73、『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』《1年目》
テラスに集まる令嬢たちの可憐な笑い声が軽やかに響く。
「ふふ……ねえ、読みました? 最新刊。主人公の令嬢にいつも手酷い目に遭わされる悪役令嬢ときたら、可笑しいったらないわよね」
「ええ、その通りね。まるで誰かにそっくり……ふふふ」
「まあまあ! あなたたち、お声が大きくてよ。でも、本当に滑稽で私も続きが楽しみなの」
令嬢たちは優雅に色とりどりの菓子を摘まみながら、会話に花を咲かせる。
だが、その内容は決して純真なものではない。
ベアトリーチェたちが入学して、半年が過ぎていた。
王太子の婚約者という地位を権力で奪い取り、口を開けばその地位で周囲を跪かせる我儘で他者を傷つける。悪役令嬢と言われることすらも厭わない公爵令嬢。
これが学園という狭い世界から、ベアトリーチェにあてがわれた配役だった。
「あら、またお一人よ」
「それはそうでしょう。だって、今日は殿下は聖女アンナ様と疑似魔物との訓練に行かれておりますもの」
「そうでしたわね。魔力が極端にない方はただの邪魔者ですわね」
「邪魔者だなんて……聞こえていたら、大変な目に遭いますわよ」
「まあ怖い!」
くすくすと令嬢たちの高く嘲笑う声。
もちろんその全てはベアトリーチェにも、その従者として付き従っているジルダにも聞こえている。
「……はあ」
ベアトリーチェは一つ息を吐くと、席を立つ。
カツカツと、足音を鳴らし笑い合う令嬢たちのテーブルの近くまでやって来ると、他の令嬢たちのテーブルに置かれていたティーカップを一つ手に取った。
「え!?」
ベアトリーチェの動向に驚いた令嬢は思わず頭上を見上げる。
そこには女でも見惚れてしまいそうな笑みを浮かべたベアトリーチェがおり、ハッと顔を赤くして視線を逸らした。
「……本当に身の程知らずとは、このことよねぇ」
今、学園内ではある小説が流行っていた。
その本は『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』というタイトルで売り出されており、内容はあまりに扇情的だった。
主人公は学園入学前に聖女の力を目覚めさせた公爵令嬢である。
聖女は幼い時より姉に使用人以下の扱いをされて育つ。我儘で傲慢な姉は、公爵家の権力で王太子の婚約者となり、他者を酷く翻弄するように虐げる。
その後、妹は聖女の力に目覚めるのだが、姉は癇癪を起こし、さらに姉は妹を虐げる。
妹は姉と分かり合おうと努力するのだが、姉は妹を殺そうとしたため、最後には婚約者であった王太子から断罪されて、婚約破棄を言い渡される。
そして聖女となった妹は王太子と結ばれ、真実の愛を手にするという物語。
奪い取ったティーカップを手にしたまま、ベアトリーチェは数歩歩く。
流行の本の会話を楽しんでいた令嬢の一人のそばに立つと、頭上からティーカップをひっくり返した。
「きゃあ!? なにっ、なんですの!?」
「あぁら、ごめんなさいねえ。あまりにも羽虫が多かったから、追い払ってあげようと思いましたの。でも、まさか……人間だったなんて。ごめんなさいね?」
「は、羽虫……っ」
「ええ、そうでしょう?」
「っ」
怒りで顔を赤くする令嬢の顔の近くまで顔を寄せて視線を合わせると、ベアトリーチェは口角を上げて微笑んだ。
そして眉を下げて、嘲笑うかのように頬をなぞる。
「耳元を飛ぶ羽虫のように耳障りな音を立てて……。ああ、不快すぎてどうしましょう」
ベアトリーチェは、令嬢たちのテーブルにあった飲みかけのティーカップを持つと、今度は真正面にいる令嬢たちに浴びせかけた。
「いやっ」
「ひっ」
「はあ、つまらないわ。ディエゴ様があんな聖女もどきに構うから、こんな誤解が生まれてしまったのね。私は悲しいわ」
令嬢たちの間で楽しまれていた本の存在を、ベアトリーチェも知っている。
悲鳴を上げる生徒、驚愕して声を上げることすらできない生徒が混ざり合うテラスを、ベアトリーチェは気にすることなく後にした。
背後ではジルダが汚れてしまった令嬢たちを悲痛な表情で見ながら、俯き横をすり抜ける。
「……お可哀想に」
そう呟きながら、ベアトリーチェに付き従いテラスを後にした。
―――もう慣れたわ。今更他の令嬢と仲良くしようなんて思わない。これでいいのでしょう……ディエゴ殿下?
ベアトリーチェがその本の存在を知ったのは、数日前のことだ。
ディエゴが誰もいない空き教室で本を広げ、愛おしそうに招き寄せた。
『見てごらん、ベアトリーチェ。お前のことがこんなにも詳細に書かれているよ。世間は君の我儘を、物語の悪役令嬢として楽しんでいるみたいだ』
『悪役、令嬢……』
ディエゴはわずかに震えたベアトリーチェの耳元で甘く囁いた。
『そうだ。この本は聖女が姉に虐げられながらも力を発揮し、やがては成功を掴む物語が描かれている。まさに聖女アンナのようだな』
ディエゴの言いたいことはただ一つであった。
『お前が嫌われ者になれば、公爵家は消えることはない』
『……承知しております、殿下。私はその本の中の悪役令嬢を演じるだけです』
『ああ、そうだ。お前の真の姿は僕だけが知っていればいいんだ』
『はい……』
国王ベッファと王妃アリアも、ディエゴとベアトリーチェの子を公爵家に入れることで、公爵家の名を存続させることは約束している。
むしろ、ベッファがその提案をしていたのだ。
両親はおらず、祖父母もなく、公爵代理となった唯一の血縁であるフォレだけでは後ろ盾になるのは難しい。また、別に後ろ盾となってくれる親族はすでにいない。
評判の悪い公爵家の後ろ盾になるくらいなら、王家に自身の娘を売り込んだほうが良いと思っている貴族ばかりである。
『そう不安そうな顔をするな。僕は約束を守る人間だ……お前の叔父夫婦とは違う』
吐息が耳にあたり、ぞわりと背中が粟立つ。
そんな中で、約束を反故にされないためにも、ベアトリーチェは今はディエゴの言われた通りにするしか家名を残す方法はなかった。




