
しかし、当日現れたベアトリーチェは聞いていた薄紫色のドレスではなく、薄黄色のドレスだった。
その絶望を楽しむかのように、ベアトリーチェは手にしていたカップをフローラの胸元へと傾けた。
『あ……っ』
この日のために仕立てられた薄黄色のドレスに、じわじわと茶色の染みが広がっていく。
フローラが何も言えずに立ち尽くす中、ベアトリーチェは吐き捨てるように罵った。
『あなた、私がそのドレスを皆の前で嗤ってもいいのよ? この私と同じような色のドレスを着るなんて、謝罪が必要ではなくて? 謝罪があれば……そうね、グラッジアス伯爵領で私がドレスを仕立ててあげてもいいのよ?』
『そ、それは……も、も……』
顔を青褪めさせ、大きな双眸からは涙が溢れ、フローラは口を開きかけた。
自分が謝罪をすれば、ここは丸く収まる。
そして、次期王太子妃になるベアトリーチェからのお墨付きを得られる。
濡れてしまっている胸元に手を合わせ、ぎゅと瞼を閉じる。
言わなければと何度も口を開きかけるが、フローラの口からは言葉が出てこなかった。長いようで短い時間が過ぎ、それまで黙って見ていたディエゴが、ゆっくりと立ち上がった。
『……そこまでにしろ、ベアトリーチェ。彼女もわざとではないだろう。あまり騒ぐと君の品位が疑われるぞ』
『……殿下がそういうのであれば、もう結構ですわ。ねえ、殿下。私、興が削がれました』
『分かった。私はここの者に話を通すから、先に馬車へ戻っておいてくれ』
『分かりました』
ディエゴの言葉を聞いて、ベアトリーチェはフローラに目をくれることもなく歩き出す。
フローラはその場にへたり込むと、ディエゴが立ったまま話しかけてくる。
『フローラ嬢、本当に済まない。ベアトリーチェのあの我儘を止められなくて……』
『あ、いえ……殿下のせいでは……』
『後日、君のタウンハウスに謝罪の品を贈らせてくれ』
『いえ、そこまでしていただかなくても……!』
『いいや、これは彼女の婚約者である私の責任もあるから』
それだけ言うと、ディエゴはベアトリーチェの後を追うようにその場を後にした。
独り残された部屋で、フローラは声を殺して泣いた。
自尊心を粉々にされ、領地のためのドレスを汚されたのだ。泣くことしかできず、どのくらい時間が経ったかも分からなかった。
『あの……大丈夫ですか? 通りかかったら、声が……その、聞こえて……』
鈴を転がすような、柔らかな声だった。
フローラは扉が開いたことも気付かずに泣いていたことを恥じ、顔を伏せた。
『き、気にしないでください……』
『そんなこと言わないでください。これ……使ってください』
視界に入ってきたのは、柔らかなハンカチ。
思わず顔を上げると、そこにはまだ幼さの残る少女が立っていた。
『……ありがとう、ございます』
『いいえ。こんなに美しいドレスですもの、汚してしまえば悲しくもなりますよね』
『……そうです、ね』
『あ、すみません。私、アンナと申します』
『アンナ様……? 申し訳ありません、私どこかで……』
『あ、いえ。その……内緒なんですけど、私は近々リッソーニ公爵家に養女に入る予定で、その……お義母様から学んでくるようにと……』
『リッソーニ公爵……あの、あなたはベアトリーチェ様とは……何か関係が……?』
アンナはフローラが怪訝そうな顔で話す中でも、汚れることを気にする様子もなく、フローラの傍らに跪き、自身の柔らかなハンカチでフローラの頬を伝う涙を拭った。
『ベアトリーチェお姉様とは……何も関係はありません。私はその……まだご挨拶もできていなくて』
その言葉の意味に、フローラは困惑する。
通常であれば、家族となるのであれば、顔合わせも挨拶もしているはずだ。
そのような当然のことすらも、アンナはベアトリーチェから許されていないのだと思った。不意に歪んだ顔にアンナは気付き、慌てて顔の前で手を振った。
『気にしないでくださいね? 慣れていますから……大丈夫です』
その言葉を聞いた瞬間、フローラの頭の中で一つの真実が出来上がった。
―――……ああ、このアンナ様はベアトリーチェに虐げられているのだわ。
フローラの中で、ベアトリーチェは絶対的な悪になった。
そして、アンナは守るべき存在になった。
『あの、こちらのハンカチ……洗ってお返し……いいえ、新しいものをご用意させてください』
『ええ!? そんなの気にしなくていいです!』
『いえ、私の気持ちが……』
『でも、私と知人と思われると……』
その日以降、フローラがアンナに直接会うことはなかった。
しかし、アンナの噂を耳にするようになるのは少し後のことであった。
アンナが公爵家にて教会の者を呼び寄せ魔力鑑定をすると、神聖力が備わっていることが分かったのだ。その神聖力は王国にとって大事な存在である。
その存在を隠すことは許されず、十六歳になって正式に発表された。
フローラはその噂を耳にすると、文字書きが得意な侍女にあることを頼んだ。
『ねえ、平民から聖女になって、学園で王子様と出会う少女向けの物語を書いてみない? あなた、そういうの好きだったわよね? そうね……平民から聖女の力を持つことが分かった女の子は、公爵家に養女として入るの。でも、その家には恐ろしく心の醜い姉がいて、妹を虐げるの。そして、姉の婚約者である王子様は弱みを握られていて、姉の言いなりになっているの……。そうね、悪役令嬢の姉から真実の愛で王子様を目覚めさせてあげるの。どう、面白いでしょう?』
『お嬢様……ですが、そのように具体的に書いてしまっても大丈夫でしょうか?』
『大丈夫よ。私が絶対にあなたを守るわ。それに……もっと具体的にするためにも、あなたを侍女として学園に連れて行くわ。面白い物語を目の前で見れるのよ。さらに良い話が書けそうだと思わない?』
『は、はい、お嬢様……! 私は面白いお話が書けるというのであれば、どんなことでも致しますっ』
侍女はフローラの提案をのんだ。
彼女は本を読むことがとにかく好きであった。そして、自分で書くことも好きであった。頼まれる話を最大限の娯楽として提供できると言うのは、彼女にとって願ってもいないことであった。
―――
寮の自室でで先ほどの顛末を聞いた時、フローラは扇を握りしめた手を口元にもっていくと、整えられている綺麗な爪を噛んだ。
「……あの女。なんて運がいいのかしら……」
「聖女様はたまたまそちらの方に通りかかったようです」
「そうよね。あんな誰も使わないような教室、アンナ様が行くわけないもの。どうせ、あの役立たずの男たちが五月蠅くしていたのでしょう……。本当に低レベルな男たちって役に立たないわね」
「左様でございますね……。次の最終巻ではふしだらな女というイメージを付けたかったのですが……」
「そうね……。あの男たちに証拠は残していないけど、あまり的確に書いてしまうと……」
「あ、お嬢様! 今回襲われそうになったのはあの女ではなく、聖女様だった。そして、その恐ろしい企てをしていたのは悪役令嬢である……とするのはいかがでしょうか!」
「犯人はあの女! いいわ、凄い面白いわ! そのように書いてちょうだい!」
「はい!」
フローラの瞳は、今しがた侍女を褒めて楽しそうに笑っていたのだが、すぐに怒りと嫉妬でギョロギョロと左右に動いていた。
部屋の窓から外を見下ろすフローラの瞳には、今までに見たことのないほどに昏い感情が宿っていた。
「ああ、アンナ様……あなた様は絶対に幸せにならなければいけない、尊いお方なのです……。あのような女が姉であるはずないわ……」
爪の先はガタガタになり、フローラの頭の中に、昔の記憶がよみがえる。
フローラがアンナに出会い、アンナの優しさと純粋さに触れた日から、この物語は始まったのだ。




