83、ディエゴの選択【後】《2年目》
心苦しいような表情を浮かべていたディエゴが、一瞬考えるように瞼を閉じた。
数秒して瞼を開いたディエゴの目には強い光があり、しっかりとした口調で話し出した。
「今、ベアトリーチェと婚約破棄をするわけにはいかない。自暴自棄になり、それこそアンナ嬢に何をするか分からないからだ」
「……ですが」
「フローラ嬢、君の言いたいことは分かる。すでに危険な目に遭っていること、そして今日もアンナ嬢は酷い目に遭ったということだな」
「はい」
「でも、人目があるところでしたか、あのような行動に出ない。今回は……行き過ぎていることは分かるが、恐らくあそこまで下に落ちると思っていなかったのだろう」
「わ、私もそうだと思います……」
「アンナ嬢!? だが、君は事実、階段から……」
「カッシオ様……。お姉様は私を恐らく殺す気などはありません。今そんなことをすれば、確実にお姉様の未来は閉ざされます。あんなにディエゴ殿下の婚約者として、王太子妃になることを望んでいるのですから……」
フローラは震える声で疑問を投げかける。
「でも……それですと、呪いの件はどうなるのですか? あんなに苦しんでおられたのに……」
「フローラ嬢、あの呪いの件だが……生徒たちには言われていないことがある」
「言われていないこと?」
「ああ。アンナ嬢……言ってもいいだろうか?」
「……はい」
「あの呪いの種だが……実は媚薬だったんだ」
「び、媚薬ですか!?」
突然のディエゴの発言に、三人は驚きで言葉を上手く出せていなかった。
目を見開き、怒りに顔を赤くするカッシオ。
アンナとフローラは普段聞きなれない言葉に、耳を疑い顔を赤くしていた。
「そうだ。だから、誰も近付かないように、私がずっとアンナ嬢を眠らせていたんだ」
「そ、そんな……! なんてことなの……ありえないわ、聖女に媚薬だなんて……!」
「媚薬の成分を解毒するためには日数がかかる。令嬢ならば習っているかもしれないが、媚薬を抜く方法はいくつかある。もっとも簡単なのは、性行為に及ぶことだが……私はアンナ嬢に対して、そのようなことをするつもりはなかった」
「……はい。フローラ様、カッシオ様。ディエゴ殿下は私に気遣ってくださったのです」
呪いなどではなく、一番下品な行動であったとディエゴとアンナは告げる。
アンナが倒れ、ディエゴが付きっきりで看病をしてた間、誰もアンナの状態は見ていない。
カッシオは護衛として部屋の前に立っていたが、見舞いたいと願い出たフローラ共々、学園側から許可されることはなかったからだ。
「眠らせている間に、少しずつ王家の秘薬を飲ませれば、数日で媚薬は抜け切る」
「あの、女……なんということを……!」
「……そう。学園にいてくれた方が、私の目の届くところにいる。今回も恐らくだが、驚かせるだけのつもりだったのだろう。しかし、アンナ嬢の体が思ったよりも傾いてしまった」
「……アンナ様、あなたはそれでよろしいのかしら? これからも、きっと……いいえ、もっと酷い目に遭うかもしれないのよ?」
フローラの心配と、決心を確かめる声にアンナは頷くと、真っ直ぐ見返した。
「はい、大丈夫です。私はいつかお姉様が改心してくださると、信じておりますか」
「……ということなんだ。だからこそ、今まで通りフローラ嬢とカッシオはできるだけ、アンナ嬢のそばにいて身を守ってやってほしい」
「当たり前ですわ!」
「はい、殿下。アンナ嬢……どうか、私にあなたを守る許可をください」
「カッシオ様……そんな、あの……はい、よろしくお願いします」
ディエゴは真剣な眼差しで、三人をそれぞれ見やる。
そして、数度目を瞬かせると有無を言わせぬ口調で言葉を紡いだ。
「王太子として約束しよう。卒業の際、ベアトリーチェは自分が犯した罪と向き合うことになるだろう」
「殿下……。私からの些細な願いなのですが、お姉様をあまり追い詰めないであげてください……。お姉様はただ、殿下のことをお慕いしているだけなのです……」
アンナは顔を伏せ、カッシオの肩に顔を埋めた。
その唇の端が秘かに歪んでいる。
ディエゴだけはその歪みに気付いていたが、あえて指摘はしなかった。
ディエゴにとってはアンナもまた、自分が主役の物語のキャラクターに違いなかったからだ。
―――この女……君はどうやら転生者ではなさそうだな。このイベント、ここでディエゴに縋りつくスチルがあるんだが、それを見ようともしていない。それどころか、カッシオの肩に顔を寄せているじゃないか。そんなシーンはなかったはずだ。乙女ゲームの世界に転生したヒロインならば……スチルは集めたいものだろう? いや、むしろ何をせずともスチルは集まるはずだしな。
アンナもフローラも、そして側近であるはずのカッシオも、ディエゴの考えていることを本当の意味で理解している者はいなかった。
「ああ、分かっているよ、アンナ嬢。ベアトリーチェは……私に執着しているようだが、追い詰めるようなことはしないつもりだが……それはベアトリーチェの今後次第でもある。それだけは分かってほしい」
「もちろんです……。お姉様が行き過ぎた行いをするのであれば、殿下の思う通りに……」
「アンナ様、カッシオ様と私で守ってみせますわ」
「私……いや、俺もだ。殿下の護衛騎士でもあるが、同じ学園の生徒として君を守らせてほしい」
「フローラ様、カッシオ様……申し訳ないです……私なんかのために、そのような……」
「アンナ嬢、そう言うものではないよ。皆、君を特別な存在などではなく、学友として友人として守りたいと言っているんだ」
ディエゴの言葉にアンナはぽろり、と涙を零した。
「あの、ありがとうございます……。私、こんなに優しくしてもらえたのは、その、初めてで……」
「私の我儘のせいで、君を巻き込むことになってしまうのは心苦しい。本当にすまない」
「……いいえ、殿下。お姉様にも構成の機会があるのはいいことです! 私はお姉様を……皆さんを信じますっ」
「アンナ嬢……君はあの姉をも許すというのか……」
「カッシオ様。アンナ様も認めたことです……。私たちはアンナ様を守りましょう」
「あ、ああ」
伯爵令嬢として、本物の教育を受けてきたフローラの決意にカッシオはたじろぐ。
三人が友情を確かめ合っている姿を、ディエゴは穏やかに見つめた。
―――なんて美しい光景なんだ……。ヒロインの優しさと慈愛の素晴らしさを知ることができるな……なんて思うと思うか!? ヒロインというやつらは、こんなにもあざとい存在だったのか? ハッ、これに騙される男も男だな。聖女としての力は使ってやるから、精々いろんな男を魅了してくれ。
仲睦まじく話している空気を締めるように、ディエゴは手を叩いた。
怪我をしたというのに、先ほどまでのピリピリとした空気はアンナの穏やかさで霧散していた。
「さあ、互いの気持ちを伝えあったところで、今日は戻ろう」
「はい」
「アンナ様、カッシオ様に手を貸してもらうといいわ」
「え!? そんな、私なんか……」
「アンナ嬢! 私なんか、など言わないでくれ。俺があなたを送っていきたいんだ」
「そうだよ、アンナ嬢。カッシオならば信頼できるはずだ」
「あの、はい……お願いします」
顔全体を赤くしながら、アンナは俯きがちにカッシオに手を差し伸べる。
その姿にカッシオは唇を噛み締め、一度咳をすると頷いた。
「これで安心だ。もし痛みが出てきたら、寮の医務官に遠慮せずに声をかけるんだよ」
「は、はい、殿下」
「中庭でのティータイムはまたにしよう」
「ええ、殿下の仰る通りですわ。今はあの場にいた方々にも説明しなければなりませんし……その件は私が説明いたしますわ。殿下、よろしいでしょうか?」
「ああ、助かるよ、フローラ嬢。ベアトリーチェは私の婚約者だから、きっと他の者は私の口から説明を受けても納得できない部分もあるだろう」
「お任せください、殿下。今、殿下からお話ししていただいた内容をぼかして説明させていただきますわ」
「ありがとう」
四人は静かに医務室を出ると、廊下には複数の生徒たちがいた。
フローラだけが残り、ディエゴとカッシオ、そしてアンナは療養のためと言ってその場を後にした。
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