62、レベッカの祝福石
その日は抜けるような青空が広がっていた。
公爵領は経済的にも観光地としても発展していた。自然豊かな場所も多く、女神の加護を受けた希少な薬草が自生している場所がある。
『見て、フォレ! この花、資料にあった通りだわ……!』
レベッカは公爵領に来てからも男爵領でしていたように、薬草採りを日課としていた。夫となったフォレは公爵領の手伝いとして、領民に声をかけて回ったりなどの雑務をしている。
公爵家の人々も領民も、頼りなくはあるが穏やかな性格のフォレを昔から可愛がっていた。
『本当だ。凄い発見だよ、こんなに自生しているなんて……! でも、レベッカ。待ってよ。今日は街中を歩き回ったから、なかなか足が付いていかないよ』
『フォレはゆっくりでいいわ! そんなに遠くまで行かないからっ』
書類仕事ができない代わりに、レベッカは公爵領に自生している薬草の種類や自生地を書き記す役目を担っていた。
前日の雨で緩んでいた足元が、音もなく崩れた。
レベッカの手にあった薬草が入ったカバンが宙を舞い、そのまま手が伸ばされる形となった。
『あ……っ』
レベッカは体勢を崩し、そのまま下へと転がり落ちていった。悲鳴も上がらず、レベッカの視界には青い空と青々と生い茂る木々がゆっくりと入って来る。
『レベッカ!』
フォレの絶叫が耳に入る頃には、レベッカはなだらかな山肌を滑り落ちていった。滑り具合から無事かもしれないと思った瞬間、滑り落ちた先で鈍い衝撃を受け、レベッカの視界は闇へと沈んでいった。
―――……フォレ、ごめんなさい。私が護衛なんて恥ずかしいと言ったから……。さようなら、愛してたわ。
初めて恋をし、愛した男の声は悲痛な叫びになっていた。
『レベッカ! 嘘だろ、レベッカッ!』
駆け寄ったフォレが目にしたのは、頭部から血を流し、ぴくりとも動かないレベッカの姿だった。
『レベッカ、待っていてくれ! すぐに、すぐに助けを……っ!』
華奢なフォレの力では、急斜面の下に横たわるレベッカを抱え上げて登ることはできない。いつも二人は護衛を付けていなかった。堅苦しいのは嫌だから、と断っていたことが今回ばかりは仇となった。
フォレは護衛がいる場所まで走り、呼びに行く。
『待っててくれ、レベッカ……! こんなことになるなんて……っ』
走ってその場を去ったフォレが、馬車の近くで待機していた護衛を連れて戻って来る。その護衛たちの手によって引き上げられたとき、レベッカの指先が微かに動いた。
『……あ、う……』
『レベッカ! 良かった、良かった……!』
フォレが泣きながらレベッカを抱きしめる。
その体の温かさに涙し、女神に感謝した。レベッカはそれ以上言葉を発さず、そのまま眠りにつくように意識を飛ばした。
レベッカは馬車に移され、すぐに邸宅に戻された。
そして、医者の治療を受け『生きていたことすら奇跡だ』と医者も驚いていた。目を覚まさないレベッカに水を持ってくるために、フォレは一度部屋を後にした。
『いっ……痛い……なに、なんなの、この激痛……っ!』
二人のために新築された邸宅のベッドで意識が戻ったレイカは、頭の中に様々な映像が流れ込み、激痛でのた打ち回った。
―――……は? 何なのよ、一体……。私は、レイカ……レイカ? いや、レベッカ……?
ベッドから抜け出し鏡の前まで行くとそこには、日に焼けて荒れた肌、節くれて荒れた指、そして顔中に散らばるそばかすの顔があった。
記憶のピースが埋められていく。
ここはレイカが生前プレイしていた乙女ゲーム『愛は執着のみ』の世界。
レベッカは自身の胸元に光るネックレスを握りしめた。祝福石のネックレスに触れた瞬間、また違った記憶が流れ込んでくる。
ゲームのヒロインはこのアイテムを所持していない。
そしてなにより、レイカはこのレベッカという女を知らなかった。だが、わずかなレイカのゲームの知識と、レベッカの記憶から空白だったピースが埋まっていく。
―――なんで今更『愛は執着のみ』なのよ……! 私、失業しちゃって求職活動で忙しくて序盤で止めちゃったから、そんなに覚えてないわよ! でも、攻略キャラの中にリッソーニやアチェトなんて名前は出てこなかったはず……。
レイカはこのゲームを序盤で放置していた。
帰宅後の夕食中にスマホ片手にやっていたのだが、上司と合わず怒りに任せて退職したことでレイカは失業した。一人暮らしであったため、次の職を探すことに忙しくなったため、ゲームはそこで止まっていた。
―――普通転生するならヒロインでしょ……。ったく……私はとにかくモブで、神様のおかげでこの初期アイテムのネックレスを持ってるわけね。……ふうん、いいものじゃない。
ネックレスに力を込めると、薄っすらと赤く光り輝く。
その時、ガタンッと大きな音を立て、扉が開かれた。
フォレは手にしていたトレーを落とすと、レベッカに駆け寄り抱きしめた。夜着になっていた胸元で祝福石のネックレスが揺れる。
『レベッカ! 良かった、気がついたんだね!』
レベッカを抱きしめ、フォレは喜びの涙を流した。
鏡の前に立つレベッカを抱きしめるフォレの姿を上から見下ろし、口端を歪めた。
レベッカはあざとく潤んだ瞳でフォレを見上げた。
『……フォレ、怖かったの。私は死んだんだって思った。あの崖の下でね、きっとこの石……ベアトリーチェがくれた祝福石が私を助けてくれたんだわ』
『レベッカ……! この祝福石には神官の祈りが込められてるから、きっとそうだろう。女神様のおかげだ』
レベッカの体から手を離すと、フォレは優しく微笑みかけた。
『かなりの血を流していたみたいだから、もう少し寝ていたほうが良い』
『そうするわ……。でも、フォレ。ねえ、お願いを聞いてちょうだい?』
『お願い?』
『この祝福石のおかげで私は助かったのよね』
『そうだと思うよ』
ベッドに戻りながら、レベッカはフォレと指先を絡め合う。
フォレも同じように祝福石を肌身離さず持っている。公爵家出身のため、十歳になる頃には両親から祝福石を贈られていたからだ。
病気がちであった母のソフィアが、リカルド同様に大切な息子であるフォレのために選んだ祝福石でもあった。
『ねえ、フォレ……』
『今日はなんだか甘えん坊だね、レベッカ。僕は心配だから、早く安静にしてほしいのだけど』
『うん、すぐに寝るわ。でも、その前にあなたのその祝福石、リッソーニ家の人たちの願いだけじゃなくて……私の無事でありますようにという気持ちも祈らせてほしいの。大好きなあなたのために……。ね、いいでしょ?』
余程のことがない限りは、祝福石は外すことはない。
それが家族に頼まれても、だ。
しかし、フォレは違った。
『そんな……ありがとうレベッカ。嬉しいよ。はい、これ。死んだ母様の瞳と同じ色をしているんだ。綺麗だろう?』
『ありがとう、フォレ! 大好きよっ』
『え!? あっ、うん……僕も愛してるよ、レベッカ……』
レベッカは渡された祝福石のネックレスを手のひらで掴む。そして自身の祝福石を首から外すと、フォレに渡した。
『フォレ、あなたも祈って。私の祝福石はベアトリーチェが選んでくれたの、あなたも知ってるわよね? ほら……顔を近づけて、よぉく見てみて……よぉくね』
『……ぅあ!? あっ、ああ……これは……これっ、うぅっ』
『これは私の髪の色をイメージしたんだって。ほんっとにダサくて嫌になる、このくすんだ色。最悪だわ』
『れべ……か、ねが、ご……と』
『あら、私の願い事聞きたい? いいわ、教えてあげる』
うわ言のように言葉を発するフォレの髪を撫でながら、レベッカは楽しげに話す。
『レベッカはね、この石に何も願い事をしていなかった。欲も何もない、馬鹿な女ね。だから、私がしてあげたの』
『…………』
『チートって言えばいいのか分かんないけど、私に好都合な力をくださいってお願いしたの』
『ああ、それは……す……ご、い、ね……』
『そーでしょ! 私ってば頭いいのよね。モブって分かった時点でヒロインのような力はないって判断したの! だから……私が幸せになるために協力してね?』
『……もちろんだよ、君だけを幸せにすると誓うよ……』
しゅう、と祝福石の輝きが消えていく。
フォレの祝福石はなんの反応も示さない。祝福石を所持していない状態でかけられた呪いに関しては、跳ね返すことはできないのだ。
この祝福石というのは、全てにおいて万能なわけではない。
『あら? なんだか祝福石の光がさっきよりも弱いわね……やっぱり安物だからかしら? 金持ちなんだからもっといいもの寄越しなさいよっ』
レベッカはベアトリーチェの純粋な想いを喜んでいたはずだった。
だが、その純粋な想いを喜んだ人物は、もうこの世界にはいない。




