110、卒業パーティー③【ベアトリーチェside】
タイトルのナンバリングを間違えていたので修正しました。
「今この場をもって、ディエゴ・グリンカントはお前との婚約を破棄する!」
ディエゴは婚約破棄の宣言を声高に言い放った。
ホール内にいた生徒たちから、割れんばかりの歓声が沸き起こる。
ベアトリーチェは、その言葉の意味を理解することができなかった。それは当然であった。子を成して公爵家を取り戻すためには、ディエゴと結婚するほかない。
そういう約束であったから、ベアトリーチェはディエゴに言われるがままに、傲慢で我儘な女を演じるという屈辱に耐えていたのだ。
―――婚約破棄……? どういうことなの!? 私は殿下に命じられるがままに演じて来たのに、約束を反故にするおつもりなの!?
ベアトリーチェは赤い瞳に怒りを滲ませ、眦を吊り上げた。
「……お待ちください、ディエゴ殿下! それでは……それでは、私と殿下との間で交わした約束はどうなるのですか!?」
怒りと焦燥を孕んだ声を上げて、ベアトリーチェはディエゴへと一歩踏み出し、問いかけようとした。
その瞬間、ディエゴは僅かに身じろぎをする。
「殿下! アンナ嬢!」
二人の名を呼ぶ声が、ディエゴとアンナの背後から飛んでくる。
ベアトリーチェがディエゴへと手を伸ばしたことを、カッシオは過剰なまでの正義感に駆られて体を動かしていた。
カッシオはベアトリーチェの手首を荒々しく掴むと、そのまま体を床へ引き落とした。
「――っきゃぁあ……っ!」
容赦のなく引き落とされた衝撃に、ベアトリーチェは一瞬息が詰まる。
「まあ! 流石ですわ、カッシオ様!」
「あの傲慢な悪役令嬢が、膝を折っているわっ」
「公爵令嬢の身分を笠に着て、いつも威張っていたことを反省するのね」
「これって、あの本の通りじゃなくって!?」
押さえつけられ膝を崩した格好になったベアトリーチェは、多くの者の目がある前で膝を突かされたのだ。両腕を後ろに捻り上げられ、膝を突く姿はまるで罪人のようであった。
深いスリットからは白い脚が露わになり、深く開いた胸元はその柔らかさを象徴するかのように押し出されていた。
「それにしても、あのドレス……本当に酷いものね」
「私、以前下町で見たことがあります。男に捨てられて、半狂乱になった路地裏の娼婦を。その時見た光景とまるで同じだわ!」
「ふふ、下町で男を相手にしている娼婦と同じにされているなんて……とても愉快ね」
「ははは! 殿下や聖女アンナ様に飛びかかろうとするなんて、ついに本性を現したな、この悪女め!」
「実家の公爵家の威光で今まで誰も言えなかっただけだもの。殿下のお言葉で今後のご自身の立場が分かったのではなくて?」
「ざまあねぇな。令嬢が大勢の前で膝を折るなんて……」
周囲の者たちは、誰も彼もがカッシオを褒め、ベアトリーチェを罵る。
―――今はこのドレスのことなんてどうでもいい。学園入学前から、殿下の命令で着たくもないドレスを着て、周囲から嫌われるように行動をとってきたのに……何が気に入らなかったというの!? こんな……婚約破棄だなんてくだらない遊びをするためだけに、私にあんなことをさせていたの……!?
それが当然のように下卑た目を細め、愉悦に歪んだ口を開く。
ベアトリーチェは、今の自分の格好を気にする余裕などなかった。
約束を反故にされるということは、何のために今まで生きてきたのか、ベアトリーチェ自身の未来が分からなくなることである。
「殿下……! ディエゴ殿下! 何故、今更そのようなことを仰るのですかっ」
カッシオは、涙を流し叫ぶように声を上げるベアトリーチェを見ても、何の感情も覚えなかった。
この憎らしい女が自分の手で惨めに押さえつけられ、泣き喚く姿は何とも言い表せないほどの快感を感じさせた。
カッシオはディエゴを仰ぎ見た。
「殿下、発言の許可を」
「ああ、許可する」
「はい。ベアトリーチェ嬢は錯乱しているのではないでしょうか」
「錯乱?」
「はい。殿下に婚約破棄を告げられたことで、きっと心を乱されたのでしょう。でなければ、ありもしない殿下との約束……など言い出すわけがありません」
「な、何も知らないお前が口を出さないでちょうだい!」
ベアトリーチェは、頭上で押さえつけているカッシオを見ることなく叫ぶ。
カッシオはわざと肩を竦ませ、声を出した。
「おお、怖い怖い。これがこの女の本性でしょう」
「殿下、私からも……」
「フローラ嬢?」
「ベアトリーチェ様は、公爵家の養女となったアンナ様を醜い嫉妬心から虐げ、他にも多くの令嬢たちに危害を加えようとしました。それだけに留まらず、殿下の婚約者という身分でありながら、複数の男をその体で誘惑し、不義を働こうとした……いいえ、働いたという噂までございますわ」
「していない! 私はそのようなことをしていないわ! 全部、殿下が……っ」
「ベアトリーチェ」
ディエゴが低い声で名を呼んだ。
びくり、と体を強張らせ、ベアトリーチェは押し黙る。
「私が君を愛せなかったことで、苦しめたということだな。だが、それとこれは別の話だ」
「ディエゴ殿下、違う……違うわ、待って……っ」
「この場で私やアンナ嬢に危害を加えようとしたこと、そしてこれまでの数々の罪状、不義の疑いについて、場所を移して徹底的に取り調べる必要がある! カッシオ、連れて行け!」
「承知いたしました」
「…………っ」
カッシオはベアトリーチェの腕に力を込めて立ち上がらせると、自分自身の手でベアトリーチェを取り調べるために学園から王宮まで連行しようとした。
乱暴に立たせられたベアトリーチェの目に、ディエゴの腕に自身の腕を絡ませているアンナの姿が目に入る。
唇を噛み締めすぎて、血の味がする。
「やっぱり、あの本の通りねっ」
「ええ、本当……! この後、塔での尋問の後に……」
「いいわね、面白くなってきたわ」
見世物のように誰も助けることはなく、野次のような声が響く。
ベアトリーチェは恐怖などではなく、この状況をどうにかできないかと、働かない頭を働かせた。
―――駄目、駄目だわ……! 何も思いつかない……。今この場をどうにかしないと、このままだと最悪の事態になることだけは分かるわ! もう、誰でもいい。どうか、お願い、誰か……助けて!
「お待ちください!」
静止をかける声は震え、悲鳴のように高くホールに響き渡った。
「ディエゴ様、止めてください! お願いです……っ、ベアトリーチェ……お姉様を連れて行かないで……!」
ディエゴの腕に縋りつき、可憐な緑色の瞳に涙を溜めたアンナが声を張り上げて、ディエゴの胸の中で叫んでいた。




