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公爵令嬢だけが何も知らない世界~無理やり婚約させられたのに、一方的に婚約破棄ってありですか~  作者: 白根 ぎぃ
第三章

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120、汚れたタウンハウス【前】




 ギギィ、と車軸が音を立てると、ゆっくりと馬車は停止した。

 カーテンの隙間から外を見やれば、見慣れているはずの公爵家のタウンハウスは、どこか薄暗く感じられた。



―――最後に見た時も暗く感じたけれど……今、はっきりと目が醒めて見ると分かるわ。やはり、変だわ。



 ベアトリーチェはクロークの裾をぎゅっと握りしめた。

 対面に座るゼルヴァスへと視線を向ける。馬車を降りる前に、どうしても確認しておかなければならないことがあった。


「ゼルヴァスさん、今……この敷地に入ったということは、私たちはもうヘイズ・クォーツの洗脳の範囲内にいるのよね? 私たちは大丈夫なの?」


 不安を隠せないベアトリーチェの問いに、ゼルヴァスは不意に目を細めて笑みを浮かべると頷いた。


「ええ、問題ありませんよ、ベアトリーチェ様。あの魔道具(ヘイズ・クォーツ)の契約者は、すでに私に書き換えております。ですから、魔道具の現在の所有者は私であり、私が認めた人物が闇魔術の対象になることはありません」


 ゼルヴァスで結構ですよ、と続けて言った。


「そ、そう。分かったわ。でも、書き換えたって……? そんなことが簡単にできるの?」


「簡単なことですよ。先ほどもお伝えいたしましたが、あれを作ったのは私ですから」


 ゼルヴァスは楽しげに肩を揺らした。

 書き換えた、と言ったのは契約書に関する、所有者の項目なのだろう。そのことを思い出して笑っているゼルヴァスは、大人びた表情ではなく少年のようであった。



―――それならば、外にいる者たちはゼルヴァスに認められていない人物ということになる。



 馬車の外で徐々に様子がおかしくなっていくカッシオたちの姿を見やりながら、ふと疑問を口にした。


「でも、カッシオや衛兵たちは、どうしてヘイズ・クォーツの魔術に簡単に引っかかってしまっているの? 彼らだって、殿下や王宮に仕えるものだから、学園内とはいえ祝福石を持っていたはずよ」


「ああ、それですか」


 ゼルヴァスは納得したように頷くと、外へと視線を向けた。


「カッシオに関しては、完璧な油断……。まあ、自業自得というやつですよ」


「油断……? 自業自得……?」


「ええ。学園での卒業パーティー……彼は殿下に用意していただいた礼服を着ておりました。通常、王族の護衛に就く騎士や側近たちは、単純な攻撃魔法や精神魔法を跳ね返す祝福石を、礼服のどこかに身に着ける決まりになっています」


「その通りよ。何かの節目に王族は自身の騎士を選ぶ際に、贈り物として高価な祝福石を与えたりするわ。確か、今日のカッシオは……透明な祝福石を襟元にしていたはずよ」


 ベアトリーチェはホールの中での出来事を思い返す。

 あの暴力的な態度で腕を掴まれる前、睨みつけられた瞬間に見た襟元には、確かに祝福石が付けられていた。


「よく見ていらっしゃる。しかし、彼はお嬢様……えぇっと、ニナ様とお呼びしますね。ニナ様を一旦あの場から離した際にあった祝福石が、ベアトリーチェ様を私の方へ突き飛ばした時にはなくなっておりました。いつ外したのかまでは見てませんでしたが、彼は聖女アンナ(ニナ)との未来を選んだのでしょう。王族の護衛騎士という大役を捨ててまで、ね」



 実際にゼルヴァスは馬車の点検をしていたわけではない。

 ゼルヴァスはただの魔術師であり、馬車のことなど何も分からない。ただ、車輪を点検する振りをして、カッシオの動向を探っていたのだ。



「呆れた。大人しく王族の護衛騎士にでもなっていれば、幸せだったでしょうに」



 ニナは小さく溜め息を吐いた。

 その溜め息と入れ替わるように、スローポが呟いた。


「ふぅん……じゃあ、ゼルヴァス。あの人たちは?」


「え? あぁ、彼らは身分が低い、平民出の者ばかりだ。当然、高価な祝福石など支給されない。ま、彼らは不運だった、としか言えないだろうな」


「不運?」


「そう。身分ある騎士たちの多くは、今夜、王家が主催する卒業祝賀のパーティーに配置されるはずだ。あの王子様がカッシオに預けた衛兵は平民出身者ばかりで、魔術への耐性を持つ者が一人もいなかったなんて、あの王子様も思っていなかったんだろう」



―――王宮からも近い学園の警護の者は、平民出身者が担っているから高価な祝福石のようなものは支給されない。王太子が在籍していたとしても、彼自身が祝福石を持っているし、有事の場合は先生方が出てくる手筈になっているものね……。だからこそ、この屋敷の敷地に入った瞬間に、外にいる者はヘイズ・クォーツの餌食になった、と。



 全て、運命であり、必然だったのだ。


「ふん、ディエゴ様……いいえ、あの男は、きっと私があの場でベアトリーチェお嬢様の顔を見るのも怖いから、早くどこかへ連れて行って、と泣いて頼むとでも思っていたんでしょ。だから、碌な衛兵を用意していなかった。むしろ……わざと衛兵の数を減らしていた可能性もありますね」


 スローポがゼルヴァスの言葉に感心しているのと同じく、ベアトリーチェもまたニナの発想に感心した。


 記憶の中のディエゴは、常に先を読み行動していた。

 だからこそ、不測の事態に弱かったのかもしれない。そして、仲間だと思っていた聖女アンナ(ニナ)の突拍子もない提案に困惑したのだろう。



「みんな、すごいな」


 にへら、と笑ったスローポの笑顔は、馬車の中の重苦しい雰囲気を一掃するかのように輝いていた。

 ベアトリーチェとニナ、そしてゼルヴァスは顔を見合わせ少しだけ楽に息をした。


 コンコン、と馬車の扉が外から叩かれた。


「……到着……いたしました。どうぞ……」


 低く、抑揚のない声。


 扉を開けた御者の目は、ぼんやりと光を失い、虚空を見つめていた。

 行きがけには姿を見なかったため気付かなかったが、この御者も闇魔術によって操られている状態だった。


 まず最初に、スローポがゆっくりとした動作で馬車を降りた。

 これが普通なのだが、スローポの動きを見てレベッカはノロマだ、愚図だなんだと嗤っていたそうだ。


「……体が大きいから、遅くてごめん」


「まあ、気にしないで、スローポさん」


 ベアトリーチェが微笑みながら伝えると、スローポはこくりと頷いた。


 そのやり取りを見ながら、ゼルヴァスも下りる。

 ゼルヴァスは馬車の外へ出ると、ごく自然な動作で手前に座っていたニナに向けて手を差し伸べた。


 貴族ではないと言っていたゼルヴァスのエスコート姿は、洗練された美しい所作であった。

 学園を離れる前にカッシオからエスコートされたニナは、そのことをよく分かっていた。



―――こんなことをすれば、学園にいた時のカッシオならば怒り狂うはず……。ここで、怒りに我を忘れないというのなら……。



 ベアトリーチェは正直に言えば、ニナやゼルヴァスたち言葉を信じていなかったわけではない。

 だが、今まで受けて来た扱いのせいで、自然と身が硬くなるのだ。


「お嬢様、どうぞ」


 身分の低い使用人が、聖女の、しかも自身の想い人の手に触れるなど、カッシオからしてみればあり得ない状況であるだろう。

 突然、怒りで我を忘れ、ゼルヴァスに殴りかかるかもしれない、と思うと、馬車の中で手を固く握りしめた。


 しかし、その心配は杞憂に終わった。


 ニナは差し出されたゼルヴァスの手を取り、馬車から平然と降り立った。

 すぐ近くには、馬に跨ったままのカッシオがいたが、その様子は明らかにおかしかった。



―――招かれざる客、ということね。ゼルヴァスの言っていた通りだわ。



 カッシオは馬上で、ぼんやりとニナたちを見つめていた。

 馬車の窓から見る姿は、いつも通り美しい姿勢で馬に跨っている。しかし、目は開いているがその視線はぼんやりと、遠くを見つめていた。


 いつもきつく結ばれていた口元は、半開きになっていた。

 敷地内に入った瞬間から、ヘイズ・クォーツの闇魔術がカッシオを取り込んでいたのだ。


「カッシオ様?」


 ニナが愛らしい笑みを浮かべ、朗らかな声でカッシオに呼びかける。


 カッシオはニナの声に反応し、馬上から地面へと降り立った。

 その表情はどこか虚ろではあったが、ニナの声に反応して、ぎこちない笑顔を浮かべていた。


「……どう、した……俺のアン、ナ……?」


「俺のアンナ……。これは()()()()()()()()()()()()()()()ですっ。このタウンハウスの中に殿下はもちろん、小動物すら入れないように、ちゃあんと警備してください。もし、万が一……公爵夫妻が帰ってきたら、命がけで追い払ってください。彼らは聖女を食い物にしようとする、恐ろしい人たちなんです……っ」


 可愛らしく小首を傾げ、少し涙目になりながらニナはカッシオに()()()()()

 カッシオは、ぴくりと反応を示したが、その言葉の意味を理解していなかった。


「あ……あぁ……。分かっている……。でん、かも……入れない……。誰も、入れるな……っ」


 カッシオは途切れ途切れの言葉で、周囲の衛兵たちに指示を出す。

 衛兵もまたその指示に頷き、タウンハウスの門の前や裏庭へと思いのままに歩いて行く。


 男たちのその姿は、ただの哀れな操り人形だった。


「ベアトリーチェお嬢様、彼らはどこかへ行きました。さあ、手を」


「ありがとう」


 ゼルヴァスの言葉を信じ、約二年ぶりに降り立った慣れ親しんだはずのタウンハウスは別のものに見えた。


「カッシオはタウンハウスから一番遠くを監視するように命じておきました。今のうちに中へ。馬車の中でお話しできなかったことも、お話しします」


「……ええ、お願い」


 ニナはカッシオを振り返らなかった。


 ベアトリーチェも気にすることなく、ゼルヴァス、スローポと共に誰も出迎えの者もいないタウンハウスの正面玄関から、久しぶりの帰宅をすることとなった。


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