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公爵令嬢だけが何も知らない世界~無理やり婚約させられたのに、一方的に婚約破棄ってありですか~  作者: 白根 ぎぃ
第三章

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84、教室《2年目》

明日は短いものを更新します。




 翌日には、この事件は学園中に広まっていた。


「ねえ、聞きまして? またやってしまったみたいよ。聖女を階段から突き落とすなんて……。殿下の婚約者でなければ、今頃は退学もあったでしょうね」


「しかも、妹で聖女のアンナ様が庇ったらしいのよ」


「まあ、なんて心優しいのかしら。今まで迷惑かけられてきた生徒たちも、殿下とアンナ様のお願いだからと許したそうよ」


「人望のなさも相まって、階段から突き落としたってことかしら?」


「情けないわね。あ、やだ、こちらを見てますわ! 紅茶でもかけられてしまうんじゃなくて!?」


 クスクスと笑い声をあげ、令嬢たちは早歩きで去っていく。

 ベアトリーチェが廊下を歩けば、生徒たちは嗤い合い、バケモノを見るかのような蔑みの視線を投げかける。


「見て、あの顔……。あんなに平然としていられるなんて、常識というものがないのね」


「アンナ様はあんなに庇ってたっていうのに。恩を仇で返す女とは、見苦しいものだな」


「公爵家もあんな娘がいるなんて……アンナ様という妹がいらっしゃって、本当に良かったと思われているでしょうね」


 姿が見えない場所で交わされる言葉たち。

 その声を耳にしながら、ジルダに見張られるように廊下を歩いて行く。教室の扉をジルダが開けると、中にいた生徒たちはすぐに扉側を見やり、白い目を向けてくる。


「ごきげんよう」


 ベアトリーチェが挨拶をしても、今までであればわずかではあったが返事はあった。

 今はもう、それすらなくなっている。


 先ほどまで賑やかだった室内は静まり返り、あからさまに顔を背ける者、見世物を見るような目でニヤニヤと唇を歪める者。



―――まるで見世物ね……。あの時、私の手はアンナには確かに触れていなかった。殿下がアンナに掴まれていた手を振り解いた瞬間、落ちていったように私には見えたわ……。でも、そんなことを言ったところで、誰も信じてくれない。



 いつものようにベアトリーチェはディエゴの隣の席へと向かう。

 その位置がベアトリーチェにとって、定位置だったからだ。


「……殿下、おはようございます」


 声をかけ、椅子に手をかけようとしたその時だった。


「……ベアトリーチェ、君の席はそこではない」


 ディエゴのゾッとするような声が、教室内に響いた。

 ベアトリーチェの椅子を引こうとした指先が、ピタリと止まる。


「……え……?」


「聞こえなかったのかい? 妹を階段から突き落とすような卑劣な行いをする者を、例え婚約者であっても座らせるわけにはいかないという意味だ」


 静寂のあと、すぐに堰を切ったように嘲笑が沸き起こった。


 『当然の報いね』と誰かがせせら笑うのを合図に、周囲は一斉にベアトリーチェを冷笑した。

 そんな中でディエゴは周囲のことを気にする風でもなく、他の令嬢と一緒にいたアンナへと、優しく手を差し伸べた。


「アンナ嬢、こちらへ座ってくれ。フローラ嬢、君も良かったらこちらに来てくれないか? 昨日の今日だ、アンナ嬢もあのような姉と同じ空間では心細いだろう?」


「まあ、殿下! なんてお優しいのかしら……。ありがとうございます。アンナ様、私とあちらの席に移りましょう」


「は、はい」


「皆様、ごめんなさいね。私とアンナ様は殿下のお側に移らせていただきますわ」


「ええ、私たちのことは気にせず、是非そうしてくださいまし」


 フローラがアンナの手を引き、席を立つ。

 周囲の令嬢たちの横をすり抜け、ディエゴのそばの席に移るとアンナをディエゴの隣に座らせた。


 アンナは通り過ぎる瞬間にベアトリーチェへと視線を向けて、俯いた。


「お姉様……ごめんなさい、私……」


 消え入りそうな声は、すぐに聞こえなくなる。

 アンナはフローラに導かれるまま、ディエゴの隣の椅子へと腰を下ろした。


 先ほどまで、冷めた目でベアトリーチェを見ていた瞳が、優しい色を帯びていた。


「さあ、アンナ嬢。今日からこの席は君のものだ」


「……でも、お姉様に悪いですわ」


 ディエゴはため息混じりに、室内の誰もが聞き取れる声で言った。


「ベアトリーチェ……君の姉は色々とやりすぎたんだ。だから、君が気にすることはなにもないよ」


 アンナの肩に手を置きながら、ディエゴは視線をずらしてベアトリーチェを見る。

 その瞳は憐みや怒りなどではなく、愉悦を孕んだ眼差しだった。


「婚約者……いえ、ベアトリーチェ公爵令嬢。あなたの席はあちらです」


 背中側から、はっきりとした憎悪に似た声が聞こえた。


 その声の主は、カッシオだった。


 カッシオはベアトリーチェの腕を、力強く掴み上げると無理やり体を押しやった。


「な、なにを……離しなさい!」


「騒がないでください。殿下の……そして皆さんの授業の邪魔です」


 カッシオは抵抗するベアトリーチェを強引に押すと、教室の一番後ろの席へと連れてくる。

 公爵令嬢という身分で婚約者以外の男に体に触れられるという屈辱に耐えかねて顔を上げると、生徒たちの嘲笑う声と視線が背中に突き刺さった。


「ここがあんたの場所だ! 魔力もほとんどない女が、殿下と同じ教室に座らせてもらえるだけありがたいと思えよ」


 いつもの騎士らしい紳士的な声ではなく、教室中に響くような下卑た声を上げる。

 カッシオはベアトリーチェに吐き捨てるように言い残すと、ディエゴの護衛として、そして学園の生徒としての場所へと戻っていった。


「魔力もほぼないのでしょう? 妹のアンナ様に全てお譲りすればいいのに」


 その声を聞いて、フローラや他の令嬢たちが扇で口元を隠しながらさざめくような、鈴の音にも似た笑い声を上げた。

 

「いつも冷静なカッシオ様があのような言い方をなさるのだから、昨日のことは本当だったのね」


「そうだな。魔法もろくに使えないくせに、前の席にいるし、殿下の邪魔ばかりしているから目障りだったんだよな」


「ええ、本当に。後ろであの姿を見なくてよくなったから、清々しますわ」



 教室の最前列ではディエゴとアンナ、フローラが親しげに談笑している。

 こちらで起こったことには興味を失くしたようであった。



―――殿下は一体何を企んでいらっしゃるの……? これ以上、私にどうしろというの?



 喉まで出かかった叫びは言葉にならなかった。

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