105、二つのドレス
明日も更新します
卒業パーティー当日。
自室の窓から差し込む光は優しく、今日で学園生活の最後を迎えるベアトリーチェを祝福しているようであった。
少しだけ開かれた窓や廊下からは、いつものような下卑た声は聞こえてこない。
皆、卒業式のためにすでに寮を後にしているからだ。
ベアトリーチェは管理人室の横にある自室で、一人でドレスを広げていた。
「本当に悪趣味なドレスだわ」
ディエゴからあらかじめ届けられていたドレスは、ディエゴの悪趣味を詰め込んだような代物だった。
豪奢などではなく、美しいはずの繊細なレースを台無しに思えるほど装飾されたオフショルダーのマーメイドラインのドレス。
そして、後ろが大きく開いたバックオープンは、この国の貴族令嬢ではほとんど着ないデザインであった。
理由の一つは、背中を大多数に見せることは、この国では奴隷階級の者や夜の仕事をする者に与えられる衣装に似ているからだ。
そして、このドレスを華やかにさせる宝飾品は、ディエゴから一つも届けられることはなかった。
「フローラ様が仰られていたことは、本当だったようね」
特に宝飾品を贈ってほしいなどとは、思ってもいなかった。
いつもは勝手に豪勢なものを贈ってくるのだが、突然贈られなくなるとそれが不思議に思えてただけである。
今回は見張り役のジルダも現れず、ディエゴは本当にアンナに付きっきりになっているのだろう。
「……このドレスを見ただけで、私は傲慢で我儘な令嬢ね。ドレスの生地も、縫い付けられている宝石も、全てが高価なものじゃない」
ディエゴからは前もって、エスコートをしない旨を手紙で伝えられていた。
「エスコートは不要だったけれど……ただ、私一人でこのドレスを着るのは難しそうだわ」
ドレスと向き合い、どうしたものかと考えていると、扉をノックする音が響く。
思わず肩を震わせ、ベアトリーチェは扉を見やった。
「……どなた?」
「ダリラです。フローラお嬢様より、お支度をお手伝いするようにと仰せつかりました」
その聞き覚えのある声に安堵したが、何故という感情が胸の中に渦巻いていく。
ベアトリーチェは入るように声をかけた。扉が静かに開くとフローラの侍女であるダリラが頭を下げて立っていた。
「何故、あなたが……。それよりもフローラ様がどうして、そこまで……」
言い淀むベアトリーチェに、ダリラは淡々とした表情で近づいてくる。
「ベアトリーチェ様は王太子殿下の婚約者ですので、間違いがあってはいけないと」
「その、ありがとうございます。フローラ様にも、そしてダリラさん……あなたにも感謝いたします」
「……お顔を上げてください。私のような使用人に……頭など下げないでください」
ベアトリーチェは深く息を吐き、心からの礼を告げた。
「けれど、私のために時間を割いてしまっては、フローラ様ご自身の支度は……」
ベアトリーチェが尋ねると、ダリラは表情を変えずに手際よく髪を梳き始めた。
「フローラお嬢様は、卒業式に出ておりますので、この時間にと」
「……あ、あぁ、そうよね」
―――今は卒業式が行われている時間。きっと、友人たちと別れを惜しんでいる時ですものね。
ベアトリーチェは鏡の中に映る自分を見つめた。
「他のご令嬢とは異なり、入浴や洗髪の許可はおりていないとのことでしたので、このまま髪の毛のセットをさせていただきます」
「そう、なのね……。では、お願い」
ダリラの手腕は確かだった。
サイドの髪を複雑に編み込み、後ろは緩く梳かしただけである。だが、それこそがベアトリーチェの美しいと称賛される金色の髪が一番美しく見える髪型でもあった。
「では、このままお化粧をさせていただきます」
「ええ、お願い」
テキパキと動く、ダリラの指先を鏡越しに眺めるだけで、あっという間に時間は経っていた。
完成した自身の顔を見て、ベアトリーチェは息を呑んだ。
ベアトリーチェは、いつも他者から侮られないようにきつめのメイクをしていたが、ダリラはそのことを知っていたかのように、同じような化粧が施されていた。
「お待たせいたしました。いかがでしょうか」
「ありがとう」
「はい。では、このままドレスの支度に移らせていただきます」
「……そう、ね。殿下から贈られてきたものは、全てあちらにあるの。私には着方も分からないものがあるから、ダリラさんにお願いするわ」
「承知いたしました」
ベアトリーチェが示した先にはディエゴより贈られた薄い青を基調としたドレスがある。
薄い青色はディエゴの瞳の色。
そして、その薄い青と同じくらいに多く使われているのは、純白と言われるほど美しい白の生地であった。
通常であれば、学園の卒業パーティーなどで、白いドレスは着用しない。それは、自身が主役だと言っているようなものであるからだ。
しかし、そのドレスを見てもダリラは何も言わなかった。
ジルダであれば、歪んだ笑みを浮かべながら身支度を整え、鏡の前に立たせては下卑た言葉をかけていただろう。
「ベアトリーチェ様、どうぞ足をこちらへ。ゆっくり引き上げますね」
「ええ」
床に広げられたドレスの輪へ、促されるままに足を通すと、ダリラはゆっくりと引き上げた。
ディエゴ好みの深く開いた胸元の生地、オフショルダーの布が二の腕を僅かに覆う。
「背中を合わせていきます」
背後からドレス生地を合わせながら、ダリラが声をかけた。
大きく開いたバックオープンの背中は、腰のくびれまで晒されており、このドレスを着て卒業パーティーに参加すれば、周囲からどのように言われるかは分かり切っていた。
―――どうせこのドレスも、私が欲しいと強請ったということになっているのでしょう。殿下がなにを考えているかなんて、私には理解できないから……このまま早く終わらせてしまいたい。
ドレスは手際よく着付けられた。
着付ける最中もダリラはドレスについて、特に発言することもなく、静かに手を動かした。
ベアトリーチェもまた、ダリラがそういう具合であったので、何も話さず静かに着付けが終わるのを持った。
「終わりました。いかがでしょうか、ベアトリーチェ様。姿見の前へどうぞ」
促されて鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは、ジルダとは違うセンスの良い髪型、そして少しだけ吊り上がった目が特徴的な令嬢がそこにはいた。
「……いつも通りね」
「ご不満な点がございましたでしょうか?」
「いいえ、違うの。初めて私の世話をしてくれたはずなのに、いつも通りで驚いているの」
「……フローラお嬢様より、茶会の時などにどのような化粧をされていたのかを伺っておりますので、同じように仕上げさせていただきました」
「まあ、そうなの。素晴らしい腕前ね。でも、こんなに綺麗にしてくれたのに……ドレスの趣味が悪すぎて、台無しね」
ベアトリーチェは自嘲気味に呟く。
しかし、ダリラは何も言わなかった。
このバックオープンドレスには、通常の下着など着けられるはずもない。着付けていたダリラならば、このドレスの異常さに気付いただろうが、ドレスの贈り主を知っているからこそ、口を噤んだのだろう。
それでもベアトリーチェは、この格好で参加するしかないのだ。
どれだけ屈辱を覚えようとも、感情を表に出さずにじっと耐えて、終わりが来ることを待つしかない。
「本当に馬鹿みたい……」
素肌に触れるドレスの生地は柔らかく、最高級の生地で仕立てられていることは分かる。
それでも、気持ち悪いという感情しか出てくることはない。
仕上げにダリラが先日勧めた薄青色に輝くイヤリングを耳に合わせる。
揺れる髪から見えるそのイヤリングは、輝きと大きさ、そして精巧な細工で自然と目が行くほど素晴らしいできであった。
胸元には、いつものように赤い魔石のブローチが輝いている。
「終わりました」
「ありがとう。とても素敵だわ」
「ありがとうございます。気になるところはございませんか」
「いいえ……。ありがとう、本当に助かったわ。フローラ様にもお礼を伝えてちょうだい」
「承知いたしました」
ダリラは支度が終わると一度深く頭を下げ、静かに部屋を去っていった。
「ああ……息苦しいわ。本当に、こんなドレス……嫌になるわ……」
どれほどの時間が過ぎたのか。
外から卒業式の終わりを告げる高く澄んだ鐘の音が響いた。
「式が終わったようね」
ベアトリーチェは学園からの指示で、卒業式に参加することは許されなかった。
今までディエゴの婚約者として、国王であるベッファと王妃であるアリアとも少しは信頼関係ができていたと思っていたのだが、二人が学園のことで口を出してくることは一度もなかった。
「国王陛下も王妃陛下も、顔を見せなくなった私のことをどう思っているのかしら」
卒業パーティーが終われば、少しの時間をおいて王家主催のパーティーが行われる。
場所が学園から、王家の持つ学園近くの宮殿に変わり、王族や貴族が集まりデビュタントとは違う、大人の華やかの夜会が始まるのだ。
「ふふっ。手紙の一つすらないのは、殿下が隠しているのか、両陛下が私を見限ったからか……。それでも、私はやるしかない」
パーティーが始まるまでの僅かな時間、ベアトリーチェは窓際に立ち、穏やかな外の風を感じていた。
―――ここともお別れ……。やっとこの日が来たのね。
その時、庭園を歩く生徒の影が目に入った。
「アンナ……」
アンナの横にはフローラがおり、二人は楽しそうに話しながら歩を進めている。
フローラは薄い緑色の柔らかい印象のドレスを纏い、アンナはベアトリーチェと同じような薄青色のドレスを纏っていた。
ただ、アンナのドレスはベアトリーチェのドレスのように悪意に満ちたデザインではない。
アンナに似合うように仕立てられた、膝丈で可愛らしい印象のものだった。
―――ディエゴ殿下の瞳と同じ色……そして、私のドレスとも同じ色。殿下から贈られたドレスだということがすぐに分かるわ。
薄いカーテンを少しだけ避けて、窓越しにアンナの姿をじっと見つめる。
「不思議だわ。あんなにも憎かったはずのアンナを見ても、今は不思議と心が凪いでいるわ」
いつもはアンナの声を聞くだけで感情は昂り、憎いという思いが胸から溢れ出ていた。
しかし、今日は全くと言っていいほど、その感情が出てこない。むしろ、何故あれほどまでアンナを憎んでいたのか、分からないほどであった。
―――こんなに心が落ち着いているのは、久しぶりだわ。今更遅いかも知れないけれど……アンナと話せる機会はないかしら? もっと、ちゃんと話しておくべきだったのよ。叔母様たちとお会いする前に……。
ベアトリーチェは胸元の魔石を強く握りしめた。
卒業してしまえば、アンナは聖女の勉強をするために教会へ行くことになるだろう。
そうなれば、どのみち公爵家の養女とはいえ、公爵家を継ぐことはできない。結果として、ディエゴとベアトリーチェの子が跡継ぎになることが現実的である。
「……殿下のお言葉を今まで守ってきたのだもの、約束は守られるはずよ」
あの日、公爵家が叔父夫婦であるフォレ夫妻に支配されて以降、ベアトリーチェは公爵家を取り戻すためにディエゴの命令に従い、周囲に疎まれながらも生きて来たのだ。
ディエゴの本心も知らず、ただ言いなりになってきた。
「どれだけ周囲に迷惑をかけていたとしても、私はお祖父様やお父様、そしてお母様が大事にしていた公爵家を取り戻したかっただけ。殿下と婚儀を執り行えば、全てが上手くいくはず……」
このような考えでは、国を支え、王を支え、そして民を支える王妃にはなれないことも、ベアトリーチェはよく分かっていた。
今、自分の学園での評判が悪いことは、貴族や民にも知られているだろう。
だが、どうしても家を取り戻すためには、ディエゴと子を作るしか方法はないのだ。
三つの鐘が鳴り響く。
「行かないと」
卒業パーティーがもうすぐ始まる。
数分後には鐘の音が一つになり、学園主催の生徒のみが参加するパーティーが幕を開ける。
ディエゴはベアトリーチェをエスコートしないと宣言しているため、一人で会場であるホールへと向かう。
すれ違う在校生たちはベアトリーチェのドレス姿に振り返り、これから起こることを想像する。そんな考えに気付くことなく、ベアトリーチェは卒業パーティーへと参加した。




