90、ゼルヴァスとスローポ【後】
次の更新から学園の三年目に戻ります。
知らぬ間に初めて放った闇魔術。
黒い靄のように、薄っすらとゼルヴァスの体から放たれたように見えたが、すぐに空気に溶け込むように消えていった。
この日も院長や職員たちは談笑し、孤児たちに掃除や片づけをさせていた。
すれ違う孤児たちは、廊下に立ち尽くしたまま表情はない。
ゼルヴァスは院長や職員たちがいる部屋まで行くと、ノックすることなく勝手に入る。入室したことさえ誰も気付かずに、椅子の背にもたれ意味不明なことを呻くだけであった。
『こんな豪華な食事、見たことない。俺たちには分からないように、隠れて食べていたわけだ』
夕食が並ぶテーブル。
テーブルには孤児たちが食べることのない豪華な食事、酒が並べられているが、すぐに意識が混濁したのか、手はほとんどつけられていない。悪夢に魘されるように声を上げ、瞳は虚ろになり虚空をゆらゆらと彷徨わせだす。
『金は……これだけか。ネックレスは……もう、ないか……』
奪われた金品がどのくらいの額であったかは老人の話を聞いただけでは分からなかった。しかし、家門が刻まれた金のネックレスはどれだけ探しても見つからなかった。
袋に詰められるだけの金を入れ、慌てることなく部屋を出る。
―――魔力……というものが、体中を巡っている感じがする。これが発現なのか? 流れも悪くなく、あまり魔力を消費している感じもしないな……。
周囲を見渡しながら、ゼルヴァスは廊下を歩いて行く。
先ほどすれ違った時と同様、孤児たちはゆっくりと瞬きをしているが反応はない。
部屋へ荷物を取りに行くか考えるが、普段押し込められている部屋に行く必要はないなと考える。私物などないのだから。
そのまま建物から出て行こうとした瞬間、後ろから声がかかった。
『ゼルヴァス、みんな変だよ。立ったまま寝てるみたい』
ゼルヴァスは意識がある者がいるとは思わず、勢いよく振り返る。
その声の主は、同じく孤児院で虐げられていた。少年にしては大柄のスローポだった。
スローポはそのどんくさそうな見た目と、常に腹を空かせていることで、職員たちからは嫌われていた。わざと食事を少なくされていたりもしたのだが、スローポはそのことにも気付いていないようであった。
その都度、年齢が同じだったゼルヴァスは、食事の席が近かったため、自身の食事を分け与えていた。
理由があるとすれば、たった一つだった。
スローポから放たれる穏やかな雰囲気をゼルヴァスは気に入っていたからだ。
『……スローポ』
『ん? なに?』
まだ使い慣れていないとはいえ、大人でさえ完璧に闇魔術は効いている。
他の子供たちも意識がはっきりとしない状況で、スローポだけはいつも通りのへらりとした笑顔を浮かべていた。
―――……こいつ、術が効かないのか? 面白いな。
あまりのおかしな状況に、ゼルヴァスは思わず吹き出した。
『……はは』
『どうかした?』
自分はこの闇属性の魔力について、なにができるのかを確かめたい。しかし、この理解不能な存在も気になっている自分に気付く。
ゼルヴァスは金が入った袋を持ち直すと、スローポの服の裾を掴んだ。
『スローポ、一緒に行こう。ここはもう、俺たちの居場所じゃない』
『……うん、わかった』
『お前と一緒だと目立つから……夜になって出発だ』
一瞬、キョトンとした表情になるが、スローポは袖を掴んできたゼルヴァスの手を握り返した。
夕方になっても、誰も目が醒めることはなかった。この場にゼルヴァスがいる限りは、覚醒することはないのだろうとゼルヴァスは思った。
夜が来るまで待つと、二人は暗闇に紛れて孤児院を後にした。
―――あれから数年、子供に金を持ち逃げされた間抜けな孤児院という話が出回ってはいない。俺の闇属性の魔力の発現が初めてだったから、手加減できずに大人たちは廃人になってしまったんだよな。孤児たちは無事でよかったよ……。
しみじみと昔を思い出す。
「ゼルヴァス、今日も石を集めたよ。これくらいでいい?」
スローポののんびりとした声が、ゼルヴァスを現実へと引き戻す。
差し出された石は、小さくどこにでも落ちているようなものである。だが、スローポがその変哲のない石を磨くと、美しい輝きを放つ。
「ああ、いい出来だな」
「わぁ、よかった。ゼルヴァスが頑張っているから、僕も頑張らないとねぇ」
「スローポ、お前がいるから、俺は今が楽しいよ。感謝してるよ」
ゼルヴァスは皮肉げな笑みを消し、優しい手つきで石が無造作に入れられている箱を受け取った。
レベッカはスローポのことを『役に立つのか』と聞いていた。真実を知らなければ、そういう感想になるのかもしれない。
―――スローポは恐らく生まれた時から、魔力が発現していたはずだ。それを知らずに親は彼を捨てたのかは分からない。だが、孤児院は魔力鑑定をしなかったせいで、能力の有無も分からなかったのだろう。彼の能力は本当に凄いものだったよ。
ただの石ころを磨くことで魔石にすることができる能力。
それは魔法や魔力などではなく、加護と呼ばれるものに近いとゼルヴァスは考えている。
―――調べた限りだと、他国では妖精から愛されると、そのような能力を与えてもらえることがあるらしい。この国の女神に愛され、加護をいただいているという王族と同じ話だな。孤児院もこの能力に気付いていれば、もっと金を生み出せただろうに……。馬鹿な奴らだ。
妖精の加護があったからこそ、ゼルヴァスの闇魔術も効かなかったのだろう。
レベッカが持ち込んできた話に、心躍ったというのは事実だった。
しかし、それよりも自身の闇属性について、そして、スローポの加護について調べたいという気持ちの方が強い。
人に禁術を使用させて魔道具を作成させても、何とも思っていないような態度。
その性格の歪みに思うところはあるが、今は何よりも調べることに使える金が欲しかった。
だからこそ、聞いたこともない魔道具製作を請け負ったのだ。
「なあ、スローポ。一年後ぐらいにさ、隣国の石でも磨きに行ってみるか?」
「え? いいの!? お貴族様のお話は?」
「新商品は一旦保留ってことにしたし、金をさ、たんまり貰って来たんだ。まあ、まだ足りないけど」
「そうなんだ。この石は……持っていく?」
「この石は……もちろん使うさ。ただし、一年後だぞ? 今すぐではない!」
「うんうん、分かってるよ! 楽しみだねぇ」
「本当に分かってんのかねぇ……まあ、いいけど」
にへらと破顔するスローポを見やり、ゼルヴァスは肩を窄める。
そして自身の顔にも笑みが浮かべられていることに、ゼルヴァスは気付いていなかった。




