72、アンナの訪問《1年目》
その日、ベアトリーチェは一日中どこへ行っても笑われる存在であった。
魔力もないくせに、王太子であるディエゴに付きまとい迷惑をかける痴れ者。
それがたった二日で定着した、ベアトリーチェの評価である。
―――さあ、私は我儘で傲慢な公爵令嬢。魔力も少ないくせに、王太子の婚約者というだけで大きな顔をしている馬鹿な女。何とでも言いなさい。私は……私はお父様とお母様との思い出のある、公爵家が残れば、それでいいのだから。
寮の自室に戻ったベアトリーチェを待っていたのは、安らぎなどではない。
部屋の中にも常にディエゴのための監視者である、ジルダが控えているからだ。
ジルダとはもう分かり合えないことを、ベアトリーチェは肌で感じている。そのため、昨日のようにジルダを気にかけることも、やめることにしていた。
―――どう足掻いても、彼女は私を助けてくれることはない……。それどころか、彼女は殿下に惚れているのだから、きっとこれからも色々としかけてくるに違いないわ。
横目で見たジルダは、メイドとしてベアトリーチェにお茶を淹れることなどしない。
ただ退屈そうに髪留めに触れているだけだ。
椅子に腰掛けたベアトリーチェは、魔力測定のことを思い返す。
魔力量というのは、人によって決まっている。
魔力を使えば、魔力はなくなる、それは当然のことである。しかし、休息と共に自然と回復していくものなのだ。
―――叔母様も、私の魔力量は少ないと言っていたわ。それでも、平民以下だなんて……。
ベアトリーチェは、覚えていた。
幼い頃、両親に自身の魔力を練り上げて作った初級魔術。
火の魔力で練り上げた花を見て、両親はとても喜んでいた。その時のことを覚えていたからこそ、今回の結果にショックを受けたのだ。
その時、部屋の扉が控えめにノックされた。
「……お姉様、アンナです。入ってもよろしいでしょうか?」
聞きなれた、美しい声。
その声を聞いた瞬間、ベアトリーチェの胸の奥にはどす黒い感情があふれ出す。
―――叔母様の言うことを……実行しなくては……。だって、アンナは私から全てを奪う敵……だもの。憎い、許せない……あの女を酷い目に遭わせるのが、私の役目……。
祝福石の効果は、離れていても洗脳された者には関係ない。
「……入りなさい」
アンナが遠慮がちに扉を開けると、小さなバスケットを抱えて中へと入って来る。
ふんわりとバターの甘い香りが部屋に漂った。
「あの、これ……お口に合うか分かりませんが、お姉様に食べていただきたくて。私が焼いたクッキーなんです」
少しだけ頬を染め、はにかみながらバスケットを差し出した。
受け取ろうとアンナのそばまでやって来たジルダを、ベアトリーチェは声で制した。
「ジルダ、待ちなさい」
「……え? あ、はい」
ベアトリーチェの目に映るのは、従妹でも、妹でも、聖女でもない。
あざとい女の姿だ。
「……あらあら、媚びでも売りに来たのかしら? 私が受け取れば、皆あなたが私を聖女の力で改心させた、とでも言うでしょうねえ」
「ち、違います! そんなつもりでは……!」
「はいはい。それで? その次はそれをディエゴ様に渡すつもりでしょう? 王太子の婚約者の座を狙っているのよね? そんな焼き菓子一つで!」
「えっ……? いえ、これはお姉様に食べていただこうと……」
「あははは……白々しい女ね。あなたが作ったものなど、私が食べるはずがないでしょう? 平民も同然の女が作ったものなんて、汚らわしい。何が入っているか分かったものじゃないわ」
ベアトリーチェはアンナを嘲笑うように突き放した。
カッと顔全体を赤くしたアンナの瞳には、みるみるうちに涙が溜まっていく。
それを見てもベアトリーチェの心にあるのは、歪んだ感情だけだった。くい、と顎でアンナの方を指し示す。
「ジルダ、それは捨ててちょうだい。二度と私の部屋にこんなゴミを持ち込ませないで」
控えていたジルダは困惑したように眉を寄せた。
アンナを気遣うように、弱々しい声でベアトリーチェに意見する。
「お、お嬢様……。アンナ様は今日のお嬢様を……その心配して、寮の厨房を借りて作ったそうです……」
「あら、なんで私のメイドがそんなことを知っているの? アンナ、あなた……もう私のメイドも落としたの?」
くすくす、とベアトリーチェは意地悪く口元を歪め笑う。
「……」
「それは……先ほどお水をいただいてくる際に、厨房でお聞きしました……。ですので、一口だけでも、召し上がっては……」
「ジルダ、あなたまで私に逆らうの? さっさと捨てなさいと言っているのよ!」
「……っ、承知いたしました」
ジルダは肩を震わせる。
そして、申し訳なさそうにアンナからバスケットを受け取ると、ゴミ箱へとその中身を落としていった。
ザザザッと乾いた音を立てて、落ちていく焼き菓子をアンナは目を見開きながら見つめていた。
「……お姉様、ごめんなさい。私……そんなつもりじゃ……」
「ああ、そう。迷惑だから、二度と持ってこないでちょうだい」
「…………っ」
アンナは返事をすることなく、涙で濡れた顔を覆い部屋を飛び出していった。
残されたベアトリーチェは、激しい頭痛に襲われながら、倒れこむように椅子に体を預けた。
「なかなかの演技でしたよ、お姉様」
「やめて……ちょうだい……。頭が痛いの……一人にして」
「はいはい。では、私は殿下にご報告しに行ってきますので、ごゆっくりお休みください」
ジルダはにやにやと目を弧にして、部屋を後にする。
いなくなった気配でようやくベアトリーチェは呼吸ができた。
―――これでいいのよ。あんな女……公爵家を潰そうとする恐ろしい女なのよ……。許さないわ、絶対に……。叔母様を守らなきゃ……守るの、よ……。
頭が割れるように痛む。
その理由をベアトリーチェが分かることはない。




