118、タウンハウスへの連行【ベアトリーチェsida・中】
―――後悔……しているのね。
グリンカント王国の貴族令嬢は、教育の一環として他人の感情の起伏に敏感になるように教育される。
それは嫁ぐ相手が王族であろうが、裕福な商人であろうが、隣国の貴族であろうが生き抜くすべになるからだ。
人間の一つ一つの動きには、何か意味を込めた動きがある。
自身も困惑しているだろうが、スローポはアンナがベアトリーチェにしたように、ゼルヴァスの手の上に自身の手を重ねた。
「……ゼルヴァス、自分を責めるのはよくない。説明して」
ニナは涙を拭いながら、ゼルヴァスを見つめた。
その瞳は責め立てるものではなく、嘘を吐くことは許さないという強い眼差しであった。
「リッソーニ公爵家のタウンハウスには、レベッカ夫人の手によってヘイズ・クォーツという魔道具が仕掛けられています。ヘイズ・クォーツは元々は貴族の屋敷を侵入者から守るために開発した魔道具でした」
「ヘイズ・クォーツ……タウンハウスの警備のために設置するとレベッカ様から聞いたわ」
「はい。ですが、実際には改良された……いえ、改良したものが設置されました。ベアトリーチェ様はもう、お気づきかもしれませんが、公爵家にかかわる人間は、貴族だけではなく使用人も、出入りの者も皆、あの水晶によって一時的に洗脳されているような状態になります」
「……洗脳。あぁ、そうだったのね……。公爵家の敷地から出ると、少し経って洗脳は解けるのね」
「その通りです。そして……申し訳ございません。そのヘイズ・クォーツは私が開発も改良もした魔道具です。ベアトリーチェ様の手に嵌めた腕輪で、思考がクリアになったでしょう?」
「ええ、そうね……」
「……お嬢様、ゼルヴァスの言っていることは本当です。私が洗脳されていないのは、恐らく生まれつき聖女として神聖力が強かったため、その洗脳の魔術の影響を受けずに済んだのです」
「ゼルヴァス様、あなたとても素晴らしい闇魔術師だと思います。説明の後に聞きたいことがありますので、今は続けてください」
「様は必要ありません。私は貴族ではありませんので」
ゼルヴァスは闇属性の魔術師に多い、自身の長く伸ばした黒髪の一房を掴むと、揺らして見せた。
髪には魔力が宿るとされており、魔術師の多くは髪を伸ばしている。
ただし、魔力の多いとされる上級貴族の男性には、髪を伸ばしている者は少ない。彼らの多くは、実際に魔術を生業にする仕事をする者が少ないからである。
ベアトリーチェは少しだけ考えるような素振りを見せると、納得したように頷いた。
「あなたの言葉を信じます。でも一つ疑問があります。私はタウンハウスに二年近く戻っていません。何故、今まで洗脳状態に?」
「……ベアトリーチェ様にはヘイズ・クォーツによる洗脳とは別に、もう一つ闇魔術が使用されていました」
「もう一つ? ヘイズ・クォーツがタウンハウスに設置される前から、レベッカ様と話すと思考がおぼろげになることがあったわ。それ以外にということ?」
「ここからは、私……ニナが話します」
ニナの瞳には激しい怒りの色が宿っていた。
「レベッカ様の洗脳に、お嬢様は十二の時にはかけられていたのかと思います。ディエゴ殿下からいただいたドレスをレベッカ様に渡すように、お嬢様が言われたあの日から……」
「……え?」
「あの日、私は部屋の前で待つようにと言われ、レベッカ様とお嬢様は部屋の中で二人きりになりました。乱れた髪にドレス……部屋の中で何かがあったことは明らかなのに、お嬢様が言った言葉は『このドレスは私には似合わないから、レベッカ様に差し上げて』でした」
ベアトリーチェは当時の記憶を思い出そうとするが、あの日の記憶は曖昧だった。
レベッカと話した当時の記憶を思い起こそうとすれば、頭がかすみがかっていたのだ。
昨日までは。
今日、改めてニナに言われ思い返すと、あの日のレベッカはいつも以上に行動が幼く見えた。
―――今だったら、はっきりと思い出せる。この腕輪のおかげなの……? あの日、レベッカ様に押さえつけられて目を見つめられた瞬間に、意識がぼんやりとしだしたわ。あの時から、もう洗脳され出していたということ?
「あの日、違和感を覚えましたが、私はそれをどうにかする術がありませんでした。その後、お嬢様がすぐに王宮にて王太子妃教育を受けるために、王宮に行かれましたが私の付き添いは王家より却下されました。私はそのすぐ後に、レベッカ様より領地へ戻るように命じられたのです」
「……十三の時の話ね」
ぽつりと呟いたベアトリーチェの言葉に、引き離された当時の寂しさが蘇る。
ニナはベアトリーチェの手をさらに強く握りしめ、悔しげに視線を落とした。
「はい……。私は最初断りましたが、父と母のことを言われ頷くしかありませんでした。領地に戻ると教会に王都の神官が呼ばれており、レベッカ様が私の魔力適性を調べさせたんです。その際にレベッカ様は神官に、私を養女にするつもりだから、しっかり調べてくれ、と」
「……まるで、ニナに神聖力があると知っていたみたいだわ」
「私もそう思いました。結果として、まだ才能が開花していないだけで、私の属性は神聖でした。その日、レベッカ様がフォレ様と話しているのを聞いてしまったのです。『ディエゴ殿下は必ずお嬢様と婚約破棄をするの。すぐに聖女との婚約をするから、あの娘を公爵家の養女にして、殿下と結婚させるのよ。婚約破棄されて傷物となったベアトリーチェは、地方領主に金と引き換えに売り渡すのが一番ね』と……」
あまりにも現実離れをし過ぎた話だと思っていたが、レベッカとフォレの話に、ニナは違和感を覚えていた。
だからこそ、ニナは養女になったのだ。
大好きな主を守るために、自分の意志で。
「私はレベッカ様に嫌われていたのね」
ベアトリーチェの感情のない声が零れると、ニナは小さく首を横に振った。
―――そうでなければ、傷物にされた後は地方領主に売るなんて考えが出てくるはずがないわ。それに、公爵家を乗っ取ろうとしていたのは、ニナではなく、レベッカ様だったのね。ニナの家族を人質に取り、名前まで変えさせて……。
「それは、分かりません。私も以前のレベッカ様を知っておりますが、あの方は明るく気さくな方でした」
「ええ、私も同じように思っていたわ。けれど……」
「……公爵領に戻って神官との対面が終わった次の日には、レベッカ様たちは王都へ戻られました。公爵領に残った私は、領地経営を担っていた家令のセルジオ様に一緒に調べていただきました。すると、ある事故からレベッカ様と……フォレ様も変わられてしまったと」
ニナが静かに告げた言葉は、馬車の中の空気をさらに重苦しいものへと変えた。
ある事故という言葉。
その言葉に、ベアトリーチェは一つだけ思い当たるものがあった。




