108、卒業パーティー①
―――豊穣の女神より愛され、加護を受けし国グリンカント王国。今も女神様の加護のおかげで凶作などになることもなく、大聖女ハンナ様のおかげで結界で王国は守護されている。妃教育の一環で読んだ本に、大聖女ハンナ様が王妃を退き、修道院で一生を過ごすことを選ばれたのかが書かれていたわ。
「国王を、そして民を愛していたから」
ベアトリーチェは僅かに唇だけを動かし、独り言ちる。
―――でも、私は……大聖女ハンナ様のような崇高な意思を持っているわけじゃない。むしろ、今の状況でどうやってディエゴ殿下を愛せと言うの? まだ国民なら愛せるかもしれない……。この国を支え、民を愛し栄えさせる……。
一人でホールに現れたベアトリーチェを、多くの者はニヤつきながら見つめていた。
学園に婚約者がいる者は、その婚約者にエスコートをしてもらうのが慣例であったが、ベアトリーチェは皆が想像していた通り一人でやってきたのだ。
「まあ、婚約者がいらっしゃる方がお一人で参加されるなんて……何を考えているのかしら」
「婚約者にも気持ちというものがあるでしょう? きっと、悪役令嬢をエスコートするなんて嫌だったのよ」
「それにご覧になって、あのドレス。よくもまあ……あのようなドレスで参加できるものね」
「ここを娼館とでも勘違いしているのではなくて?」
くすくすとホールに響く嘲笑う声が聞こえ、ベアトリーチェは現実に引き戻される。
「あらあら、今回もまたベアトリーチェ様のドレスは布地が少ないこと。何でもディエゴ様に毎回布地は少なくして、その代わり高価な生地で宝石を散りばめた贅沢なものを強請っているらしいわよ」
「あらそうなの……。とってもお体に自信がおありなのでしょうね。私でしたらこのような輝かしい日に、あのような……破廉恥なものはとてもじゃないけど着れませんわ」
「俺たちからしてみれば眼福だけどな」
「ちょっと、マリオ?」
「いやいや、俺の女神は君だから怒らないでくれ、ははは」
「奴隷階級が着るようなドレスを私に寄越したら、承知しないわよ?」
背中は腰骨の位置と同じか僅かに下まで開かれており、胸元はその豊かさを強調するようにデザインされ、マーメイド型のドレスには深いスリットが入っていた。
令息の下卑た視線。
令嬢の蔑む視線。
―――こんなドレス、私だって着たくないわ。でも、今日が終わるまで大人しく言うことを聞いておくしかないのよ。でなければ、この学園生活で苦労したことが、無意味になってしまうもの。
全てがディエゴの思う壺である。
そう分かっていたとしても、今のベアトリーチェはこの品のないドレスを贈った張本人が出てくるのを待つしかない。
ベアトリーチェはどのような視線を浴びても、相手にはしなかった。
ただ、耐え忍ぶだけである。この場で何かを言っても、誰も信じてくれないことも分かっているのだ。
嘲笑は止まず、面白おかしく話される。
「ベアトリーチェ・ソフィア・リッソーニ公爵令嬢」
一人の令嬢を貶すことで賑わっているホール内に、この国の王太子であるディエゴ・グリンカントの声が響いた。
ホールの上からゆっくりと注目されるように階段を下り、一番下に下り立つと周囲の生徒にディエゴは微笑みかける。周囲は深い礼をし、ディエゴに対して頭を下げる。
「ああ、皆そんなに畏まらないでくれ。今日は皆で集える最後の日なんだ、楽しもうじゃないか」
爽やかに言葉を返し、生徒を気遣う姿は完璧な王太子の姿であった。
次代の国王になるべく存在として、ディエゴを支えていきたいと思わせるほどである。しかし、それと同時にディエゴは、可哀そうな王太子とも思われている。
将来、王太子妃となる婚約者は、公爵家から押し付けられた我儘ばかりの令嬢で、ディエゴにいつも無理難題を言っているらしい。
それでもディエゴは嫌な顔一つせず、婚約者であるベアトリーチェに真摯に向き合っていた。
今までは。
学園内でのベアトリーチェの悪行を、今この場にいる多くの者は知っている。
「返事がないぞ、ベアトリーチェ・ソフィア・リッソーニ」
「……はい、殿下」
ホールの階段と、一般生徒たちが入場した入り口は離れている。
先ほど中央へと促されるようにやってきたベアトリーチェとディエゴの距離は、まだ僅かにあった。
「ああ、ディエゴ殿下はいつみても麗しいお方だわ……。もうお姿をこのような間近で拝見することができなくなるなんて……」
「ええ、本当に……。でも、この国はディエゴ様がいらっしゃるから、今後も素晴らしいものになってくわね」
「そうね。私たち身分の低い者にもお優しく、気さくでいらっしゃるんですもの」
ディエゴはその声を聞きながら、静かにホールの中央へと進んでいく。
目の合う令嬢に微笑を返し、手を上げる。
白銀の髪は二段に整えられ、瞳は澄みきった空のように青い。
整った容貌は今は亡き前王妃に似ているが、若くして亡くなったため学園の生徒はほとんど誰も覚えていないだろう。
しかし、ベアトリーチェは覚えている。
母親のイザベラと前王妃は学友であったため仲が良く、友人としてイザベラに連れられ王宮で会うこともあった。
そして何より、王宮には前王妃の絵が多く飾られていた。
「そう、それなのに……こんなにも晴れやかな場にそぐわない方がいらっしゃいますわね」
「本当ねぇ。あの方が今後ディエゴ殿下の隣に並ぶなんて……」
どこからか上がった声は、その先を望む声。
ベアトリーチェはスリットが深く入っているため、ほどほどに生地を持ち上げると、美しい礼をとったままディエゴから声がかかるのを待っている。
他の令息や令嬢はすでに顔を上げている。
この会場の中で、ディエゴに次いで爵位の高い娘であるはずのベアトリーチェだけが、頭を上げることを許されていない。
ディエゴは時間をかけてベアトリーチェの元まで足を進めると、一斉に道が開く。
「皆、すまないね」
ベアトリーチェの前まで来ると、優しい笑みを浮かべていたディエゴの顔が、一瞬にして険しいものになる。その場にいた生徒たちは、その表情の変わりようにあの本の内容通りだ、と期待に胸を躍らせた。
「君にはがっかりしたよ。私の愛を独り占めしたいからと、醜い嫉妬で人を傷つけていたなんて。しかも、ずっと昔から。私と親しくしているというだけで、男爵令嬢……いいや、今はリッソーニ公爵家の養女となって、義妹となったアンナ嬢も嫉妬で虐げていたそうだな」
「…………」
「学園では貴賤関係なく皆平等、それを守り教えていかなければいけない立場の君が……そんなことをするなんて。何故だ、ベアトリーチェ」
ディエゴは、頭を下げているベアトリーチェの顎に手を伸ばし、上を向かせる。
背丈の差ではあるがディエゴがベアトリーチェを見下す形になり、周囲には表情が見えないように耳元に顔を近付けると、ベアトリーチェにしか聞き取れないほどの小さな声で囁いた。
「僕の贈ったドレスは、今日もいいな。お前のその体によく似合っているじゃないか。この体が僕のものであることを愚かな男どもに見せつけないと、勘違いする者が出てきてはいけないだろう?」
すり、とベアトリーチェの腰のラインを手の甲でなぞる。
王族や公爵家など、上級貴族や名門貴族にしか使用が認められていない良質な生地は、その希少さを見出すためにあえて薄い生地になっている。
薄ければ薄いほど技術がいる。
そして、その薄い布に繊細な刺繍が施されていることも、価値がある証拠とされていた。ただし、薄い生地であるため、直接肌を触れられているのではないかと錯覚を覚えるほど、生々しい感触が残る。
「……とても繊細な刺繍に、生地ですわ。素晴らしく良質ですものね」
にこり、とベアトリーチェは笑みを浮かべる。
―――何が似合っているだ、私の体は私のもので殿下のものではないわ。汚らわしい……。
細められた青い瞳の中に、背筋がぞっとするほどの熱を感じる。
毎回ドレスのデザインはディエゴが考えていた。
二人で出席するパーティーなどの衣装に、ベアトリーチェの意思が反映されたことは一度もない。ディエゴ自身の趣味で勝手に仕立て屋に作らせたものを、ベアトリーチェは毎度着用させられていたのだ。
―――乙女が……こんなドレスを着たいなんて思うはずがないわ。それに、この国では奴隷の売買は禁止されているはずなのに……会場にいる多くの者から、奴隷階級なんて言う言葉が聞こえてくるのは問題があるようね。
この国は他国よりも平和であり、労働者にも恵まれているため、数代前の国王によって奴隷の売買は禁止されている。
もちろん、この国から全てがなくなっているとは、ベアトリーチェも思ってはいない。
だが、まるで身近な存在のように皆が呟くのだ。
「それに、だ。私たち卒業生の門出を祝う場に、そのような品のないドレスを強請ってくる愚かさ。公爵家との関係を考えて、贈りはしたが……やはり、贈るのではなかった!」
その一言に、会場内はざわつく。
ディエゴは誠実な王太子である、この場にいるベアトリーチェ以外の者からすれば。
周囲の人間は、やはりな、と薄く笑う。
品のないドレスを好き好んで贈る男など、存在するわけがない。ましてや、自身の婚約者にわざわざ恥をかかせるようなドレスを買い与えるなど、屈辱以外の何でもないからだ。
「この、ドレスは……」
感情を押し殺すように、ベアトリーチェは口を開きかけた。
「ディエゴ様……良いのです、私が全て悪いのです……!」
ベアトリーチェを嗤いものにする騒々しい声を遮るようにして、一人の少女の可憐な声が響き渡る。
はく、と口がパクパクと動き、言いかけた言葉は飲み込まれた。ベアトリーチェは声がした方へと視線を向けた。
ホールの階段の一番上に、ピンク色の美しい髪に薄青色の可憐なドレス姿。
周囲のざわめきはその姿を目にすると、一瞬にして静まり返る。
「せ、聖女アンナ様だ……!」
王立学園の卒業パーティーが、断罪劇の場に変わる瞬間だった。




