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公爵令嬢だけが何も知らない世界~無理やり婚約させられたのに、一方的に婚約破棄ってありですか~  作者: 白根 ぎぃ
第三章

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75、模擬戦後②~カッシオ視点~《1年目》

本日はもう一度夜に更新します。

時間は19時以降になるかと思います。




 カッシオはアンナによって治療された腕を、食い入るように見つめた。



―――痕すら残っていない……。治癒の光っていうのは、こんなに凄いもんなのか。



 見つめる先にあるのは、破れた服にこびりついた血の跡だけだ。

 先ほどまであった抉れたような傷も、溢れ出る血もどこにもなく、アンナによって治療された場所は元通りになっていた。


「まあ、主人公(ヒロイン)とはこんなものか……」


 皆がアンナを取り囲んでいる中、横に立っていたディエゴが、ぼそりと何かを呟いた。

 横にいたことにすら気づいておらず、慌ててカッシオはディエゴに言葉を返す。


「……? 殿下、今何か……?」


「ん? ああ、いいや。アンナ嬢は我が婚約者殿とは違うなと」


「……婚約者殿とは、明らかに違いますよ」


 カッシオは少しだけ眉根を寄せて、ディエゴに言った。

 公爵令嬢に対する物言いではないが、今はその婚約者もこの場にはおらず、ディエゴが楽しそうに生徒たちと交流できている。


 そのことが、カッシオには喜ばしいことのように思えていた。



―――あの女は婚約者という立場を利用して、自分よりも有能だと思われる女に散々な仕打ちをしているからな。殿下が注意しても聞かず、さらにはまるで付き纏うかのようにいつも引っ付いて殿下の他者との交流を邪魔している……。



 あからさまに顔に出ているカッシオにディエゴは微苦笑を浮かべ、肩に手を置いた。


「まあ……彼女にも色々とあるから」


「殿下は優しすぎますよ。殿下にいつも纏わりつき、他の生徒との交流の邪魔をする。いや、交流すらさせようとしない。それに、淑女とは思えぬような制服の着こなし、他者への行動。アンナ嬢とは真逆の存在かと」


 息を入れることなく一度に言いきったカッシオに、ディエゴは目を丸くする。


「凄いな、よく見ている」


「当たり前です。私は今は殿下の学友ですが、護衛でもあるのですから」


「フフ、そうだな。これからも頼むよ。それに、今はまだ何とかベアトリーチェを止められているが……今後、私のいない時に過激な行動を取ることも多くなるかもしれない」


「それは……」


「今だってそうだろう? その時……アンナ嬢の命に関わるようなことが起こるかもしれない。カッシオ、今からの言葉はこれは命令ではない。学友としての願いになるのだが……アンナ嬢を守ってやってくれ」


「……そんな、まだこれ以上、彼女がひどい目に遭うと……?」


「……予防策さ。そうならないことに越したことはないが、婚約者殿は執着心が強く嫉妬深いからな」


 ディエゴの言葉の意味は簡単に理解できた。



―――あれほど心清らかな妹を……あの女は何故、傷つけようとするんだ……。聖女の力を持った妹に対する嫉妬なのか? 人前で辱めている姿は今までも見たことがあるが、今まで以上となると恐ろしいな。殿下からの命令……いや、願いだ。絶対にアンナ嬢を守り抜いてみせる。



 ベアトリーチェに虐げられても、アンナは姉の心を信じようとしている。その純粋すぎる姿を多くの生徒は目撃している。


 カッシオもまた同じであった。


 カッシオ自身もベアトリーチェから『孤児のくせに生意気だ』と、何度も罵倒されたり、物を投げられたりもした。


 思慮に耽っていると、訓練場の外で見学していた生徒たちから歓声が上がった。


「凄いわ! あの光……! まさに今、流行っているあの本のヒロインそのものじゃない!」


「本当ねっ。アンナ様は……まるであの物語の聖女様みたい……!」


「間違いないわ。姉に酷い目に遭わされても姉を立てて、自分は脇に下がる姿なんて……っ」


「ええええ! それに比べて、姉はあの悪役令嬢にそっくりね……」


 見学に来ていた生徒たちの口から漏れるのは、アンナを称賛し、ベアトリーチェを貶める言葉だった。


 今やアンナは自身の知らないうちに、流行の本の主人公(ヒロイン)という配役を宛がわれていた。


 アンナは褒めそやされる声を耳にしながら、少しだけ顔を赤くして俯いた。


「あの、皆さん……。私はただ、カッシオ様を助けたかっただけで……。それに、ベアトリーチェお姉様も本当は素敵な方です……」


 その謙虚な振る舞いが、さらに周囲の熱狂を煽る。


「彼女は人気者だな」


「そうですね……。私も皆が言っている本を少しだけですが読みました」


「カッシオがあれを……? 買い求めたのかい?」


 少しだけ可笑しそうに柔らかな雰囲気でディエゴが笑う。

 カッシオは顔を赤くしながら、勢いよく首を横に振った。


「ち、違います! 俺はその、ジルダが持っていると聞いたので、その、借りて読んだだけです!」


「ジルダが持っていたのか?」


「はい。顔に似合いませんよね、あいつがあんな女が好きそうな本に興味があったなんて」


「……駄目だよ、カッシオ。ジルダも女の子なんだから」


「ジルダが女!? 殿下、俺を笑い殺す気ですか!? アハハッ」


「……」


「う、嘘です……」


 カッシオはジルダから借りた本を思い出す。

 少しだけ読んだ、というのは嘘である。全部一気に読んでしまった。王子と聖女が悪役令嬢を断罪し、結ばれる物語。



―――その中には俺に似た男もいたな……。聖女に助けられ一人の騎士は恋をする……だが、その恋は実らない。真実の愛で深く愛しあう二人をそばで助ける役に徹する騎士。



 まだ終わっていないその本のプロローグを読みながら、令嬢たちは会話を弾ませていたのを覚えている。


『始まりから、最後が分かるのはとても素敵ですわ! 今までになかった物語の始まりですもの!』


『分かります! 最初にあの悪役令嬢が断罪されるシーンがあることで、まだ続いている物語での悪事が際立っておりますわよね』


『ああ、最後に卒業パーティーで断罪されるシーン……あの絶望の表情の描写……実際に見れるのでしたら、最高ですわぁ』



 令嬢たちの言葉は本の中の話なのか、現実の話なのかは分からない。


 だが、カッシオもまたその令嬢たちの言葉に深く頷いた。


 アンナの温かな光に包まれ、元に戻った腕の傷を再度見やる。

 そして、ゆっくりと視線をアンナへと向けた。周囲に囲まれ困惑している姿に、ぞくりと背筋が凍るような違和感を感じた。



―――……アンナ嬢があの本の聖女と同じであれば……。最後の結末は、あの本の内容通りになるのか? あの女は破滅へと突き落とされ、殿下とアンナ嬢が結ばれる……。



 敬愛するディエゴと、聖女という眩い存在のアンナ。


 敬愛し、守る存在のそばに立てることがカッシオにとっては夢のようであった。

 ベアトリーチェという婚約者(おんな)が存在することで、ディエゴとアンナが不幸になっていく。ベアトリーチェは存在することすら許されないのだと、カッシオの頭の中で声が聞こえていた。

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