106、フローラとダリラ
夜にも一つ更新します
「アンナ様、少しお化粧直しをして参りますわ。先にホールの前でお待ちいただけますか? カッシオ様がきっと首を長くして待っておりますわ。ふふ」
フローラは微笑んだ。
その言葉にアンナは頬を赤く染め、恥ずかしそうに頷く。
「フ、フローラ様! もうっ……分かりました、また後ほど……」
華やかな卒業パーティーの喧騒が近づくホールの裏手。
フローラは微笑みながらアンナを先に行かせると、卒業式が終わったばかりの人気のない会場の裏庭へと向かった。
貼り付けていた笑顔を落とすと、フローラは真顔で声をかける。そこにはベアトリーチェの着付けを終えたばかりの、ダリラが一人隠れるように佇んでいた。
「……それで? ベアトリーチェ様の様子はどうだったかしら、ダリラ」
フローラの声から、先ほどまでのアンナと話すような柔らかさは消え失せていた。
可憐な令嬢として知られているフローラとは思えないほど、低く、のっぺりとして、どこか楽しげな響きを浮かべていた。
「はい、フローラお嬢様。お言いつけ通り、王太子殿下から贈られたドレスはそのままお召しいただきました」
ダリラは表情一つ変えず、淡々と告げる。
そのダリラの立ち振る舞いはただの侍女ではない。
彼女も元々は物書きを愛する貴族の娘であった。跡継ぎを産んだ継母と折り合いが悪く、ダリラはフローラの実家であるグラッジアス伯爵家に望んで行儀見習いという形で侍女として勤めだしたのだった。
「ふふ、本当に着たのね。あの、奴隷階級が着るような、恥知らずなドレスを……」
「はい。また、殿下からの贈り物に宝飾品はございませんでした。大きく背中の部分が開いたドレスでしたので、通常の下着をつけることすら殿下は許さなかったようです」
ダリラの報告を聞き、フローラは扇で口元を覆いながら、クスクスと低く音を漏らし笑う。
その瞳には嗜虐的な光だけが宿っていた。
「本当に滑稽だわ。プライドばかり高い公爵令嬢が、そんなドレスを着て、婚約者がいるにもかかわらず、一人でエスコートもなしにパーティーに現れるなんて。周囲がどんな目で見るかも、気にも留めないということかしら」
「ドレスはかなり良い品でした。あの方がきっとお選びになったのでしょう。しかし、自分の意志で選んだわけではない、というようなことも言われてましたが、誰が信じるというのでしょうか」
「哀れねえ。そんな言い訳などしなくても、誰もベアトリーチェ様のことなど信じるわけがないわ。今までのこともあるし、今はあの本の悪役令嬢のモチーフなんですもの」
フローラはため息交じりに呟いたが、その声はひどく弾んでいた。
「あの本は読まれていないようでした」
「まあ、世の中から置いていかれてしまっているわね。でも、それでいいのよ。だって、自分の未来を知るなんて……可哀想だものね」
フローラはダリラの手を握り、その細い指先を見つめた。
学園中どころか、王都で知らない者はいないくらいに出回り、熱狂している小説。
その最終章である、断罪が今日行われるのだ。そのことを学園に通う生徒は皆知っている。
そして、生徒だけではなく、貴族も、平民も。
ダリラこそがこの本を書き上げた原作者であった。
「……私の書いた本は、あの方がこれまでアンナ様やお嬢様にされたこと、他の方々にしてきた事実を、少しだけ分かりやすく書き連ねたまでにございます」
「ええ、素晴らしい出来栄えだったわ。今、あの本を知らない者なんて……いるのかしらね?」
「舞台の準備は万全でございます。化粧、髪型、ドレス、宝石……全てが悪役令嬢として、あの方を輝かせております」
ダリラの声にはベアトリーチェへの個人的な憎しみはなかった。
単純に、自身が描いた物語の結末通りに役者は動いてくれるだけでいい、という感情だけである。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
ホールの屋根に鎮座している、鐘の音が鳴り響く。
数分後には鐘の音が一つになり、ベアトリーチェを断罪するためだけの卒業パーティーが幕を開ける。
「さあ、行きましょうか、ダリラ。アンナ様を待たせているわ」
フローラはふっと息を吐くと、その息一つで先ほどと同じような心優しい可憐な令嬢の顔へと戻る。
「今日の主役はアンナ様よ。でも、そのアンナ様を引き立てるためだけに今までで一番醜い姿をしたベアトリーチェ様が必要なの」
「はい。フローラお嬢様には、アンナ様のご友人として一番の席を用意しております」
「ふふ。そうよね、そうよね。ああ、楽しみだわ。ベアトリーチェ様の美しい顔が、どれだけ屈辱と絶望に汚れるのかしら……。そして、悲しむアンナ様を慰められる喜びを、早く味わいたいわ……」
そう言い残し、フローラは軽やかな足取りでアンナの元へと戻っていった。
残されたダリラもフローラを追いかけるようにゆっくりと足を向ける。
今頃ベアトリーチェもホールへと向かっているだろう。ただし、ホールへと続く扉が開いた瞬間、ベアトリーチェの未来は閉ざされることになるだろう。
「あぁ、どなたも私の描いた物語通りに踊ってくださいませ……」




