119、タウンハウスへの連行【ベアトリーチェsida・後】
ある事故。
「ある事故……? あっ」
ニナの口から発せられた言葉に、ベアトリーチェは一つだけ思い当たるものがあった。
両親も祖父もまだ生きていた頃の山での事故。その事故で大怪我を負ったと知らされた時、タウンハウス中が騒然としていたことを覚えている。
ベアトリーチェはニナへと視線を下げると、ニナもまたベアトリーチェを見上げていた。
「フォレ様とレベッカ様がご結婚されて、爵位のみだったフォレ様のためにエルマンノ様が公爵領の北部の豊かな森を、男爵の収入にするようにとお渡ししていたそうです」
―――フォレ叔父様は男爵の爵位をお祖父様から譲り受けて、領地があったわけでも、自身で何か経営をしていたわけでもないから、収入も少なかったはず。むしろ……公爵家からの援助のみだった。レベッカ様がアチェト男爵家では薬草採集をされていたから、収入になりそうな土地を渡した、とお父様たちが話されているのを聞いた覚えがあるわ。
ニナは、エルマンノの代から公爵家を支えていた家令のセルジオの話をした。
「セルジオ様が仰るには、結婚して公爵家の領地に移られてきた際には、明るくしっかりとした方だったと」
「そう、ね……。結婚後は私たちの住む本館の近くに、別館を新築して住まわれていたわ。本館に来ても気さくな方だった。けれどその年、私たちが社交のために王都へ行った際に、事故が起こったのよね?」
「はい。かなり酷い事故だったそうです。山で薬草の採集をしていたレベッカ様が足を踏み外し、斜面を滑り落ちて大怪我を負い、生死の境を彷徨うほどだった、と。フォレ様の祈りとお医者様のおかげで、無事に意識が戻られたそうですが……その後から豹変されたそうです」
「豹変された、というのは間違いではないと思うわ。レベッカ様は使用人たちに横柄な態度をとったり、屋敷の物を勝手に持っていくような方ではなかったわ。明るく暮らし向きに困ったとしても、フォレ叔父様と楽しく暮らせればいいと笑われていた方だもの」
ベアトリーチェは、まだ両親や祖父が生きていた時のことを思い返す。
公爵家の優しさにつけ込むような、あさましい行為をいつから耳にするようになったのか。自身の記憶をほどいていくと、ニナの話すその時期だった。
「あの事故の後からだから……まだ、お父様とお母様が生きてらっしゃる時から、銀食器や調度品、宝石などがなくなっていると使用人たちが言っているのを聞いたことがあるわ。でも、誰も咎めなかった……。あの二人の生活が苦しいと思っていたから」
「セルジオ様のお話では、ベアトリーチェお嬢様にフォレ様とレベッカ様の醜い一面を見せたくなかったのではないか、と」
「皆、優しかったから、レベッカ様が変わられてしまったのは、自分たちのせいだと気に病んでいたのかもしれない。あの山を渡さなければ、援助をもう少ししていたら、王都で暮らさせていれば……。そう考えたのかもしれないわね」
ガタリ、と馬車が道を曲がる。
生死の境を彷徨ったあとに、豹変した性格。その言葉は不思議なほど、冷たい響きであった。
「……先代様も先々代様も、皆様優しい方でした。ですが、事故に遭ったからと、盗みを働いたり、ましてや公爵家の跡継ぎとして育てられたお嬢様に非道なことをしていい理由にはなりません。それに……っ! お嬢様をどこかの地方領主の後妻に差し出して大金をもらうなんて、非道な計画……。そんな話を聞いてしまえば、止める手立ては一つしかありませんでした。レベッカ様の洗脳に引っかかったフリをして、お嬢様を安全に救い出せる時期を待っていたのです」
「……ねえ、待ってちょうだい。レベッカ様も洗脳されているということはないの?」
「ないよ」
突然声を出したのは、スローポだった。
三人は驚愕したようにスローポを見やる。ゼルヴァスが代表するかのように声をかけた。
「なんで分かるんだ?」
「目を見たら分かる……あのお貴族様は、ほんとの悪だよ」
「……ベアトリーチェ様、私もスローポさんの言う通りかと。あの方は、大怪我を負った際に本当に人が変わられたのだと思います。私には鑑定や看破のスキルはありませんが、聖女としての神聖力が、あの方が異質な存在であると感じているのです」
あまりの衝撃の事実に、ベアトリーチェは言葉を失った。
学園でアンナを虐げるようにと嗤っていたレベッカは、すでに知っているレベッカではなかったのだ。
―――では、本当のレベッカ様は……どこに行ってしまわれたの?
ガタン、と馬車の軌道が変わると、公爵家のタウンハウスはすぐそこに見えてくる。
これ以上の話はできないと悟り、ベアトリーチェは支えてるニナの頭に己の頭を合わせた。
「ありがとう。本当に、ニナがいてくれて良かった。心強いわ」
「……残りの詳しいお話は、タウンハウスに到着してからいたします」
ニナがそう言って姿勢を正すと、ベアトリーチェは静かに頷いた。
そして、前に座るゼルヴァスとスローポへの疑問を口にした。
「そういえば、あなたたちは本当にリッソーニ公爵家の使用人なの?」
ベアトリーチェの問いに、ゼルヴァスとスローポは視線を合わせると声を上げて笑った。
馬車の外で馬を並走させているカッシオは、馬車の中で何が起こっているのか知る由もない。
聖女を守る勇者という言葉に浸り、カーテン越しにニナの姿を懸想する。
「さあ、公爵家のタウンハウスに着くぞ、ベアトリーチェ。あそこに入れば、アンナは殿下を捨て、お前を捨て、公爵家を捨て、聖女として勇者の隣に立つんだ……」
カッシオは歪んだ笑みを浮かべ、タウンハウスの敷地へと馬を進める。
「ディエゴ殿下からいただいた祝いの宝石の中にあった祝福石には……単純な魔法を跳ね返す力があると言っていたが、俺は知っている。あの祝福石には、追跡の魔術がかけられていることもな……。追跡の魔術をかけるなんて酷いですよ、ディエゴ殿下。俺のことを信じていなかったんだ。あんなものがあると、もしアンナが俺と逃げ出したいと言った時、不便だからな……学園に置いてきちまったよ、ハハハ……」
その悍ましい独り言が、誰の耳に届くこともなかった。
あの祝福石を持ってきていれば、カッシオの運命もベアトリーチェの運命も変わっていただろう。
彼らはまだ知らない。
タウンハウスの敷地内には、レベッカが自分の城を守るために設置しているヘイズ・クォーツのことを。
中編で少し会話文が続きすぎて長くなってしまったので、前中後に区切りました。




