67、学園入学【ディエゴ視点・前】
王立学園の講堂。
その壇上に立ったディエゴは、眼下に広がる数百人の新入生と在校生を見下ろした。
注がれる視線は、憧憬、畏怖、そしてあの婚約者を持っている王太子への同情。
―――同情などされることには腹が立つが……でも、あの同情が今後の力となるからな。
羨望と同情の視線を向けられながら、ディエゴは愉悦を噛み締める。
「――諸君。この学び舎では、貴族も平民も関係ない。次の王国を支えていく者たちの才知を磨き、国を武によって守る者たちは騎士道を究めて、王国の礎となるように切磋琢磨し、精進していこう!」
淀みなく言葉を紡ぐ。
期待に満ちた多くの瞳が、ディエゴを見つめる。
誰が聞いても不足のない挨拶。完璧な容姿。王太子として品のある言動。
―――ベアトリーチェ。お前がいることで、僕の価値がどんどん上がっていくのが分かるよ。前世でプレイしていたあの光景が、今は自分の命令でいいように動いている。
本来のシナリオとは、少しではあるが変わってきていることが分かる。
だが、全てがディエゴの思うままに進んでいっている。
ディエゴがやり込み、イベントもスチルも全て網羅した乙女ゲーム『愛は執着のみ2』とは、少し変わっている。
―――まあ、異世界転生ものなんてそんなもんだろう。この世界では、僕が主人公なのだから……僕の思う通りに動くべきなんだよ。
入学式が終わり、ホームルームも終わる。
もちろん、その場にベアトリーチェは参加させていない。
「ベアトリーチェ様は、入学式にもホームルームにもいらっしゃらなかったわね」
「それはそうでしょう。登校早々に義理の妹でしたかしら? その方を侮辱して……殿下もお怒りでしたでしょう?」
「確かにそうね。ベアトリーチェ様も叔父夫婦の養女になっているらしいから、姉妹ですのにね」
「あれでは殿下がお可哀想ですわ」
生徒たちは、ベアトリーチェが我儘で行事に参加していないと思っている。
その声を聞きながら、中庭へと移動する。
まずはそこで予定されている二つ目のイベントを見ることにする。
人だかりの中心で、令嬢たちが大きな声でベアトリーチェのメイドであるジルダを慰めている。
「……ベアトリーチェ様ったら! ご自分のメイドにこんな仕打ちを……何をされたの?」
―――『悪役令嬢によるメイドへの折檻イベント』が始まっているか。ジルダ、よくやったな……。
「はい……。アンナ様が王太子殿下に医務室へ……連れて行ってもらえたことに腹に据えかねたらしく……ぅ、私を外に連れ出し叱りつけ、頭を何度も打ち据えられました……」
「ああ、酷い! だから、こんなに赤くなっているのね」
「それに、頬にも傷ができていますわ」
震えながら演技をするジルダを眺め頷く。
令嬢たちは人だかりに語り掛けるように、ベアトリーチェの悪行を並べてていく。痛々しいほどの演技に口を歪めながら、ディエゴはゆっくりと歩み寄った。
「ジルダ……、ジルダか!?」
「あ、お、王太子殿下……!」
「君、そんな怪我をしてどうしたんだい!?」
ディエゴが命令したことではあるが、ジルダは顔を赤らめさせ涙を流した。
慌てたようなディエゴの声が響いた瞬間、周囲の生徒たちが一斉に振り返り、道を開ける。
「これは……ベアトリーチェ様から……」
「お、お姉様が!?」
「アンナ嬢……」
いつの間にかやって来ていたアンナが声を上げた。
ディエゴはここに来るまでに、かなりアンナを探していた。しかし、見つからなかったため、一人で中庭までやって来ていたのだ。
―――この女、どこに行っていたんだ……。全く、ジルダの最初の演技が見れなかったじゃないか。チッ。
怯えるような素振りを見せたジルダではなく、ディエゴはアンナの肩を優しく抱き寄せた。
一瞬、ジルダの目がギラリと光るがその意味を知っているため、ディエゴは気にとめることはない。周囲の声がジルダではなく、公爵令嬢となったアンナを心配する声に変わっていく。
「アンナ嬢、心配することはない。ベアトリーチェは君に嫉妬しているのだろう」
「お姉様が……嫉妬?」
「ああ、そうだ。ここにいる者たちは知っている者も多いだろうが、ベアトリーチェは私の婚約者になってから、様々な令嬢たちに嫌がらせをしているんだ」
「え!? お姉様がそんなことを……!?」
周囲からは溜息が漏れる。
髪と同じピンク色の睫毛を震わせて、悲しそうに表情を歪める愛らしい少女。それがアンナという少女である。
「アンナ様が知らなかったのも無理はありませんわ。私たちは元々は王太子殿下の婚約者候補として、茶会などに出ておりましたの……。それを公爵家が権力を使い……」
「アンナ様のご実家になるのに、このようなこと……申し訳ございません」
「いいえ、私も知らなくて……。お姉様は皆様にどのようなことを……?」
「令嬢たちに言わせるのは酷だ。私が言おう。同色のドレスの令嬢に紅茶をかける、髪飾りが似ていれば奪い取り壊す……。私がいる時は注意できても、いない場所ではどうにもならなかったんだ」
「殿下のせいではございませんわ!」
「そうです! どれもベアトリーチェ様にされたのですからっ」
今、中庭ではベアトリーチェの悪行が広められている。
しかし、この悪行は全てディエゴがベアトリーチェに命じたことだ。
アンナが不安げにディエゴを見上げた。
「あの……ディエゴ殿下。お姉様は……私のせいでジルダさんに手を上げた……のでしょうか」
「アンナ嬢、君は何も悪くないよ。彼女は気に入らなければ、人でも物でも簡単に壊してしまうのだから」
「で、でも……お姉様は、本当はあんな方じゃない気がして……」
「まあ、アンナ様! 殿下や私たちが嘘をついているとでも?」
令嬢の一人が笑みを浮かべ、アンナに詰め寄る。
ディエゴはアンナの肩を抱くと、令嬢に落ち着くように告げた。
「落ち着いてくれ。きっと、アンナ嬢はベアトリーチェの醜い姿を見たことがないから、困惑しているのさ」
「も、申し訳ございません……! 私は皆さんが嘘をついているとか、思ってないです!」
「そ、そう? それなら良いのですよ」
アンナと令嬢のやり取りに、ディエゴは心の中で嘲笑う。
―――――やはりそうだ! これだよ、この展開だ! 逃げていったベアトリーチェのことで質問をした令嬢に詰め寄られ、僕が肩を抱くスチル。間違いない。上手く進んでいる……。
いじめられているはずのヒロインが、悪役令嬢を案じる。
この歪な善意がおかしいことに、誰も気付かない。ゲームのテキスト通りか、それ以上に設定通りにアンナが反応していることに、ディエゴは快感を覚える。
「優しいんだね、君は。だが、君が傷付く必要はない。ベアトリーチェが全ての行事に参加しなかったのは、自分勝手な我儘な理由なんだよ」
「そう、なのでしょうか……」
「ああ。アンナ嬢、もし、またベアトリーチェに何かされそうになったら、声をかけてくれ。私じゃなくても、ここにいる誰かでもいいんだ。君はベアトリーチェの嫉妬の対象なのだから」
「嫉妬の……対象……」
アンナのピンク色の髪を優しく撫で、耳元で甘く囁く。
アンナは頬を染めて微笑み、ディエゴもまたアンナを見て微笑んだ。
周囲はその光景に深いため息を吐き、恍惚とした表情で二人を見つめた。
ジルダ以外は。
「さあ、アンナ嬢。寮の入口まで送っていくよ」
「あ、ありがとうございます」
他愛のない話をぽつぽつとするが、話は弾まない。
すぐに寮の入口まで着くと、アンナは申し訳なさそうにして門をくぐっていった。
―――アンナという女……昔にベアトリーチェの側付きとして、一度会ったがパッとしない女だな。よくあんな女がゲームのヒロインになれたな。
ディエゴは振り返ることなく、女子寮の門から遠ざかっていく。
この瞬間も、ジルダによってベアトリーチェが追い詰められている姿を考えるだけで、ディエゴの体は熱を持ち出していく。




