81、愚かな悪役令嬢【後】《2年目》
金曜日も更新します。
ベアトリーチェは、自身の言葉に陶酔するかのように言葉を紡ぐ。
「……っ! 今、何と……!」
フローラが絶句し、周囲の生徒たちからどよめきが上がる。
「だってそうでしょう? 私のメイドが愚かにも大きな声を上げたけれど……その時にはその女は階段を踏み外していたわ」
「ベアトリーチェ! 何を言っているんだ、君は!?」
「何を……? 本当のことを言っているまでですわ、殿下。私が……平民だか男爵だか知りませんが、その程度の家の生まれの女に嫉妬なんてするとでも? 触れたくもありませんし、視界にも入れたくないことは知っておいででしょう?」
「黙れ! 謝罪どころか……妹を……いや、聖女を貶めるような発言をするとは……!」
ディエゴが低く唸った。
横抱きにしたアンナに視線を向けると、一息吐いた。
「もういい。これ以上、この女の言葉を聞く必要はない。アンナ嬢の治療が優先だ」
「でん……か……。お姉、さま……を……」
アンナは痛みに朦朧とする中で、なおもベアトリーチェを庇おうと手を伸ばした。
その手はディエゴでもカッシオでもなく、ベアトリーチェに向けて伸ばされていた。
しかし、ディエゴはその手を優しく握りしめ、自身の胸元に収めた。
「カッシオ、この場を頼む。フローラ……君は私と一緒に行こう。カッシオ……お前はここに残り、適切に対処しろ」
「……はい」
カッシオが、ベアトリーチェを睨みつけながら頷く。
ディエゴは一度も振り返ることなく、アンナを抱えたままその場を後にした。
フローラもまた、ベアトリーチェを激しく睨みつけた後、令嬢とは思えない言葉を吐き捨てると、ディエゴの後を追った。
ざわついていた階段も、すぐに静寂が訪れる。
周囲に人の気配が少なくなっていくと、カッシオは階段を再度上がった。
「……ぁ……ぐ、っ……」
アンナの姿が見えなくなった瞬間、ベアトリーチェを縛り付けていた強制力が消え失せた。
それと同時に、頭を殴りつけられたような激痛が走る。
レベッカの祝福石が与えていた命令は、その行いに反そうとするほど、反動が強くなる。
祝福石の命令は日を追うごとに弱くなる。今回は二か月目に近付いていたからこそ、ベアトリーチェの心に命令を嫌だと思う気持ちが浮かび上がっていた。
「あ……あぁ……っ、ぁあ……!」
視界がぐにゃりと歪む。
―――あぁ! 痛い……っ! 言わなきゃ、言わなきゃ……言いたくない……。ああ、でも……これは家のためで、レベッカ様のためで……ためで?
頭を割られるような痛みが襲い、ベアトリーチェは頭を抱えてその場に蹲りそうになった。
意識が朦朧とし、なぜあのようなことを口走ったのかさえも分からなくなる。
「見苦しいな。今更、罪悪感に苛まれているふりか?」
頭上から降ってきたのは、獲物を狙う獣のような瞳と声だった。
カッシオはベアトリーチェを見下ろすと、小馬鹿にするように笑う。
「絶対に許さない。心優しい聖女……いいや、聖女なんて言葉は必要ない! 公爵令嬢であり、あんたの妹でもあるアンナ嬢の身に何かあれば……俺がお前を……」
「……違う、ちが……て……」
朦朧とする意識の中で、ベアトリーチェは座り込んだままカッシオを見上げた。
苦痛に歪んだ表情は青白く、着崩されているスカートから見える白い足も震えている。
「違う? 往生際が悪い奴だな……。証拠がない? 皆が見ていた! あんたはどこまで腐ってんだよ!」
カッシオは一歩踏み出すと、ベアトリーチェの細い肩に強く指を食い込ませた。
「殿下は仰った。適切に対処しろ、と。でも、俺のような孤児だった者には、適切な対処という意味は分かりかねるんだ」
「なに……を……」
「アンナ嬢が落ちたこの階段……意外と高さがあるんだ。見てみろよ」
ぐい、とベアトリーチェの体を、無理矢理向きを変えるように押さえつけた。
強い力で押さえつけられたことで、ベアトリーチェの体が不自然に倒れこむ。
「……ぃっ」
「どうだ? 高いよな……。ここから落ちたんだよ、アンナ嬢は」
「……ぁ、ああ……」
言葉にならない声を漏らし震えるベアトリーチェの体を、カッシオは躊躇うことなく階下へ向かい押し出した。
掴まれていた肩と同時に、右足がベアトリーチェの尻を足蹴にした。
「……い、ゃっ」
ベアトリーチェは思わぬ激痛と衝撃に、本能的に体を低くして数段下へと落ちていた。
幸いにも蹲っていたことで、アンナのように転げ落ちることはなかった。
だが、蹴り落とされて落ちたことで、ベアトリーチェの服装は乱れている。その姿すらも、カッシオは笑い飛ばした。
「アンナ嬢はもっと怖い思いをしたんだ。それに、少しは令嬢らしく殿下に見合う格好をしておけば、そのような痴態を晒さずに済んだものを。これが王太子殿下の婚約者で聖女の姉とはな……」
カッシオは吐き捨てるように見下ろしながら言うと、一度も振り返ることなく、ディエゴたちの後を追って去っていった。
「…………」
「誰もいなくなっちゃった。あんたはそういう惨めな存在なのよ」
ジルダが嗤いながら、階段をゆっくりと下りてくる。
階段に体を横にし倒れたままのベアトリーチェを見下ろしながら、ジルダは口元を歪めて愉悦の笑みを浮かべた。靴先で乱れたスカートをぐりぐりと執拗に踏みにじりながら、喉の奥を引きつかせるように嗤う。
ベアトリーチェは瞳から流れた涙が、階段の冷たい石にぽたりと零れた。
「さっさと起きてちょうだいよ。いつまでそのみっともない姿をさらしておくつもり? あんたにはまだまだやることがあるでしょ」
「ぅっ」
ガッと鈍い音がするほどの力で、ジルダはベアトリーチェの臀部を足で蹴り上げる。
立たなければこの痛みはずっと続くのだ。
「……ぁ……っ」
逃げ場のない痛みに、ベアトリーチェは震える手で階段の縁を掴んだ。
遠くから何も知らぬ生徒たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。
その華やかな笑い声にベアトリーチェは一度も混ざったことはなく、今後も恐らくない。
「ほら、さっさとしてよ。誰か来たら面倒でしょ? また……ディエゴ殿下に怒られたいの? あんたって、そういう趣味の持ち主なの!? アハハハハッ」
ジルダが冷たく見下ろす中、ベアトリーチェはもつれる足で立ち上がった。
視界は涙と痛みで歪み、ディエゴやレベッカが望む悪役令嬢というものに近付いたことだけは分かる。
ただ、この先に待つのがさらなる闇であることだけは、考えたくもなかった。




