65、学園入学【ベアトリーチェとジルダ・前】
嘲笑が響く中、ベアトリーチェは顔を伏せてその場を後にする。
―――アンナが叔父様たちの実子ということになっているの? それに……この制服のことだって、私も今朝、殿下から渡されたのに、なぜ多くの生徒が知っているかのように話すの……?
ベアトリーチェを苦しめるのは、ディエゴや生徒ばかりではない。
静かに視線だけを後ろに向けて、背後に控えるジルダを見やるが、ジルダは何食わぬ顔で立っていた。
「ベアトリーチェ様、あなたは入学式には参加いたしません。殿下よりのご指示です」
「分かりました」
目元を隠したジルダから刺すような視線を感じるが、その表情は窺えない。
生徒たちが向かう方向から大きな歓声が上がる中、ベアトリーチェは式への参加すら許されなかったのだ。
「まあ、今頃はディエゴ殿下が新入生代表として、在校生に挨拶をされております。残念でしたわね、その舞台を見れず……ふふ」
「……殿下がそう望まれたのでしたら、それで良いと思います」
「…………本当につまらない女ね」
「うっ」
寮へ向かう道を歩いて行く途中で、ベアトリーチェはジルダから袖を掴まれる。
あまりに力強さに悲鳴を上げる間もなく、床に叩きつけられるように普段使われない埃被った小屋に押し飛ばされた。腕を押さえ苦痛に顔を歪ませるベアトリーチェを、ジルダは愉快そうに見下ろした。
ジルダと視線が交わる。
ニタリ、と音が出そうなほど歪められた口元がゆっくりと開かれた。
「ほんっとうにあんたは……イラつくわね。まあ、いいわ。あたしがあんたの噂を沢山ばら撒いておきましたよ。誰にでも色目を使うアバズレ女。王太子殿下に見向きもされない可哀想な女。寂しさを他の男で補おうとしている淫らな女ってね」
「それが殿下のご命令なのでしたら……そうしてください」
「はあ? あんたって本当に嫌な女ね? 殿下があんたに執着している理由が分からないわ。こんな可愛げもなくて顔と体だけの女じゃない。これならあんたの従妹……妹でしたっけ? そっちの方が百倍マシね!」
体を起こすと、ベアトリーチェはジルダを見上げる形で問いかけた。
「ジルダさん……なぜあなたは私をそんなに嫌うの? 私は……あなたに何かした?」
「……何かした? いいえ、何もしていない。何もしていないから、腹が立つってこと! まあ、あんたみたいな奴には分かんないだろうけど! あんたはあたしを最初から気にしてないってことだもんねえ?」
「気にしない……? あなたは殿下付きのメイドでしょう?」
「そういうとこよ! うるっさいのよ! それよりも、殿下の指示をちゃんとこなしなさい。アンナを罵る時の顔、不合格よ。全然ダメ。それに……あのババアにもいじめろって言われてるんでしょ? ちゃんとやらないと報告するわよ?」
ジルダはぴくりとベアトリーチェの体が動いたことに目を付けた。愉快そうに笑うと、ジルダは自身の頭に手を添えた。
「んぐっ」
バンッと酷く大きな音が部屋中に響く。
「……何をしているのっ!」
ベアトリーチェの叫ぶような声に、ジルダはニンマリと笑みをこぼした。
ジルダは自分の頭をよろけてしまうほど強く、何度も物入れに叩きつけた。視界がぶれるような中で、ジルダは憎々し気にベアトリーチェの声に応える。
「な、なに……んぁ……ああ、何を……ですっ、て? あんたを、はは……もっと、地獄に……落とす、のさ」
「やめなさい! 今すぐに……! 自分を傷つけるのはおやめなさい! そんな事をせずとも……私はあなたに話を合わせますわ……!」
最後に物入れの変形した部分で頬にかすり傷を負ったジルダは、ふらりと立ち上がると顔を歪めてその場を立ち去った。
床には額と頬から流れ落ちた血がこぼれている。
外からは数人の令嬢たちの声がしていた。
「ベアトリーチェ様はいらっしゃらなかったわね」
「それはそうでしょう。あまりの恥ずかしさに表に出られないのでしょう。当然ですわ」
「あら……? え、あれって……」
令嬢たちは互いに顔を見合わせた。
そして、ベアトリーチェ付きのメイドであるジルダが、頬を腫れ上がらせ一人でふらつきながら歩いているところに声をかけたのだ。ジルダは恐怖に顔を歪め、頬を隠そうとする。
「まあ、あなた! 血が出ておりますわっ」
一人の令嬢がジルダの手を封じると、顔を覗き込んだ。
「あなた……ベアトリーチェ様のメイドね……? まあ、可哀想に……。こんなに腫れて、主人に何をされたの?」
「これは……そのっ、あの……ベアトリーチェ様には言うなと言われておりますっ」
「まあ、お可哀そうに……もう怯えなくていいのよ。私たちが守ってあげるわ」
令嬢たちは愉快そうに眼を弧にし、唇の両端をにんまりと引き上げる。
「さあ、あちらで治療をしましょう」
「でも……叱られてしまいます」
「いいえ、そんなことはないわ。ベアトリーチェ様がどうせ癇癪を起して、あなたを困らせたのでしょう?」
「……っ」
こくりとジルダは頷いた。
言葉に出して明確なことを言わないのは、常識である。令嬢たちはジルダのカサついた手を取ると、人通りの多い方へと歩いて行った。
―――全て殿下やジルダの思う通りね……。これで私は一日にして、従妹を虐げる浅ましい女、使用人を虐げる非道な女になってしまうのね。
乾いた笑いが込み上げたが、声にはならなかった。
入学式とホームルームに出ることはなく、そのまま寮へと向かう。人目に付かぬように中庭を迂回するように寮に戻ろうとした時、偶然にも人だかりが見えた。
隠れてその中心にいる人物を見ると、そこには婚約者であるディエゴと従妹となったアンナがいた。
生徒から歓迎されるように笑いかけられる二人が眩しく、ベアトリーチェは目を逸らす。
―――殿下もアンナも……私を悪者にせずとも、十分に皆から愛されているのに……。
ディエゴがアンナの耳元で何事か囁きかけると、アンナは頬を染めて微笑んだ。
嫉妬など浮かぶはずもなく、ベアトリーチェは足早に寮へと向かう道へと足を進めた。
「……私は何を間違えたの? 最初から……あの人の隣に並びたいなんて、一度たりとも思ったこともなかったのに……っ」
そのベアトリーチェの悲しみの言葉を聞く者は、誰もいなかった。
活動報告にも書いておりますが、終盤になってきました。
学園卒業と同時に物語は終わりを迎えますので、お付き合いよろしくお願いいたします。




