94、青のドレス【前】《3年目》
三年目になると、学園主催のパーティーが開かれる。
このイベントは学園に通う生徒にとって、娯楽だけではないことを意味していた。
しかし、数日後にパーティーを控えると、男女問わず学園の空気は少し浮足立っていた。
ディエゴ、カッシオ、フローラ、そしてアンナが囲むテーブルだけは、その浮足立った雰囲気はなく、沈んだ空気に覆われていた。
「あの……私は、当日のパーティーは欠席させていただきます。恥ずかしながら、私にはまだマナーが……」
アンナが伏せ目がちに、恥ずかしそうに小さな声で告げる。
その言葉にカッシオとフローラは、身を乗り出すようにして声を上げた。
「なぜだ、アンナ嬢! マナーなんて、今はまだいいじゃないか」
「そうですわ、アンナ様。今回は学園主催のものですもの。楽しむだけでいいのですよ」
「いえ、その……」
二人の大きな声に周囲が視線を寄越してくるのを感じ、ディエゴは視線と言葉で二人を制した。
「二人とも、これは繊細な問題だ。もっと声を落として。それで、アンナ嬢。君が欠席するなど、皆が寂しがるのではないかい?」
ディエゴは心配そうに眉根を寄せ、アンナの次の言葉を待った。
「それが……私には着て行くドレスがないのです」
「え? でも、アンナ様はご実家からドレスが贈られて……」
「またあの女なのか!? アンナ嬢、ベアトリーチェになにかされたのか?」
「……いえ、お姉様は悪くないのです」
ぶんぶんと困ったように笑い、アンナは手を顔の前で振る。
その仕草すらも周囲には、アンナが姉を庇う優しい少女のように映った。
「ああ、そういうことか。アンナ嬢はベアトリーチェにドレスを着れなくされてしまったんだね?」
「…………」
カッシオもフローラも、アンナの無言を肯定と受け取った。
「ベアトリーチェの傲慢さには困ったものだ。彼女は、また私の瞳の色をモチーフにしたドレスを注文したそうだ。それも、いつものように品のない……背中が大きく開き、胸元を強調した過度に露出の激しい代物だったそうだ」
ディエゴの青い瞳が、不快感に耐えるように細められる。
カッシオは同情の眼差しを向け、フローラはベアトリーチェに対する憎しみを増殖させるばかりであった。
「まあ、なんて浅ましい……。王太子殿下の婚約者ともあろうお方が、自身の見た目ばかりを気遣い、妹である聖女様のドレスを着れなくするなんて」
「自分が一番目立たないと嫌なんだろう」
フローラが扇で口元を隠しながら呟くと、憎々しげにカッシオも頷き悪態を吐く。
「そうだ、アンナ嬢には私がドレスを贈ろう。カッシオもフローラ嬢も、そして私もアンナ嬢にはパーティーを楽しんでほしいと思っているんだ。参加しないなど寂しいことは言わないでくれ」
ディエゴの提案に、カッシオとフローラは口の端をひきつらせた。
あわよくば、自分たちがアンナにドレスを贈りたいと、その機会をうかがっていたのだが、王太子であるディエゴにその言葉を先に言われてしまえば、二人が異を唱えることはできない。
「ま、まあ! それは素敵ですわね。アンナ様、殿下にお任せすれば良い方向に向かいますわ」
「そ、そうだな。アンナ嬢、殿下が君に一番似合うすばらしいドレスを仕立ててくださるだろう」
二人は頬を赤らめて驚きつつも嬉しそうに微笑むアンナの姿に、賛同の笑みを浮かべるしかなかった。
ここで口を挟み、アンナから嫌われることを恐れたのだ。
「そ、そうですか? 私、お姉様と同じ時間にパーティーに参加したことがないので、嬉しいです」
「おや、同じ日には参加していただろう?」
「はい、はい。ですが、同じ馬車や同じ場所でお話したことはありません」
「なんて酷い方……! どうせ、アンナ様の優しさを他の方に知られるのが嫌だったのよ」
「殿下、お姉様と私とご迷惑をおかけしますが……よろしくお願いしますっ」
「……ああ、楽しみにしておいてくれ」
嬉しそうに笑うアンナに、フローラもカッシオも内心安堵した。
同じパーティーに出られるのだ、ドレスを贈れなくともそれだけで良かったからだ。
数日後、アンナのもとに届けられたのは、誰が見ても一流の職人が手掛けたと分かる繊細な輝きを放つドレスであった。
王国の中でも、王族にしか許されていない金糸を使った繊細な刺繍が施されたシンプルな青のドレス。
宝石などの煌めきは一切なく、上質な絹で仕立てられ、布地の流れとカッティングだけで美しさを表現したデザイン。アンナのピンク色の髪と薄い青のドレスは、幼い顔立ちを神秘的に見せていた。
アンナはそのドレスを体にあてがい、鏡の中の自分を見つめる。
「……ベアトリーチェお姉様、待っていてくださいね」
鏡の中で微笑むアンナの顔は、聖女と呼ばれるにふさわしい優しい笑みを浮かべていた。
一方、同じ日に寮のベアトリーチェの自室にも、ディエゴからのドレスが届いていた。
それはベアトリーチェが望んだとされる華やかで豪勢で、自身の美しさを最大限に魅せるために誂えられたドレスであった。
「……これが殿下の望む、悪役令嬢の姿なのね……」
ベアトリーチェはジルダが取り出したドレスを前に、独り言ちる。
その呟きは、ジルダにも聞こえてはいない。
ジルダはすでにベアトリーチェが学園内の多くの者に嫌われていること、そして婚約者であるディエゴからも大事にされていないことに歪んだ喜びを得ている。
「さあ、お嬢様……当日のために衣装合わせでもしましょうか」
次の学園主催のパーティーで、ディエゴがどれだけベアトリーチェを苦しめるか、また悪役令嬢としてさらに周囲から孤立させるかを考えるだけで悦楽を覚える。
「殿下が婚約者であるお嬢様を諫めつつも、慈愛を持って諭すことが今回の目的らしいので、ご命令のことはお忘れなく」
「……分かっているわ」
ディエゴの魂胆などジルダよりも早く聞かされている。
今のベアトリーチェには拒否権などない。
「家のためよ。この苦しみも卒業すれば、終わるのだから……」
胸元の赤いブローチに触れながら、虚ろな瞳で呟く。
ベアトリーチェは今の自身の立場をよく理解しており、自分のことを心配してくれている者など、誰もいないことも分かっている。
だからこそ、できるだけ何も考えずに、卒業までやり過ごすしかないと諦めていた。




