122、汚れたタウンハウス【後】
―――いつも私を可愛がってくれた人さえ、守れなかった……。ベテランの使用人ばかりではないわ。タウンハウスには入ったばかりの下働きのメイドたちもいたはず。レベッカ様は一体、何を考えていらっしゃるの……!
ゼルヴァスとスローポは黙って話を聞いていたが、嫌悪感を出しながらゼルヴァスが呟いた。
「貴族の家に仕える者たちの大半は、ここよりもかなり下の水準ですよ。リッソーニ公爵家で働いていた者たちが……解雇されたからと外で悪評を立てるのは、突然の解雇だったとはいえ、考えられない行動かと」
「……それは何故?」
「確かにそうですね……セルジオ様から聞いた話では、多めの退職金……それも家政婦長やベテランの者ばかりでしたから、かなり上乗せしていたと思います。今の公爵家の内情が外に漏れないように」
ゼルヴァスは悪趣味な置物を指で突きながら、考えるようにして答えた。
「……初めてレベッカ夫人と会った時、あの女の周りには催眠、魅了……それに近い空気を感じた。闇属性の魔術師は、感知能力を持っている者が多い。自分たちが催眠や魅了に近い魔術を使うからなんだが……あの女にそういった能力があるようには思えなかった」
「特殊な属性の魔力を持っている者にあると言われている能力のことね……。でも、レベッカ様は土属性の魔力だったはずよ。その土属性では、催眠や魅了といった能力を得ることはできないわ」
「そう、それなんだ。通常では絶対にありえない。なのに、俺と会話した時に俺の言動が普通だったことに、驚いている様子だった。だから、あの女は催眠か、魅了か……自身がその能力を持っていることを知っていたはずだ」
「催眠も、魅了も、我が国では禁忌の能力よ。教会で属性を調べる時に分かるはずだから、国への届け出は必須。レベッカ様にそんな能力があったとすれば……今頃フォレ叔父様の妻になんてなれるはずがない。その能力を持つ人は今はこの国には……」
ハッと何かに気付いたように、ニナがベアトリーチェを見やった。
「催眠……魅了……を持っていないと思われるレベッカ様が、その能力を使える方法が一つあります……!」
「え?」
「お嬢様がお渡しした祝福石……! あの祝福石への願い事に精神干渉の願いを選んだのではないですか!?」
「そ、それは……できるはずがないわ! だって、祝福石は、同じ国の民同士で争わないように、この国の人間を陥れるような願いはできないようになっているのよ……っ」
ベアトリーチェは掠れた声が震え、喉の渇きを感じた。
「そう……この国の人間なら、な」
その一声に、誰かの喉がなる。
気付いてしまった事実に、ベアトリーチェは震える手で口元をふさいだ。
「…………っ」
「人が変わったようになられたレベッカ様は、お嬢様から頻繁に祝福石に魔力を補充させていた……」
ニナは思い返すように呟いた。
「黒だな。間違いなくやってる。俺の店に現れる前に、スローポが店先であの女に会っている。スローポは元々、俺の闇魔術にもかからなかったから、あの女の何らかの力にもかからなかった」
「う、うん……」
「俺はあの女が店に来た時、ちょうどスローポが磨いた石の選別をしていた。恐らくスローポの磨いた石のおかげでかからなかった、と考えると辻褄が合う」
進んでいく話の速さに、ベアトリーチェは追いつけなかった。
だが、祝福石への異常なまでの魔力補充は、数え切れないぐらいさせられていた。
ニナとゼルヴァスの発言で、点と点が線になって繋がっていくような気がした。
祝福石は簡易的な加護を与えるものであるため、通常は魔力補充などは必要がない。祝福石の購入者が、贈る者の幸福を願うお守りのようなものだからだ。
「祝福石に魔力補充が必要になる場合は、一度その加護を使ってしまった時だけだ」
―――幸運、浄化、結界、強化……自分自身を、愛する我が子を守るために通常は贈られる。そのため、加護の内容も身を守るものを付与することが多い……。
「今の祝福石は、貴族の宝飾品と同じ位置づけだから、誰も禁忌とされている願いを付与することなんて、考えない。いいえ、してはいけないと定められていることを、しようとは思わない」
「この国は平和で安全だから、そんなことを望む者はいない」
「…………ねぇ、ゼルヴァス。あなたのこのヘイズ・クォーツはどうなの? 思考をぼんやりさせる……これは……」
ふ、とゼルヴァスが息を漏らし、口角を上げて笑う。
「まあ、実をいうところあの女から料金をたんまり貰うために、催眠だなんだと格好よく言ったんだけど……ただの暗示だよ。暗示に俺の闇魔術を少し乗せただけだ」
「暗示……?」
「そう。暗示だからこそ、この家から出ればその効果は消える」
「どういうこと……? 解雇された使用人たちは、ずっと公爵家の悪評を流し続けているのよね? 効果は終わっているでしょう? それに、私もタウンハウスから出ても効果が切れていなかったのでは……」
不審そうに眉をひそめるベアトリーチェに、ゼルヴァスは首を横に振った。
「一つずつ答えよう。まず、公爵家の元使用人たちについてだが……これは俺の推測だ。そいつらは俺がこの家にヘイズ・クォーツを納品する前に辞めている。あの女の御用聞きをしていたから分かっただけだ。だから、元使用人たちには俺のヘイズ・クォーツの効果はなかったと断言できる」
「そして二つ目。何故、ベアトリーチェお嬢様には効果が持続していたか……。言い訳になってしまうが、赤い魔石のブローチをしていただろ?」
「……は、はい。卒業のひと月前に、このブローチと交換に……。その時ぐらいから、胸の靄が晴れるような……!」
「お嬢様が付けていたブローチは、自動的に魔力を回収する仕掛けになっていたんだ……。まさか、そんな恐ろしいものに使うなんて思っていなかったから……俺の落ち度だ」
「ちょっと待って……? どういうことなの……ブローチで魔力の回収……?」
ベアトリーチェは困惑した表情で、胸元に付けられているブローチをクロークの布越しに触れる。
以前のような妙な温かさはなく、冷たい石の感触だけが手に残った。
「……ベアトリーチェお嬢様、一旦着替えませんか? 戻ったばかりで、少し頭が混乱しますから……。それに、ゼルヴァスも考えを整理する必要がありそうですし……」
「……そう、ね。ええ、そうするわ」
「ドレスではなく、シンプルなワンピースを用意しておりますので」
ニナはベアトリーチェを案内するように、前に立った。
そして、ゼルヴァスを見据える。
「ゼルヴァス、私は一度お嬢様と休憩します。周囲の監視と……あなたの頭の中をよく整理しておいて。今後の話をするにしても、今の状態ではできない」
「……あぁ」
スローポが、ニナとゼルヴァスを交互に見やる。
そして最後に、困惑した表情を浮かべているベアトリーチェの顔を覗き込んだ。
困惑し、戸惑っているような姿を見ても、元気付けるような言葉が出てこず、スローポは唇を噛み締めるしかなかった。




